三宿の街の記憶と散歩を【東京・三宿】

著者: やけのはら 

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私は以前、東京都世田谷区三宿の周辺に住んでいた。
渋谷から東急田園都市線でひとつ目が池尻大橋駅。池尻大橋駅の次が三軒茶屋駅。
池尻大橋と三軒茶屋の間のエリアが三宿と言う街になる。
つまり、三宿には駅が無く、池尻、三軒茶屋、どちらへも徒歩で10分強という立地だ。

 

そう言うと不便なようだが、渋谷から池尻、三軒茶屋、二子玉川と進み、多摩川を抜けて神奈川県へと達する国道246号線(高架で東名高速道路が併走している)沿いでは、時間帯によって電車より多い間隔でバスが走っている。

 

また、渋谷を基点に、南の海側から、東急東横線、東急田園都市線、京王井の頭線と3路線が放射状に走っているが、東急東横線、京王井の頭線の駅へも、自転車で行けば10分強で移動できる。

音楽の仕事をしているので、渋谷周辺の街場に用事が多かったのだが、渋谷、代官山、中目黒、学芸大学、下北沢、そして世田谷線沿線といった街への移動は、常に混んでいる首都圏の電車に乗らずに、バスや自転車で行けるので気楽だった。

つまり、特にどうしても三宿のあたりに思い入れがあったわけではないが、自分にとって動きやすく便利だったのである。

 

街の深層に眠る古い記憶

明治から昭和初期の東京15区時代には、現在の世田谷区、目黒区、渋谷区、新宿区といったエリアは区に制定されていない。世田谷区のあたりは、畑も多い長閑な土地だったようである。

関東大震災後に、被災した人々が移住し居住者が増え、また、三宿のあたりは、第二次世界大戦後の渋谷の隆盛とも呼応し、現在に繋がる居住エリアへと変貌を遂げた。

東東京の様な歴史や、古い店、建物は少ないのだ。

 

しかし、周辺の街と比べ、店や商業ビルも少なく、遠方からわざわざ来るようなスポットも特にない、どこか都会のエア・スポットのような三宿からは、(246の昼夜問わない車の喧騒はあれど)僅かに、もしくは深層に、まだ長閑な街の記憶を感じとることが出来る。

街の深層に眠る古い記憶——それは、眼を凝らせばどの街にもあるはずで、それを感知するか否かは、まず、それを探す気があるかどうかの問題だ。

 

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オムニ・サイト・シーイング(全方位観光)というアルバムを発表したことがあるミュージシャンの細野晴臣は、(うろ覚えなので、細部は違うかもしれないが)「いつも住んでいる街も、旅行者になった気持ちで眺めると、とても奇妙で新鮮に感じる」といった発言をしていたように思う。

そこに何があるかは勿論大事だが、それをどう眺めるか、どう感じ取るかということが大切なのだ。

 

そういったことを考えているからかどうかは分からないが、私は、新しいもの、新しい建物より、古いもの、古い建物に惹かれる傾向がある。

誰からも忘れ去られ、見向きもされないものでも、そこに芳醇に記憶を携えた、古いものに。

 

三宿の街を歩く

三宿の街も、鼻を利かせ、大通りから外れていけば、細く曲がりくねった古い路地に出くわす。

三宿の交差点から世田谷公園の方に都道420号線を進み、住宅地の中に入っていくと、突如に古本屋があった。

そして、よくよく観察してみると、奥まった、古本屋の裏側にあたる場所に細く暗い路地があり、その一角は闇市のような広さの小さな店舗が5店から10店ほど軒を連ねるミニ・アーケード商店街のようだ。

八百屋など、いつくかの商店は営業をしているものの、その多くは、看板を残したままシャッターが閉められている。

 

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このアーケードに活気があったのは、高度成長期のころだろうか? 昭和の末期や平成時代も、にぎわっていたのだろうか?

古本屋は、時代に取り残されたアーケードの中に、比較的近年、店を開いたようである。

そんな生活の息吹の残滓を感じていると、近代的な周辺の建物がガラガラと崩れ落ち、何十年も前のこの周辺の建物や、行き交う人々、そして今と変わらない建物だがにぎわっているアーケードといった幻影が、ぼんやりと頭の中で膨らむ。

 

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池尻大橋駅から三宿の交差点まで246と併走している裏通りの、池尻稲荷神社を越えたあたりも、僅かだが、古い家屋や、出鱈目につくったように入り組んだ区画整理の古く細い道があり、好きだった。

いくつかある飲食店や、綺麗な建物のすぐ横に、戦後くらいからはあるのではないかと思われる年季の入った木造家屋が、アンバランスに立ち並ぶ。

作業場の一階部分を開け放ち、居住していると思われる2階では洗濯物が干されている畳屋は、火災になったのかと思うほどに黒く煤けたような色をしていた。

畳屋の先を左に曲がると世田谷公園への近道だと憶えていたのだが、あるとき綺麗に建て直されていて、「そうか、そうだよな」と、一人うなずき、そっと道を曲がった。

 

