坂と酒の街、神楽坂で過ごしたうたかたの日々

著: きくち

遡ること約10年、ある年の春、浪人という名の無味乾燥とした懲役労働のような日々を終えて、都内某大学に入学した。現役入学という主要な潮流に乗り遅れ19歳になっていた僕は、浪人生活の合間、大学生活漫画の金字塔『げんしけん』を読むことにより、猛々しく妄想を膨らませていた。

キャンパス内でめくるめく繰り広げられるサークル活動によって、自らの大学生活が、晩春の新緑も恥じらうような爽やかな青春群像劇になるのではないか。そう思っていたのである。

桜の花

4月中旬、僕はそんな浅薄な期待を胸にたずさえ、適当に勧誘を受けた適当なスポーツ系のサークルに入ることを決めた。

全国から集まった友との交歓、目標を共有し高め合う日々、同級生との一夏の恋……そんな学生生活の漫画的理解は、秋を待たずして、全てが誤解を切り貼りしただけのハリボテであることが判明した。

学生生活の現実は総括だった

数回の練習への参加を経て、夏、サークルのメーリスにとある告知が投げられた。メーリス、そう、2010年代前半の世界は、まだメーリス的現実が主流だったのである。なんだなんだとメールを開くと、年一回の総会が開かれるので謹んで集まるようにという旨のことが書きつづられていた。

ノコノコと言われるがまま、夏の色濃い西日が差し込む大教室に入ると、4年生のサークル幹部が教壇の上にぞろりと立ち並んでいた。夏の陽気な雰囲気はなく、空気はぎこちなく張り詰めていた。

「それでは」

誰かが口火を切った。

「反省会を始めます」

サークルの会計担当が、おずおずと自らの一年間の行動の不備について語り始めた。そう、反省会という名の謎の総会は、4年生幹部が一人ずつ名指しされ、反省の弁が述べられた後、皆が気に入らないところを指摘、非難し、反省しろ!と迫る、げに恐ろしい会だったのである。

教壇に立たされた4年生は糾弾が進むとはらはらと涙を流した。僕は、これは知っているやつだぞと思った。これはまさに連合赤軍の総括ではないかと……

昭和も遠くなりにけり……だと思っていた。大学生の自己批判文化が、まさかこの平成の世に残っているなどと夢々思いもしなかった。サークルのほかの一年生は「こういうことも社会に出ていく上では大事なのかもしれないな」などと分別のついた風のことを呟いていた。

大学生活に用意されていたのは一夏の淡き恋などというものではなく、一夏の懲罰的反省会事件だったのである。衝撃を受けた僕は、すぐにサークルから遠ざかるようになった。

華やかなりし大学生活を夢見ていた僕は、ひとつの喪失の中にいた。いったい、これから先の大学生活をいかにして過ごせばよいのだろうか……と。教室に入れば、周りには楽しそうに昨日の飲み会でやらかした話、惚れた腫れたの話をする大学生であふれていた。大学生活をしょっぱなで大きく間違えてしまったのかもしれないぞと思った。夏は粛々と終わりへと向かっていた。

そんな時、大学の掲示板に画鋲一本でぞんざいに止められたビラが目に入った。読書サークルの勧誘のビラだった。

反省会事件の強烈なイメージからスポーツそのものに対する警戒心でいっぱいになっていた僕は、これはもしかすると非常によいのではないかと思った。そもそも『げんしけん』だって文化系サークルの漫画なのである。大学生であるにもかかわらず、スポーツをしようとしていたのが間違いだったのではないか。そうだ、大学生なのだし本を読めばいいではないか。そう思い直し、僕はその読書サークルに入ることを決めた。

神楽坂の話はどうなったのだ、という声が聞こえてきそうだ。僕と神楽坂の関係はそんな経緯で始まったのである。

神楽坂のソヴィエトで

読書サークルは十人ほどの非常に小さなサークルだった。一年生は自分以外には二人しかおらず、そのうちの一人が中西という男だった。

彼のアパートがまさに神楽坂にあったのだ。駅を出てすぐの赤城坂の途中に位置し、大学からも比較的近かったため、彼の部屋は、よくサークルのメンバーの溜まり場になっていた。神楽坂のちょっとハイカラな雰囲気とは遠く離れた、淀みのような空間だった。

赤城坂

メトロに乗り、神楽坂駅で降りて、赤城坂を降っていく。神楽坂というのはとにかく坂だらけの地域なのだけれど、赤城坂はとりわけ急勾配で、以下のような説明書きが立っているほどである。

