突然の脳出血で人生が変わった。俳優・河合美智子が「豊岡」へ移住した理由【関西 私の好きな街】

取材・執筆: 吉村 智樹

 

関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。

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豊岡は、ひとことで言って『最強』です。海があって山があって温泉もあって。緑が豊かで水がおいしい。だから食べ物も、とってもおいしい。え? 豊岡の欠点ですか? う~ん、何を食べてもおいしいから太っちゃうことくらい(笑)」

このように兵庫県の「豊岡」を絶賛するのは、俳優の河合美智子さん(52)。

 

河合美智子さんは14歳のとき、永瀬正敏とのWデビューが話題となった相米慎二監督作品『ションベン・ライダー』の主役に抜擢され一気に頭角を現しました。その後、映画『恋人たちの時刻』のヒロイン村上マリ子や、青春ドラマ『卒業』(TBS)の寺内友子など、少女から大人へと移りゆくナイーブで多感な演技が多くの視聴者を魅了したのです。

一転、1996年(平成8年)放送のNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』では頭に派手な飾りを乗せた演歌歌手「オーロラ輝子」をコミカルに演じ、イメージを大きく変えることに。劇中で歌った『夫婦みち』は実際に97万枚を超える大ヒット。「紅白歌合戦」にも出場を果たしました。

東京から兵庫県「豊岡」へ移住した河合美智子

そんな河合さんは2018年10月19日に、夫である俳優の峯村純一さん(53)とともに、東京の世田谷区から兵庫県の豊岡へと移住をしたのです。

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「豊岡」は兵庫県の北部の中心都市。日本海に面し、温泉が湧く観光地として知られる「城崎」(きのさき)や、蕎麦がおいしい「出石」(いずし)など、人気が高い街を多くいだいています。

豊岡といえば、稀少な「野生のコウノトリ」の生息地でもあります。取材時も電柱の上にコウノトリが当たり前にとまっている景色が見受けられました。

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また「かばん」の一大産地としても知られています。かばんが、なんと自動販売機で売られているのです。

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さらに近年は日本最大級の舞台芸術のアーティスト・イン・レジデンス施設「城崎国際アートセンター」や、演出家の平田オリザ氏の公演本拠地となる「江原河畔劇場」がオープンするなど、演劇の街としても注目を集めています。

脳出血により右半身が麻痺。リハビリにいそしむ日々

JR山陰本線と京都丹後鉄道宮津線が接続する「豊岡」駅。待ち合わせ場所に現れた河合美智子さんは、赤い杖をついていました

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実は河合さんは2016年8月に「脳出血」を発症。現在も右半身が麻痺しています。そしてこの豊岡でリハビリテーションを受けながら俳優や講演の仕事を続けているのです。


河合美智子(以下、河合):「外出する際は、身体がよりいっそう安定するように杖を使って歩いています。ただ横からの攻撃に弱い。横から誰かにぶつかられると、よけきれません」

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河合さんは「ヘルプマーク」を携行している。ヘルプマークとは、障がいや妊娠初期など周囲に援助や配慮が必要な状態であることが外見では分からない人々が、それを知らせ、援助を得やすくなるよう作成されたピクトグラム

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豊岡の商店街の人たちと気さくに声を掛け合う関係に

豊岡は便利で快適。交通渋滞も経験なし

日ごろから河合さんを献身的にサポートする夫・峯村純一さんの運転で、先ずは豊岡市内を巡ります。河合さんは峯村さんと豊岡の街をドライブする時間が、大好きなのだそう。

 

河合「ドライブが楽しいんです。走っていると天気がどんどん変わる。晴れと雨との境目なんて、ちゃんと見たのは豊岡が初めて。車窓を眺めているだけで面白くって、気がつくと100キロくらいドライブしているんです」

 

自然が拡がる豊岡の光景をパノラマビューで楽しむ河合さん。とはいえ正直に言って、河合さんが「豊岡に移住した」と聞いて、はじめは「なぜ?」と首をかしげました。河合さんは千葉県で生まれ、神奈川県の平塚で育ちました。俳優の仕事を始めてからは、ずっと東京在住。過去に関西で暮らした経験はありません。

そんな河合さんが関西のなかでも特に日本海側に位置する豊岡に転居とは。不便を感じなかったのでしょうか。

 

