【商店街の住人たち】シェフの街から主婦(主夫)の街に。老舗料理道具店の6代目が目指す、道具街の明るい未来/浅草・かっぱ橋道具街「飯田屋」飯田結太さん

インタビューと文章: 小野洋平(やじろべえ) 写真:小野 奈那子 

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長年、そこに住む人々の暮らしを支えてきた商店街。そんな商店街に店を構える人たちにもまた、それぞれの暮らしや人生がある。
街の移り変わりを眺めてきた商店街の長老。さびれてしまった商店街に活気を呼び戻すべく奮闘する若手。違う土地からやってきて、商店街に新しい風を吹かせる夫婦。
商店街で生きる一人ひとりに、それぞれのドラマがあるはず。本連載では、“商店街の住人”の暮らしや人生に密着するとともに、街への想いを紐解いていく。

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■今回の商店街:かっぱ橋道具街(東京都台東区)
江戸時代に古道具を扱う商人のお店からはじまり、その後、料理人御用達の調理器具専門店が集まる「道具街」へと発展。現在も食器や調理器具をはじめ、包材、食品サンプル、食材、調理服など“食”に関するものなら何でもそろうエリアとして、プロの料理人だけでなく一般客、観光客などが買い物に訪れる。



かっぱ橋道具街で大正元年から続く「飯田屋」。その6代目が飯田結太さん(37歳)だ。幼少期はお店のある浅草が遊び場。24歳でお店を継ぎ、現在ではメディアでも度々紹介される「面白い道具屋」の名物オーナーとして、飯田屋と道具街を盛り上げている。

かつては「一見客、一般客お断り」のお店も多く敷居が高かった道具街。数年前からはプロの料理人以外も気軽に買い物に訪れるようになり、“シェフの街”から“主婦(主夫)の街”へと変化してきたという。そうした移り変わりについて伺うとともに、飯田さん自身の浅草や道具街への思いについても語っていただいた。

子どものころの道具街は「静かだった」

―― 飯田さんは浅草で生まれ育ったのでしょうか?

飯田結太さん(以下、飯田):いえ、実家は葛飾区の堀切というところです。ただ、小学生のころは土日になると決まって、浅草にいました。母親が働く飯田屋に連れて来られていましたから。当時は遊びに来る感覚だったと思います。

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「飯田屋」6代目・飯田結太さん。調理道具のエキスパートとしてのメディア出演が多いが、今回は「街」のことを伺った

―― 当時はどこが遊び場でしたか?

飯田:店舗の3階が多かったです。1階、2階は売り場ですが、3階はもともと、取引先との商談やお客様との談笑スペースとして利用していました。だから、よくおじいちゃんがビジネスしている横で遊んでいましたよ(笑)。あとは、裏の公園で遊んだり、近所の「はとや」という駄菓子屋に行ったり、周りのお店に行っては「なにこれ?」と聞いて回ったり。案外、忙しくしていましたね。

―― 浅草寺などの観光地方面には行きましたか?

飯田:行きました。特に「浅草六区」という歓楽街は刺激的でしたね。ウインズ浅草(場外勝馬投票券発売所)があって、飲み屋も多い場所なので、大人たちみんながくだを巻いていたんです。土日の昼から大勢の酔っ払いが馬券を握っている姿は、怖かったです。何回からまれたことか……(笑)。また、松竹の街だったので映画館にもよく行きました。母親が仕事中、おばあちゃんと一緒に松竹劇場の映画館で「男はつらいよ」と「釣りバカ日誌」の2本立てを観るのが楽しみでしたね。

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かっぱ橋道具街から東京スカイツリーを望む

―― 子どものころからディープな場所で遊んでいたんですね。かっぱ橋道具街にはどんな印象をお持ちでしたか?

飯田:当時のかっぱ橋道具街は食のプロである、料理人が集まる場所でした。お店の前にも「一見さんお断り」「一般客お断り」の張り紙が貼られていましたから。土日に営業しているお店もほとんどなかったですね。

―― 今は観光客や一般客も多く訪れますが、当時は開かれた雰囲気ではなかったと。

飯田:そうですね。ですから、僕が子どものころは今のような活気は感じられず、静かな通りという印象でしたね。僕が来ていたのが土日だったこともありますが、浅草寺や浅草六区と比べると、あまり人はいなかったと思います。

“カッコ悪い”と思っていた飯田屋に頭を下げて入社

―― 飯田さんは24歳で飯田屋に入社したそうですね。

飯田:はい。ただ、それまで継ぐ気は一切なかったんです。大学在学中には友人とWEB制作会社を起業し、そっちでやっていくつもりでしたから。

――では、なぜ家業を継ぐことに?

