ハイカラな街「六甲」が好き。ラジオパーソナリティ若宮テイ子がリスナーとともに歩んだ日々【関西 私の好きな街】

取材・執筆: 吉村 智樹

 

関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。

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六甲(ろっこう)の魅力はやっぱり、山と海、どちらも楽しめるところ。特に六甲山は暮らしに溶けこんでいます。高速道路を走っていて六甲山が見えてくると『ああ、地元に帰ってきた~』と、ホッとするんです」


そう語るのは六甲在住の人気ラジオパーソナリティ、若宮テイ子さん。

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スタジオで話すラジオパーソナリティ若宮テイ子さん(ご自身のInstagramより)

若宮テイ子さんは1979年にNHK-FMの全国ネット「朝のポップス」でデビュー。以来、今年でラジオパーソナリティ歴43年目を迎えるラジオ界のレジェンドです。これまで在阪のほぼすべての放送局で番組をうけもち、現在はラジオ大阪「ハッピー・プラス」(金)にレギュラー出演しています。

関西はもとより日本各地へ声を発信し続ける若宮さん。彼女のはつらつとしたトークは、お茶の間、オフィス、ショップ、車中などへと届けられ、リスナーの心を癒やしてきました。「テイ子さんのラジオ番組を聴きながら受験勉強をした」「カーラジオから流れてくるテイ子さんの明るい声のおかげで快適に運転できた」、そんな人も多いのでは。

山があり、海があり、人工島まである六甲

「六甲」とは兵庫県神戸市の北部に横たわる「六甲山地」と、ふもとに位置する街を指します。

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街のどこにいても「振り向けば六甲山地」。六甲山を見慣れているため「他の街へ行くと方角がわからなくなる」のだそう

六甲山のふもとには、にぎやかな商業圏が広がり、お買い物に困ることはありません。

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若宮さんが学生時代に道草をした阪急「六甲」駅前の商店街。店はずいぶん入れ替わったが街のにぎやかな雰囲気は変わらないという

阪急神戸本線「六甲」駅とJR東海道本線「六甲道」駅を利用でき、ともに大阪・京都方面へも三ノ宮方面へも移動しやすい。交通利便性が高い街です。

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阪急「六甲」駅から北にのぞむのは先述した「六甲山」。阪神タイガースの球団歌、通称「六甲おろし」やナチュラルミネラルウォーター「六甲のおいしい水」でも知られる名峰です。

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六甲山頂へ向かうには昭和7年に開業したレトロ&クラシックなケーブルカー「六甲ケーブル」がある
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六甲山の花崗岩を通り抜けてきた水は澄んだ味がしてとてもおいしい

南には人工島「六甲アイランド」が。神戸新交通六甲アイランド線、通称「六甲ライナー」に乗車すれば、湾岸の素晴らしい眺めを堪能できます。

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このように六甲は都心部と直結していながらも山と海に囲まれた、ベッドタウンとリゾートを兼ね備えた住み心地よい街なのです。

海外の文化に彩られた「ハイカラな街」六甲

若宮さんは六甲生まれ、六甲育ち。現在も六甲にお住まいです。アメリカ人で建築デザイナーの夫、娘さんとの3人暮らし。お休みの日は夫とともに愛犬のレンゾくん、カルロくんを連れて六甲山を散歩するのだそう。

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愛犬のレンゾくんとカルロくん。夫の職業にあやかり、2匹とも建築家の名がつけられている

若宮テイ子(以下:若宮):「六甲は坂が多いんです。歩くだけで、いい運動になります。緑に囲まれながらの散歩は気持ちいですよ。このごろは、山道がちょっとしんどく感じるんですが(苦笑)」