「…峻悪にして車通ずべからず…」

かつては車でさえ通るのが難しかったというこの坂を、まさか10年に渡って歩くことになるとは、そのころは思ってもみなかった。

赤城坂

ロシアを偏愛している中西の部屋の壁には、金の鎌と槌の輝く真紅のソヴィエトの国旗が掲げられていた。総括から逃げてきたと思いきや待っていたのはソヴィエトだったのである。初めて彼の部屋に入った時は一体これはなんなのだと絶句したのだが、いつしかその異様な光景にも慣れてしまった。

本棚にはロシア文学が目一杯詰め込まれていて、僕が本棚を眺めていると、その作品は日本語に訳されているものは全て読んだけど、初めて読むのなら新潮の訳が一番だよ、原文のイメージに一番近いと思うなどと言って本を貸してくれた。中西はとにかくロシアを愛して止まない男だった。

中西の部屋

サークルは、自分の話したいことを話し、他人の話は大して聞いていないという人たちばかりであった。

「南北朝正閠論争(なんぼくちょうせいじゅんろんそう)というのがあってだね、南北朝の評価というのは時代時代によって切り替わるもので、明治時代の初期には……」

サークル幹事長の大森さんは歴史の話ばかりをした。

「はあ、つまり、南北朝の評価というのはその時代の統治者の国家観が出るとかそういうことですか」

僕は、日本史の知識が中学校で止まっていたので、大森さんの話に曖昧な理解のままぼんやりと相槌を打つ役だった。

「そういうことだよ。当時は、日本の99%は北朝が抑えていたんだよ、実際には。でね……」

大森さんが自分の話したいことを満面の笑みで語り終えると、今度は中西が、その時々に読んだ本の話をした。

「昨日読んだ本に書いてあったのだけど、キリスト教における悪の理解のひとつのパターンに、神の収縮と言うものがあってね……」

中西はロシアのみならずいろいろな本を読んでいた。

この二人に限らず、サークルの人たちはおたく的な人たちばかりで、話題は時間と空間を無視してあっちこっちへと飛んでいった。

僕はと言えば、そんな話を耳にしながら、中西の部屋の冷凍庫にある、ウォッカを持ち出して勝手に飲んだりしていた。浪人をしていたのでもちろん20歳を超えてからの話である。

「中西も飲もうよ」と僕が言うと、だいたいいつも「いや、いらない。君が飲んだらいいよ」と中西は答えた。

「そうか、じゃあもらうよ」

僕はウォッカのキャップをひねった。

「大森さんも飲みます?」

「ありがとう、もらうよ。中西も飲めばいいのに」

「大森さん、僕は酒なんかなくても観念で酔うことが出来るんですよ」

中西は寝転がり、左手で耳掃除をし、右手でドストエフスキーの文庫本を開きながらそう答えた。僕と先輩はその摩訶不思議な光景に思わず二人で吹き出した。神楽坂のアパートはちょっとした学生寮のような雰囲気があった。

チャーハンと和製アンナ・カレーニナ

そんなちょっと不思議なやつ中西に、僕はロシア以外にも、いろいろなことを教わった。

未だに通っている龍朋も、その一つだ。中西の家であることないことを語った帰り、夜も更けた赤城坂を登り、ぞろぞろと向かうことが多かった。

龍朋

昔ながらの中華料理屋といった感じの店の壁には手書きのメニューが貼り付けられ、厨房からはカッカ、チャンチャンチャンと中華鍋の音が響いていた。そんな気の良い音を聞いていると心が厳かになっていくような気がした。僕は、名物の爆弾のようなチャーハンをよく食べた。いつもは学食の230円のカレーと松屋の牛丼ばかり食べていたので、龍朋のチャーハンはちょっとしたごちそうだった。

龍朋

回鍋肉(ホイコーロー)もよく食べた。一つ一つが大切りで、口内が交通事故を起こしたかのような混沌状態になる。肉のインパクト、野菜のゴリゴリ感、尋常ならざる油の量、圧倒的濃度の味噌……二郎的回鍋肉とでも呼ぶべきものである。

神楽坂の最も強烈な食べ物は、この龍朋の回鍋肉なのではないかとすら思う。食べた後はお腹が膨れて間違いなく後悔する。しかし、今でも年に数回は食べたくなり、気がつくとすうっと龍朋へと吸い込まれていることがある。