飯田:僕の会社が軌道に乗る一方で、飯田屋が苦しい状況なのは聞いていました。というのも、2009年のリーマンショックの煽りを受け、“お客様”である飲食店が軒並み閉店していたんです。当時は過去最大の飲食店不況と呼ばれていました。そのため、料理人がメインのお客様だった飯田屋も大きな打撃を受けていたんです。売り上げはガタ落ちで、社員もどんどんと辞めていきました。

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飯田:5代目でもある母親は女手1つで僕を育ててくれて、泣き言も言わないし、涙を見せない、強い人間だったんです。でも、そんな母親と久しぶりに実家で会ったとき、めちゃくちゃ元気がなかったんですよ。今でも信じられないんですけど、なぜか“母が死んでしまう”と咄嗟に思ってしまうほどでしたね。

――それほどまでに苦しい状況だったんですね……。

飯田:決して「苦しい」とは口に出さないんですけど、その姿を見たときに一緒に何かできないかなと、心から思ったんです。正直、ずっと僕は飯田屋の仕事が好きではなかったんですよ。なんかイケてないし、モテなそうだし、これからの時代にフィットしないだろうなって。でも、そんなことよりも母が死んでしまう怖さや幼少期を過ごしてきた「飯田屋」がなくなってしまう危機感が強かったんですよね。だから、初めて自分から「一緒に仕事をやらせてほしい」とお願いしました。

――お母様の反応はいかがでしたか?

飯田:ものすごく驚いていました。母からはずっと「継がなくていい」と言われていましたしね。母親自身が強制的に「飯田屋」に入社させられた人間だったこともあって、同じ思いをさせたくなかったんでしょう。だから、僕が飯田屋に入りたいと言った時にもすんなりOKはせず、むしろ「無理して継がなくていい、大丈夫だよ」と断られました。

――子どもにはやりたいことをやってほしいと?

飯田:そうですね。それでも「なんでもいいから力になりたい、これは自分の意思だ」と、頭を下げて入社させてもらいました。母親を助けたかった。これが飯田屋に入るきっかけでしたね。

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同業他社がひしめく商店街。「ライバル」から「仲間」に意識が変化

――とはいえ、継ぐのは大きな決断だったと思いますし、「老舗店」というプレッシャーもあったのでは?

飯田:怖かったですよ。僕の入社した2009年で創業98年でしたからね。ただ、身構えていたよりも仕事は自由でした。マニュアルやルールもなければ、売上目標も「一応はあるけども……」って感じでゆるかったですね。逆に僕が心配になるくらいでした(笑)。

――飯田さんが入社したことについて、他店からはどんな反応がありましたか?

飯田:隣のお店に挨拶しに行った際、ある店主の方に「本当に考えて入ったか?」と聞かれました。元気よく「はい!」と答えたら「かっぱ橋に明るい未来はないぞ」と言われましたね……。え? 俺は未来のない商店街に入ってしまったの? って、めちゃくちゃ焦りましたよ。

――強烈な洗礼ですね(笑)。現在は“料理道具オタク”としてさまざまなメディアに出られていますが、入社当時も調理道具の知識はあったのでしょうか?

飯田:全くないです。当時は、どの道具も大差はないと思っていました。僕たちのような専門店の道具、百貨店で売っている道具、100円ショップの道具、どれも同じだろうと。見た目によって値段が違うだけで、高い道具はただの見栄だと思っていました(笑)。ただ、さまざまなお客様を接客していくなかで、少しずつ料理道具の知識を培っていくことができましたね。

――ちなみに飯田さんが入社された2009年は、かっぱ橋道具街の雰囲気はいかがでしたか?

飯田:不景気だったため、飯田屋に限らずどの店舗も苦しそうでした。去年を除けば、かっぱ橋道具街に一番活気がなかった時期だと思います。
そうした厳しい状況もあって、入社時は周囲のお店全てがライバルだと思っていました。同じような商品を扱う同業他社だらけですからね。

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飯田:かっぱ橋道具街のお客様は、メモ帳を片手に来られる方が多いんですよ。価格をチェックして回って、少しでも安いお店を探しているんです。そのため当時は、うちより安売りをしているお店に「売上を奪われている」という意識でした。他店より大幅に値下げして対抗したりもしていましたね。でも、いつからかそれは違うと気づき始めたんです。

――どのお店も、値段だけで勝負しているわけではないと。

飯田:はい。一見、同じようなお店が多く見えますが、じつは若干違うんですよ。ここは中華料理の道具が強い、ここは特殊なお鍋が多い、ここは装飾が豊かな包丁がそろっているなど、それぞれが違う特色を持っています。よく「かっぱ橋って同じようなお店が多いから仲悪いんでしょ?」って聞かれるんですけど、じつは全然そんなことないんです。