六甲といえば、乳製品もおなじみ。酪農が盛んな六甲山からフレッシュで良質なミルク、バター、チーズ、クリームが届きます。

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若宮:「私が高校生のころにはもう、当時は珍しかったチーズ・フォンデュを食べていました。ピザがおいしいお店もありました。乳製品に限らず、パン、洋食など安くておいしいお店が多かったんです。そして海外の方がたくさん住んでおられたので、昭和のころから世界中のお料理がいただけた。言うなれば“ハイカラな味”。六甲は食に関して、かなりさきがけだったと思います」

安くておいしいお店が多い。それが六甲の魅力

おいしくて、おしゃれなお店が多い六甲。なかでも若宮さんのおすすめは阪急「六甲」駅から徒歩5分の場所にある一軒家フレンチレストラン「ヴィラージュ六甲」

「フランス料理を気軽に」「本物をカジュアルに」をコンセプトとしたヴィラージュ六甲。この日にいただいたランチ(日替わりプチランチョンコース/魚or肉)のメインは高級魚のクエ。六甲山の工房で自家製するスモーク肉をあわせたクリームソースは味に深みがあり絶品。これにサラダ、パン、コーヒーまたは紅茶がついて、お値段は¥2,000(税別)。超お値打ちです。

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若宮:「これだけの高級食材を、手間暇をかけて調理し、この低価格で提供しているお店は、めったにないです」


若宮さんは、そう絶賛します。では、窓から冬の光がやさしく射しこむ、こちらのお店で若宮さんのファミリーヒストリーをうかがいましょう。

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お堅い家風に反発し、海外のロックやポップスを聴き漁る

六甲で生まれた若宮さん。「唇が椿の花のよう」と、たいそう可愛がられました。

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そんな若宮さんは4歳で、お父さんを亡くしました。


若宮:「母子家庭でした。母親は兄と私を『立派に育てなければならない』『片親でも大学まで出さなきゃいけない』という気持ちが強かったようです。とにかく教育に熱心でしたね。兄には小学校低学年のころから家庭教師をつけ、私にはクラシックピアノや日本舞踊など、たくさんのお稽古事に通わせました」


理知的に育ってほしい。お母さんの願いを一身に背負い、小学生のころから放課後は毎日のように習い事へ。しかしながら親の心、子知らず。若宮さんはレッスンを苦痛に感じていた様子。


若宮:「反発心が強かったですね。当時、バレエの世界を描いた少女漫画が流行していたんです。それなのに私は日本舞踊。いまでこそ日本舞踊は素晴らしものだとわかるのです。けれども幼い私には、華麗なバレリーナに較べて、とても地味な踊りに思えてしまって。『日本舞踊の漫画なんかないやん!』って、しぶしぶ習いに通っていました。音楽も家庭ではクラシック一辺倒、がんじがらめ。母親への反抗心が爆発して、海外のポップスやロック、ジャズなどをむさぼるように聴き始めました


クラシック以外は聴いてはいけない家風。それが反対に若宮さんを別ジャンルのサウンドへと引き寄せたのだそう。しかし、お母さんにバレないようにしながら、どのように洋楽の知識を得ていったのでしょう。


若宮:「ラジオで憶えました。ラジオから流れる洋楽を、耳にイヤホンを挿して必死で聴いていたんです。ラジオ関西(神戸のAM放送局)がよく洋楽のレコードをかけていて、一曲たりとも聴き逃せませんでした。なのでラジオが私の原体験にあるんです。やっぱり私の根幹って、ラジオなんですよ


「ラジオ関西」は国際貿易の歴史が長い通称「みなとこうべ」に位置する放送局。だからでしょうか。他のAM放送局と比較して、洋楽を多くオンエアしていたようです。

もうひとつ、こっそり洋楽を吸収できる貴重な場所がありました。それがなんと、家電のお店。


若宮:「お稽古事が終わると、三ノ宮にあった星電社という電気屋さんへよく行っていました。当時、レコードは電気屋さんでも売っていたんです。そして、レコードコーナーのお兄ちゃんと仲よくなり、新譜を視聴させてもらっていました。ロック、ポップス、ジャズ、シャンソン……洋楽なら、なんっでも聴いていましたね。とにかく音楽が大好き洋楽が大好き。そんな女の子でした」


