著:井口エリ
この街で私は、ウチキパン(元町にある食パン発祥のお店)の袋を抱えた上品なマダムを見た。
オレンジ色の高貴そうな装束を着た外国の僧を見た。
なにくわぬ顔で自転車に三人乗りする家族を見た。
コンビニ前で、行き交う人にガンを飛ばしながらフランクフルトを食べるサラリーマンを見た。
横浜はたくさんの人が集まる「ハイカラな港町」であるが、なかでも関内に集まる人たちは、人種も性別も年代も職業も国籍もバラバラ。独特のカオスな空気を感じる。
……なんというか、街の振れ幅が広すぎて、関内で過ごすことは一種の“異世界”体験なのかもしれないと、思うほど。
「おしゃれタウン横浜」という呪縛
神奈川県外の人に横浜に住んでいることを伝えると、だいたい「いいところだよね、横浜」みたいな反応が返ってくる。
うん、私もそう思う。
いいところだよね、横浜。
ほどよく都会で便利で、観光スポットもたくさんある。「キラキラしている」イメージをもたれる理由も、分かる気がする。
この写真は、みなとみらい線・馬車道駅の4番出口を出て、みなとみらい方面に向かった先にある万国橋から撮っている。たぶん、ここが一番「横浜らしい景色」が撮れる場所だと思う。観光の際にはぜひ役立てていただきたい。
ここまでは、みなさんの想像する「横浜」らしい写真が並んでいたんじゃないだろうか。
ただここで一言添えておきたいのだが、おそらく他県の人が想像するであろう「横浜」の風景は、これ以降でてこない。
なぜなら「横浜生まれ横浜育ち」の私が見ている景色は、みなさんが見て感じているものとは全然別ものだからだ。他県民と地元民の間には、捉え方に大きなズレがあることを伝えておきたい。
他県民のいう横浜といえば桜木町・みなとみらい。山下公園や日本大通りまでの範囲もきっと含まれるだろう。実際、そのエリアはいいところだと思う。
横浜に住んでいる人間にとってもこのエリアは誇りであり、“横浜に住んでいる”という自尊心を高めることができるエリアだと思っている。
流行感度の高いおしゃれな港町で、幸せそうな家族や恋人たちがたくさん訪れ、行き交う人たちは心なしかゆとりがあるように感じるほどだ。
だけど、横浜はそれだけじゃない。
ちなみにさきほど「横浜生まれ横浜育ち」と自己紹介したが、横浜といっても最寄駅からはバスで30分。「横浜のチベット」、「陸の孤島」と呼ばれていた地区の出身である。だけど、それでも、横浜出身と言い張る。
なぜならそこも、ちゃんと横浜市内だから。実は18区に分かれているくらいに、横浜は広い街だ。
そんな私が提案するのは、関内駅。横浜のことを理解するには、この街に足を運ぶのが最適だと思う。
横浜駅や桜木町駅、人気のみなとみらいからも近い関内は、横浜のいい面もそうでない面も、清濁併せ呑みこんだエリアなのである。
私はこの街で「ライター」になった
横浜の人は都内に通勤している人も少なくないので、通勤時間が長い人も多い。かくいう私も、関内の会社に再就職するまでは2時間くらいかけて都内へ通勤していた。
満員電車は辛いし、デザイン系の会社は残業が多くて毎日12時間以上職場にいたし、それでもデザインは全然上手くならなくて上司からは毎日怒られてばかり。ただ、ひたすら疲弊していた。
もともと同世代よりも転職回数が多かった私は、ようやくここでデザイナーに向いていないということを悟り、横浜で新しく仕事を探し始めたのだ。
職場として選んだのは関内の質屋。デザイナーの前は宝石鑑定士になりたくて資格まで取ったものの、こちらも夢破れてしまった。
宝石鑑定士もデザイナーも……夢を追いきれなかった自分に対して自己否定の気持ちでいっぱいで、うまく社会の歯車になれなかった自分を好きになることができなかった。
その後は、店舗の販促物やオンラインショップのバナー作成などデザイン業務もさせてもらい、宝石鑑定士の資格も少しは役に立った。
社会において自分は必要のない人間だと思っていたが、そうでもないかもしれないとゆっくり自信を取り戻していった時期である。
この時担当していたのが、会員向けのメルマガを書くという仕事。この経験をきっかけに文章を書くことに興味をもち始め、現在はライターをしている。
私は、この街でライターになったのだ。