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飯田:そして、昔からお店をされている道具街のみなさんは、そんなことを当たり前に知っています。だからこそ、自分のお店にお客様が探している商品がないときは、他店をオススメしてくれていたんです。これに気付いたときは、自分がとても恥ずかしくなりましたよ。それまで、飯田屋の売り上げが少ないのは周りにお店があるからだと、他店のせいにしていたんですから。でも、じつはそうじゃない。単に飯田屋に欲しいと思う商品がなかっただけだったんです。

――それは意外でした。これだけお店がそろっていると、価格競争や付加価値的なサービスで勝負しているのかと思っていました。

飯田:僕自身も、他店からオススメされて飯田屋を訪れてくれるお客様が何人もいたからこそ、気づけたことです。だから、今は周りのお店はライバルではなく「仲間」だと思っています。わざわざ全国からお客様が来てくださるのは、かっぱ橋道具街のみんなの店があるから。飯田屋があるからかっぱ橋道具街に来るんじゃない、かっぱ橋道具街があるから飯田屋に来る。この魅力をわかっていませんでした。他店を紹介することが結果的に集客につながり、この街のブランドを保つことになるんです。

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――そうした相互のアシストが「かっぱ橋に来れば何でもそろう」というブランドイメージにつながるわけですね。

飯田:そうですね。かっぱ橋道具街に全国からお客様が集まるのは、通りにある店舗を見て回るだけで半日はかかるほどの豊富な品ぞろえがあるからだと思います。ぜひ、道具街でたっぷり買い物を楽しんでいただき、残りの時間で「浅草寺」や「花やしき」などの観光名所を巡ってほしいですね。

目指したのは「シェフの街」から「主婦(主夫)の街」への変容

――先ほど“食のプロが集まる街”ということで土日に開いているお店がなかったり、「一般客お断り」の張り紙が貼られていたとおっしゃっていましたが、いつから今のように広くお客さんを受け入れる商店街になったのでしょうか?

飯田:おそらく、2011年〜2012年ごろだと思います。当時はシリコン製のキッチンツールがブームだったため、試しに飯田屋にも置いてみたんです。多分、かっぱ橋道具街で最初に販売したんじゃないかな? 調理道具が集まるプロの街に家庭用の便利グッズなんて、当時では考えられませんでしたよ。もちろん、プロの方々には見向きもされなかったのですが、一般家庭のお客様がすごくたくさん来られたんです。

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飯田:しかも、シリコンのキッチンツールは5000円と高価格にもかかわらず、みんな笑顔で買っていかれるんです。昔のかっぱ橋道具街は値切りが当たり前で価格競争も激しく、時には「こんな高い物を売りつけるのか!」と怒られたこともあったくらいなので、そうしたお客様の反応は新鮮でした。同時に、今後は一般家庭向けの便利グッズに注力していこうと思ったんです。

実際、便利グッズの種類が増えれば増えるほど、一般の方々が多く来られるようになりました。また、「食のプロの街に面白い道具屋がある」と、度々メディアに取り上げてもらったことも大きかったと思います。

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飯田屋の店内。無数の料理道具や一般家庭向けの便利キッチンアイテムが並ぶ

――昨年からコロナ禍が続いていますが、商店街にはどんな影響がありましたか?

飯田:飯田屋でいえば、プロのお客様の売り上げは95%減でした。やはり、2009年のように飲食店が軒並み休業や閉店してしまったことが要因でしょう。その反面、ご家庭のお客様は倍増しました。自粛期間中に自宅で料理をする方が増えましたからね。あくまで単月のみの数字ですが、昨年の12月の売り上げは109年間の歴史のなかで最高記録でした。

――それは凄い! とはいえ、コロナ禍でネットショッピングの需要がさらに高まり、リアル店舗から客足が遠のく不安はないですか?

飯田:いや、むしろ逆ですね。飯田屋に限らず、かっぱ橋道具街はネットショッピングの市場が大きくなればなるほど、実店舗のお客様も増えている状況なんです。

――なぜでしょうか?

飯田:ネットショッピングは便利であるがゆえ、気軽に買うことができるじゃないですか。だから「買えてよかった」と納得する買い物ができた人が増える一方で、「思ったのと全然違う」と買い物を失敗する人も増えています。

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飯田:例えば、フライパン。24cm、26cm、28cm、30cmでは、たった2cmの差ですが、どれが自分に適しているかパッとわかりますか? それに、フライパンは材質が違えば重さも変わり、重さが変われば熱の伝わり方も変わります。ネットには正確な情報が書かれていますが、それが自分にとって本当に使いやすいかどうかまでは把握できないわけです。

そこで買い物に失敗してしまったら、次こそは自分に本当に合うものを手に入れたいですよね。その時に、実物を手にしながらプロに相談できるかっぱ橋道具街に足を運んでいただけるのだと思います。実店舗では、商品の大きさ、触り心地、重さ、つくり方、さらには物語まで、伝えられる情報がとても多い。気軽に買えるネットショップと違う良さがあるため、これからも共栄・共存できると考えています。

――確かに、調理道具のプロフェッショナルに相談できるのは心強いです。

飯田:実際、かっぱ橋道具街のみなさんの料理道具に対する知識はものすごいですよ。僕も、他店の店主さんにはいろいろと学ばせてもらっています。ちなみに、今日も包丁について「清助刃物」さんで学んできましたよ。

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「清助刃物」の中村さんにオススメの包丁を教わっているという

――かっぱ橋道具街では、そうした交流が盛んなのですか?

