
独特なテンポのおしゃべり動画がTikTokで話題の、モデル・水野夏実さん。国際線キャビンアテンダントとして世界を飛び回ったのち、現在はシングルマザーとして子育てをしながら、所属事務所のマネージャー業にも取り組んでいます。
イギリス人のお母さまと名古屋人のお父さまのもとに生まれ、愛知県名古屋市で育った水野さん。山と緑に囲まれた街での子ども時代から、東京でたどってきた「街」への思い入れを伺いました。
山と緑に囲まれたベッドタウンの洋館で育って

―― 水野さんが生まれ育ったのは、名古屋市内のどんな街でしたか?
水野夏実(以下、水野):山が多くて、緑豊かな場所です。マンションよりも一軒家がずっと多くて、いわゆるベッドタウンですね。近くに池や川があったり、「名古屋市 東谷山フルーツパーク」があったり、乗馬ができる環境があったりして、とにかく自然だらけ。子育てをするなら、いろんな経験をさせてあげられそうな環境です。
それでいて、名古屋の中心である「栄」までは電車で1本で20分くらい、「名古屋駅」までも30分弱で出られるので、バランスがいい街でした。
―― ご実家は「イギリス人のお母さまがホームシックにならないように」と、お父さまがイギリス郊外の洋館に似せて建てられたそうですね。ご近所でも、とても目立っていたのでは?
水野:そうなんです。もう、目立ちすぎて! 日本家屋が立ち並ぶエリアだったので、建築の段階から「一体、なにができるんだ!?」って、街中の人が見物に集まっちゃうくらいでした。
それがやっと落ち着いた頃、クリスマスにモミの木をドーンと一本、家の前に立ててイルミネーションをつけたんですね。当時はまだ本気でクリスマスをやる家庭が珍しかったみたいで、あちこちから子どもたちが押し寄せてきて。みんなピースして、ウチの前で写真を撮って帰って行くんですよ。
―― 水野家が、ちょっとした街の観光スポットになっていたんですね。
水野:はい。とにかく人がやってくる家だったので、自転車がいっぱい停まってしまうんです。それを見て、「いま、やってますか?」って、着飾ったマダムたちがいきなり家に入ってきたこともありました。喫茶店だと思われたのかもしれません。
―― 街との関わり合いで、とくに印象的だったことは?
水野:自宅で、母が英語教室をやっていたんですね。それが口コミでどんどん広がっていって。「あの謎の洋館で英語が学べるらしい!」と話題になって、生徒さんもたくさん集まりました。
子どもだけでなく、近所の病院の先生も、学校の先生も習いに来て、いつのまにか、地域のコミュニティスペースみたいになっていきました。
―― 地域の方にも愛される場なんですね。
水野:イギリスからやってきた母も、最初は名古屋の方々の輪に入れず、疎外感もあったと思うんです。でも、どんどん人が集まるようになって、最終的には町内会長になっちゃいました。
「つけてみそかけてみそ」が当たり前の名古屋人

―― 水野家の食卓は、お母さまのイギリス料理と和食がどちらも出てくるミックス文化だったそうですね。
水野:はい。私はどっちの料理も好きです。ちなみに私は「日本人はなぜイギリス料理を『マズい』と言うのか」というテーマで大学の卒論を書いたんです。どうも気になっちゃって。
多分、イギリス料理って、フィッシュアンドチップスもそうだけど、自分で調味料をかけて完成させるスタイルなんですよね。塩やレモン、ソースをかける前提の料理なのに、日本人は最初から味がついているものだと思って食べるから「マズい」と感じるんじゃないかなって。
―― 日本とイギリス、両方の文化に触れてきた水野さんらしいテーマですね。
水野:私自身の味覚は、日本人というより完全に名古屋人なんです。絶対に「つけてみそかけてみそ」がないとダメなんですよ。名古屋ではCMもたくさん流れていて、オリジナルソングまであるんです。未だに歌っちゃいますね。野菜にもつけるし、カツにもかけるし、本当になんにでも味噌を合わせます。
―― 本当になんにでもつけるし、なんにでもかける、と。
水野:もちろん。東京に来てからコンビニのおでんに味噌がついていなくて「どうやって食べたらいいですか?」って店員さんに聞いたんです。そしたら「は???」みたいな顔をされてしまって。
その反応にあまりにもびっくりして岩手出身の友達にも聞いたら「普通のコンビニおでんには、味噌なんてつかないよ」と言われてしまって。「それ、岩手だからないんだよ」と返して、ケンカになったことがあります。
―― たしかに私も、見たことないです。今調べたところ、東海地方など中部地区限定みたいですね。
水野:全然知らなかったし、耐えられなくて、すぐに実家から「つけてみそかけてみそ」を送ってもらいました。
―― 名古屋から東京に戻るときの、新幹線のお供は?
水野:「地雷也」の天むす。帰り道、「時間ない、時間ない!」って言いながらも、駅で買います。
「コンパル」のエビフライサンドももちろん定番ですね。ドラマ『中学生日記』(NHK)に出演させてもらった頃、ロケ弁が必ずコンパルのエビフライサンドだったんです。私も名古屋人ですけど、それまでは食べたことがなくて。「なんじゃこりゃ、おいしすぎる!」ってなった衝撃の味です。
あとは名古屋の代表的な銘菓「なごやん」。最近は肉球の形をした「なごにゃん」というホワイトチョコ入りのものもあって、差し入れならそちらを選びたいですね。
愛知の自然を伝えたくておしゃべりが溢れた