最初は会社員を続けながらライター活動をしていたので、体力的にはしんどいこともあった。
昼間は会社員として働き、帰ってきて家事を終わらせる。記事を書くのはそれからで、深夜や土日の時間を充てた。
それでもライターという仕事は、自分の人生を肯定してくれる存在だった。
人より多い転職回数も、人生において無駄のように思っていたありとあらゆるネガティブな経験も、すべてこのためにあったのだと思えるようになった。
ライターとして独立することは夢のまた夢だと思っていたけれど、気づけば仕事を辞めて、独立していた。
今は支えてくれる家族や仕事をくれる周りの人たちのおかげでなんとかフリーライターとして生活できている。
人生は何が起こるか、わからないものだ。
伊勢佐木町から見える「世界」
伊勢佐木町通りに沿って、北東から南西方向に約1.4kmつづく伊勢佐木町商店街(イセザキ・モール1・2st.)。横浜中華街も近い距離にあるこのエリアは、歩いてみると日本語や中国語、それ以外にもさまざまな言語が聞こえてくる活気のある商店街だ。
イセザキ・モールは昔ながらのお店から新しいチェーン店までさまざまなお店があるので、食事はもちろん買い物にも困らない。周辺には24時間営業のスーパーマーケットもある。
当時このエリアに住んでいる同僚がいたけど、飲食店が多くて24時間行けるスーパーもあり、交通の便もいい関内はとても便利だと言っていた。
表向きは便利で活気のある商店街だが、大通りからそれた脇道では、また違う光景に出合うことができる。
日本なのに、どこか日本じゃないみたいな異国情緒を感じるのだ。情報量の多い雑多でにぎやかな感じはどこか台湾っぽいと思う。このあたりは昼と夜で、がらりと姿を変えるのも特徴だ。
店の裏側の通りで見かけたきったない灰皿と、壊れたまま使われている椅子。それに、飲みかけのペットボトル。
ここにある静物は何も語らないが、それでいてしっかりと、ここで働くさまざまな人の様子を私たちに伝えてくる。みなとみらいが横浜の「ばっちりメイクした姿」だとすると、関内のあたりは「横浜のすっぴん」だと思っている。地元民だけが知る横浜、もう一つの顔的な。
大通りからそれた脇道は、夜になると本当に異世界になる。いろんな人が集まってくるから、初心者はくれぐれも気を付けてほしい……ハマっ子との約束だぞ。
有隣堂という本屋は、神奈川県民にとって「本屋といえば有隣堂」と言えるほどメジャーな本屋。イセザキ・モールにはその本店がある。
全国的にメジャーなお店だと思い込んでいた私。実は有隣堂が神奈川県を中心に展開している本屋であることを知ったのは、割と最近になってからである。仕事帰りに本や文房具が見たいとき、ホストの客引きをかわしつつ有隣堂まで駆けたものだ。
※イセザキ・モールでは客引きを禁止しています。
イセザキ・モールから関内駅南口方面にあるエミネパール。とにかくここには通った思い出がある。15時でいったん店を閉めてしまうので、私が通った際はちょうど閉店していた。
ネパール人店主が経営するカレー屋で、その美味しさはもちろんのこと、お昼時のテイクアウトは本格ネパールカレーが550円で買えちゃうのがすばらしい。
ナンかごはんか選べるのだけれど、ごはんは大盛りだしめちゃくちゃ大きくて甘みがあって美味しいナンを、その場で焼いてくれる。豆カレーが好きで、よくそれを頼んでいた。
エミネパールの裏側あたりに位置する厳島神社。
ここは創建年代が治承年間(1177年~1181年の期間)という、歴史のある由緒正しい神社。私はこの背後にそびえる近代的で武骨なコンクリートの建物と、昔ながらの神社という“日常のバグ”のような光景が気に入っていた。
関内に勤めていたときは、朝礼の3分スピーチで御朱印集めをはじめたことについて話した。スピーチに対して、当時の次長に「三日坊主にならないといいけどね」と言われたのがなんか悔しくて、昼休みにこちらに参拝に来た思い出がある。
あれから時は経ち、8冊の御朱印帳が埋まり、現在9冊目の御朱印帳と一緒に神社を参拝している。厳島神社の御朱印にはそんな思い出があるのだが、残念ながら現在は御朱印はやられていないようだった。
数珠つなぎ的に駆け足で紹介するけど、厳島神社のすぐ近くにある大通り公園。帯状の長い公園で、坂東橋のあたりまで伸びている。
