「車移動が人生の1/6を占める」北海道・北見市でクリエイターとして生きる覚悟

著:中西拓郎

 

地元である北海道の北見市に戻って6年が経つ。

 

一度地元を離れた時から、どこかずっと後ろ髪を引かれていたこの街への想いと、そこから繋がっていった人たちの話をしたいと思う。

 

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北海道の東側、オホーツク地方

北海道北見市。

北海道の東側、オホーツクと呼ばれる地域に位置するこの街で生まれた。

 

最近では焼肉の街(※北海道の都市で焼肉店の対人口比が一番高い)と呼ばれていたり、カーリング女子LS北見の活躍も記憶に新しい。

 

人口は約12万人でオホーツク地方で最大の中核都市である。

羽田からのフライトは約1時間半、女満別(めまんべつ)という空港が最寄り空港だ。

 


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雪原のように見える、オホーツク海を埋め尽くす流氷

山に囲まれた盆地は、合併を繰り返し、今やオホーツク海にまで面積を広げている。

豊富な海産物や農作物、冬にはびっしりと海を埋める流氷。

 

たった一日のなかでもまったく違う顔を見せてくれる湖や山、真っ青な空と黄金色に実る小麦のコントラストなど、オホーツクの自然は暮らしている僕たちも、はっと息を飲むほど圧倒的だ。

 

北海道最大の都市、札幌までは約300キロ。車では5時間近くもかかってしまう。

西に行くにつれて大都市が現れる北海道では、北見市を含む東側のエリアは道民にとっても縁遠いことが多い。

まだまだこの辺りはベールに包まれている地域だと思っている。

 

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街と繋がること

北見に帰ってきてから、本当によく人の顔が見えるなと思うようになった。

信頼度はなによりも顔を合わせた回数だし、メール一本、電話一本で終わるようなことで呼びだされることもある。

 

顔がよく見える規模感だからこそ、人との結びつきや共有する瞬間がたくさんあるのが良いところで、悪いところ。

人との繋がりはこの街で暮らすうえで最も大切なことだと思っている。

 

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僕は高校を卒業後、防衛省に入省し千葉へと移り住んだ。

 

地元を離れていたころに、地元に残っていた数少ない友達が、少しずつ街や大人の世界に溶け込んでいく姿を遠巻きに見ていた。そのとき初めて、学生時代に過ごしていたのは「学校」や「コミュニティ」でしかなく、「街」や「地域」ではなかったんだと、気がついた。

 

ものすごく小さな世界を共有していた、友達の行動一つひとつが街の一部を形成していく光景は、とても不思議だけど、なんだか誇らしかった。

 

そんな姿を見ているうちに、自分はどんな形で地元と関わり合えるのかをよく考えるようになった。

それからは地元のことにアンテナを張るようになったし、地元に残る友達のSNSも欠かさずチェックしていた。

だけど、地方都市のイマは断片的な情報しか存在していないし、インターネットが発達してもまだまだ絶望的な隔たりがあった。

 

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そんな僕にとっても、唯一、学生時代から続く、街や地域の接点と呼べる場所が存在した。

 

自分と街との接点

学校・友達・バスケット、せいぜいそのくらいが自分の身の回りのすべてだった学生時代に、唯一大人の友達(といっても10歳以上も年が離れているけれど)と呼べる人たち。

制服、自転車で通っていた「DEF JAM INTERNATIONAL」という服屋だった。

 

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興味を持ちはじめたファッションのこと、今までまったく知らなかったようなことも、学校では教えてくれないカルチャーを体現している人たちが、そこにはいた。

 

ここで学んだことはとても多かったし、東京や世の潮流に流されない、自分たちのスタイルを持っていた大人が、単純にとてもカッコよかった。

 

いつもお店に行けばこの街のおもしろい人に出会える、そんな場所。

家族でも学校でもない、僕にとって初めてで、唯一の街との接点だった。それはとてもわずかな糸口だったけれど、僕の中で今も脈々と息づいている。

 