竹の湯

竹の湯を教えてくれたのも中西だった。初めて訪れたのは、確か大学4年生のころだったと思う。

「よく、この銭湯に来るの?」

「そうだね、サウナは自律神経を整えるのにいいんだよ。ここは湿式サウナで、本当は乾式サウナの方がいいんだけど、あいにくそっちは別料金なんだ」

そのころ、中西は就活に失敗し、精神状態が悪化していた。

「サウナって、本当に自律神経にいいの」

「これはテキメンに効くんだよ。むしろこれだけが効くと言ってもいいね」

二人で蒸気で満ちたサウナでじっと座っていた。

「まあ、就活も大変だけど、しつこくやっていくしかないよ」

「そりゃそうなんだけど、そもそも就職できないというのは、僕の問題もあるけれど、どちらかといえば構造的な問題なんだよ」

湿式のサウナというのは、乾式よりも、ドアの開け閉めによる温度の変化が大きいような気がする。閉め切られたサウナの温度がどんどんと高まっていく。

「社会適合者は一様に似通っているが、社会不適合者はそれぞれに社会不適合である」

就職が決まっていた僕に、中西はアンナ・カレーニナのようなこと言って、目を閉じた。

食の沼、神楽坂

時は流れ、大学を卒業した僕は、実家を出て神楽坂で一人暮らしを始めた。会社の都合などから、中西のアパートからさらに赤城坂を降っていったところが僕の住居となった。入れ違いで中西は東京を離れていった。

そのころ、中西はよく、君はおかしい人間だと言って僕を叱責した。僕は僕で、中西が精神的に少し変になってしまったと感じていた。距離ができ始めていた、そんな折の出来事だった。

神楽坂

自分が住むようになって、改めて、街をゆっくり歩くようになった。飯田橋ー神楽坂ー江戸川橋の一円が生活圏になった。

定期的に給料が入ってくるようになり、多少ふところに余裕ができた僕は、今まで入ったことのないような店にも入れるようになった。学生時代は知らなかった神楽坂の飲食事情を知るようになった。

おけ以

仕事帰りに、「おけ以」でご飯を食べる。ここで一人夕飯を食べるのは、かけがえもなく幸せなことだ。

おけ以

餃子の皮がもちもちで、口の中で少し厚めの皮がほぐれていく感覚がなんともたまらないのである。一人客も多く、カウンターに座っていると、目配せをする訳でもなく、そうかお前もこの餃子を食すことを知ってしまった人間なのだな的連帯感を得ることができる。

おけ以

ただ、おけ以は常に混んでいるので、会社を定時に上がれた日に、ダッシュで電車に乗り込むことによってのみ、待ち時間ゼロ餃子にありつくことができるのである。

ステーキ・ケンタス

残業が続いたら、ちょっと奮発して、「ステーキ・ケンタス」でダチョウの肉のステーキを食べる。ダチョウ肉なんてうまいのか……と最初は半信半疑だったものの、食べてみるとこれがなんとも味わい深くうまいのだ。とても鶏肉だとは思えない味がする。

ステーキ屋ケンタス

ダチョウ肉には、とりあえずガーリックライスである。人間の活力はつまり、肉、油、ニンニクなのである。

ステーキ屋ケンタス

カチコチのグラスにアサヒビールを注ぐのもまたよい…… 典型的な労働者の喜びなのである。

ステーキ屋ケンタス

宮した

昼にはたまに宮したのランチを食べに行く(現在はやっていない)。初めて、魚の煮付けを食べた時の衝撃は今でも忘れられない。なんともふかふかで、たまらなくジューシーなのである。

宮した

なんで魚を煮ただけでこんなにおいしくなるのだと、思わず箸が止まってしまった。あまりにもうまいものを前にすると、箸が止まらなくなるのではなく、ぴたっと止まってしまうものなのだ。

コパン

コパンが行きつけの喫茶店になった。本をゆっくり読みながら、シュークリームのあふれんばかりのクリームを少しずつすくって食べる。この世の喜びがつまったような味がする。シュークリームのドリンクセットがわずか500円ほどである。

コパン

……と、神楽坂のよく行く店を挙げてみたのだけれど、学生時代は食に強い興味がある方というわけではなかった。

人の嗜好というのは住む場所から影響をうけるものなのだなと思う。膨大な数の飲食店がある、神楽坂一円を生活圏にしていると、あれも食べたい、これも食べたいと体が貪欲になっていくのである。

神楽坂の十年間

気がつけば、働き出して、6年ほどが経っていた。サークルの幹事長を務めていた大森さんは、大学を卒業してから神楽坂の近くで働いていた。

夕刻になると「これは……」とよく大森さんからLINEが来た。

「これは……」と返信すると、その日の夜は飲みに行くのが決まりだった。僕は、大江戸線方面の飯田橋駅の改札を出てすぐのところにある、三州屋が安くて美味しいので気に入っていた。

三州屋

店内は、いつもサラリーマンでいっぱいだった。満席のことも多く、入れたときはたらふく魚を食べた。陽気なおばあちゃんが活気あふれるホールを小気味よく飛び回り、オーダーを聞いてくれる。時々、「これ食べな」と言って、そのとき美味しそうなものを持ってきてくれたりもする。

