1年のうち3分の1が、雪に覆われる日本有数の豪雪地帯。
特に雪が多い年の積雪量は、市街地で約150cm、山間部で3m近くにもなる。地形が南北に長いこともあり雪の積もり方は地区によって差が出るが、一晩で50〜80cmもの積雪量を記録することも。こうして文字にするとだいぶアッサリしているが、実際にこれを体感すると、天気予報の「大雪警報」という文字を見ただけで「ウワ〜〜〜ッ」とナチュラルに声が出てしまう。
ここは、長野県の最北端に位置する、飯山市(いいやまし)。
唱歌「故郷」や「朧月夜」で歌い継がれてきた、日本のふるさとの原風景が今でも残る自然豊かな場所だ。そんなまちで私は生まれ育ち、「雪、しんどい……」とたまに思いながら、今もここに住んでいる。
本当にどこにでもよくある田舎だが、冬のことを考えると、「なぜこんなところに人々は住み続けているのだろう?」と、20代前半のころはよく思っていた。けれど、思っていた以上に自分が季節に敏感であると気付いたこと、そして、この地でたくましく生きる人たちに出会えたおかげで、「ただの地元」が「誇れる大好きな地元」になった。そんな愛する飯山市についてを、このエッセイで綴りたいと思う。
美しい四季を味わえるのは、厳しい豪雪のおかげ
飯山の一番好きなところは、季節がとってもはっきりしていること。
冬にはたくさん雪が降るのに、夏は盆地ゆえにビックリするぐらい暑いし、あっという間に過ぎていく秋はさまざまな色彩でにぎやか。そして春は、雪解けを祝うように花々が咲き誇り、新緑がキラキラと輝いている。四季全体を10とすると、飯山の場合の割合は、春:夏:秋:冬=2:3:1:4といったところ。その季節によってまちの表情がガラリと変わる面白さがあるし、特に移ろう季節の“狭間”はとっても味わい深いのだ。
ここで例として、雪国にとって特別な「春の訪れ」について紹介したい。
冬といえば、まちの至るところには雪の壁。壁。壁。どこもかしこも雪に覆われ、どんよりとした曇りの日が多い。ちょっと市外へ出掛けた帰り道には、飯山方面がやけに暗くて厚い雲がかかっているのがよくわかるため「さぁ、暗黒の国へ帰ろう……」と自虐的になるほどだ。雪がズンズンと降り積もる日には、まるで窓から水墨画を鑑賞しているかのような気分になるし、「いつまで続くのかね……」と途方もない気持ちにもなる。そして待っているのは、エンドレス雪かき……。
そんなときにいつも思い出すのは、飯山市のなかでも特に雪深い、柄山(からやま)集落のおじいちゃんによる希望に満ちた名言。「俺は、ここに80年住んでるけど、春が来なかった年は一度もなかった」。
そうして冷たいモノクロの冬に耐えると、ポカポカ陽気で色鮮やかな春が、ご褒美かのようにやってくる。雪の壁がどんどん小さくなり、だんだんと体で感じる風が柔らかくなってくると自然と心が踊り、思わずスキップしてしまうくらい、うれしい。
飯山市の春の景色といえば、菜の花畑が有名。菜の花の黄、桜のピンク、新緑の緑、そして残雪の山々による白。そんな自然のカラーパレットは、一面真っ白だった景色が嘘だったかのような美しさだ。ぜひとも春の飯山に来たら「道の駅 花の駅・千曲川」が位置する国道117号沿いをサイクリングしてみてほしい。自転車ならではの速度で感じる、景色の雄大さと、ほのぼのとした空気感に思わず「最高……!」と口にしてしまうだろう。
厳しい冬のおかげで、訪れる春のよろこびに心が満たされる。そんな瞬間を毎年繰り返しながら、じゃあこの先もこの地でどうやって楽しく暮らしていくか。私は、それを今まさに模索しているところだ。
飯山を離れ、初めて気付いた季節の違和感
ひとまず、私が飯山の魅力に気付くまでを振り返ってみたい。
人生29年目になるが、実は長野県外に住んだことが一度もない。唯一、地元以外で住んだことがあるのは、県庁所在地である「長野市」だけ。専門学校卒業後、長野県の情報誌を発行する出版社に勤めるために、生まれて初めて地元を離れた。たった一年半だけの一人暮しだったが、今思えば地元を客観的に見ることができた良いきっかけになっている。
飯山市から長野市まではJR飯山線で約50分、もしくは車で約1時間ほどの距離。長野市は県内で最も人口の多い都市で交通の便も発達しているし、スーパー、飲食店、娯楽施設、デパートなど、あらゆるものが飯山よりもたくさんある。また、冬になるとたまに雪が積もる程度で、飯山で履くような膝下ぐらいの長靴なんて必要ない。1年中大好きなスニーカーが履けて、生活圏内なら自転車でどこまでも行ける、そんなことがうれしくてたまらなかったことを記憶している。
そして、何よりも魅力に感じていたのは、長野市には「気の合う友人たちがいること」。高校生のころから長野駅前へよく遊びに出掛け、大好きなお店、ライブハウス、人が集まるような場所やイベントを通して、長野で楽しく暮らす人々に出会えることがとても多かった。そのおかげで、自然と長野市に愛着をもつようになり、都会には出ず長野県に居続ける選択をした大きな理由ともいえる。
そんな、暮らしていくには不自由がない土地。私にとってベストといえる環境だった。
新卒で入社した当時、ちょうど7年に1度行われる善光寺御開帳の年に大当たり。通常の年よりも発行物が多く、経験値を積んでいない私はとにかく必死に業務をこなしながら、不規則な生活を送る日々だった。