公園の果てを見たのは「この公園ってどこまで続いているんだろう?」と探検した一回のみだ。世界の果てを見に行くのは大変だから、まずは大通り公園の果てを見に行ってみてはいかがだろうか。
ここではよくイベントを行っている。それと昼間からお酒を持ったおじさんと鳩が仲良くしている姿も、よく見かける。
JR関内駅には北口と南口、二つの出口がある。
北口は先ほどのイセザキ・モールがあるほうで、馬車道方面にも抜けられる。南口は日本大通りや区役所、横浜スタジアムが近いちょっと小綺麗なほう……と、私は呼んでいた。関内は横浜駅まで電車で5分、鎌倉へは30分ぐらいで東京までも40分程度と交通アクセスも良い。
この街で働きはじめて気づいたけど、関内はオフィスワーカーが多い。朝は通勤する人の流れができるし、そのうち15人に一人くらいがパチンコ屋に吸い込まれていく。
横浜公園の中にある横浜スタジアム。ゲームのある日は横浜DeNAベイスターズのチームカラー(横浜ブルー)一色になる。
私は熱心なファンではないので、駅や電車の様子を見て「今日はゲームか~」なんてぼんやり考えたりする。大人になって友人たちが次々とベイスターズファンになった。ある友人は、お酒を飲んで大声で応援するのがストレス発散にもなるし、たまらなく楽しいと言っていた。
ちなみに横浜公園の奥にはこんな日本庭園的なエリアがあり、周辺のサラリーマンの癒やしスポットとなっている。ポケモンGOがリリースされた時は、よく仕事帰りにここに来て、蚊に刺されながらゲームをしていた。
それにしても、ここで見つけた金閣寺垣というのは自己評価が高いなと思うし、我々もこういう姿勢を見習っていきたいと思った。
ここまで思い出に浸りながら、4年ほど通った関内を見て回っていたんだけど、まさかのタイミングで、当時の同僚(Aさん)にばったり会ってしまった。
「あれ? 井口さん!?」
「うわーAさん久しぶり! えっ、この時間上がりなの??」
「そう、いま時短勤務で。これから保育園のお迎えなの」
「びっくりした〜。まさか関内で元同僚に会うとは……」
「井口さんみたいな人いるなーと思ったんだけど、本当に井口さんとは。変わってない」
「もう2年になるもんねー……。Aさんも変わってない」
「わ、もう行かなくちゃ。今度飲みましょう」
それは意外にも、すぐに実現した。
大人の言う「今度飲みましょう」は、社交辞令の場合もある。この言葉を間に受けて寂しい思いをすることは、過去に何度もあった。だけどAさんとの飲みは、ちゃんと実現した。これは私にとってすごくうれしいことだった。
話は盛り上がり、「もっと早く飲みに行きたかったなあ」とも思ったが、物事にはタイミングというものがある。もしかしたら今回も、このタイミングがベストだったのかもしれない。
「久しぶりに会えて楽しかった。また飲もう!」
元同僚の言葉を真に受けた私は、次の機会を今から楽しみにしている。
以前は仕事を辞めたらそこで人間関係も途絶えてしまうと思っていたけど、実際はそうでもなかったみたい。仕事を辞めても繋がり続ける関係もあるんだね。
関内は、そんな縁も紡いでくれたのだ。
人間的魅力のある街・関内が好き
関内は東京から約40分、「横浜のもう一つの顔」が見たければぜひ訪れてみてほしい。
「きれいだけじゃない面」も知ったうえで、横浜という街をもっと好きになってほしくて筆を取った。
記事内に使っている写真は、すべて関内駅から徒歩圏の場所で撮ってきたもの。
この写真を見るだけでも、関内にはいくつのもの顔があるということを、わかってもらえたんじゃないだろうか。どんな完璧に見える人でも人知れず悩んでいたり、なにかしらの闇を抱えていたりする。私はそんな人間くささを関内という街に感じている。
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著者:井口エリ
オタク気味のサブカルフリーライター。街歩きと神社とフィギュアが好きで宝石鑑定士の資格を持っている。「ねとらぼ」や「デイリーポータルZ」などさまざまなWEB媒体で記事執筆中。たまに「ちぷたそ」という名前でも書いている。
Twitter:@chip_potekko
編集:Huuuu inc.