29歳、小さな港町「三崎」でお店を開くまで

著者:古矢美歌

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ーー2020年、6月16日。わたしが初めて三崎を訪れた日。

その5カ月後、世田谷区の家を引き払って引越しをし、同時に会社も辞めた。さらにその6カ月後、わたしは三崎で仲間と一緒に飲食店をオープンすることになる。

この1年間の奇跡のような出来事は、なにか見えない力が働いたのかもしれない。東京で8年間くすぶっていたわたしに、新しい居場所を用意してくれた。見えない力と、三崎で出会った素敵な人たちが。

町は消滅可能性都市と言われているけれど、希望の塊にしか見えない。この町にもわたしにもきっと、可能性が満ち溢れている。

映画のセットのような、穏やか港町

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三浦半島の最南端・三崎(神奈川県三浦市)は、都心からもアクセスしやすい小さな港町。最寄駅の京急三崎口駅まで品川から電車で1本、1時間強。京急は都営浅草線とも繋がっているので、新橋や東銀座からも1本で来ることができる。

名物はまぐろ。大正11年の三崎漁港開港からはじまり、昭和30年代に冷凍庫備え付けの船ができたことから遠洋漁業の中継地として発展。多くの漁船員がたどり着いては夜な夜な遊んでいたという。

地元のおじさんからは「あのころ、朝がたの町には万札が落ちていた」だの「原宿の竹下通りくらい人がいた」だの、まぐろバブル時代の話を聞くことができる。

 

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わたしが住む下町は、京急三崎口駅からバスで15分ほどの「三崎港」が最寄り。駅からは離れているが、港、商店街、釣りスポット、大きな産直などがあるメインのエリアだ。

週末は観光客でいっぱいだけれど、平日は人が少なくて静か。平日の夜、特に冬なんて人っ子ひとり歩いていない。そのコントラストがとても心地よく、観光地と田舎町、商売と暮らしが一体化している。

 

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海がすぐそばにある一方、公道を外れると畑だらけ。太い中ぶくら型の三浦大根(青首大根も国内有数の生産地)、かぼちゃ、スイカ、みかんなど、三崎は農産物も多い。町の至るところで旬の野菜や果物が買えるし、ご近所さんに分けてもらうことも多く、食材には困らない。

 

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農家さん自ら八百屋をオープンするなど、シャッター商店街は近頃にぎわっている

少し寂れた商店街は、狭いエリアに個人商店が軒を連ねる。

地元民からの信頼が厚い町中華「牡丹」はシューマイが絶品。わたしのお気に入りは麻婆豆腐。「寿々木」のキンキンに冷えたビールと焼き鳥も外せない。酒が濃くあっという間に酔っ払ってしまうので注意。

商店街を抜けたところにある「ニコニコ食堂」は、食事のビジュアルがとてもいい。オムライスや冷やし中華、あんかけ焼きそばなど、行くたびに食べたことないメニューを頼みたくなる。

 

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鎌倉や逗子にも店を構える人気店「ミサキドーナツ」や、厳選されたフルーツだけを使った「みやがわエンゼルパーラー」のパフェなど、おやつも忘れずに。

路地裏を散歩すれば、昔からあるスナックや古い民家が立ち並び、東南アジアのような雰囲気や、下町の暮らしを覗き見ることができる。

三崎港のバス停近くにある産直センター「うらり」からは、向かいの「城ヶ島」まで観光船でおよそ5分。朝も気持ちがいいけれど、夕日の時間がおすすめ。この町は本当に夕日がきれいで、毎日見ていても飽きることはない。

 

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三崎との出合いは、ある日突然に

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今ではすっかり住み慣れた町だけれど、初めて訪れるその日まで、気にかけたこともなかった。家の近所にあった回転寿司チェーン「海鮮三崎港」で名前を知っていたくらいだ。

世間でコロナ騒動が始まったころ、都内のウェブメディアで編集者をしていたわたしは家に缶詰め状態。朝から晩まで忙しなく働く毎日だった。

仕事があるだけでも有難い状況のなか、仕事の価値や意味を問うようになる。

「来年もこの仕事を楽しめているか?本当に自分がやりたいこと、満足することはなに?」。すんなりと答えが出てこない。ハタチで大阪から上京し、バイト、転職、副業、いろんな経験をした。自問自答を繰り返し動いてきたつもりだけれど、まだまだ自分のことはわからない。

また、少し前に彼氏とも別れたばかり。28歳を目前に結婚に焦っていた自分に気付き、もっとチャレンジしようとエンジンがかかり始めていたタイミングでのコロナ禍。とにかく悶々としていた。

 

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お気に入りだった祖師ヶ谷大蔵の家。リモートに伴って家を整えた

