著者: 平田良(チャン)
竈門の神様がいるマチ、清荒神
僕が住んでいるマチ、兵庫県宝塚市清荒神(きよしこうじん)。近くに宝塚歌劇場や図書館やハイキングコースがあり、大阪の中心街・梅田駅からも電車で30分程の場所にあって、意外と都会へのアクセスも良く、緑も近くて気持ちのいい場所だ。そして、さすが「神」が付くだけあって、近くに神社がある。
僕はこのマチにあと30年近く住むつもりでいる。
神社へ続く参道の坂道をわっせわっせと登っていくと、竈門(かまど)の神様が祀られている立派な社があり、同じ境内にはお寺もある。「荒神さん」と親しまれているこの場所の歴史は古く、1100余年前に「日本第一清荒神」の称号が与えられたのだとか。竈門の神様は火の神様とも呼ばれ、境内の一角には沢山の厄除け火箸が奉納されている。お正月になると参道沿いのお店が一斉に開き、大変活気のある参道に変貌する。
僕が小さいころ、参道にはたくさんのお店が開いてて、休日は多くの家族が楽しんでいた。でも、高齢化の波は清荒神にも来ていて、お店を畳む人が増え、活気のあったマチは静かなマチになった。そんな、竈門の神様に見守られている静かなマチ、清荒神で僕は暮らしている。
複合施設INCLINEが生まれるまでの話
3年前、僕は清荒神に『INCLINE』という場所をつくった。参道に面していて、1Fがレンタルギャラリー、2Fがシェアオフィスで、3Fに自分が住むための住居スペースがある。空き家を買ってリノベーションし、INCLINEという名をつけてもらった。
宝塚生まれ宝塚育ちの僕が、ひと駅隣の清荒神という場所でINCLINEという場所を持った。独身35年フルローンだ。まさか、小学生の時から初詣で来ていたこの場所で、自分の家を持つことになるとは想像もしていなかった。人生とはなんて不思議なんだろう。
ここで少し自己紹介をすると、僕は地方公務員である。いわゆる“まちづくり”に興味をもち、建築職公務員となった。僕が公務員になろうと思ったきっかけは、二十歳の時まで遡る。アメリカで最も美しい郊外の街といわれる、コロラド州ボルダーに留学に行き、その美しい街並みに衝撃を受けたのだ。新旧問わず全ての建造物が行き過ぎた美でなく、調和の取れた美しさで、山も近くて自然に富んでいた。
そんな良環境のおかげか、身も心もヘルシーな人が多く、全く嫌な思いをしなかったという体験があって、建物やマチがもつ力とはこんなにも大きいものなのかと感動し、「美しい物をつくるということは、めちゃくちゃ健全なことだ!」と感じた。建築を通じ、まちに近い距離感でコミットできる公務員という仕事を通して、まちづくりに携わりたいと思ったのが最初の始まり。
しかし、いざ公務員になってもたいして何かができるわけでもなく、日々の業務をこなすだけでいっぱいいっぱいで、“自分のやりたかったことってなんやったんやろな〜”と思いながら悶々と仕事をしていた 。本当によくある話。
そんな風に悶々としていたとき、知人で編集者の岩淵さん( https://mediapicnic.com )から、“宝塚に住んでいる面白い人たちを集めて橋の下で飲もう”という会に呼んでいただいた。ここで出会ったのが、イベント出店時にいつも大行列をつくる『シチニア食堂』さんや、大阪の美味しい居酒屋やマチ遊びを教えてくれたお兄さんのような存在のカメラマンさんなど、陽気で面白いご近所さんたちだった。
この出会いが、僕も何か楽しいことがしたいという気持ちを再び思い出させてくれた。この時、僕は“公務員であるだけの僕”だと思っていて、この夜をきっかけに、月並みだけど何か”肩書きのある僕”になりたいと感じたのだった。
橋の下飲み会のあと、自分に何ができるのだろうかと考え続けていた(実際は今も考えている)。そこで思ったのが、今まで自分が参加してきたイベントなどは、自分にとって大小問わず何かしらの影響を与えてくれていて、それがきっかけで自分の価値観が変わっていくような、アップデートされていくような感覚が楽しくて嬉しかったということ。新しいことに飛び込んだり、始めたりするのは簡単なことじゃないけど、いろんな経験を経ることで得てきた友人や言葉たちが、自分の糧になってきたような気がした。
