著者: 池田園子
何事にも飽きっぽく、引越しを繰り返していた自分が、初めて物件を更新した「例外」のような年——。2020年4月、私は駒込に住み続けることを決めた。
4年間務めたWebメディア編集長を退任し、2月に編集プロダクションの代表になって、環境が変わったばかり。そして、世間が新型コロナウイルスの話題一色になり始めたころだった。
駒込での暮らしをスタートしたのは2017年8月。元夫と別居する目的で、2015年11月に三軒茶屋から移り住んだ新富町(中央区)でも、例によって物件を更新することはなかった。
心地よかった新富町で抱いた、離婚後の虚無感
社会人になった2009年から振り返ると、川崎区中瀬(川崎市)、荏原町(品川区)、学芸大学(目黒区)、三軒茶屋(世田谷区)と、1〜2年ペースで転居を繰り返してきた。同じところに住んでいると安心感よりも「飽き」が勝り、別の街での暮らしを体験したくてたまらなくなる、落ち着きのない性分だった。
ただ、新富町という初めて住まう超都心に対しては、わりと長い間、新鮮な感情を持っていた。銀座や東京まで徒歩20分、築地なんて徒歩10分もあれば行ける立地の良さは素晴らしい。食べ歩きと買い物が自分を満たしてくれた。
5分も移動すれば、隅田川沿いのランニングや散歩が叶う「水の街」であるところにも惹きつけられていた。佃大橋から月島、または勝鬨橋から勝どきに渡り、相生橋から門前仲町へ向かい、永代橋を渡り新川方面から自宅に戻るロングコースが気に入っていた。
そんなふうに、都内中心部での生活を謳歌していたけれど、物件の更新時期が近づいて、出ていくか否かを判断するタイミングで自問自答した。
「街は好き?」「はい」
「じゃあ、住み続けたい?」「んー、迷ってる。でも、次の街に行きたい気持ちの方が強い」
満足していたはずなのに。わかりやすく飽きたわけでもないのに。ただ、何かが足りないことを自覚した。
住んでいたマンションは、ビジネス街である八丁堀にも近かった。そのため休日は閉店する飲食店も少なくない。人通りもあまりなく、寂しげに映った。公園はあるから緑はなくはないけれど、無機質なオフィスビル、マンションに囲まれる圧迫感の方が強い。
新富町生活を堪能する中、別居から2カ月も経たぬうちに夫と離婚することになり、実質的にひとりになった。私の認知の歪みや解釈の仕方の問題だけれど、当時「私は(他者にとって)魅力のない人間。だから相手が離れてしまったのだ」と、勝手に傷ついていた。
損なわれた自尊心を回復させたくて、欲望を満たすのに必死になった時期があった。自分自身を大事にしているとは言い難いスタンスだったと、今となっては思う。くり抜かれた穴を何者かに埋めてもらうため、平日の夜は人と過ごすことが多かった。でも、休日はいつもひとりきり。虚しさを抱えていた。
休みの日、静まり返った街をひとりで歩いているとき、むくむくと膨らんでいったのは、温かみのある街で暮らしたいという願望だった。
駒込から出たくない、という感情の芽生え
駒込を選んだのは、引越し先を相談した妹が、以前から住んでいたからだ。彼女はJR駒込駅のホームまで、エントランスからダッシュすれば30秒で駆け上がれる距離に住んでいることを誇らしげに語った。
「これに慣れるともう引越せない」
「駅まで全力ダッシュして30秒の距離感は別に求めてないけど、いい立地だと思う。でさ、駒込ってどんな街? 一回も降りたことがなくて」
「商店街がたくさんあって、ご飯を食べられるところが多い。個人店がたくさんあるよ」
そのとき、軍配は駒込に上がっていたようなものだった。食いしん坊な私は、駒込のほかに、もう1カ所悩んでいたエリアのことをすっかり忘れていた。
2017年8月、駒込に引越した。「ミニマルな暮らしがしたいから」と、1DKに詰め込んだ多くのモノを処分して1Kの小さな部屋を借りた。選んだマンションは、大理石のエントランスが美しく、管理が行き届いていた物件だった。