―― 自然の多い土地で、子どもの頃はどんな遊び方をしていましたか?
水野:キャンプは印象的でしたね。愛知県内にはキャンプ場がたくさんあるんです。予約もせずにふらっと行ける犬山市の「桃太郎公園」によく連れて行ってもらいました。土日にサクッと行って、滞在中に猿が出てきたりして面白かったですよ。いまも帰省時には娘を連れて、デイキャンプに行っています。
―― 学校の行事でも、自然体験はありましたか?
水野:小学校の野外学習で、中津川でトーチトワリングやキャンプファイヤーをしました。夜、見たことのない満点の星空の中を流れ星がびゅんびゅん流れていって。帰ってから、ずっと親にその日のことをおしゃべりしていました。「あの情景の美しさを伝えたい!」と思ったのが、私がベラベラとしゃべるようになったことに拍車をかけた感じですね。
―― 水野さんの原点が、愛知の自然なんですね。
水野:はい。愛知って「名古屋県」と間違えられるくらい都市のイメージが強いんですけど、実はすごく自然が豊かなんです。街にすぐ出られるのに、東京では得られないくらい圧倒的な体験も味わえる。バランスがいいですよね。
―― そして水野さんは、名古屋市外にも愛着があるそうで。
水野:そうなんです。まずは長久手市にある「トヨタ博物館」ですね。クルマの仕組みを学べる展示や、ミニカーづくりなどの科学工作のコーナーもあって、愛知の子どもはみんな大はしゃぎ。なにより、愛知はトヨタのお膝元なんだなと実感させられます。
犬山市の「野外民族博物館リトルワールド」にもよく行きました。世界中の伝統家屋を集めた施設で、民族衣装も着られます。当時、まだ名古屋には私みたいなハーフの子が少なかったんですが、学校行事でリトルワールドに行った時にはじめて同級生たちにイギリスの文化に興味を持ってもらえて。「イギリスってすごい、家もおしゃれ!」とか声をかけられて、なんだか誇らしい気持ちになったのを覚えています。
名古屋は変わるもの、変わらないものが共存している

―― その後、名古屋を離れて上京。最初に感じたギャップは何でしたか?
水野:とにかく人が多いし、駅の数が多くて、駅と駅の距離が近いことにびっくりしました。地上を走る電車が少ないことにも驚きましたし、24時間営業のお店がたくさんあることにも驚いて。とにかく何度も、何度も小さな驚きの連続です。
チェーン店があることが当たり前になっているのも新鮮でした。名古屋にいるときは、そういうお店に行くこと自体が一大イベントだったので。
―― 人との距離感も、変わりましたか?
水野:人が多い分、安全だと思っていた自分のコミュニティから外れて、一からの関係を築くときに構えてしまう部分はありました。名古屋って名古屋が好きで内向きにまとまる感じがあるんですが、東京だと「友達の友達は友達」みたいにどんどん輪が広がっていくので、人馴れしているなと思いましたね。
―― 帰省するたびに、名古屋の街の変化は感じますか?
水野:昔のほうが、近所みんなで子どもを育てる雰囲気がありました。いまはご近所付き合いは薄れていると思います。便利になった分、人の家をじろじろ見にくるような人はいなくなって、街全体がシティナイズされましたね。
大きなスーパーができて渋滞するほど賑わっているし、コストコもできたし、洋風の喫茶店もできた。でも、昔ながらのモーニング文化を継承している喫茶店も残っていて。新しいカフェでも必ず「モーニング」をやっているんですよ。ハワイアンカフェでも、あんバターサンドとゆで卵がついてくることもある。変わっていくものと変わらないものが、うまく共存している街だと思います。
武蔵小杉から芝浦まで、東京での住まい遍歴

