桜島が見える街から東京へ。旅する暮らしで気づいた「街を面白がる方法」

著者: 原田康平

 

6年前の夏、車で日本各地を巡る「オギーソニック」というキャラバンを敢行した。目的地は鹿児島。

 

東京を皮切りに、長野、名古屋、神戸、岡山、尾道、広島、萩、北九州、大分、別府と、さまざまな土地を巡り、それまでお世話になった人や仲が良かった人たちに挨拶する意味を込めてのキャラバンだった。「旅するデザイナー」と名乗るようになったのも、このころからだったように思う。

 

インハウスのグラフィックデザイナーとして3年と4カ月勤めた地元・名古屋の食器メーカーを退職し、友人からの依頼を少しずつ受けていくうちに、いつの間にか僕はフリーランスになっていた。退職後1年くらいは長野や東京のゲストハウスやシェアハウスを渡り歩きながら仕事をしていたのだが、2014年の春ごろ、鹿児島の友人から一緒に働かないかと連絡をもらった。

 

元々、鹿児島は3カ月に一度のペースで遊びに行くほど大好きな街で、ラップトップとネット環境さえあれば仕事ができることもあり、軽い気持ちで鹿児島に引越すことを決めた。

 

とはいえ常に住んでいた訳でもなく、地元の名古屋や東京で仕事をしたり、車移動の途中で他の土地に滞在したりと、多拠点生活をしていた。一年の間に鹿児島にいたのは、合計しても正味3カ月から4カ月程度といったところだろう。

 

よく「移住」と言われるが、僕個人としてはそう思っていなくて、本当に隣町に引越すくらいの気持ちだったので、あえて「引越し」という言葉を使いたい。

 

生活に根付く桜島と噴火

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鹿児島に引越してまず初めに驚いたのは、桜島の存在だった。街の至るところから見え、そこから噴煙が立ち上る様はとても格好が良かった。

 

春夏と秋冬で大きく風向きが違うらしく、春夏は薩摩半島に向けて、秋冬は大隅半島に向けて風が吹く。夕方の天気予報では、風向きや風速も伝えられ、翌日の洗濯の目安となっているらしい。

 

灰が降った日になんの気なしにメガネを拭くと、細かなキズが入っているのを見つけ、「わ、買ったばかりなのに」と落胆したことがある。それを鹿児島の友人に話すと、メガネに灰がついたまま拭くと細かな傷がつくため、必ず水で流してから拭くのが鉄則らしい。同じ日本なのに、こんなにも文化が違うのかと少々驚いた。

 

灰が降った翌日は、克灰袋(※元々は降灰袋だったが、灰を克服する意味を込めて名称が変わったらしい)と書かれた黄色いビニール袋に目一杯入れられた灰が、回収場所に積まれていた。この灰はどこに持っていかれるのだろうと友人に聞くと、冗談なのか「桜島に戻すんだよ」と教えてくれ、「なるほど」と妙に納得してしまった。

 

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一度、桜島の噴火レベルが2から3に引き上げられたことがあった。夕方18時ごろだったか、日本各地の友達から一斉にメールや連絡が来たのを覚えている。実際そのとき、大きな噴火があった。

 

友人のお店で食事をしていると、音とともに窓に衝撃が走り、思わず外に出た。もくもくと噴煙がのぼっていくのを見て「桜島元気だねー、最近噴火が少ないから心配してたんだよね」なんて話していると、灰がさーっと降り始め「おっと、おっと」とお店の中に戻った。この噴火が、夕方のテレビのニュースなどで、速報として流れたらしい。

 

ただ前出の会話からも分かるように、桜島が噴火することは鹿児島の人にとっては日常的なことで、生活に根付いている。

 

その日は傘を持っていなかったため、そのまま自転車で家に帰ったのだけれど、家に着くと案の定、髪の毛はバサバサだった。多孔質で微細な灰が、髪の毛の水分や油分を奪ってしまうのだ。鹿児島人の髪がみんな黒黒としているのは、そういった状況で進化を遂げてきたからだろうか。

