川を感じて住む小岩【銀座に住むのはまだ早い 第2回 江戸川区】

著: 小野寺史宜 

家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。

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 第2回は、江戸川区。僕にしてみれば激戦区。

 平井、小岩、一之江、篠崎、葛西。どこにしようか迷った。その5カ所にはすべて自作の登場人物が住んでいるのだ。

 幸い、江戸川区は、前回の千代田区ほど家賃が高くないので、候補地を選べる。

 結果、小岩、辛勝。

 小岩は、JRでは23区東端にある駅だ。

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 ざっくり小岩と言っても、かなり広い。駅の北口側に西小岩と北小岩。南口側に南小岩と東小岩。東西南北がそろっている。

 賃料が上限5万円。絞り込み条件でチェックを入れるのは、ワンルーム、と、管理費・共益費込み、と、定期借家を含まない、だけ。つまり、そこそこ長く住む意思はある、が前提。それは前回と同じ。で、総武線の小岩駅。SUUMOで検索。

 150件以上ヒットしたなかから、東小岩にある物件を選んだ。広さは6畳。フロトイレ付き。ごく一般的なワンルーム。

 今回はもう、川だ。誰が何と言おうと、川。誰も何にも言わないけど、川。江戸川。北小岩も江戸川沿いではあるが、より海に近い東小岩。

 東京は案外川が多い。が、幅広のそれとなると限られる。多摩川、隅田川、荒川、江戸川、あたりか。

 川の近く、を第一条件にはしない。そこまではしないが、可能なら広い河川敷がある川の近くに住みたい。江戸川区ならどこに住む? となれば、やはり川に吸い寄せられてしまう。

 江戸川区西部、平井の荒川か。江戸川区東部、小岩の江戸川か。荒川は小説にたっぷり書いたので、そうたっぷり書いてはおらず、区名にもなっている江戸川。

 駅から15分以上歩くが、望むところ。歩き屋の僕にとって、15分などただのウォーミングアップ。駅から離れるおかげで家賃も下がる。好循環。

 快速に停まってもらえない駅はどこか健気で愛しい。逆に言うと、快速に乗ってしまった人は絶対に降りられないのだ。

 その小岩駅に降り立つ。

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 南口からは3つの商店街がのびている。フラワーロードに昭和通り商店街にサンロード。

 まずは、物件から遠い西側のフラワーロードを歩いてみる。ここにはアーケードがある。車道を挟む両歩道の上にそれが付けられている。雨に濡れないのは便利だ。

 途中で見かけた下小岩親水緑道に逸れ、しばし猫ちんと邂逅。千葉街道に出て、小岩中央通りを北上。急角度で右折し、今度は昭和通り商店街を南下。柴又街道に入る。

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 同じくわき道に逸れると、そこには、何と、相撲部屋が。元横綱稀勢の里の荒磯親方と髙安関がいらっしゃる田子ノ浦部屋だ。

 こんな住宅地に? と驚くが。考えてみればそうだろう。相撲部屋が繁華街にある必要はないのだ。小岩なら、国技館がある両国へも遠くない。

 相撲は、ガキのころ一度だけ観に行ったことがある。両国に移る前、蔵前国技館時代だ。

 僕はガキならではの行動力を発揮し、全盛時の横綱北の湖のお腹に触れた。花道を悠々と歩いてきた横綱に近づき、ペチッと叩くように触ったのだ。今思えば失礼な話だが、横綱は怒らなかった。

 張りのあるお腹に、僕の手ははね返された。横綱の体の内側から迫り出してくる力にまさにはじかれた。すげえ、と震えた。鍛えてそこまで大きくなった体はちがうんだな、とガキながら思った。

 そのころの僕はなかなかの相撲強者だったはずだが、今はホソホソのヨワヨワになってしまった。何故だ。

 と自問しつつ、ここ小岩の物件に住んだ場合通うことになるであろうスーパーをチェック。豆腐は充実してるかな。納豆は充実してるかな。もずく酢は? キムチは?

 コンビニですべての用が足りると思ってはいけない。コンビニは大事だが、スーパーも大事。スーパーは品数が多く、同じ商品がコンビニより安いことも多い。だから二つは分けて考えるべし。これ、一人暮らしの鉄則。と言うほどでもないけど。