中学校にあがったころにはアート・ブレイキーをはじめモダンジャズに心酔。「ロックならビートルズよりストーンズ派」と自分の嗜好は明確になり、「流行歌よりも、長く聴き続けられるレコードを」と、おこづかいを貯めてこっそりエディット・ピアフのアルバムを買うといった早熟ぶり。「ラジオパーソナリティ若宮テイ子」の下地が早くも形成されていったのです。

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「洋楽大好き女子」だったころの若宮さん

若宮:「家でクラシック以外の音楽を聴く行為が禁止されていたから、よけいに洋楽が聴きたかった。知識が欲しくなった。もしもすべてを肯定され、すんなりとレコードを買ってもらえる家だったら、果たしてそこまで音楽を愛していただろうか。ふと、そんなふうに思う日もあります。現在の私の礎を築いてくれたのは母親だったのかもしれない。感謝しないといけませんね」

未経験にもかかわらずラジオ番組のオーディションに挑戦

続いて、「娘とよくお参りをする」という「六甲八幡神社」へ場所を移動し、お話をうかがいます。

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「境内の雰囲気が落ち着く」という厄除けの神様、六甲八幡神社

音楽が好き、ラジオが好き。そんな若宮さんが具体的に「ラジオ番組のパーソナリティになりたい」と考えるようになったのは、いつなのでしょう。


若宮:「う~ん……実は、自分から『なりたい』と願ったわけではないんです。流れのままに、そうなった感じ」


流れのままに……ラジオの世界へと足を踏み入れるきっかけは、神戸親和女子大学に通っていた時期の「ある出会い」にあったのだそう。


若宮:「大学時代、私は夜な夜な神戸北野のライブハウスをめぐっていました。とくによく通ったのが、北野坂沿いにあるジャズのお店『ソネ』。ソネで酔っぱらいながらジャズにひたる日々。そんな女子大生でした」

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女子大生時代の若宮さん

デキシーランドジャズからモダンジャズまで幅広い演奏が聴けて、「神戸ジャズ」という言葉を流行らせた名店「ソネ」。若宮さんはこのソネで、ひとりのプレイヤーと出会うのです。


若宮:「ある日、デキシーランドジャズのバンドが出演していましてね。そこでクラリネットを吹いていたのが福家菊雄さんだったんです」


クラリネット奏者として活躍する福家菊雄さん。往時はNHKの職員で、のちに「紅白歌合戦」の総合プロデューサーをつとめるほどの大物です。

演奏が終わり、観客だった若宮さんと語らった福家さん。彼女の洋楽の知識の豊かさと弾むようなトークを憶えていたのでしょう。しばらくして若宮さんに、ひとつの提案をしたのです。


若宮:「大学を卒業してアルバイトをしていた時期でした。福家さんから『NHK FMで“朝のポップス”という新番組のパーソナリティを決めるオーディションがある。受けに来ないか』と声がかかったんです。たぶん、私の印象がヘンやったんでしょうね。これまでのNHKとは異なる雰囲気の人材を探していたんだと思います」

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アナウンスの勉強をした経験がない若宮さん。「どうせ受からないだろう」と軽い気持ちでオーディションに参加しました。一緒に面接に来ていた人たちは、すでに名だたる番組でおしゃべりをしているプロばかり。完全なアマチュアは若宮さんのみ。

ところが若宮さんの物怖じしない奔放な人柄が評価され、なんと全国ネット「朝のポップス」のパーソナリティに抜擢されたのです。以来6年もの長きに亘り、日本津々浦々へ声と音楽を届け続けました。


若宮:「それまでラジオ番組で話した体験なんて、まったくなかった。あるのは“根拠がない自信”だけ。だから話をする勉強は現場で、本番でやっていました。実践あるのみでしたね」