そうした糧によって自分自身が救われたこともあったため、僕も誰かにとっての糧となるような場所を持ちたいと思い始めていた。
そんな時、たまたま清荒神に空き家があることがわかり、すぐに内覧を申し込んだ。前の入居者の方は丁稚羊羹などを出しているお茶屋さんだった。斜面地に建っているこの家はアップダウンがあるため、高齢の方にとっては住みにくくなり、お店を畳んで引っ越しされたらしい。ドキドキしながら足を踏み入れ、建物内から清荒神の景色を見た時、これからここで何かが始まるような不思議な気持ちになり、すぐに「買う」と思った。それがスタートだった。
複合施設INCLINEが生まれたときの話
INCLINEは友人やご近所さんなど、色んな方の手を借りながら出来上がった場所で、文字通り“手の数”が多い。友人であり、施工にもかかわってくれた腕利き左官の八田さん (https://www.instagram.com/ko_hey8/) によると、「手数は愛」と言っていた。なるほどそのとおりで、今までかかわってくれた人はこの場所に愛着をもってくれているように思う。そんなINCLINEに付いている“手の跡”について紹介したい。
「INCLINE」という名前は、デザイナーの平野新に名付けてもらった。僕がこの場所でどんなふうに暮らしていきたいのか、丁寧にヒアリングしてもらい、出てきたのが「INCLINE」だった。「坂道」という意味と「人の気持ちをこちらに傾かせる」という意味があり、こんなドンピシャな言葉他にある? って思った。清荒神参道の坂道を登り、人が集えるような場所であるようにという願いを込めてできたこの名前、大事にしていきたい。
家のリノベーションに関しては、清荒神に住む建築家の奥田達郎建築舎に設計を、1Fと2Fは建築集団「々(ノマ)」の野崎将太に施工を依頼した。
設計の奥田くんがこのマチで設計した物件はINCLINEを含めると8カ所もある。こんな小さなマチで建築家が手がけている物件が8カ所もあって、完成してからもその場所には人が愛着をもって集い、育ち続けている。そんな建物をつくることはすごく面白いことだなって今でも思う。
施工の野崎くんは建築集団「々(ノマ)」の棟梁で、皆からショーキチと呼ばれ愛されている。彼は店舗の内装から、映画の舞台背景などマルチに活躍する大工アーティストだ。々(ノマ)のつくる作品はエネルギーで満ちあふれている。
余談だが、工事が始まる2019年、愛知県蒲郡市で「森、道、市場」というイベントがあった。僕はこのイベントが大好きで、その年も参加していた。そこで、福島県の美味しい自然酒「仁井田本家 ( https://1711.jp )」のブースが何やらすごいぞと耳にして行ってみると、なんとこのブース設営に彼の姿があった。もともと僕は彼の存在を、関西(もしかしたら全国)で最も有名な文化住宅「前田文化( http://maedabunka.com )」で活動している時から知っていた。僕は彼の、「現場をみんなの手でつくっていく」という姿勢が好きだ。工事現場といえば、バリケードで見えなくなっていつの間にやら出来上がっていくのが普通。しかし、「々」はブラックボックス化している工事現場をあえてオープンな現場にし、みんなを巻き込んで施工することで、共犯者みたいな関係者をどんどん増やしていくため、新しく場所が出来上がった時点で既にファンが出来上がってしまうのだ。「森、道、市場」で彼と偶然再会し、INCLINEの施工をお願いしたのも何かの運命だったのかもしれない。
これから始まる新しい場所で、同年代の彼らに依頼することは必然のような気がした。
面白い人たちと、INCLINE
工事期間中は、いろんな人がINCLINEのスタートを見届けるため、時にはお酒を飲み交わしたり、時には埃まみれになりながら施工を手伝ってくれた。
こうして、人の手を借りまくって出来上がったのがINCLINEである。
完成後は、映画の自主上映イベントや、関西アーティストのグループ展などで利用してもらっているおかげで、清荒神という場所を認知される機会が少しずつ増えてきて嬉しい。
