荻窪・西荻窪・吉祥寺エリアで20年以上暮らす、歌人の穂村弘さん。短歌はもちろん、 “日常で感じる感覚のズレ”など、世界を新鮮な角度から照らすようなエッセイでも人気を博しています。
そんな穂村さんは、中央線のこのエリアについて「物質とお金という軸以外のパラレルワールドを求める人に向いている」と表現します。その意味とは?
西荻は「戦闘力の低い人が多い」ゆるやかな空気感が魅力

―― 荻窪・西荻窪・吉祥寺のエリアは、クリエイターの中でも書籍関連のお仕事をする方が集まる印象があります。実際はいかがでしょう。
穂村弘(以下、穂村):ライターさんや編集者だらけですね。短歌関係の人も多くて、枡野浩一さんや、木下龍也くん、古くは中井英夫も西荻にいたみたい。この辺りに自由業の人が集まるのは、やっぱり平日の昼間に大人がうろうろしていても浮かない街だからじゃないかな。
以前、友人で作家の長嶋有とも、「吉祥寺の隣の三鷹には芥川賞作家が6人も住んでいる」みたいな話をしたことを覚えています。中央線でも濃淡があって、西荻と高円寺が一番ディープな感じがしますね。
―― ご実家は埼玉だそうですが、このエリアを訪れるようになったのは、いつ頃からですか?
穂村:西荻には昔から、アンティークとかを見に来ていました。今の西荻はビストロとパフェの街みたいになっているけど、以前はアンティークと古本の街というイメージだったんですよ。初めて遊びに来たのは1983年ぐらい、実際に住み始めたのはそれから20年くらいあとです。
―― ご結婚を機に引越されたんですよね。最初に西荻を選んだ理由は?
穂村:僕は、晩ごはんを食べたあとに本屋さんに行くのが好きなんです。神保町や早稲田なども古本屋が多い街だけど、どちらも閉店時間が早い。そんな中で西荻は珍しく、夜遅くまで古本屋がやっている街でした。
今はずいぶん廃業してしまったけれど、僕が西荻窪に引越してきた2000年代初頭は、夜中でも本が見られる古書店や本屋さんがけっこうあった。それが決め手になって、西荻で有名な「三ツ矢酒店」の上に引越しました。ご飯を食べたあと、毎晩のように古本屋さんを見て歩いて楽しかったですね。僕も妻も一冊も本を持たずに新生活を始めたのに、どんどん増えていきました。
―― 引越しも、本の増加をきっかけに?
穂村:そうですね。1DKのような間取りだったので手狭になってきて。あと、前に住んでいたところは駅に近くて、ちょっとにぎやかすぎたんですよね。朝市とかをやっていて、元気のいい八百屋さんの声が聞こえてくる。
それで次の引越し先は、ちょっと駅から遠い、少し荻窪寄りのところへ。その後、さらに荻窪寄りに移動して、『アルプスの少女ハイジ』のような大きな木があるおうちに、本をギュンギュンに詰めて住んでいました。
―― すてき! イメージ的には、絵本みたいですね。
穂村:ただ、隣の人が壁をたたいてくるようになっちゃって……。家は良かったんだけどね。
―― それは残念ですね……。引越す際に、エリアを変えようとは思いませんでしたか?
穂村:「海が近い湘南エリアに住んでみたいな」「京都もいいな」「表参道のようにおしゃれな街に住んでみたらどうだろう」と思うこともあるけれど、やっぱりこの辺りがラクなんですよね。僕にとって、本屋さん以外だと喫茶店も重要なので、古いカフェがたくさんあるところも合うし。
―― 今年出された『彗星交叉点』などでも、喫茶店で読書をするエピソードが出てきますね。お店の看板やふと耳にした会話にある「不思議な言葉」について綴る一冊なので、住んでいる街のおもしろさも影響しているのかなと感じました。
穂村:最初に西荻に住むときも、不動産屋さんに案内してもらって街を歩いていたら、銀行の前の生垣から足がつき出ていたんです。ギョッとしたんだけど、不動産屋さんはフォロー慣れしているから「安心して昼間から酔っ払って寝ているでしょ。安全な街だからこういうことができるんです」って(笑)。
―― すごいコメントですね(笑)。
穂村:コンビニで女の子がパジャマで立ち読みしていたり、おにぎりを食べながら歩いている人がやけに多かったり、歌いながら歩いている人が妙にいたり、子犬を肩に乗せている人がいたり……若干、行動が自由すぎる人が多いんだけど、カテゴリー的には自分もまあそっちかなと。
―― たしかに、穂村さんというと「寝転んで菓子パンを食べるのが好き」など、『世界音痴』で書かれていたような印象が強い読者も多いかもしれません。
穂村:良い意味で、戦闘力の低い人が多い街だと感じます。そういう空気感が自分は合うんです。以前、夜中に大きい水槽を運んでいる女子を見かけたりもしたな。あと、めちゃくちゃ語っている女の子と、うなずきながら聞いている男の子、みたいなカップルも多いような気がする。女性がより主体的に過ごせる街なのかなと思います。
―― というと?
