著者: 山中康司
「次の休み時間、廊下にきて。話があるから」
高校生だったある日、隣のクラスのA子からメールで呼び出された。
ピュアな男子高校生だった僕は、「告白」の二文字が頭に浮かんでソワソワした。だけどいかんせん、僕が好きなのはA子の親友なのだ。
どう断ろうか。親友の子に変な噂が伝わるのも微妙だし。ここはストレートに、「ごめん。俺、好きな子がいるから」が妥当か。うん、そうしよう。
とかなんとか考えながら、その子が待つ廊下にきた。A子が伏し目がちに立っていた。
「ねぇ、山中くん……」
「お、おう。どうしたの?」
平静を装って返事した僕の目をキッと見据えて、A子はこう言った。
「最近かっこつけてるの、イタいよ!」
吐き捨てるようにそう言うと、彼女は小走りで教室に戻っていった。僕はいきなり頭に水をぶっかけられたような気持ちでぽかんとしたまま、ひとり廊下に取り残された。間延びしたチャイムが休み時間の終わりを告げる。
たしかに当時の僕は、かっこつけていたのだと思う。
学年で2番目くらいにはやく髪を染め、3番目くらいにピアスを開けた。口数は少なく、休み時間になると、教室で騒ぐ仲間たちを尻目に、ひとり小説を読んでいた。そのほうがクールだと思っていたからだ。
が、もともと抜けてる性格なのでボロが出る。ばっちりセットしたと思ったツンツンの髪の毛に白いワックスがのこってたり、体育着のズボンのゴムがゆるんでいて、ジャンプした瞬間ずり落ちてパンツ丸出しになったり。そりゃいくらかっこつけたところで、イタさが増すだけである。
僕と仲の良かったA子は、彼女なりの優しさで、その「イタさ」を教えてくれたのだろう。いや、マジでむかついていただけかもしれないけど。
あの夏の日の「A子告白勘違い事件」以来、「かっこつけると、イタくなる」という不安は、僕のなかに居座り続けている。
……というのは前置きで。今日したいのは、「イタさ」じゃなくて、「いなたさ」の話なのだ。
東京都大田区の池上(いけがみ)というまちに通いはじめたのは、今から3年くらい前のこと。我が家の最寄駅から二駅となりにあるそのまちは、日蓮宗の大本山「池上本門寺」があることで知られる。
池上本門寺の大堂。ちなみに裏手にある奥庭「松涛園」では、西郷隆盛と勝海舟の江戸城無血開城の会見が行われた
弘安5年(1282年)に日蓮聖人がこの地で入滅(臨終)したことをきっかけに、寺院の基礎が築かれ、以来700年以上かけて、寺を中心にした文化が育まれてきた。毎年10月11日から13日にかけての3日間は「御会式」が開かれ、1日30万人にも及ぶ参詣者でにぎわう。
それまではたまに池上本門寺へ散歩に行くくらいだったのが、駅から徒歩3分の場所に「SANDO BY WEMON PROJECTS(サンド バイ ウェモンプロジェクツ)」というカフェができたので、通うようになった。この辺りにはPCで作業できる場所があまりなかったから、作業スペースとして使うようになったのだ。
池上駅前にあるカフェ「SANDO BY WEMON PROJECTS」。大田区と東急株式会社が取り組んだ「池上エリアリノベーションプロジェクト」の拠点としての顔も持っており、カフェだけでなくイベントスペースや雑貨の販売など、さまざまな機能をもったマルチユースインフォメーションセンターとして運営されている
息抜きで池上を散歩するようになって、このまちが独特の色気を持っていることに気づいた。
その漂う色気をたどって、駅からちょっと歩いてみよう。
東急池上線を池上駅で降りると、木を基調としたぬくもりのある駅舎が迎えてくれる。
実はこの駅舎、2020年7月19日に生まれ変わったばかり。池上本門寺で毎年10月に行われる祭り「お会式(おえしき)」で使われる灯明「万燈(まんどう)」と桜をモチーフとした柱を横目に見ながらエスカレーターを下ると、「おや、このまちは他のまちとちょっと違うぞ」という気持ちになってくる。
駅から池上本門寺へ伸びる本門寺通りは、参拝客の輸送を目的として大正11年(1922年)に東急池上線が開業して以来、駅からの参道として栄えてきたらしい。
池上駅から池上本門寺へ通じる本門寺通り
本門寺通りには大衆居酒屋や煎餅屋、呉服店などが並んでいて、息を吸い込めばなつかしい昭和の香り。ちなみに僕は昭和63年生まれなので、昭和の香りもちょっとだけ身体が記憶している、と信じている。
地元のおっちゃんおばちゃんが集まる「もつ炭焼き ちゃこーる」。最近では「SANDO」に来た若者がその足でちゃこーるに行く、ということも増えてきたみたいで、陽気なマスターのおっちゃんのもと多世代交流の拠点にもなっている。ここでプロ野球中継を観ながらビールを飲むのが、僕のささやかな楽しみ。
茶目っ気のあるイラストが目印のバー「自由雲(ジュン)」。2010年にはテレビ番組の「きたなシュラン」で2つ星に認定された。1956年に創業して以来、63年間営業していた名物マスターが、昨年96歳でこの世を去り、その後を常連さんが継いだらしい。
