大阪の北堀江で、暮らしやすい“まち”について考えてみた。

著: シンテツ 

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マイライフ・アズ・ア・キャット

文章を書いてお金を貰い始めたのと、北堀江に住み出したのが同時期なので、人生の約半分をこの町で過ごしたことになる。ただ、いまだにローカル意識は希薄で、公園の野猫にシンパシーを感じる。もし、あと20年暮らしても、おそらく地元という感覚は芽生えないだろう。鳥の雛は初めて見た動く物に付いていく。刷り込みと呼ばれる現象で、人間も生まれ育った場所を故郷と慕う。もし子育てを経験すれば、幼児の成長を通して、ホームと感じるかもしれないが、その予定はない。しかし、こんな他所者根性を持つ私も、北堀江はそのまま受け入れてくれた。それが、この町の魅力かなと思う。

グラデーションを持つ町

北堀江は大阪市西区にある町で、東西1.5km、南北500mの横に長いエリアだ。長方形の東端に位置する1丁目は大阪ユースカルチャーの発信地「アメリカ村」に接し、一級河川である木津川手前が4 丁目の西端となる。1丁目はアパレルを中心に個店が集まり、西へ歩くと、カフェやダイニングバーが軒を連ね、2丁目から集合ビルやタワーマンションといった住宅地が現れる。さらに進むと、学校、公園、図書館、寺院や神社、教会などの施設が目につく。小一時間で一周できる程よいスケール感の中に、商業地、住宅街、公共施設、寺院と、つくられた時代や目的も異なる場所が、東から西へ、グラデーションを描きながら集積している。最近はファミリー向けタワーマンションが立ち、そこに暮らす若い家族の方々で、休日には公園から子ども達の嬌声が聞こえるようになった。町は生き物だ。人が増えると、活気に満ちる。「この町なら何かが出来そう」というムードが形成されると、若者が集まり、個性的な店ができ、それを中心にコミニュティが生まれる。90年代後半から人気エリアと呼ばれた堀江。2010年代に一旦ブームは落ち着いたが、最近また面白いショップが増えている。長年、住んでいるとそんな町の新陳代謝を感じる。

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すきやねん?北堀江

かくの如き北堀江だが、長く住んでいる割りに、個人的なエピソードはあまりない。生まれ育った京都や、大学時代の話ならいくらでも浮かぶが、二十歳を超えてしばらく経って住み始めた場所である。幼少期~思春期に比べると思い出はどうしても減ってしまう。一般的に大人になると、心に残る記憶はトラブルやアクシデントが増えてくる。語る余談が少ないのは、裏を返せば、それだけこの町が暮らしやすいということだろう。それでもいくつか印象に残ったことはある。

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2004年、夏の夕暮れ

あれは、北堀江に住んで始めて迎える夏の黄昏時だった。当時、私は大阪の出版社が発行する「カジカジ」という若者向けファッション誌で、毎月ドキュメンタリー風SF小説を書いていた。筒井康隆の「二度死んだ少年の記録」に影響を受けて始めた企画だったが、すぐネタがつき、連載中はいつもアイデアに困っていた。その日も、例によって原稿が進まず、パソコンのモニターと睨めっこし、文字を打ったり消したりしていたところ、開け放した窓から地鳴りのような轟音が聞こえてきた。花火かなと思ってベランダに出て、それが祭囃子だと気づいた。すぐ近くの堀江小学校で盆踊りが開催されているらしい。祭りの調べは気分を高揚させる。ズンズンと空気の震えを感じながら、熱狂が町を覆っていくのがわかった。

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祭囃子に誘われて

物心つくと同時に父が病に倒れ、それ以来ずっと入院していたので、子どものころ、家族そろって海や山へ出かけたことがない。母は不憫に思ったのか、夏になると必ず、私を地元の祭へ連れて行った。夜店で綿菓子を買い、金魚をすくう。クライマックスはスーパーの駐車場を舞台にした盆踊りで、母は人混みではぐれないよう私の手をぎゅっと握り、少し離れた場所から、楽しそうに踊る人の輪を見た。ふとその情景が思い出され、無性に出かけたくなった。原稿を待つ編集者の困り顔が浮かんだが、コンビニへ行くついでに少し覗く位なら良いだろうと、罪の意識を誤魔化して家を出た。

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見る阿呆が踊る阿呆に

校庭の中央に巨大なやぐらが組まれ、エレキギターや太鼓の生演奏をバッグに、恰幅の良い着物姿の男性が独特な節回しの歌声を披露していた。河内音頭というらしい。聞き覚えるのある盆踊りとはまた違うワイルドなフレイバーで、おそろいの浴衣を着たご婦人連合に、缶ビール片手でご陽気なお父さん、ホットパンツにTシャツの女子高生など、老若男女がそれぞれ同じステップを踏む姿はロックフェス以上の一体感があった。子どものころの記憶と目の前の光景が重なる。会場には祭り特有のウェルカムなムードが漂っていた。手を握る母もいない。私は見様見真似で踊りの輪に入ってみた。グルーヴに身を任せると不思議なもので、少し町の一員になれた気がした。

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祭りで町のポテンシャルを知る

これだけ大きな祭りを継続できるのは、町の組合や連合組織がしっかり機能しているからだ。街に対して責任感を持つ人たちが各世代にいて、新旧の世代交代も行われているのだろう。目を向けなければ、人間関係のプレッシャーが少ない気楽な都会生活を送れる。しかし、その下には、昔から存在する地域のつながりもしっかりと根を張っている。豊かな生活を営む上で必要な社会のレイヤーが過不足なく適度に用意されているので、一人暮らしでも、同棲しても、結婚して子どもができても、街が受け入れてくれる。その自由さが北堀江の暮らしやすさではないか。レイヤーが重なり一枚の絵を描くように、さまざまな世代が入り混じる盆踊りは、街の多層的な構造を可視化した。