河合:「いいえ。まったく感じないです。コウノトリ但馬空港があるので飛行機で東京へも行けます(伊丹経由/最短約2時間)。京都・大阪・神戸なら車で2時間ほど。それに豊岡は買いたいものは何でもそろいます。大型の家電量販店が3つもあります。ホームセンターも充実しています。私も峯村もホームセンターが大好きだから、もうテンションあがっちゃって。おしゃれなカフェもたくさんあるし、映画館『豊岡劇場』もあって娯楽が充実しています」

 

そのように河合さんは豊岡を大絶賛。ホームセンターで、いったいなにを購入しているのでしょう。

 

河合:「農具なんです。いま畑を借りて、いろんな野菜を育てています。ピーマン、トマト、きゅうり、なす、にんじん、とうもろこし、大根、ケールなどなど。東京にいたときの私はインドア派。家のなかに引きこもっていました。野菜の収穫をしているなんて、以前の私が知ったら『信じられない』と言うでしょう」

 

水のよさもあいまって、もぎたてフレッシュな野菜が本当においしいのだそう。もうひとつ、河合さんが豊岡を気にいった点、それは「交通の便のよさ」

 

河合:「豊岡には出石や城崎など大きな街がいくつもあります。そして、どこもうちからクルマで20分くらいあれば着いちゃう。いつも道が空いていて、渋滞の経験はありません。それまで私は世田谷のはずれに住んでいました。新宿や池袋へ行くのに1時間近くかかっていたんです。それに較べたら豊岡は繁華街まで、あっという間」

 

豊岡がそんなに交通利便性が高い街だったとは。同じ関西に住んでいながら気がつきませんでした。

「痛い」すらうれしい。リハビリのおかげで蘇った感覚

お話をうかがう場所は、ミシュランのビブグルマンにも選ばれた名店、寿司・割烹『なか井』。こちらでランチをいただきます。

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河合:「なか井さんに来るたびに心が躍るんです。亭主の仲井雅弘さん(下画像中央)が『食材をいかにおいしくするか』に懸けている。その姿勢が料理から伝わってきます。味に深みがある。和食のお店なんですけれどイタリアンやフレンチ、中華などのいいところを採り入れています。そのために和食以外のジャンルも勉強をしていらっしゃるんです。盛り付けや器など見た目もおしゃれ。いつも感動します」

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絶品の料理に舌鼓を打つ河合さん。とはいえ箸を持つには、まだ支障がある様子。


河合:「お箸を持つのは、けっこうたいへん。右半身はつねにしびれがあるから、うまくつかめません。『内反』(ないはん)というんですが、時間が経つうちに手や腕がくるっと内側に曲がっちゃう。なので、お箸が落っこちちゃう。でも悲しいなんて思わないです。おいしいものを食べたい欲求が強いから(笑)」

 

暮らしのうえでの困難は、箸のみには留まりません。すべてにおいて脳出血を患った以前の状態には戻れないようです。

 

河合:「リハビリをする以前は右半身がピクリとも動かない状態でした。感覚がなく、そのため痛みもなかったんです。けれどもリハビリのおかげで神経が蘇ってきて、発症当時よりもいまの方が痛みを感じます。それでも、痛いと感じられるのがうれしいんです

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東京在住時のリハビリテーション

峯村純一(以下、峯村):「以前は感覚がなかったから、熱いものを触っても平気でした。なので彼女は料理をしていると火傷をするんです。一瞬も目が離せない時期がありました」

自分が脳出血になるなんて想像すらしていなかった

ここで、踏み込んだ質問をしなければなりません。右半身全体が麻痺するほどの大きな症状。起因となる疾患を抱えていたのでしょうか。

 

河合:「いいえ。自分が脳出血になるなんて想像すらしていませんでしたね。それまで特に身体の不調はなかったんです。ただ発症した一週間前くらいから心配事がありました。食欲が落ちて、夜ちゃんと眠れなくて。前兆と言えば、そのときのストレスくらいしか思い浮かばないんです」

 

予兆もなく、ある日突然、襲い来た脳出血。河合さんに当時の様子を振り返ってもらいました。

 

河合:「自主映画を撮っている監督さんから『リハーサルをやるんだ。見学に来ない?』と誘われたんです。私が関わっている作品ではないのでギリギリまで迷ったんです。けれども『気晴らしも必要かな』と思い、おじゃましました」