世田谷公園の正門あたりから三軒茶屋の方に進んでいくと、昭和女子大の真裏のエリアに、広大な古い団地「都営下馬アパート」がある。

初めて行ったときは、そこに団地群があることを知らず、ふいに見知らぬ古い街にタイム・スリップしたかのような錯覚を覚えた。

4階建ての団地より遥か高く天に伸びる給水塔が、異様な存在感を示している。

一階部分が商店になっているつくりが、南国の街並みを連想させるが、ここも多くの店はすでに営業をしていないようだ。

 

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団地群を抜け、三軒茶屋に近づくと、「やっぱ自分の踊り方でおどればいいんだよ」と大きく書かれた看板が目を引くレコード・ショップ、「フジヤマ」にたどり着く。

この標語は、バンド「じゃがたら」の早世したボーカリスト、江戸アケミが残したものである。

フジヤマは、インディーズを中心とした品ぞろえで1980年代から営業を続けているが、何時行っても店が閉まっていて、ついに潰れてしまったかと思うと、あるときヒョッと店が開いていて、30年以上前の作品がまだデッド・ストックで売っていたりする。

三角地帯の、ショートケーキの先端のような位置にあるフジヤマの店先は、五差路になっていて開放感があり、そこからは、近くの銭湯「弘善湯」の煙突が見えたはずで、10年ほど前まで味のあるオンボロ釣り堀が営業していたのも、この近くだ。

このあたりは、どこか懐かしい大らかな雰囲気があり、好きな一角だ。

 

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世田谷区は、意外と緑や公園が多い。

春や夏の心地よい気候の日には、世田谷公園のベンチに座って、何をするでもなく噴水を眺めた。

大橋ジャンクションの上、大橋図書館を出たところにある目黒天空庭園は、人も少なく、立ち並ぶビルの隙間、都会の休憩所といった趣だ。

また、多聞小学校から程近い三宿の森緑地は、どの駅からも少し距離のある住宅地の中なので、のんびりとしながら、どこか気品のある場所で、お気に入りだった。

 

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池尻大橋駅のすぐ近くから始まる目黒川緑道は、ジョギングする人の姿も良く見られ、小川のせせらぎと共に、水生植物や数々の草花の四季の移ろいを感じることが出来る。

目黒川緑道は、数百メートルほどで二股に分岐し、池尻大橋駅を背に右手側の北沢川緑道は、淡島通りの淡島交差点付近を抜け、下北沢の茶沢通りを越えて、桜上水まで続く。

代沢のあたりでは桜並木が続き、満開の桜が咲き誇る春の日、人が少ない平日などは、浮世離れした狂気のような美しさを感じさせ、天上の楽園がもしあるのなら、このような場所なのではと思った。

一方、左手側の烏山川緑道は、その名の通り、目黒川の支流のひとつだった烏山川を暗渠化したもので、三宿を横断し、太子堂商店街と並走して三軒茶屋へと進み、今度は東急世田谷線と並走しながら千歳烏山方面へと続く。

 

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こうして記していくと、裏通りや自然のある場所の思い出が多いが、勿論、飲食店などで記憶に残っている店も多い。

三宿の交差点、松屋の2階と言えば、安い、美味しいで、いつも満席の「香港麺 新記」。

寡黙な亭主のおじさんがカッコ良い、バブリーなフュージョン・ミュージックがかかっている、ワンタン麺の「ラーメン茂木」。

寿司屋だが、ランチの鰻重も人気で、昔から通っている品の良い年配客が多い、庶民的かつ凛とした空気の「三河屋」。

夜中までやっていて、最後に流れ着くことが多い「板蕎麦 山灯香」。

三軒茶屋の太子堂商店街へと向かう区域にもいくつか好きなパン屋があった。

近所に行きつけの店をつくるのがどこか気恥ずかしく苦手なので、好きな店とも顔見知りになることはなかったが、どの店も、今でも健在だろうか?

 

その街に住むとは?

現在、基本的には、日本国民は自由にそれぞれの望む場所に住むことが出来る。

つまり、家を購入するなり賃貸契約をするなり、お金を払えばどの場所の住人にもなれる。しかし、網走だろうが、銀座だろうが、那覇であろうが、どこでもよいが、その街に「住めば」、その街の「住人」になれるわけではない。

固有の街には、固有の街ごとに、長い時間の中で積み上げられた歴史、記憶があり、一瞬間借りをしたところで、それではまだ部外者なのである。

どこかの街のホテルに長期間泊まり、その街に詳しくなったとしても、その街の住人ではないように。

 

しかし、時の流れを止めることは誰にも出来ない。

その街の表も裏も十分に知り、その街のことをどうも思わなくなり、ただの自分の居住地として認識しているとき、人はその街の住人になっている。

細野晴臣が言うような観光者の目線を持たなければ、新鮮な非日常は、不可逆的に日常となる。

青春の始まりが何時なのか、終わりが何時なのか、それを、その渦中ではっきりと分かる人間がいないように、蜃気楼の様なグラデーションで、あたり前の日常になる。

 

三宿は、私にとって、青春の記憶を携えた、かつて住人だった街である。


著者:やけのはら

やけのはら 

DJやトラックメーカー、ラッパー、執筆業など、多様なフィールドを確かな審美眼と独自の嗅覚で渡り歩く。「FUJI ROCK FESTIVAL」などのビッグ・フェスティバルから、アンダーグラウンド・パーティーまで、10年以上にわたり、日本中の多数のパーティーに出演。
Twitter:@yakenohara_taro

編集:Huuuu inc.