朝からハードロックをオンエアしまくる仰天の番組が誕生

番組の構成は、はじめから「自ら選曲」するスタイル。若宮さんが選ぶのは、さわやかな軽音楽ではなく、ハードロックのレッド・ツェッペリンやパンクバンドのクラッシュなど、午前中からハードでヘヴィなロックのレコードばかり。お堅いNHKで、まさに白い暴動と呼んで大げさではない過激な選曲。いったいなぜ、そのようなことが可能だったのでしょう。


若宮:「初めて私の担当になったディレクターさんが、もともとクラシック畑の人だったんです。なのでロックやポップスをあまり聴いていらっしゃらなかった。邦楽ではあるけれど世界的に活躍しているのでYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)をかけようとしたら、『テイ子さん、この人たちオーケストラじゃないですよ』とおっしゃるくらい。なので選曲は任せてもらえたんです。私はこれ幸いとばかりに、好きな曲をどんどんかけていました。もしも洋楽に詳しい方が担当だったら、きっと止められていたでしょうね」


ほのぼのとしたタイトルの「朝のポップス」。聴けば実際は轟音が鳴り響くラウドでディープな番組。若宮さんの独自性が高い驚異のチョイスはエアチェックをする若者たちに大いにウケ、強く影響を与えました。朝から流れてくるハードロックに驚き、それがきっかけで音楽に関心をいだき、遂にはミュージシャンになったり、レコード会社に就職してしまったりした若者もいたのだそう。

関西弁がウケたが「自分では標準語を話しているつもりだった」

もうひとつ、若宮さんが注目された理由、それは「関西弁」。関西のアクセントで洋楽を紹介するギャップがリスナーの耳に斬新に届いたようです。ところが若宮さん、意外にも「関西弁を話ししている自覚はなかった」のだとか。


若宮:「自分では標準語で話していたつもりだったんです。それなのに、リスナーの方から『テイ子さんの関西弁は面白いですね』というメッセージが届きましてね(苦笑)。標準語のつもりでも、どうしても言葉に関西のイントネーションが出てしまうんです」


関西のアクセントやイントネーションは独特。ひとたび身体になじんでしまうと、なかなか標準語のように話せなくなります。関西出身のタレントさんの多くが何十年と東京に住んでいても関西弁のまま。なおせないものなんです。では、どのようにして悩みを克服したのでしょう。


若宮:「悩みました。『どうすれば標準語が話せるんだろう』って。けれども次第に『関西弁に聴こえても、いいじゃない。要は“気持ち”。気持ちを込めて話しをすれば全国の方に想いは伝わるんだ』って考えるようにしたんです」

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このように型破りでナチュラルなトークスタンスがあべこべに功を奏し、「朝のポップス」は若宮さんの人生を大きく転換させました。そう、番組を聴いた在阪のさまざまな放送局が若宮さんの起用に乗り出したのです。そうして天国への階段をかけあがるように関西のFM、AM、ほとんどの放送局にレギュラーを抱える超売れっ子になってゆきました。

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20代にしてラジオパーソナリティとして頭角をあらわす若宮さん

若宮:「素人くささが逆におもしろかったんでしょうね。ついこの間までアルバイトをしていたのに、ラジオだけではなく全国ネットの深夜テレビ番組『11PM』(イレブン・ピーエム/日本テレビ系)にも出させてもらうようになりました」

洋楽大好き少女が、いつしか若者たちのカリスマに

若宮テイ子さんといえば、そう、やはり「洋楽」。特にKBS京都ラジオ(近畿放送)の深夜番組「ハイヤング11」「ハイヤングKYOTO」は、若宮さんのDJスタイルを若者に知らしめた番組のひとつ。ローカルなAMラジオでは珍しく、若宮さんが選曲した海外のロックやポップスが続々とオンエアされる構成でした。