穂村:以前、西荻の雰囲気を好まない女性編集者と打ち合わせをしたときに、その理由を精密に説明してくれたんだけど、「西荻は、すごくスタイルがいい女性も、ぶかぶかした服で隠している」と。
スタイルに恵まれていてもそこで勝負をしたがらない、要は客体化を避けるメンタルというか、主体性に価値を置くことへの忌避感が、その編集者にはあったんだと思う。「そういうものが好きじゃないという考え方があるんだ!」とおもしろかったですね。
「世界最高の街は吉祥寺だ」憧れの漫画家と同じ視界を楽しむ日々

―― 荻窪・西荻から吉祥寺へ引越された理由は?
穂村:僕は昔から「世界最高の街は吉祥寺だ」と思っていて。なぜかと言うと、僕にとって神である大島弓子さんがそう言っていたから(笑)。大島さんのほかにも、楳図かずおさんや諸星大二郎さんなど、大好きな漫画家さんが吉祥寺辺りのエリアに住んでいるから、いつか暮らしたい憧れの街でした。
ただ、憧れが大きすぎて最初から吉祥寺に住むのはちょっと不安があって、よく遊びに来ていた西荻にしたんです。
―― 楳図かずおさんは吉祥寺での目撃談が多いですよね。
穂村:僕もときどき散歩中のところをお見かけしました。心の底から尊敬しているので、楳図さんの後ろを歩いて「今、自分は楳図かずおと同じ視界で世界を見ているんだ」と感動したり(笑)。2回ほど楳図ハウスにお邪魔してインタビューさせていただいたこともあるんだけど、ふと街で見かけると得した感じがしますね。
―― 楳図かずおさんを見た、ではなく「楳図かずおの視界を見た」が感動ポイントであると。
穂村:漫画家だと、いしかわじゅんさんも昔から吉祥寺在住で、『吉祥寺キャットウォーク』をはじめ吉祥寺を舞台にした漫画をたくさん描いていて、実在する店もいっぱい登場します。今もある「まめ蔵」という老舗のカレー屋さんが、少し違う名前で出てきたり。お店の上に住んでいたのだそうです。
―― 関連する作品を読むと、より楽しめる街ですね。
穂村:そう思います。僕もインタビュー漫画かなんかで、諸星大二郎さんの行きつけのタイ料理屋さんが吉祥寺にあると知って、特定しようと頑張ったことがあります。
そういえば、僕の家にもうすぐ猫がやってくるんです。人生で初の猫。大島弓子というと、吉祥寺と猫というイメージがあるから、吉祥寺に引越して猫を飼う今、人生の最終目的地に到達かなという気持ちがあります(笑)。
個性豊かな古書店や喫茶店─思い出の店は?

―― 西荻で穂村さんが通う古書店を教えてください。
穂村:いっぱいあるけど、西荻で今もある古書店だと「音羽館」かな。今は20時閉店だけど、昔は夜中までやっていたんだよね。行くたびに必ず「おっ」と思うような本があって、ここで働いていた人たちがノウハウを活かして全国でいい古書店を作るようなお店です。
阿佐ヶ谷の「古書コンコ堂」さんとか、先日訪れた熊本の「古書 汽水社」さんもそうでした。音羽館さんっていい匂いがするの、比喩じゃなくてリアルな香りの話ね。汽水社さんで同じ匂いがしたからお店の人に聞いてみたら、音羽館出身だと。企業秘密っぽかったから深くは聞かなかったけど、“作り出している”匂いだそう。熊本という遠い地で、お店の匂いで気づくというのは嬉しい感じがしましたね。
今はなくなってしまった古書店だと、印象的なのは「なずな屋」かな、元は「興居島屋」さんって名前でした。ここも25時くらいまでやっていて、「キャベツの芯は捨てないで」という不思議な歌詞の曲がずっと流れていて、フレーズが頭の中をぐるぐる回る(笑)。音楽ユニット「ゲルニカ」をやっていた上野耕路さんの弟、上野茂都さんの楽曲ですね。
―― 中央線っぽい選曲ですね。吉祥寺で好きな古書店はどこでしょう。
穂村:吉祥寺は「百年」が好きですね。ただ、たくさん本を出してくれるから、買いすぎてしまいそうになって危険(笑)。最近は「バサラブックス」さんもよく行きますね。すごく小さいお店だけど、必ず何か買っちゃうくらい、自分とチューニングの合うお店です。ジャンルとしてはサブカルに強いかな。
―― 喫茶店でお気に入りのお店はありますか?