三州屋

「この間ね、後輩の中元がエントリーシートを見てくれって来たんだよ」

「ああ、そういえば就活中ですもんね。わざわざ添削したんですか」

「そうなんだよ、赤入れして、結果、無事に書類は通ったんだけどさ、あいつその後なんて言ったと思う」

「さあ……」

「大森さんは書類書きだけはうまいんですねとか言うんだよ……」

「恩という観念が存在しないんですかね」

僕はブリの刺身を口に放り込んでゆっくりと味わった。

「そうなんだと思うよ。奴はちょっと変なんだよ」

三州屋

薬味がごりごりに効いたアジのたたきを食べる。隣には肘が当たるような距離におっちゃんがいる。

「何はともあれ、酒というのはすばらしいものですね」

酔っているときの人間の会話の展開というのはやや意味不明である。

「そうなんだよ、酒というのは素晴らしいものなのだよ」

二人はコップに入ったビールをゴクリと飲んだ。僕たちの気の合うところは、どちらも酒が好きだということであった。

三州屋

三州屋

「じゃあ、スカラ行こうか」

大森さんはよくバーに行く人だった。僕はあまりバーに行くタイプの人間ではなかったのだけど、大森さんのバー開拓に付き合っているうちにバーが好きになっていった。BAR SCALAは二人の気に入っているバーで、神楽坂で飲むことになると、大体最後はSCALAに行くことになった。

石畳をかつかつかつと音をたてて歩いて行く。静かな細い道の曲がり角から何が出てくるかわからない、そんな雰囲気が好きだった。

神楽坂

「また、紋別に行きたいですね」

「いやあ本当だねえ」

「帆立がうまかったですね。ぷりぷりでしたね」

3年ほど前、紋別に行って以来、僕たちは紋別の魅力に取り憑かれていて、酒を飲んで酔いが回ってくると大体いつも紋別に行きたいという話をした。歳をとった人たちが何度も楽しそうに同じ話をする気持ちが分かる年齢になってきたなと頭の片隅で思いながら、毎回こりもせずに紋別の話をするのだ。

神楽坂

雑居ビルの薄暗い階段を上がって行く。小さな戸を開けると、若いのに老成した雰囲気のマスターがカウンターに立っており「どうも」と迎えてくれる。

スカラ

マスターは髭を蓄え、髪を後ろでまとめあげており、どことなく超然としている。棚には色とりどりのボトルが並んでいて、あのラムは、あのジンは一体どんな味がするのだろうかと想像を掻き立ててくるのである。席に着くとマスターは「今日は何にしましょう」といつも一定の調子でお伺いをたててくれる。

バーに行くといってもカクテルに詳しい訳ではないので、いつも「いい香りがするものを何かください」とかそんな感じのぼんやりとしたオーダーをする。マスターは、初心者極まりない、ほとんど何もわかっていないと言っていいお願いでも、鮮やかな手つきで趣向の効いたお酒をつくってくれる。そして毎回、抜群に美味しいのである。

スカラ

「大森さんは何を飲んでるんですか」

「ウイスキーベースのホットカクテルだな」

「最近、ホットカクテルばかり飲んでますね」

「まあ、冬だからな」と言って大森さんはカクテルを飲み干した。

「もう一杯くらい飲まないんですか」

「今日は一杯で帰ろうって話だったじゃない、終電も近いしね」

大森さんは、自称、自分の家の自分の枕でしか眠ることができないという、自宅枕中心主義者だったので、終電で帰宅することを絶対の信条としていた。

「神楽坂も長いこといたなあ」

「本当ですね。まさかこんなにバーに来るようになるとは思いませんでした」

「いい? バーの素晴らしさを教えたというおれの偉大な功績をちゃんと覚えておいてよ」

「そうですね」と笑って言って、オレンジ皮が沈むカクテルを飲んだ。華やかな香りがした。いつもどおりSCALAは夜が更けても変わらずにぎわっていた。

「そういえば、春から仕事で四国に行くことになったんだ」

大森さんのかねてからの希望先に転職が決まったとのことだった。

「めでたいことですね、おめでとうございます。本当に」

スカラ

§

雑居ビルの階段を降り、いつも通り坂の多い道を歩いて帰る。家路にあったちょっとしたビルが解体され、街に穴が開いたような景色になっていた。

夜はまだまだ寒いようである。歩くと少し爪先がじんとした。かつて中西が住んでいたアパートの前を通りすぎた。観念で酔うことができる発言に吹き出したのも、もう十年近く前であることに気がついて、少し笑ってしまった。そうか、二十代が終わるのだなと思った。十年のうちに変わっていったことを考えながら、代わり映えのしないアパートの小さな部屋に帰った。

神楽坂


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著者:きくち (id:kikuchidesu)

きくち

東京に住んでいます。20代後半。旅行が好きです。ブログに日記のようなものを書いています。よかったら読んでみてね。

ブログ:今夜はいやほい Twitter:@zebra_stripe_

※編集部注:登場人物の名前は仮名です

編集:はてな編集部