 

初めて「行きつけの店」ができた街

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鹿児島に住んで半年後、それまで居候していた友人宅から引越したのが、鹿児島大学が近く学生も多い「騎射場」という地区だ。

 

近くの「タイヨー」というスーパーでは、パックの鳥刺しやカツオの腹皮、豚軟骨が日常的に売っており、当時は豚軟骨を「丁子屋」の白だしで大根と一緒に煮るのにハマっていた。

 

家から歩いてすぐのところには、小さな銭湯がいくつかあった。銭湯といっても、鹿児島のそれは全て温泉。鹿児島に地下鉄が無いのは、誰が言ったか、地面のどこを掘っても温泉が湧き出るからなんだとか。早朝から営業しているところも多かったので、徹夜明けの朝や、仕事で疲れたときなど、時間に関係なくよく行っていた。

 

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鹿児島とはいえ冬場は冷えるし、断熱が一切ないアパートだったため、銭湯にはよくお世話になった。家の中よりも外のほうが暖かく感じることも多く、外で仕事をすることが次第に増え、結果仕事帰りにどこかで夕食を食べて帰るということも増えていった。

 

「行きつけの店」と呼ぶのはおこがましいかもしれないが、そういったお店ができた最初の土地が鹿児島だった。

 

鹿児島の暮らしを彩ってくれたお店たち

コーヒースタンド、カフェ、食堂、オステリア、居酒屋など、飲食店を営む友人も多く、鹿児島に帰るたびに行くお店は、ほぼ決まっていた。なかにはもう閉めてしまったお店もあるが、とんかつならココ、定食ならココ、中華ならココ、という具合に。鹿児島は食のレベルが高く、美味しいお店を見つけるのに困ったことがない。

 

なかでも、よく通ったお店がいくつかある。

 

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一つ目は、「コーヒーイノベート」。鹿児島市役所近くのコーヒースタンドで、朝8時から開いていることもあり、引越す前からよく利用していた。

 

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鹿児島に拠点を移してからの人間関係は、このお店がなければ築けなかったと言っても過言ではない。ここで仕事をしていると、友人と鉢合わせたり、通りに面した大きな窓から僕の姿を見つけて友人がやってきたり。

 

僕の好物である濃いめのラテが飲めること、ハムチーズのシンプルなホットサンドが食べられること、隣に本屋が併設されていること、いつもレコードでいい音楽が流れていることなど、好きになる要素はいくらでもあった。

 

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二つ目は、「ククルクク」というカフェ。映画『トーク・トゥ・ハー』の劇中に流れる「ククルククパロマ」が店名の由来と聞いている。アップルパイやフルーツタルト、シナモンロールが美味しいカフェだ。

 

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ランチで提供しているハンバーガーやサンドイッチももちろん美味しいのだけど、店主がつくるキッシュやミートパイが僕は好きだったりする。彼は、お店とは別に「blacktape」という3ピースバンドで音楽活動をしている多彩な人で、馬が合うというか感覚が合った。よく、閉店後の片付けが終わるまでカウンターで仕事をしたりして、一緒にお酒を飲みに行ったりもしていた。

 

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三つ目は、もう閉店してしまっているが「旅と食堂kiki」というお店。店主のシホさんとは、「コーヒーイノベート」の金曜市というイベントで出会った。

 

彼女のつくる料理が美味しくて、鹿児島市の名山町に実店舗をオープンしてからもよく通った。上海でお店を営んでいた経験もあって、彼女の料理は少しエスニックでオリエンタルな印象だった。毎晩たくさんのお客さんで溢れていて、みんな楽しそうに美味しい料理とお酒に舌鼓を打っていた。

 