飯田:かっぱ橋道具街には組合に加盟しているお店が150店ほどあります。まだ全ての店舗と、仲良くはできていませんが、10月9日(どうぐ)に開催される「道具祭り」には飯田屋も参加させてもらい、商店街を盛り上げています。また、数年前には料理道具屋「釜浅商店」さん、箸の専門店「はし藤」さんの3店舗でイベントを行いました。

――どんなイベントですか?

飯田:「今夜ショッピングナイト」という、お酒を飲みながら3店舗を回れるイベントです。やはり、かっぱ橋道具街って最初に訪れるハードルが高く、まだまだ怖い印象があると思うんです。そのハードルを少しでも下げられるよう、気軽に来られるイベントを行いました。

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会社帰りの方が多く立ち寄ってくれたそう。飯田屋ではビール、釜浅商店ではワイン、はし藤では日本酒を提供

――楽しそうですね。また、いつか開催してほしいです。

飯田:あまり知られてないかもしれませんが、かっぱ橋道具街は料理道具だけでなく、食の街でもあるんです。「ぬま田海苔」には最高級の海苔がそろっており、僕も贈り物の際には重宝させてもらっています。また、美味しい飲食店もそろっています。例えば、もんじゃ焼きなら「七五三」。浅草中のもんじゃ焼きを食べましたが、僕にとってはナンバーワンですね。特に「カレーコンビーフもんじゃ」と「ゲソもんじゃ」にベビースターラーメン×2のトッピングが絶品です。

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希少な海苔の味を伝える「ぬま田海苔」さん。飯田さんも自宅用に購入しているそう

飯田:一番の行きつけは中華料理屋「十八番」。ボリューム満点でめちゃくちゃ美味いんですよ。以前、1週間のうち7/7をここで食べてしまいました(笑)。しかも、毎回「酸辣湯麺」をオーダーしているんですよね。

――現在は近所に住まれているそうですが、住み心地はいかがでしょうか?

飯田:すごく暮らしやすい場所だと思います。食の街であり、飲みの街なので、食べることには事欠かないですから。また、近所には24時間営業の「西友」をはじめ、「三平ストア」「ライフ」「ドン・キホーテ」などの買い物環境が充実しているため、とても助かっています。

あと、個人的には人との距離感が好きですね。というのも、出勤する際、家から飯田屋までは5分ほどの距離なんですが、何回挨拶してるんだろう(笑)? お店仲間はもちろん、近所の子どもからお年寄りまで、みんなが声をかけてくれるんです。多分、僕の名前は知らないと思うんですけど、気軽に挨拶しあえる関係は素晴らしいですよね。

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トマトや豆腐、数種類の野菜をたっぷり使った「酸辣湯麺」

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――最後に、飯田さんがこれから目指すお店の姿、そして街の将来像について教えてください。

飯田:飯田屋としての目標は、料理道具の魅力をもっと紹介できるお店にしたいです。そのために、店舗の3階をリニューアルし、購入前に全商品を試せるフロアにしたいと思っています。商品をただ売るのではなく、お客様全員がニコニコと満足して帰れるようなお店にしたいですね。これもリアルの強みだと思います。

街の将来像については……そうですね。“料理人の街”だったかっぱ橋道具街が今では“料理をする人の街”に変わってきました。シェフから主婦(主夫)まで、来られる方の間口が広がったように思います。次なる目標は“日本の料理する人”から“世界の料理する人”と、ワールドワイドにまで間口を広げること。「日本のかっぱ橋」ではなく、「世界のかっぱ橋」になれたらいいですね。もちろん、世界の人を感動させられるだけのポテンシャルは持っています。そう考えると、まだまだ商店街には明るい未来が待っていると思いますよ。

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かっぱ橋道具街
https://www.kappabashi.or.jp/


著者: 小野洋平(やじろべえ)

 小野洋平(やじろべえ)

1991年生まれ。編集プロダクション「やじろべえ」所属。服飾大学を出るも服がつくれず、ライター・編集者を志す。自身のサイト、小野便利屋も運営。Twitter:@onoberkon 50歳までにしたい100のコト

編集:榎並 紀行(やじろべえ)