ーー将来は都会に近い田舎で飲食店をしながら暮らしたい。

頭に浮かぶのは、最終的な目標としていた飲食店の経営。遠い未来のことだと考えていたし、今の自分では実力も貯金も不足している。それでも、先に理想の場所に身を移すのはありかもしれない。こうしてわたしは“移住”を意識し始めた。

 

そして、一回目の緊急事態宣言が明けて少したったころ。鬱々とした気持ちが弾けたかのように、ある朝突然「住みたい場所探しをしよう」と思い立った。会社に有休を取ると連絡をし、足早に電車に乗る。

関東近郊でいくつか候補地があったなかで、向かったのは神奈川県真鶴町。以前、出版社とゲストハウスを夫婦で営む「真鶴出版」のことを知り、いつか訪ねてみたいと思っていた。海が近く、個人の民宿などが軒を連ね、干物がおいしそう。静かで穏やかな町のイメージだ。

 

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小田急線とJRを乗り継ぎ、真鶴に向かう。持ち歩いても結局出番がないことが多いミラーレスカメラを手に構え、駅のホームなんか撮ったりして、新鮮な気持ち。

現地に近づいてきたころ、Twitterのタイムラインに流れてきたとある人が目に留まった。

三崎の下町商店街にある「本と屯」の店主、ミネシンゴさん。繋がりはなかったし、なぜ急に目に留まったか本当に覚えていないが、フォローをしたらすぐに返してくれた記憶がある。

本と屯は、夫婦で営む出版社「アタシ社」が営む蔵書室(兼カフェ)。古本屋やブックカフェが大好物なわたしは、そのコンセプトや、古い建物をそのまま活用した空間に猛烈に惹かれ、勢いのままにミネさんにダイレクトメッセージを送っていた。

結果、定休日にも関わらずお店を見学させてもらえることに。

急な予定変更で真鶴は3時間ほどの滞在となってしまったが、真鶴出版の奥様・ともみさんは初対面のわたしに優しく対応してくださった。「真鶴ピザ食堂 KENNY」のピザも絶品。手土産に干物を購入し、急いで三崎に移動する。

ミネさんは急な連絡に快く応じてくれた上に、駅まで車で迎えに来てくれた。一緒に会社を営んでいるという仲間の男性も一緒だったが、後にこのふたりと一緒に飲食店を開業するなんて、誰が想像できただろう。

 

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三崎で初めて会った人のひとり、壁紙屋 good day house の尼野さん

下町に向かう車から夕暮れと海が見える。美しい景色に新しい出会い。ちょっと大袈裟だけど、異国に来たような浮ついた気分だった。

本と屯と、店主が仲間と運営し始めたばかりのシェアオフィス=泊まれる仕事場「TEHAKU」の見学をしたあと、下町の飲み屋に連れて行ってくれた。海鮮割烹「松風」に、女将ひとりで営む小料理屋「つく志」。

 

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初めて飲みに連れて行ってもらった「松風」。お通しだけで飲めてしまう

風情ある下町の商店街で、それぞれが商売をしながら暮らしている。

鎌倉や逗子のような華やかさはないけれど、ゆったりとした時間の流れと余白がある。三崎が好きで、三崎を盛り上げようとする人たちもいる。まだ手付かずの面白い地域なのかもしれない。

その日のうちにTEHAKUに入居することを決め、二拠点生活をスタート。週末に三崎に通うたびに町や住人たちが好きになり、その5カ月後には、会社を辞めて引越しをしていた。

 

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よく飲みに行く寿々木。現在コロナ禍で休業中、恋しい……

田舎のおおらかさと、いつでも都会に出られる自由度

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家までおかずや野菜を届けてくれる70歳のお友達。ご近所さんに生かされている

幼少期を大阪の商店街で過ごしたわたしは、商売が近くにある暮らしが身体に馴染むのか、妙に居心地がいい。

20代女性が下町に移住してくることは珍しかったらしく、最初は特によく話しかけられた。歩いていると井戸端会議に捕まったり、朝7時におばあちゃんが訪ねてくることもしばしば……。

ご近所さんへの挨拶は隣のおばちゃんが連れて回ってくれたし、近所の喫茶店のママは「いつでも車出すから必要なものがあったら言ってね!」と声をかけてくれた。深く干渉せずともみんな声をかけ合い、野菜やお菓子をお裾分けしながら、一緒に暮らしている温かい地域だ。

 

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お隣さんがくれたホットサンド。このあと追加でおにぎりも届いた

生まれて29年間、運転免許を持ったことがなかったが、自転車移動に限界を感じて原付免許を取得。仲良しのまぐろ屋のおっちゃんが、バイク探し&特訓に付き合ってくれた。

おかげで生活は一変。バイクを走らせて横須賀のスーパー銭湯に行ったり、鎌倉や湘南の海までツーリングしてみたり。免許取りたての高校生のように、小躍りでバイクに跨がっている。