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ここで出会った友人も多い。最初はたまに会うお客同士という関係から、いつの間にか友達になり、お店とは別で飲みに行ったり、店主のシホさんと一緒に深夜の喫茶店に行ったりと、ここでも鹿児島の輪がぐっと広がった。僕の鹿児島時代を振り返る上で、なくてはならないお店だ。

 

他にもたまだたくさんあるが、挙げ出したらキリがない。

マルヤガーデンズの裏にあるチキン南蛮が美味しい定食屋「沢庵」や、鹿児島空港の中に入っている「山形屋(やまかたや)レストラン」のかた焼きそば、「RIRAKU」の全粒粉麺のラーメン、「hay grill & coffee」で最後のシメに食べる、メニューには無いパスタ、「すすむ屋茶店」の夏季限定のほうじ茶かき氷……。

 

「つまらない街」じゃない。魅力を知らないだけだった

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鹿児島の人たちは、なんだかとっても温かく、一緒にいて居心地が良い。移住する前から、訪れる度に「おぎくん、おかえり」「今回はいつまでいるの」と、どこへ行っても声をかけてくれ、気にしてくれる。

 

それは彼らにとっての常套句だったのかもしれないが、僕はそれを聞く度、いい気分になっていた。方言やイントネーションの柔らかさや、暖かい気候のせいなのかのんびりとした気風は、それまで住んでいた名古屋や東京の都市圏の人間関係とは違う良さがあった。

 

なぜ鹿児島には面白い大人が多いのだろう?と考えるうちに、「都市の規模感が理由なのでは?」と思い始めた。

 

どんな街にも一定数面白い大人はいるはずだが、大都市圏だとそもそも分母が多いため、出会う確率は少ない。しかし鹿児島は分母が少なく、面白い大人に出会いやすい。自分が気に入った、面白いと感じるお店を一つ見つければ、そこの店主とはまず気が合うし、集う人も面白い人である可能性が高い。そしてそこから、数珠つなぎのようにどんどんと輪が広がっていく。

 

さらに地方で面白いことをしている人たちは、東京の面白い人たちと繋がっていることも多く、東京の輪が広がることも多い。東京で生活するよりも、鹿児島に住んだことで広がった東京の輪も少なからずある。

 

地元の名古屋に住んでいたとき、面白さを感じられなくて早く東京に出たいと思っていた。でも、それは名古屋の面白さを「知らない」だけだった。

 

車通勤だったため夜に街へ飲みに出かけることもなく、家と職場を行き来し、休みは名古屋以外の場所に遊びに行く。そんなことで名古屋の街の面白さに気づけるはずがなかった。ただ、面白い大人に出会えていなかっただけだった。当時、名古屋の面白い部分に全く触れないまま「つまらない街だ」なんて勝手に思っていたのを、勿体なかったなと今では思う。

鹿児島の友人が増えていくことで、そのことに気が付いた。

 

土地が面白いというのは、そこに面白い人がいるかどうかだと思っている。どんな土地にも少なからず面白い人はいるはずで、その人に出会えるかどうかなのだ。面白い人に出会えば、自分の中でその土地は勝手に面白くなる。

 

自分では確実に選ばなかった街「南青山」へ

鹿児島では、友人のカフェの黒板やイベントのフライヤーをデザインするくらいで、デザイナーとしての仕事はそこまで受けていなかった。地元にはたくさんのいいデザイナーやイラストレーター、写真家がいて、仕事がきちんと成り立っていた。僕が出る幕はほぼなかったし、出る必要も無いかなと感じていた。

東京や名古屋で過ごすときは、SNSなどで必ず投稿していた。すると、そのタイミングで新しい仕事の依頼をもらうことが続き、あることに気がついた。

 

職業柄、どこでも仕事はできるし、遠隔でも打ち合わせはできる。距離は特に関係無いと思っていたが、それはどうやら違ったらしい。「すぐに会える距離にいる」というのは、仕事を依頼する上で重要な要素のようだった。

 