 

異変は、その現場で起きました。

 

河合:「30分くらい床に座ってリハーサルの様子を観ていたんです。すると『あれ?』。立ち上がったときに急に足がカクンとなって。尻もちをついたんです。それから足が固くなり、重くなり。じょじょに動かなくなってきて。脚の付け根から下が丸太ん棒みたいで感覚がない」

 

尻もちを浮いた瞬間に、脚の感覚がなくなるという初めての経験。しかしながら河合さんは、そのときまだ「ことの重大さに気がついていなかった」、そう言います。

 

河合:「立っている状態を保てなくなり、周囲に気がつかれないように椅子に座って見ていたんです。『たいしたことはないだろう』と普通に話したり笑ったりもしていました。けれども今度は椅子から立ち上がれなくなってしまって。たまたまご家族が脳出血を経験したプロデューサーがいて、私の右足首を見て『変な方向にねじれている。すぐに救急車を呼んだ方がいい』と勧めてくださって」

 

足首がおかしな方向へまがる。これは脳出血を表すサインのひとつなのだそう。

 

河合:「私は『大丈夫です。ひとりで帰れます』と遠慮していたのです。でも、あれよあれよといううちに腕も上がらなくなりました。ついに右半身がすべて麻痺してしまって。救急隊の人が来て状況を説明しているうちに、ろれつも回らなくなっていったんです。右耳の聴力も落ちて、自分の声も聞こえない。その時の気持ちですか? 本当に申しわけなくて。当事者でもないのに、見学に行って迷惑だけかけてしまって。心のなかで『ごめんなさい、ごめんなさい』と謝りながら救急車で脳外科へ緊急搬送されてゆきました」

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当日に撮影したMRI画像。白く写っているのが血腫

寝返りが打てない。その瞬間、意識が宇宙へ飛んだ

自分の身体よりも、迷惑をかけた相手のことばかり考えていた河合さん。集中治療室へ運ばれたときも、まず心配したのは「仕事で迷惑をかけないか」でした。

 

河合:「自分の身体が突然こういう状態になり、仕事をキャンセルしなければならない。けれども喋れない。誰にも伝えられない。どうしたらいいの。頭のなかはそればっかり」

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峯村:「病院へ駆けつけたら、僕の顔を見てほっとしたようで、ぽろぽろ泣いていましたね。迷子がやっとお母さんに会えたかのようでした」

 

河合:「でも、泣いたのはそれが最初で最後なんです」

 

泣いたのは、当時は同棲中だった峯村さんの顔を見て安心した、その瞬間が最初で最後。河合さんはその日から5カ月の長きにわたり入院生活を送ります。

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移動も車椅子や歩行器が頼り。俳優の仕事はできません。認めたくない現実です。

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けれどもそのような状態にある自分を「受け容れよう」と前向きになれた、ある出来事がありました。

 

河合:「寝返りを打ちたくて、でも自分で自分の身体が動かせない。その時、ハッと気がついたんです。患者衣の前がはだけていることを。『あ、これヤバい。おっぱいが出ちゃってる。乳首が出ちゃってる。どうしようどうしよう』。焦るんだけれど自分ではなおせない。そのときです。幽体離脱のように意識だけがふわっと浮き上がったんです。そのまま意識が宇宙へ向かって飛んでゆき、寝ている私の姿を自分で見ていたんです」

 

天井を超えて宇宙まで浮き上った自意識。ベッドに横たわる自分自身の姿を俯瞰で見おろす状況。ただ事ではありません。しかしこの超常現象が河合さんの心に安静をもたらしたのです。

 

河合:「ひとりの力で胸のはだけすらもなおせない。その姿を見て『なんて自分はちっぽけな存在なんだろう』、そう思ったんです。『宇宙から見れば、私の乳首なんて小さい小さい』。身体が動かないものは動かないんだから。くよくよしたって仕方がない。これからどうなるのかは分からない。けれども『このまま風に吹かれておこう』、そう思えたんです」

 

そしてこの不思議な夜以来、河合さんは自分がおかれた状況を悔む日は「なかった」と言います。

 

河合:「乳首が見えちゃった経験のおかげか、あれから一度も悲しまなかったです。きのうと今日でまったく違う人生になっちゃう。それを受け容れないと、次へ行けないぞって」