―― 国際線の客室乗務員として働き始めてから、モデル、マネージャーと仕事の拠点を広げていくなかで、たくさんお引越しもされたと思います。水野さんの、住まい遍歴を教えてください。
水野:ずっと小田急線沿線に住んでいたんですが、航空会社から内定をもらった後は、武蔵小杉に引越したんです。勤務地が羽田でも成田でも、通勤時間の規定があったので、同業者の多くは、蒲田を中心とした京急線沿いに住むんですね。でも、同業者だらけの街に住むのが、どうしても嫌で。武蔵小杉なら空港までタクシーでも電車でも行けるし、横浜シティ・エア・ターミナルも使えて、とにかく便利でした。
―― 思い出のお店はありますか。
水野:「萬福飯店」という町中華です。引越したあとも、お店に行くたびに声をかけてくれて。おじさんがいつもバナナを持たせてくれるんですけど、「なんでバナナくれるんだろうね」って不思議に思っていました。
あとは「元気厨房 ちからこぶ」や「肉酒場」に週4くらいで通っていましたし、「三ちゃん食堂」も定番でしたね。
―― その後はどちらへ?
水野:芝浦です。そこではじめて港区の風を感じました。東京に来てはじめて「東京だ!」と実感した街でしたね。芝浦はとにかく道が広くて、意外にも子育てにすごくいい環境なんです。
それに、調べてみると自治体の補助もとても手厚くて。「港区に住みたかったんだね(笑)」なんて言われたこともあったんですけど、自治体の補助を調べてみると、意外とお得だったりするんですよ。
街選びの基準は「フィーリング」

―― 水野さん、旅先では必ず現地の方にお話を聞いたり、Googleマップにスポットを保存していくスタイルだそうですね。「暮らす街」を選ぶときにも、その観察眼は活きていますか?
水野:リサーチというより、すべてはフィーリングですね。部屋もそうですし、街に入ったときに「ちょっと自分とは違うかも」と思ったら絶対に住みません。それと、スーパーができるだけたくさんあることも重要です。肉はこっち、魚はこっち、みたいに使い分けたいので。あとは小さくてもいいから商店街があってほしいです。落ち着く雰囲気があるので。
歳を重ねて気づいたんですが、人の気配がなさすぎると孤独を感じてしまうんですよ。「ここに来ればなんとかなる」と思えるくらいの街がちょうどいいんです。
―― それでいうと武蔵小杉も、そんな街ですよね。
水野:そうですね。なかでも、おすすめは新丸子寄りのエリアです。歩いて10分くらいの、タワーマンションエリアとは逆側なんですけど、建物が少し低くて空が広く見えますし、昔からあるコミュニティに根付いた飲食店や、おしゃれなパン屋さん、八百屋さんもあって。静かにゆるく過ごしたい人には新丸子寄り、というか新丸子をおすすめしたいです。
―― 最後に、水野さんにとって落ち着ける街の条件を教えてください。
水野:歴史的建造物めぐりが好きなので、近くにあると気持ちがいいですね。樹齢何百年というような木があったり、夜の散歩も気持ちよかったり。木の葉がさわさわ揺れる音を聞いたり、飛行機が飛んでいるのをただ眺めたり、そういう時間が好きです。
情報量が多い街も好きですけど、毎日だと疲れてしまうので、刺激がほしいときは旅に出て、ホームタウンとしてはやっぱり落ち着きが大事ですね。「今日、気持ちよかったね」って娘とティータイムをして眠る。そういう暮らしができる街がいちばんです。地元もそうだったから、東京でも無意識に愛知を求めているのかもしれません。

お話を伺った人:水野夏実
1992年生まれ、名古屋市出身。日本人の父とイギリス人の母を持つ。航空会社で客室乗務員として約4年間勤務後、モデル・マネージャーとして活動。2023年に離婚し、一女を育てるシングルマザー。英語、中国語が堪能。TikTok「uniuni.com」フォロワー26万人超。Tokyo FM Podcast「えってなってRadio」配信中。初エッセイ『ふつうに生きる、すこし驚く』を2026年7月刊行。
編集:小沢あや(ピース)