INCLINEってどんな場所なの? とよく聞かれる。INCLINEは僕の家でもあり、みんながやりたいことを持ち寄って実現できる場所であり、遠方から清荒神に遊びにきた人が泊まれるセーブポイントみたいな場所でもある。
これは、その際にサインしてもらったキッチンカウンターの壁。これからも増やしたいな〜
清荒神に新しい風が吹いている
清荒神という場所でINCLINEを始めようと思ったのは、もともと地元がこの辺りだったことに加え、清荒神に面白い人たちが集まっていると感じたからだ。特にそれを感じたのが、「もののひ市」というマルシェだった。当時、オーガニックのお野菜を扱うお店、自家製酵母を使ったパン屋さんなど、本当に良いものを取り扱うお店を集めたマルシェが毎月開催されていた。毎回多くの出店者とお客さんが集まるこのイベントを企画していたのが、橋の下の飲み会で出会った『シチニア食堂』さんたち。初めて参加した時、「こんなお店たちがどこから? なんで清荒神に?」と思ったのを覚えている。
たたんでしまったお店が多い一方で、こうした力強いプレーヤーたちが清荒神を引っ張ってくれたからこそ、清荒神は少しずつ変わりつつある。新しくお店を始めた人や、引っ越してきた人がここ数年で少しずつ増えてきている。宝塚歌劇場が近いから引越してきた人も、地元が宝塚だったからという理由で新しくお店を始めた人たちもいる。清荒神に来た際は、ぜひとも行ってほしい素敵なお店たちを紹介したい。
清荒神に住んでいて面白いなと感じるのは、参道を歩いていると結構な確率で友人に出会ってしまい、じゃあそのままご飯でもどう? となるところだったり、同時多発的にイベントが行われるところだ。
例えば去年の年末、それぞれのお店で別々のイベントが組み込まれていたため、「それなら全部一緒にしちゃってサーキットイベントにしたらいいんじゃない?」という案が出て、すぐにカタチになってしまった。清荒神には、そんな一体感がある。お互いのお店が依存し合うのではなく、個々でしっかり活動しているからこそ、イベント内容も多様で、清荒神に住みながらでも新しい発見ができてしまうのはとても贅沢なことだなと思う。
これまでもこれからもローカルなマチ、清荒神
清荒神に住んで、もう3年が経とうとしている。いま感じているのは、清荒神はどんなに頑張ってもローカルだということ。既に何もかもがそろっている「都会=シティ」ではなく、そこにある歴史や風土の上で、自分たちが耕していく場所なのだと思う。
年末年始は参拝客でにぎわうけれど、18時過ぎになると「あれ、もうみんな寝てるんかな?」って感じるくらい静かになるのが清荒神の日常だ。こんな静かな場所だからこそ、新しいことが好きな若い世代と上の世代が分断してしまうのではなく、お互いがどんなことを考えているのか、実際に話してみることが結局のところ、一番大事なんじゃないかなと思っている。
清荒神というローカルで、公務員という属性で、何ができるのか考えてきた。僕がここで場所を持ち、ここに住んでいる仲間と、遊んだり、イベントを組んだりしていろんな方を招いて全力で清荒神を紹介する、というやり方は、今のところしっくり来ていて、間違ってなかったのかもしれないと思う。
公務員という仕事が嫌になって「もう辞めてぇな〜」と思うことは、確かにある。でも、僕みたいな公務員が全国でどんどん増えていったら、それってつまり、いろんなマチで“楽しい”があふれるのでは? とも思っている。SUUMOタウンの方々がめちゃくちゃ忙しくなるぐらい素敵なマチが当たり前に全国にあふれたら、それはどんなに明るい未来だろう。そんな、祈りにも似た希望の灯火が消えてしまわないよう、竈門の神様にお祈りし、今日もまたみんなで集まって、美味しいご飯を食べるのだ。
著者:平田良(チャン)
兵庫県・宝塚市出身。大学で建築を学んだのち、某市役所の職員として勤務する。2019年に清荒神清澄寺の参道沿いにある建物と出会い、独身35年ローンで購入。「INCLINE」と名付けたその建物を自宅兼イベントスペースにして、多くの人を呼び集めている。
編集:Huuuu inc.