 

緩やかに、確実に変わっていく地元

僕にとって、唯一の街との接点だったあのお店は、実は今はもうない。

3年前、僕が独立してすぐくらいに、突然閉店することが決まった。

 

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人口減少とともに縮小していく地方都市においては、志を持った若者でも生業を継続していくことは難しい。

 

就職もせずワーホリ帰りに20歳でお店をはじめたあいつも、再び東京に行ってしまったあいつも、元気でイケイケだった先輩も。

 

少しずつ、みんな変わっていく。

 

変わっていくことは悪いことではないし、それぞれの選択は最大限尊重されるべきだ。
そのどれも、今も変わらず尊敬している。

 

だけど今まで当たり前にあったものや、かつて僕のような若者が触れられた接点が少しずつ、緩やかに無くなってきているのは本当に悲しいことだと思う。

 

 

道東・北海道が繋がっていくこと

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地元に戻ってきてから、『道東をもっと刺激的にするメディア 1988』というローカルメディアをはじめた。

 

 

北見市を含むオホーツク地方のほか、十勝・釧路・根室という4地域を含んだ北海道の東側の総称が道東。

 

メディアの運営にあたって、取材もデザインも写真も、拙いながら自分でこなしてきた。

どれも好きだったとか得意だったわけではなくて、ただ、前に進むために必要だと思うからやっていることだ。

 


北海道はとにかく広い。

 

同じ地域として括られている街へも2時間、3時間かかるくらいに離れている。

片道2時間で往復4時間。一日の1/6が車移動だなんて日は、ザラにある。笑っちゃうくらいに生産性は低い。

そのうえ一年の大半は雪に覆われているし、北海道で暮らすって楽じゃないなあ、と日々感じている。

 

それでもひたすら動き回るしかなくて、オホーツク・道東中、何時間もかかる道のりを駆けずり回っている。

 

その甲斐あってか、最近では少しずつ、道東全域に同じような志をもつ繋がりが増えていった。

 

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今年の初めに、道東誘致大作戦というイベントを行った。

 

camp-fire.jp

分断された道東を繋いでいくため、ベールに包まれている道東を域外にも知ってもらうために企画したものだ。

 

全経費をクラウドファンディングで集めるという趣旨や、主催メンバーが普段はそれぞれが車で2時間半以上離れた場所に住んでいることなど、ハードルは数え切れないくらいあったし、終わってからの反省点も山のようにあった。

 

1988web.com

 

それでも、これをきっかけに続いていることはたくさんあるし、あの時、あの場に関わってくださった方たちとは、道東がゆるやかに繋がった瞬間を共有できたと思う。

 

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写真:小林 直博(鶴と亀)

 

カッコ悪かったかもしれないけれど、一人では絶対にできなかったし、できる限界と精一杯を尽くした結果は成功だったと胸を張って言える。

 

分かり合える人が少なかったり、離れていることは辛い。けれど、それぞれの街にはきっと同じような想いを持った人や、おもしろい人は絶対にいる。

 

道東、もっといえばこの広い北海道といえど、やってるやつの顔はちゃんと見える。
そしてそれはいつか繋がっていく。

あるもの、いる人、できることでひたすらやっていくしかない。

自分が動けば自分の居場所はつくっていけるんだから。

それを続けていこうじゃないか。

 

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写真:小林 直博(鶴と亀)

 

お互いに影響を与え合いながら、辛さも痛みも、「ああ、分かるよ」と。

だけど、あいつもあいつも、今日も走ってる。

 

「俺だってやってやる!」

 

きっとそれぞれにそう思ってる。

あのころ、僕が街と繋がったような接点になれるように。

 

「地元に帰りたいと思っているんだよね」

「ああ、大丈夫。帰っておいでよ」と。

 

そう言える地域や人になりたいと僕は思う。

 

 