ふと、満員電車で会社に通っていた暮らしが頭をよぎるけれど、もう戻れそうにない。

 

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畑と海が広がる田舎暮らしだけど、意外と不便はない。徒歩3分の場所に24時間営業のコンビニはあるし、移動手段さえあればスーパーやドラッグストアも近距離にたくさん。

家のデスクで仕事をするのが苦手なわたしは、ドリンクバーのあるガストや、バイクで15分のところにある三浦海岸のマクドナルドが仕事場。海が一望できて絶景だし、仕事がとても捗る。

 

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大人気のパン屋「充麦」の存在は、わたしにとって大きい。三浦で育てた小麦を使ってつくるパンは、小麦の香りがよく本当においしいし、一緒に販売されているお酒や食べものもセンスも抜群。

商売に立地は関係ない。良いものはちゃんと求められ、お客さんに愛される。充麦は、飲食店一年生のわたしに勇気をくれる、憧れのお兄さんのような存在だ。

 

東京のように多くの店はないけれど、三崎には個性豊かな店、自然や海、おおらかな空気がある。刺激や新しいインプットが欲しいときは、東京や横浜に出ればいいし、横須賀ならバイクですぐ。

田舎の閉塞感はなく、自分が求める場所にスッと手が伸びる感覚。都会に近い田舎は、想像以上に良いものだった。

自分ができることで役に立ち、町と人と生きる

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photo: shuhei kishimoto

そんな小さな商売の町で、今年の5月、わたしは自分の城を持った。

偶然空いていた物件、三崎を盛り上げたい仲間たち、飲食店をやってみたいわたし。タイミングと思いが重なり、合同会社波止場商店のみんなと一緒にお店をつくることに。三崎初日に会ったミネさんと尼野さんを含む、4人の小さな地域商社だ。

金銭と覚悟の問題から一度は断ったけれど、「サポートするからやってみようよ」と話してくれた。彼らには心から感謝しているし、本当に頼りになる、大好きなお兄ちゃん・おじさんたちだ。

運営自体は一人で、金土日のみの営業。編集の仕事を続けながら、平日はパソコン仕事、週末はお店の複業生活。4カ月たった今、ようやく慣れて生活リズムが整ってきた。

 

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三崎には、自分の手と足で生活をしている人がたくさんいる。

まぐろの仲買人をしながら、週末にはまぐろ丼屋を営むおっちゃん。音楽業をしながら、週末はカフェバールを経営する白髪の愉快なおじいちゃん。港にアトリエを構え、東京と行き来をしながら生活する美術家さん。

女手ひとつで3人の子どもを育てながら、自分のブランドで生活をするテキスタイル作家さんは、毎週のようにお店に食事のテイクアウトをしに来てくれる。「本当助かるわ」と言ってくれるけれど、同じく女手ひとつで育てられたわたしは、その言葉に助けられている。

しょっちゅう顔を合わせる人たち。出会って間もなければ、決して多くを知るわけでもないけれど、今日も生活を共にしているような、不思議な安心感がある。

 

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東京での8年間、大きな功績をあげたわけでもなく、天職が見つかったわけでもない。

どんな仕事にも楽しさは見つけられたし、わたしなりに一生懸命やってみた。それでも「本当にこれがやりたいのか?」とわからなくなる。ああでもないこうでもないと軌道修正しながら進んできたが、いつまでもパッとしない自分に嫌悪しては落ち込むこともしばしば。

そんな自分を見かねて、三崎が呼び寄せてくれたのかもしれない。

真面目すぎるわたしに、力を抜けと。そろそろ自分の手と足で勝負してみろ、ひとつを極めたわけではないけれど、自分なりに頑張ってきたんだろうと。三崎はくすぶるわたしを優しく受け入れ、ゆるめ、背中を押してくれた。

生まれた町大阪や東京でたくさんの人が支えてくれたように、わたしも自分ができることで、人の役に立つときが来たのかもしれない。大きく手を広げて受け入れてくれた三崎で、今度はわたしが誰かの背中を押せたらなと思う。

 

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著者:古矢美歌

古矢美歌平日は編集・ライター、週末は飲食店店主。大阪府出身、神奈川県三浦市在住。飲食業界専門の人材コンサルタント、グルメ系メディアの編集ライター、フードスタイリストなど、東京で8年、飲食やウェブの仕事に携わる。2020年秋に三崎に移住。週末だけの飲食店「蒸籠食堂かえる」を営んでいる。
Instagram: m_krin
Twitter: m_krin

※記事公開時、真鶴に関する記述に誤りがありました。読者様からのご指摘により、10月28日(木)17:55に修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。

編集:Huuuu inc.