豊岡に住みたい! 心を動かした近畿最古の劇場

「なか井」を出て、さらに車を走らせます。いやあ、とはいえやっぱり不思議です。河合さんが東京からの移住先にここ豊岡を選んだ発端は、なんだったのでしょう。

 

河合:「それは劇場『出石永楽館』(いずしえいらくかん)との出会いが大きいです。出石永楽館で仕事をするまで、正直に言って豊岡という街が日本にあることさえ知りませんでした」

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靴を履いたり脱いだりは、まだひとりでは難しい

河合さんが初めて豊岡を訪れたのは2015年(平成27年)10月17日。「歩いて健康を維持する大切さをPRしていこう」というイベントでの仕事がきっかけでした。河合さんは俳優の野村宏伸さんと劇団「歩く人。」の一員として、簡単にできる体操などを芝居仕立てで紹介するためにやってきたのです。

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河合さんが訪れた「出石永楽館」は1901年(明治34年)に竣工した、近畿最古の劇場。人力の廻り舞台、奈落、花道、すっぽん(花道の舞台寄りにある小型のせり上がり装置)といった大掛かりな舞台の仕かけがそのままの姿を遺している、極めて貴重な建築物なのです。

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人力の廻り舞台が今なお現役で稼働している

河合:「永い歴史がある劇場です。けれども、とっても自由なんです。歌舞伎、落語、人形浄瑠璃、音楽ライブなどなど幅広く催しています。私、歌舞伎や落語をちゃんと観たのは豊岡に引越してきてからなんです。豊岡の人って、いい伝統はしっかり守る。けれども新しい文化を排除しない。ご年輩の方と話をしていても『皆さん、なんて頭が柔らかいんだ!』と驚かされます」

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出石永楽館の心がほどける自由な雰囲気。河合さんはこの劇場へやってきたことに「運命」を感じたのだそう。


河合:「初めて出石永楽館に足を踏み入れたとき、びっくりしました。『こんなに癒やされる空間があるんだ』と。さらに楽屋で過ごす時間が、とても心地よかったんです。ずっと昔からここにいたような安心感に包まれましたね。『もう豊岡に住んじゃいたい……』って。それほど和んでしまいました」

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舞台の背面に楽屋がある、珍しい構造

河合さんはその日、出石永楽館の雰囲気のみならず「豊岡の人」にも心を惹かれた、そう言います。

 

河合:「控室にいると豊岡市役所の方が『お茶、ここに置いておきますね』と、湯呑みとポットと茶葉をセットしてくださったんです。その心遣いにすっごく感動して。お茶ってよく『飲んでください』って目の前に差し出されちゃうじゃないですか。それなのに豊岡の人は、こちらの飲みたいタイミングを大切にしてくださる。『なんだろう、この絶妙な距離感は』って。その後も皆さんとても温かく迎えてくださって、豊岡で過ごした1日が本当に楽しくて、ずっと忘れられずにいたんです」

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田畑の真ん中にポツンと。メルヘンチックなたい焼き屋さん

豊岡に最高の印象を残した街、出石。そんな出石に「おすすめのたい焼き屋さんがある」とのこと。それが「福ねこ屋」。田んぼのなかにぽつんと建つ一軒家、その軒先で営業しているメルヘンチックなお店です。

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営業は「水曜日のみ」。なんというハードルの高さ。でもその難関を潜り抜けると、たい焼きだけではなく評判の「カレー焼き」が、あなたを待っています。

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河合:「緑のなかで食べるたい焼きとカレー焼きが本当においしい。豊岡に引越して間もないころ、『おいしいお店はどこだろう』って調べたんです。すると、いろんな人がこの福ねこ屋さんをインスタなどにアップしていました。でも発見するのは、たいへんでしたね」

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ほのぼのとしたやさしい甘み、辛み。素朴なお味です。豊岡の人々のイメージそのもの。

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この雄大な風景のなかに、ポツンと一軒家のたい焼き屋さんがある

周囲を見渡すと山々に囲まれ、視界を遮るものが何もない。だからこそ、ここに「よもや、たい焼き屋さんがあるとは」。サプライズゆえに逆に見つけにくいのでしょう。

 