JR駒込駅からマンションまでは、歩いて7〜8分。本郷通りや駅前を歩いていると、適度な人通りと活気があって明るい気分になった。2014年に池袋から移転してきた人気ラーメン店「麺屋ごとう」、自然野菜レストラン「ナーリッシュ」、韓国料理「豚愛」など、近隣の店を次々と開拓する日々。
そんな中、2018年5月、私はわずか8カ月で「超近距離引越し」をした。駒込内で物件を変えたのだ。1Kの部屋は自宅仕事も多い自分にとってコンパクト過ぎたと、気がついたのだ。スペースに余裕がないことにストレスが溜まり、広い部屋に引越さずにはいられなくなった。
しかし、駒込を出るという選択肢はなかった。山手線沿線でありながらも緑にあふれ、温かみのある商店街が多く、どこかのんびりした街並みは、当時六本木を中心に、仕事で都心部に出る機会が多い私に安らぎを与えてくれていた。
「駒込から離れたくない、駒込をもっと知りたい」という思いが高まっていたのを今でも覚えている。
ひとりでも、ふたりでも行ける店たち
JR駒込駅から徒歩2分の1DK。私の駒込暮らしが本格的に幕を開けたのは、このマンションに住んでからだと認識している。JRの線路に対して垂直に伸びるふたつの商店街、アザレア通りとさつき通り。
引越して早々に、さつき通りの開拓を始めた。さつき通りにはふらっと入りやすい飲食チェーン店も多いが、個人店もたくさんある。
個人店だけでも15軒くらいあるだろうか——駒込には、さつき通りに優れた町中華が立ち並ぶ。夜営業のみの「味楽亭」もボリューム満点で、豊富なメニューがあって好きだけれど、昼に中華を食べたい気分のときは、自宅から徒歩1分の「珍々亭」に行くことが多い。高齢のご夫婦が切り盛りしている店だ。
食欲をそそる赤色のテーブルを前に、「ああ、今日は中華を食べに来ているんだ」と気分が高揚する。先日、一般人の2〜3倍は食べる相手と訪れて、ふたりで4人前くらいの品数を注文したら、ちょっとびっくりされた。私たちがお腹を満たしている間に、何人ものひとり客が出入りする。気軽に入りやすい人気店を支えるご夫婦には、ずっとお元気であり続けてほしいと願う。
さつき通りを抜けて、本郷通りに向かう途中で細い路地に足を踏み入れると「café T」がある。シニア野菜ソムリエでもあるマスターが経営するレストラン。田辺誠一さんを思わせる、大人の影と愛嬌を併せ持つマスターとは、店をひとりで訪れたときになんてことない話をする仲だ。これまで過去のパートナーや親密な相手、妹など多くの人と共に訪れた。何度立ち寄っているかわからない。
アザレア通りにも、気に入っている店がある。インドネシア・タイ料理などのアジア各国の料理を手ごろにいただける「サードアイ」、同店向かいにある中華料理店「餃子屋」はリピートしている店たちだ。海外出身のシェフたちがつくる地元の料理。会話はそんなにしないけれど、現地を旅している感覚で、心がふわふわと浮くのを感じる。
駒込で繋がった、不思議な縁
本郷通り沿いには馴染みの店がいくつかある。例えば、相撲好きなマスターが名物の「ようき」。知人が駒込を散歩していたときに発見し、「池田さん、相撲好きですよね。ぜひ行ってみては」と教えてくれて、2018年の春に初訪問した。
撮影禁止の店内には番付表や手形、マスターが録画した大相撲関連の映像などが数多く保存されている。相撲の話を1振ると10くらい返ってきて、何らかの映像を見せられることになり、気づけば2時間近く滞在していた、なんてことも度々あった。
良くも悪くも、マスターのペースに巻き込まれる店だ。マスターが贔屓にしている相撲部屋の力士を本場所終了後にゲストとして呼び、ファン同士で交流する会が定期的に開かれていて、そこに誘ってもらえるようにもなった。新型コロナの影響で、2020年以降その手の催しはなくなったが、相撲好きとしては思いがけないギフトのような、ありがたい縁である。