僕のオススメ北見スポット

■UNDERSTAND

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ローカルのクラブは社交界だと思う。
単にアンダーグラウンドや音楽好きだけが集う場所ではなくて、社長もプータローも、スケーターもホステスも、ビッグフェスを揺らすアーティストも地元のラッパーも訪れる遊び場。繋がった人は数え切れなくて、ここで仕事が決まることもある。


北見にはもう一軒「KANDATA」というクラブもあって、この街でカルチャーを伝え続けてくれた多くの先輩たちのおかげで、北海道の片隅の地方都市でもこの人種の坩堝(るつぼ)は守られている。


朝方のフロアーで揺れながら日々の内省を繰り返す。夜が明けた帰り道をとぼとぼと歩きながら、また日常へと戻っていくんだ。

 

■WORLD LOVE hair+make-up

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(勝手に僕が)道東で一番のサロンと呼んでいるお店。クリエイティブもアートもファッションも教えてくれて、髪を切りに行くときはいつも楽しい。


スーザンに初めて会ったときは真っ白なイッセイミヤケのコートを着ていて、こんな人が北見にいるのかと驚いたし、マイコさんはいつもクソ真面目に高みへ挑戦し続けてるくせに、この世の終わりみたいに遊ぶ姿がカッコいい。いつか北海道中、日本中にその名が轟くことを密かに願っている。

 

■じんぎすかん屋モンゴル

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北見は焼肉の街と呼ばれていて、サガリ(牛の横隔膜、ハラミと呼ばれたりもする)とホルモンを生ダレ(ニンニク、生姜、リンゴなど店々のオリジナル)につけて味わうのが北見流。


晴れた暑い日にはご近所中で煙が上がるくらいのソウルフードだし、しばらく街を離れて帰ってきたときになぜか焼肉を食べたくなる。


ここはジンギスカン屋なんだけど、そんな北見焼肉が楽しめる。
マスターがいつも何かと気にかけてくれていて、豪快で、優しい。きっといつもお会計はマトモに取られていなくて、ハイボールは頼んでないのに大ジョッキ。

 

■ロングサイド

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多国籍ビール食堂ロングサイド。世界中のビールが楽しめて、お客さんもお店の人も、グッと距離が近いお店。ローストチキンのポヨロコや、そのガラで取ったポヨそばなど、フードメニューもとってもおいしいんだけれど、このお店の一番の特徴は結びつきの強いコミュニティだ。

街の人とあまり交わることのない北見に赴任になった転勤族が代わる代わる常連になっていく様子を見ると、どれだけ居心地が良くて、馴染みやすい場所なのかが分かる。

 

■CUCINA ITALIANA Acqua Chiara

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おいしいものを食べたいと思ったらここに来ることが多い。少し年上の、公私共に仲良くしてもらっているイケメンオーナーシェフはとても勉強熱心。

旬の食材をおいしく食べさせてくれて、いつも料理やおいしいワインについて教えてくれる。

 

■いわしくらぶ

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最後に同い年の友達のお店を紹介したい。ここは水タバコのお店で、日本最北のシーシャカフェになるらしい。

僕はシーシャを吸わないけれど、靴を脱いで座布団に座って、セルフサービスのドリンク(普通にサーブしろよ!)ときっといい意味で家っぽい空間で寛げるのが魅力なんだと思う。

水道橋に2号店があるので、気になった人はちょっと小柄で胡散臭い男に会いにいってみてほしい。

 

 

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著者:中西拓郎

中西拓郎

1988年生まれ、北海道北見市出身。防衛省入省後、2012年まで千葉県で過ごし、Uターン。2015年『Magazine 1988』を創刊。2017年より、一般社団法人オホーツク・テロワール理事・『HARU』編集長。ローカルメディア運営他、企業のPR・ブランディングなども手がける。

Facebook : takurou.nakanishi

Twitter :@takurou1988

 

編集:Huuuu inc.