穂村:昔から吉祥寺にあるお店だと、「くぐつ草」や「茶房 武蔵野文庫」。武蔵野文庫に行くと、1990年に出した最初の歌集『シンジケート』の帯文を依頼するために吉祥寺に来て、依頼状を大島弓子さんのおうちの郵便受けに入れたあと、編集者と2人で入った日のことをいつも思い出します。
最近の店だと、西荻の「浅煎りコーヒーと自然派ワイン Typica」に行ったら、パフェがすごかったなあ。パフェなのに、揚げ餃子とかが入っていて前衛的でした。昔ながらの甘味屋さんだと「甘いっ子」も好きですね。
中央線は「物質とお金という軸以外を求める人のパラレルワールド」
―― 中央線はカルチャーを好む人が多く集まる街です。三軒茶屋、下北沢もそうですが、少しカラーが異なりますよね。穂村:カルチャーにもジャンル差や世代差があるから、三軒茶屋や下北沢の辺りだと演劇の色が強いですよね。「世田谷パブリックシアター」とか「シアタートラム」とか「本多劇場」とか、劇場がいっぱいあるから。演劇の街、音楽の街……とある中で、中央線はかつてのジャズからサブカルの街ということになるのかな。
―― 特徴はなんだと思いますか。
穂村:僕は昔から「武蔵野」という概念を気にしているんだけど、難しいんだよね。なんかこう、自分の本当に腑に落ちるほどはっきり認識できない。文化的に、地理的に、物理的に、いろんなレベルが重なっている概念だと思うんです。歩くと本当の街じゃないことがわかる……というとおかしいんだけど、「昔はこの辺りは森だったんだろうな」という気配がずっと残り続けているというか。
西荻の駅前の飲み屋のエリアも、再開発したい人たちの意向と、あそこが命だと思っている人たちのパワーバランスを感じるよね。吉祥寺は「ハーモニカ横丁」が微妙に残っていて、レプリカではあるんだけど、「残そう」という意識が街にあると思いますね。
中央線って、アジアや沖縄を真似たような気配も残っているんです。おそらく、そもそも街を作った世代の人が、「ラブ&ピース」の時代を過ごしていたんじゃないかと思う。だから古本屋でも、やけにスピリチュアルな本が置いてあったりする。
―― ラブ&ピースというのは、1960年代~70年代前半のヒッピー・ムーブメントが提唱した思想ですね。
穂村:そう、要するにカウンターカルチャーですよね。中央線にはカウンターカルチャーが気配として残っていて、“その時代に生まれていれば、そういう若者であったであろう人たち”が常にいる。だから、資本主義、つまり物質とお金という軸以外のパラレルワールドの可能性を微妙に残している気がするんです。古本なんてまさにそういう存在でしょう。
ただ、カウンターカルチャーって、学生運動を筆頭に、歴史的には敗北した潮流なわけですよね。“もう一つの世界”を目指した宗教団体が事件を起こしたこともあった。そういうことがあると「“もう一つの世界”というのは良くない発想であり、物質とコスパ・タイパに先鋭化することが正解なんだ」と、揺れ動く人たちの意識を固定してしまうということがあると思う。
でも、“もう一つの世界”自体は悪いものではない。大島弓子にしても、楳図かずおにしても、諸星大二郎にしても、もう一つの世界の存在を感じる、「透明な革命」みたいなことを描いていますから。
―― まさに「物質とお金という軸以外のパラレルワールド」ですね。
穂村:そうですね。タイパ・コスパというのものが重要視されるようになってきた時代に、そうではない価値観の軸を求める人に向いている街だと思います。
お話を伺った人:穂村弘
1962年、北海道生まれ。1990年に『シンジケート』でデビュー。短歌のほか、エッセイや評論、絵本、翻訳など幅広く手がける。2008年、短歌評論集『短歌の友人』で伊藤整文学賞、2017年『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、2018年に第4歌集『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。近著に『短歌のガチャポン』、『彗星交叉点』、『短歌ください 海の家でオセロ篇』など。
編集:小沢あや(ピース)