若宮:「“ハイヤン”は月曜日から土曜日まで放送している人気の深夜ラジオでした。他の曜日は島田紳助さんや桂文珍さんほか、おしゃべりの達人ばかり。しかも私がかけるレコードは洋楽ばかり。こんな無謀な番組をやると決断してくださったKBS京都さんには、本当に感謝です」


日本のフォークソングの選曲には定評があったKBS京都。そのためスタートして2年くらいは、なかなか聴取習慣が根づかなかったといいます。けれども、洋楽の魅力を熱く語るトークと、にじみ出る温かな人情味が次第に関西の「ハイヤング」たちのハートをつかみだし、若宮さんはカリスマ的な人気を博してゆくのです。深夜に生放送を終えると、KBS京都の玄関ホールには、若宮さんを姉のように慕って出待ちする若者たちでいっぱい。SNSがまだない時代。若者たちはラジオを通じて、つながっていたのです。


若宮:「とにかく『リスナーさんが大好き!』、根底にはつねにその気持ちがありました。中学生、高校生、大学生を対象にしていたから、カッコつけずに本音で話そうと。そうすると、いろんな悩みの相談が届くようになってきたんです。例えば『貧しくて進学ができない』とかね。胸がいっぱいになって放送の時間外に、電話をして励ました日もありました。リスナーさんから届くはがきや手紙に、私自身が勇気づけられていました。ともに成長していったと思います」

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正月にはリスナーたちと初詣へ出かけるなど、交流も活発に。その交流は、いまもって続いているのだそう。


若宮:「この取材を受ける5日前に、学生時代に私の番組を聴いてくれていて、現在もつきあいがあるリスナーさんから『テイ子さん、孫が産まれました』という連絡をいただいたんです。『テイ子さんに一番に伝えたかった』って。本当にうれしい。ありがたいですよね。リスナーさんと過ごした時間は私の宝物です」

「このままではメッキがはがれる」。洋楽を理解するため渡米を決意

このように若宮さんは20代にして大忙し。スケジュールがタイトで、遂には生まれ育った六甲からスタジオへ通うことすら、ままならなくなってきました。


若宮:「大阪の朝日放送ラジオで深夜番組のレギュラーが決まり、放送局がある大淀区(現在の大阪市北区)へ引越したんです。あのころは……若気の至りで、荒れていましたね。ひとり暮らしになったのをいいことに毎晩、飲み歩いて。遊び歩いて。おもしろおかしく過ごしていました。公共料金を払い忘れるなんて、しょっちゅう。ある日突然、電話を止められていたり、電気を止められたり」


ブレイクするにしたがい、生活は怠け気味に。さらに、少々の慢心が芽生えてきた時期だったと、若宮さんは振り返ります。そんなある日、ふと、仕事に対する自分の姿勢に疑問をいだくようになったのだそう。そこには、同時期に活躍し、現在も「親友だ」という、あるラジオパーソナリティの存在がありました。


若宮:「ジーン長尾さんです。彼女は英語の勉強をしていて、発音は達者。洋楽の知識が豊富で、歌詞に対する理解力が高い。なにより話術がすごい。それなのに、自分は英語があまり話せない。歌詞の意味も深くはわかっていない。『こんな状態のまま仕事をしていると、きっとすぐつぶれちゃう。終わるな』と、危機感をいだきはじめたんです。メッキがはがれるのは時間の問題だと。『洋楽をもっと理解したい。語学を勉強したい。海外を実際に体験してみたい』。そう考え、すべての番組を降板しました。そうしてアメリカへ渡り、留学したんです」

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同時代を「人気パーソナリティ」としてともに闘ったジーン長尾さん(向かって左)

ジーン長尾……スティーヴィー・ワンダーなど海外のビッグアーティストに英語でインタビューするほど洋楽の知識に長け、在阪のテレビ局やラジオ局を中心に、さまざまな番組のパーソナリティを務める。FM802開局時から約10年に亘って担当した「AMUSIC MORNING」の終了後、オークランドに移住。現在は外国人の夫とワインショップを経営している