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 そこからは東へと進み、いよいよ河川敷へ。

 荒川もそうだが、江戸川もそう。川はすぐには見えない。海抜が低い地域なので、堤防があるのだ。ところどころに設けられた階段を上り、ようやく河川敷に出られる。

 その出たとき。目の前に広がる河川敷と川を見たときのスワスワ~ッと気が晴れる感じ。もうね、これは得難いですよ。

 不思議と、その上の空までも初めて見たような気になるのだ。広~い空。電線に邪魔されない空。

 たぶん、アパートの二階からでも河川敷や川は見られない。その代わり、階段を上ってここへ出たときの爽快感は毎回味わえる。いい。

 『川の流れを見つめて』というボブ・ディランの曲がある。それをドラマーのスティーヴ・ガッド率いるザ・ガッド・ギャングがインストゥルメンタルでカヴァーしたのが『ウォッチング・ザ・リヴァー・フロー』。ほのかにブルースが香る、とてもいい演奏だ。聴くだけで気持ちがほぐれ、実際に自分が流れに乗って町の川を下っている気分になる。数ある川ソングでは一番だと僕は評している。そのことを久しぶりに思いだした。江戸川の流れを見つめて。

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 と、まあ、これは余談。

 3千字の原稿に余談を入れんじゃねえ、と編集者さんに怒られる可能性がある。この部分が載っていたら、怒られなかったということ。どうなるか、期待。

 で、河川敷にある江戸川グラウンド。ここには、野球場やサッカー場のほか、ラグビー場もある。ゴールまで立てられている。ラグビーのゴールに触れる機会なんてまずないから、そこへ行き、ついつい触ってしまった。横綱のお腹とちがい、はじかれなかった。

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 さて。そろそろお腹も空いた。

 住宅地に戻り、物件のそばを歩く。

 その辺り、道は細い。が、そうしてしまうと逆に不便ということなのか、一方通行路は多くない。昔からあるのであろう一戸建て。建て直されたのであろう新しめの一戸建て。それらにアパートが交ざる。大きなマンションはないのが、住宅地としての特色だろう。

 ということは、どういうことか。ちゃんと空が見えるということだ。前回も言ったが、住むとなったらそれは重要。

 近くには江戸川病院があり、ちょっと行けば小岩図書館もある。僕が利用することはなさそうだが、小ぶりなゴルフ練習場まである。が、住宅地なので、飲食店は少ない。
 と思ったら。

 住宅に紛れるように、上海ワンタン専門店、があった。美食坊さんという小さなお店だ。そこでワンタン麵と焼きワンタンを頂いた。ランチにはやや遅い時間だが、僕のあとにお客さんは二人来た。

 小岩でまさかの上海。お腹も満たされ、探索再開。河川敷に戻り、気が晴れる感じもまた味わい、野球場や江戸川を横目に、歩きやすい舗装道を北上した。

 その野球場を見て、思いだす。

 大学生のころ、そこでソフトボールをやった。何故か大学のソフトボール大会に参加したら意外にも楽しかったので、何人かでまたすぐにやろうということになったのだ。

 小学生のころは毎日草野球をしていたが、中高での経験はなし。長いブランクを経ていきなり野球はこわい。キャッチャーとかデッドボールとか、無理無理。だからソフトボール。

 大学でのソフトボールは楽しかったが、ここでのそれはもう楽しくなかった。妙なさびしさだけが残っていた。江戸川区に申請してグラウンドまで借りたのだから、楽しんでいるふりはした。そのあとに行った居酒屋での飲みは楽しんだはずだが、ソフトボール自体は楽しめなかった。

 要するに、僕は小学生時代の草野球を懐かしんだだけなのだ。大学でのソフトボール一度でやめておくべきだった。二度めは単なる再生。もうそこに熱はなかった。そういうことに意味はないのだ。それは二十歳そこそこの自分がやるべきことではないのだ。そう痛感した。苦々しいが、五十を過ぎた今になればそう悪くもない思い出だ。

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 銀座やその周辺は、もとから小説に書いていた。『東京放浪』で初めて江戸川を書いた。書くために訪れもした。そんなふうに町を見るのも楽しかった。僕が東京の各町を具体的に書くようになったのは、それが始まりかもしれない。

 今回の小岩。東小岩にあるアパートには、『今夜』の直井蓮児(れんじ)が住んでいる。線路を挟んだ北小岩のアパートには、同じ『今夜』の坪田澄哉(すみや)・奈苗(ななえ)夫妻も住んでいる。

 江戸川に近いアパート。川を感じられるワンルーム。

 住みたい。


『銀座に住むのはまだ早い』第3回は「杉並区」へ。1月末更新予定です!



過去の記事

suumo.jp


著者:小野寺史宜(おのでら・ふみのり)

千葉県生まれ。2006年、『裏へ走り蹴り込め』でオール讀物新人賞を受賞。2008年、『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。『ひと』で2019年本屋大賞2位を受賞。著書は『ひりつく夜の音』、『縁』、『食っちゃ寝て書いて』など多数。エッセイ集『わたしの好きな街』(監修:SUUMOタウン編集部)では銀座について執筆した。

写真提供:著者

編集:天野 潤平