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盆踊りの舞台となる堀江小学校。1873年創立

河内音頭のキラーチューン

盆踊りで最も印象に残ったのが、ラストで演奏された「河内十人斬り」という曲だった。明治時代に起きた事件をモチーフにした内容で、とんでもない悪漢が主人公なのだ。芥川賞作家の町田康も「告白」という作品で小説化しているが、断片的に聞き取れる歌詞のストーリーがとにかく強烈で、脈々と流れる大阪の庶民文化に衝撃を受けた。YouTubeにもあるので興味ある方はご一聴を。現在、コロナで盆踊は休止となっているが、必ず復活するだろうから、また踊りに行きたい。

実は、日本初の高層住宅が現存する

小説といえば、北堀江には作家、司馬遼太郎が暮らしたマンションがある。1958年に新築された地下1階・地上11階建ての「西長堀アパート」がそれで、当時日本一の高層住宅として「マンモスアパート」の愛称で親しまれた。昭和30年代、司馬遼太郎はこの建物の10階に居を構え「竜馬がゆく」を執筆したとされる。リノベーションされ、現在も北堀江4丁目で存在感を放つ西長堀アパートだが、北堀江には、こうした歴史を持つ場所が所々に残る。それがアクセントとなり、街がフラットではなく、適度な不均質さを保っている。これが散歩していて楽しい。

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西長堀アパートの印象的なファサード

江戸時代、堀江を一躍人気エリアに押し上げたお寺

日本の都市は多くが近世(安土桃山~江戸時代)に城下町として発展した土地で、道路や区画はその当時に整備された基盤を継承している。大阪も然りで、大坂城の西端に位置した堀江は江戸時代、最も開発が遅れた低湿地だった。1699年、あみだ池に「尼寺和光寺」が建立されると人が集まるようになり、幕府の優遇政策によって商売の規制が緩和されると、茶屋が軒を並べ、堀江は大阪有数の花街に発展した。和光寺は今も北堀江2丁目にあり、前を歩くと、時間が途切れず続いていることを感じる。

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隣接する道路が「阿弥陀池筋」と呼ばれるのはこの寺の池から阿弥陀如来像が見つかったからと伝えられる

原稿は足で書く

私は原稿に詰まると、濃いコーヒーをガブガブ飲む。それでも書けない時は散歩に出かける。上手く言えないが、流れのある長い文章を書く作業は頭の中で地図を描くのに似ていて、それが実際、足を動かすことで活性化されるように思う。歩いていると不意に適切な方向を指し示す矢印のような一語が降ってきて、それを受け止め、こぼさないように持ち帰り、長文に発展させていく感覚である。スラスラ書けることは、ほぼ皆無だから、ライターの仕事をするようになって、自然と家の近くを歩き回ることが増えた。それを繰り返すうち、頭の中に、自分だけの北堀江のイメージが形成されて行った。

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北堀江イン・マイ・ヘッド

頭の中に広がる北堀江は、この町が始まった和光寺と、隣あう盆踊りの堀江小学校を中心にしている。東方向はアメリカ村や心斎橋に通じているから文明的でポップ。対して西方向には司馬遼太郎のアパートや図書館があるので文学的。その奥には土佐稲荷神社があり、境内の神馬像の裏に北堀江で最も長寿と思われる大木が生えている。周りの木と比べて明らかに太いので、畏怖の念を抱きながら、そこからさらに西へ進むと、なだらかなアップダウンを経て、木津川に出る。夜になると鏡のように街灯を映し揺れ動く川面が神秘的で、この世とあの世を分かつ境界のような印象を受ける。完全に妄想だが、こうした思い込みがインスピレーションをもたらすのもまた事実。私が北堀江に住んでいるのは、そんな町の起伏が気に入っているからだろう。

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土佐稲荷神社境内の神馬象と、北堀江で最も長寿な大木

最後に、暮らしやすさについて考えてみた

自分の“まち”について考察するのは難しいが面白かった。北堀江の良いところを挙げたつもりだが、住みやすい町全般に当てはまるのかもしれない。あと、最後に読み返し、一つ発見があった。自分が“まち”と書くとき、“町”と“街”を無意識で使い分けていたことだ。国語的には明らかな間違いで、個人的な主観の話だが、自分の中で“町”は身体性を伴うもの、対して“街”には心の中に広がるイメージという言語感覚がある。我々が暮らす現実の“まち”は日々刻々と変化していく肉体が住む“町”で、“街”は日々の生活の中で徐々に自分の内面に形成されて行く世界、例えるなら、青春時代を過ごした学生街や、故郷と聞いて思い出す光景と言えばしっくりくる。私に限ったことでなく、人はみんな、目に見える“町”とは別に、自分の中にもう一つ“街”を築いて行くのではないか。生きるということは、外と内、二つの“まち”の境界線に立つこと。どちらかへ極端に寄りかかることなくバランスが取れている時、人は暮らしやすさを感じるのかなと思った。

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著者:シンテツ

シンテツ

京都市生まれ。血液型を聞かれ正直にB型と答えると「あーやっぱり」と納得されることが多いので最近はA型と答えています。好きな変化球はシュート。敬愛するギタリストはAaron North。ライターを始めたのは2003年。きっかけは友達に誘われたから。以来、吉本芸人さんのインタビューや、工場取材、気になる町の新店紹介など、色々書いてます。 最後まで読んでくれた皆さん、ありがとう。機会を与えてくれた編集者さんに感謝。またどこかで!

 

編集:ツドイ