“頭打ち”という言葉をリアルに感じるようになってきたという若宮さん、29歳。無謀にも、あまたあるレギュラー番組を自主降板し、海を渡ったのです。

六甲は運命の街。何度渡米しても呼び戻される

若宮さんの渡米は2度。本場の言語に触れ、本場の音楽に触れ、かの地で結婚をした彼女は「もう2度と日本へは戻らない」と考えたほど、アメリカの文化に魅了されました。

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アメリカで建築家の男性と結婚

しかし、そうはいきませんでした。一度目の帰国は倒れてしまったお母さんの介護のため六甲へ、2度目は夫の仕事の都合で帰国を余儀なくされます。そして日本へ戻って帰る場所は、やはり放送局のスタジオでした。


若宮:「マリッジライセンスとグリーンカードをもらっていました。アメリカに永住するつもりだったんです。けれども人生って不思議ですよね。何度も六甲に呼び戻される。そして再びマイクの前で話をしているですよ」


六甲へ戻った若宮さんには、さまざまな試練が待ちかまえていました。お母さんを看取り、阪神淡路大震災で被災し、さらには乳がんを患ったのです。


若宮:「短期間に次から次に……。乳がんになったのは、『おばけ番組』と呼ばれるほど高い聴取率を誇る人気番組をやっていた真っ最中でした。あの時期は、さすがにへこみました。『神様って、おらへんの?』と天を仰ぎ見ましたね」


がん手術が成功した若宮さんは、「再びいただいた命。私は命を大事にしたい」と、990グラムで生まれ死線をさまよった女児を救うべく養子縁組し、家族として育てたのです。

生まれ育った六甲で音楽に囲まれながら暮らし続ける

現在、若宮さんは家族とともに六甲を拠点としています。

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結婚30周年を祝うパーティー

活動の幅が広がり、ラジオパーソナリティのほかにジャズヴォーカリストとしても活躍。恩人である福家菊雄さんの演奏で歌った日は、万感の思いがこみあげてきたのだそう。

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さらには声を活かし、五代目・豊竹呂大夫(とよたけ ろだゆう)師匠のもと、義太夫にも挑戦しています。洋楽から純邦楽へ、新たなフェーズへと進もうとしているのです。

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現在、力を入れている義太夫語り。右に立つ男性は師匠である豊竹呂大夫氏

プライベートでのなによりの楽しみは、六甲にある、夫がデザインし、蔵をリノベーションしたライブスペース「音蔵Sentan4」でのバンドメンバーとの練習。

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若宮:「いろいろありました……。けれども私は現在も、ハイカラな街・六甲に住みながら、好きな洋楽、好きなラジオに関わり続けています。六甲は、私をつくった街やから」

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山あり海ありの六甲で生まれ育ち、山あり谷ありな日々を生きてきた若宮テイ子さん。「そういえば、しばらくラジオって聴いていなかったな」という、あなた。久しぶりにラジオ番組に耳を傾けてみませんか。パーソナリティの軽快なおしゃべりに、もやっとした心が晴れるかもしれません。六甲の風が吹き抜けるかのように。


若宮テイ子Webサイト
https://www.teikowakamiya.com/

著者:吉村 智樹

吉村智樹

京都在住の放送作家兼フリーライター。街歩きと路上観察をライフワークとし、街で撮ったヘンな看板などを集めた関西版VOW三部作(宝島社)を上梓。新刊は『恐怖電視台』(竹書房)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)。テレビは『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)『京都浪漫 美と伝統を訪ねる』(KBS京都/BS11)『おとなの秘密基地』(テレビ愛知)に参加。

Twitter:@tomokiy Facebook:吉村 智樹 

 

関西 私の好きな街 過去の記事

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