本郷通りから一本入った路地にある、魚料理が美味しい居酒屋「くらよし」も通うようになった店のひとつ。初回は近隣に住む、新卒時代に世話になった先輩と訪れて、提供されるなめろうの美味しさには、虜になった。
その後も駒込に遊びに来た友人らを連れて「くらよし」を訪れるうちに、マスターが顔を覚えてくれて通いやすくなった。今では、魚を食べたい夜や食事をつくる気力がない夜に、ひとりでサッと食事をして帰る。ひとりのときは、必ずなめろうを頼み、ご飯・味噌汁・納豆を約300円でプラスできる定食セットでいただく。
“駒込外”の友人が愛し始めた店たち
「くらよし」近くの「山鯨屋」も何回通ったかわからない。1串100円以下と手ごろな価格なので、メニューを見ながら「ここからここまで2本ずつください」と、豪快なオーダーをするのが恒例だ。
友人や妹など多くの人と、いつもふたりで訪れてきたが、中でも映像クリエイターのMと最もよく通ったように思う。Mは駒込まで来るのに電車で30分もかかるエリアに住んでいるにも関わらず、「園子ちゃん、山鯨しない(山鯨屋行かない)?」と誘ってきて、わざわざ駒込までやってくる。あるときは、駒込とはまったく関係のない友人とMのふたりで、山鯨屋を訪れたらしい。

霜降銀座商店街にあったインド料理店「ムガルカフェ」(※)も、山鯨屋のケースと近いものがある。
(※2020年1月、同店が入居していたビルが火災に遭ったため、その後は近所のカフェを間借りして営業。夏に早稲田へ移転した)
「ムガルカフェ」は、アットホームで落ち着ける店。前出のMと初訪問した後、妹や知人とだけでなくひとりでも通うようになった。格闘家の青木真也さんと訪れる機会があり、店主の娘さんふたりと、食後にみんなで遊んだのを覚えている。
その後、青木さんとは幾度となくこのお店で食事をしたけれど、いつの間にか彼も私抜きでムガルカフェに通うようになっていた。ムガルカフェのビリヤニを絶賛していたので、どうやらこの店の料理が癖になったらしい。そうこうしているうちに、娘さんたちの遊び相手になったり、お土産を渡しに行ったりと、それはもう、親戚のように甘やかしているようだ。
ひとり暮らしに、温かみを添えてくれる街
自分が好んで通っている駒込の店を友人らが気に入って、私とは関係なく利用するようになるというのは、駒込という街そのものを好きな私には、うれしくてたまらない。

新富町時代に足りなくて、駒込で暮らすようになって満たされたもの——それは何より「人とのつながり」だ。ここに書き切れなかったけれど、駒込を歩いていると縁のある店の店主から「池田さ〜ん」と呼び止められたり、こちらから気づいて挨拶したりもする。
私なんぞ全然エラくもすごくもないのに、経営者だとか元編集長だとか、そういう肩書きがあるだけで、変に気を遣われることがある。「社長の池田さん」「バリバリ働いてる(イメージの)池田さん」というふうに見られることがある。
でも、駒込にいたらそんな肩書きとか、働き方なんかを取っ払って、単なる「池田さん」として扱ってもらえるのが楽で、心地よいのだ。しゃんとしすぎなくてもいい。ラフな自分、腑抜けた自分に戻れる貴重な地元。
ひとりのときも、誰かとふたり、3人のときも、馴染みの店に立ち寄って、美味しくて心地よい時間を過ごさせてもらえる。休日でも平日でも、ひとりで気軽に入れて、何気ない会話、温かいやりとりをできる店がいくつもある。
虚しさを抱えていたころの、孤独な自分はもういない。駒込とそこで出会った人たちと、自分が愛する店を好きな人たちが周りにいる。駒込に来て良かったと心から思う。
著者:池田園子
編集プロダクション「プレスラボ」代表取締役。編集者。2009年楽天入社。2012年ライターとして独立。2016年から4年「DRESS」編集長を務める。相撲とプロレスが好き。Twitter
編集:小沢あや