河合:「ここから眺める景色、素晴らしいですよね。豊岡に引越して気がついたのが『緑色の種類の多さ』でした。緑色って『こんなにたくさんあるんだ!』って。いままで気がつかなかった。しかもどの色もエネルギーに満ちている。緑を見ているだけで元気になれるんです」

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河合さんは豊岡に引越して「緑ってこんなにたくさんの色があるんだ」と感動したという

退院後に入籍。パートナーと豊岡移住を決意

2017年(平成29年)1月10日に退院。退院して間もなくの時期は、河合さんは後遺症の完治を目指し、「アスリートなみ」のリハビリテーションを続けました。退院したその年の3月29日に入籍。峯村さん曰く「とにかく、前に立ちはだかるいろんな壁を、どう乗り越えるか。そればかりをふたりで考えていました」。そういった状況でした。

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字を書く訓練も

脳出血を患って入院していた事実は非公表。河合さんがたいへんな状況に置かれていた事実は親しい人以外、誰も知りません。しかし発症前に撮影した映画が公開され、右半身麻痺の治療中であることが明るみに。しばらくは取材対応に追われる日々が続いたのです。

騒然とした日々が一段落したころ、河合さんと峯村さんは、遂に東京を離れる決意をします。

 

河合:「峯村とは『老後はふたりで豊岡へ移住しようね』と話していました。仕事もあるし、いますぐは無理だろうって。でも脳出血になって考え方が変わりました」

 

生死の境をさまよった河合さん。夢をあとまわしにしていると「どんどん叶わなくなる」と思ったのです。人はいつ死んでしまうか分からない。やりたいことがあるのならば、すぐにやらないと後悔する。入院と理学治療は、ふたりの価値観を大きく変えました。

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河合:「思い立ったら、即実行。出石永楽館での公演でお世話になった豊岡市役所の和田さんという女性に電話して、いきなり『移住したいんです』と伝えたんです。すると和田さん、『えーっ!!』って驚かれて。でもとても親身になってアテンドをしてくださったんです」

 

そうして河合・峯村夫妻の豊岡転居プロジェクトがスタート。その際、豊岡への移住を目的として訪問した人には宿泊費用を補助する「移住促進支援補助金」など、移住者に対する豊岡市の手厚いサポートが「とても心強かった」とのこと。

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豊岡に来て、生きるパワーをもらえた

芸能界の仕事をしながら、東京から遠く離れた豊岡への移住。はじめは周囲から「大丈夫なの?」「仕事やめちゃうの?」と心配されました。自分自身も内心は不安だったのだそう。ところが勇気を出して実行してみると「なんの問題もない」「本当によかった」。河合さんたちは、しみじみとそう感じたと言います。

 

河合:「仕事で東京や大阪から豊岡へ帰ってくると、ほっとするんです。『やっぱり豊岡、いいな~』って。私たちはこれからもずっと、ここで生きていくのだろうと思います。右半身の麻痺は今後も完治しないでしょう。以前のように、どんな役でもやれるわけではありません。だからこそ『杖をついたおばあさんの役なら私にまかせて』、いまはそんな気持ちです。豊岡に来たからこそパワーをもらえたんだなって。豊岡に感謝しています」

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便利だから、仕事があるから、都会に住む。居住地を選ぶ大きなポイントです。しかし自分の心と身体が求める場所は、本当にそこなのでしょうか。「この街にいると幸せを感じる」、そんな夢の棲家は、もっと別の場所にあるのではないか。

河合さんと峯村さんのお話を聴いて、「住む」について改めて向き合って考えてみたい。そんなふうに自分をかえりみた一日でした。

 

河合美智子officialサイト

http://mineralramune.com/

河合美智子official blog「河合美智子のラッコな気分♪」

https://ameblo.jp/kawai-michiko/

 

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著者:吉村 智樹

吉村智樹

京都在住の放送作家兼フリーライター。街歩きと路上観察をライフワークとし、街で撮ったヘンな看板などを集めた関西版VOW三部作(宝島社)を上梓。新刊は『恐怖電視台』(竹書房)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)。テレビは『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)『京都浪漫 美と伝統を訪ねる』(KBS京都/BS11)『おとなの秘密基地』(テレビ愛知)に参加。

Twitter:@tomokiy Facebook:吉村 智樹 

 

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