釜飯なんて普段なかなか食べないわ、という方も池上に来たらぜひ食べてほしい。ここ釜飯屋「にれの木」の釜飯は、竹の子や海老、椎茸、鶏肉などたっぷりの具とご飯に出汁が染み込んで絶品。僕はここで十年以上ぶりに釜飯を食べて、「こんなうまいものだったのか……」と。
本門寺通り通りの突き当たりにある「喫茶室 コボちゃん」はさながら小さな美術館。
地元の方がつくった雑貨や猫の写真、印象派っぽい絵や手書きのメニューが壁一面に貼られ、目を楽しませてくれる。
「コボちゃん」が美術館ならこちらは小さな植物園。本門寺通りからは一本道を外れるけれど、「フラワーショップ ニコ」を訪れれば、他ではなかなかお目にかかれないような生命力溢れる植物と出合える。「この植物、なんですか?」「これはね…」なんて会話をご主人として、ついつい長居してしまう。
さて、本門寺通りから足を進め、霊山橋を渡って呑川(のみがわ)を越えると、大小さまざまな寺が散在するエリアだ。
以前、池上を案内してくれた方が「霊山橋を挟んで駅側が俗世だとしたら、向こう側はあっちの世界みたいなんですよ」といっていた。納得である。霊山橋のたもとに屹立してる「南無妙法蓮華経」と刻まれた石碑なんて、いかにも「ここからはあっちの世界ですよ!」と主張しているじゃないの。
「あっちの世界」側の文化はとても洗練されている。あちこちに点在している寺の門をくぐると、どの庭もいつも綺麗に整えられていて、時間が止まったような錯覚を覚える。
そういえばこのまちでは、少なくない人が寺の門をくぐるとき、ぺこりとお辞儀をする。その所作がなんとも自然な感じでいいのだ。ためしに僕もぺこりとやってみる。が、恥じらいが出ちゃって自然な感じにならないのでくやしい。
呑川沿いには、ギャラリー兼イベントスペース「ノミガワスタジオ」が。ここでは、書店主が棚一つ分の小さな書店を持ち、来店者や書店主同士などが本を媒体にした交流をする「ブックスタジオ」もスタートした。
池上本門寺のすぐそばには、古民家カフェ「蓮月」が。昭和初期に建てられ、ながく蕎麦屋として使われていた建物をリノベーションし、2015年秋にオープンした。一歩足を踏み入れればどこかモダンな雰囲気のあるしつらえに目を奪われる。映画やドラマの撮影で頻繁に使われているので、もしかしたら目にしたことがある方もいるかもしれない。
さて、江戸時代に加藤清正が寄進したらしい「此経難持坂(しきょうなんじざか)」といういかめしい名前をつけられた96段の石段を息を切らしながら上がると、そこはまるで天上界だ。
池上本門寺の境内に続く「此経難持坂」。いかめしい名前だけど、よくジョギングコースとして使われるなど、このまちの人々の生活になじんでいる
ひらけた場所に、でーん、と池上本門寺の大堂が鎮座している。右手の墓所の向こうに見えるのは五重塔。ちなみに池上本門寺の墓地には力道山のお墓があるので、池上本門寺はプロレス好きのちょっとした聖地になっているらしい。節分の時期には多くのプロレスラーが豆まきにくる。
徳川二代将軍秀忠の乳母(岡部局)の発願で、1607年(慶長12年)に完成した五重塔。関東では最古の五重塔らしい
13世紀以来、700年以上育まれてきた洗練された寺町の文化と、その参道に花開いた野暮ったさのある文化。
スクラップアンドビルド、開発の論理がつくりだしてきた東京の都市部がおきざりにしがちな、洗練と野暮。そのふたつが、淡水と海水の混ざる汽水域みたいに混ざり合い、独特の色気を醸し出しているのが池上というまちだ。(実際に池上を横断する呑川沿いを歩くと、潮の香りがする。この辺りは東京湾の汽水域なのだ)
ヒップホップをはじめとする音楽界隈では、野暮ったさをはらんだサウンドにクールさを見出し、「いなたい」と呼ぶらしい。その言葉を借りれば、池上は「いなたい」のだ。
僕はちょうど池上を訪れはじめた30歳くらいのころから、「かっこつけると、イタくなる」不安と、とりあえずの折り合いをつけられるようになった。人間くささ、野暮ったさもはらんだかっこよさ、つまり、「いなたさ」を持って生きればいいじゃん、と。
「そんなわけで、いなたく生きることにしたのよ、俺」。なんて卒業以来まったく連絡もとってないA子にいったら、なんて返されるだろうか。
「そういうところが、イタい」とか言われるのかな。まぁ、それでもいい。「わかる人には、わかる」。この開きなおりこそ、「いなたさ」の第一歩だ。
僕はそんなわかる人と、イタかったあのころの話をして、「えー、それはアウトでしょ!」とか言いながら、昼間からだらだらとビールを飲みたいのだ。
人生のなかに、そんな1日があってもいいと思う。その日は、できれば池上ですごしたい。
著者:山中康司
Twitter:@koji_yamanaka
編集:Huuuu inc.