2014年に引越してから、一年のうち半年も鹿児島にいないこと、東京や名古屋での仕事が主なことなどもあり、2018年を過ぎたあたりから、「また東京に住んでみるか」という気持ちがぼんやりと生まれてきた。

 

いい物件があれば引越そう、くらいの気持ちで過ごしていると、東京に住むデザイナーの友達から連絡があった。「今度引越すんですけど、物件探してるって言ってませんでした?」と。僕は、その話にホイホイと飛びつき、あれよあれよという間に東京への引越しが決まった。その2カ月後、2019年の2月には東京生活が始まったのだ。

 

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場所はまさかの「南青山」だった。自分が住むであろう街は、近くに商店街があって、安くてうまい定食屋や居酒屋があって、火曜日は食材が安くなるようなスーパーがあって、夜遅くまで営業している銭湯がある、なんとなくそんな街だろうと思っていた。だから、自分では確実に選ばないような街だ。

 

住み始めてまだ日が浅いからか、まだ正直、南青山を自分の街として飲み込めた感じはしていない。

 

近くのコーヒースタンドや、お昼ご飯によく利用する惣菜屋さんがあったり、散歩がてら少し歩けば友人がやっている飲食店や雑貨屋もある。とはいえ鹿児島のような、「行きつけの店」がある訳でも無い。

ただ、一度外に出れば、そこは大都会・東京で、歩いて行ける距離に有名なコーヒーショップがあり、六本木の美術館や渋谷駅がある。電車の路線も多く、都内のどこで打ち合わせがあっても、基本的に約30分程度で目的地に辿り着けるのはとてもありがたい。

 

あらためて東京に住むことで、僕の中で「住む」という意味合いに変化があるかなとも思っていたが、そこまで大きくは変わらなかった。

 

打ち合わせなどで外に出ない限り基本的に自宅作業なので、結局どこに住んでいても、感覚としてはあまり変わりがない。家の中にいる分には、それが鹿児島だろうが名古屋だろうが、はたまた海外だろうが、どんな場所でも同じ環境を保つことができる。言ってしまえば、玄関の扉を一枚隔てれば、どこの土地でも同じように生活できる。

 

今まで、名古屋、鹿児島、東京と住んだことで、「どこか」に住んでいるという意識が、普通の人よりも薄くなっているのかもしれない。

 

とはいえ、7年近く一つの場所に暮らすことから離れていたこともあり、「自分の家」がこんなにも居心地の良い場所だということもすっかり忘れていた。

 

特段、次に移動する場所のことを考える必要もなく、少しずつ身の回りのものをそろえ、「暮らす」ことに素直に向き合い、暮らしを整えていくことに楽しさも感じている。偶然ではあるけれど、こんなときだからこそ家で過ごす楽しさを見つけられたことは良かったように思う。

 

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東京に住んで1年が経った。

四季の移り変わりもひと通り経験し、生活の基盤はある程度できた。

 

すでに、東京の他の土地も気になり始めている。小さくて大きな東京は、少し移動しただけで、街の印象が大きく変わる。人、文化、年齢層、ファッション、街並み、それぞれの良さや面白さがある。それに、居を構えたことで、東京以外の他の土地の見え方も以前とは変わったように思う。

 

次に引越すのは、今年かもしれないし、10年後かもしれない。場所だって、東京の別の街かもしれないし、別の県かもしれない、はたまた国外かもしれない。

 

6年前、車でさまざまな土地を巡りながら鹿児島へ向かったキャラバン。「住う、暮らす、旅する」という感覚が、年月を経て更新されてきた今、あらためて同じような旅をしてみたいなと密かに思っている。

 

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著者:原田康平

原田康平

愛知県生まれ。グラフィックデザイナー。2014年から2018年まで鹿児島を主な拠点とし、2019年に東京に拠点を移す。ロゴマークやパッケージデザイン、イラストなどを中心に活動。またの名をオギーソニック。

Instagram:@oggysonic

編集:Huuuu inc.