そんなとある日の朝、ふとアパートの前で目に入った「梅の木」。咲きはじめた濃いピンクの花が綺麗だな〜と思い、何気なくiPhoneで写真を撮った後にふと気付く。「あー、そうか。そういえば春か」。そのときに初めて、ぬるっと季節が変わっていく違和感を感じてしまったのだ。あんなに雪がない暮らしを喜んだはずなのに。大好きなスニーカーを履きながら相棒の自転車にまたがる通勤路で、なんだか物足りない気持ちが芽生え、ふと地元に想いを馳せてしまったことは、今でもはっきりと覚えている。
その数カ月後、出版社を辞め、地元へ帰って来ることに。季節のことで感じた違和感はさておき、理由は「仕事がたまたま見つかったから」。
寂れたまちに戻って来るも、相変わらず「まじ飯山なんもない」
地元である飯山は、市なのに人口2万人(※1) を切っている現状。言わずもがな若者が少なく、高齢化率は39.3%(※2) と高い水準だ。中心部に位置する商店街のほとんどはシャッターが閉まり、誰がどう見てもにぎわいのあるまちとはいえない。気がつけば、唯一のファストフードチェーン店「マクドナルド」が数年前に潰れ、スタバもなければ、ケンタもドンキもない。とにかく若者が集えるような遊び場がほぼないため、新型コロナウイルスのワクチン摂取会場で何人もの若者を見かけるたびに「え、普段どこにいるんですか?」と思ってしまう具合だ。
そんな飯山だが、実は新幹線が通っている。2015年3月15日、東京と金沢を結ぶ北陸新幹線の「飯山駅」が開業し、その構内にある観光案内所が、帰郷後の職場となったのだ。運営するのは観光協会。飯山の魅力をPRする業務だったが、寂れたまちに突如できたピカピカの大きな建物で、観光客を迎えるたびに思っていた。「なんもない飯山に、人々は何を求めて訪れるのだ……?」
地元を観光客目線で見れなかった当時の私はだいぶ甘ったれていたのか、入社の第1週目で「観光案内をなめるなよ!」と、上司から怒号を浴びる始末。悔しくて、飯山駅の目の前にある長野のローカルスーパー「TSURUYA」のベンチで一人号泣したことも、今じゃ笑い話だ。
それから自分の足で実際にまちを歩き、飯山の観光知識を積極的に学ぶことで徐々に仕事にやりがいをもてるようになった。しかしながら、プライベートにおける飯山には一向に満足できず。帰ってきた当初も、結局休みのたびに長野市へ出掛けては、「いやー、まじ飯山なんもなくてさ〜」と友人に話していた気がする。
「救世主」に出会えたことが、地元を見つめ直すきっかけに
2013年に突如現れ、全国的に話題となったフリーペーパー「鶴と亀」。田舎で暮らすじいちゃん・ばあちゃんの日常×HIPHOPといった斬新な内容で、店頭に置かれるとすぐになくなってしまうほどの人気を集めた。そんな冊子を手掛けているこの人こそが、私にとっての救世主である小林直博さんだ。この人に出会えていなかったら、きっとこのエッセイも書いていない。
『鶴と亀』は奥信濃のリアルなストリートカルチャー。
じいちゃんばあちゃんの日常ライフスタイル。
ここだから出来ることを、ここでやる。
きっかけはいつだって足元に。発信源は奥信濃。
(引用:鶴と亀 禄 公式HP http://www.fp-tsurutokame.com )
同じ飯山に生まれ育ち、今もなお住み続けている直博さん。これまた市内でも特に雪深い三郷(さんきょう)集落を拠点に、カメラマンとして全国を飛び回りながら、農業・消防団・祭典部といった田舎での役割をこなし「おれは死ぬまでここで暮らす」とかっこいい背中を見せ続けてくれている。
直博さんと知り合うきっかけとなったのは、飯山市若者会議による催し「若ショック」。当時、若者会議メンバーだった直博さんらが企画したトークイベントだ。市内に住む30〜40代の6名が話してみたい20代をそれぞれ指名し、「うちらが住みやすいまち座談」をテーマに交流や討論をするというもの。登壇者には「マイルドヤンキー × インテリ公務員」、「さとり世代 × 強欲世代」というインパクト大の組み合わせがいるなか、なぜか「イケてるもの大好き女子」という不思議な枠で直博さんから直々にお誘いがあったのだ。
タッグを組むことになったのは、飯山で最もイケてるバー「cafe&bar&music ''ambis''」を営む、飯山出身の福沢さん。打ち合わせを重ねるなかで「子どもにも自分と同じ通学路を歩いてほしかったから地元に戻ってきた」という言葉が印象的だった。というのも、田んぼのあぜ道を歩いて近道したり、屋根にできた大きな氷柱をわざわざ取ったり、謎の木の実を食べてみたりと、無意識ながらも五感で季節を感じていた 小学生時代の寄り道の記憶が鮮明に蘇り、さらにそれまで一度も考えたことなかった「飯山の未来」について、強烈に意識してしまったからだ。
福沢さんも飯山に帰ってくるまでは長野市で暮らしていたことのほか、音楽の趣味や考え方も不思議とリンクする部分が多かった。特に「人との繋がりが人生を豊かにする」と思っていることにも共感してもらえて、地元にも同じ想いを抱いている人がいたのかと心の底から感激したのを記憶している。
トークイベント当日。あまりの緊張から食べ物が喉を通らなかったが、トークの際に掲示するキーワードパネルに書いたのは、自信満々といえるサイズと太さで「ひと」の二文字。震える手でマイクを握り締めながら「まちの魅力=人の魅力だと思うんです!」と大勢の観客の前で発表したのだった。
それからというもの、ものすごいスピードで飯山にいる人たちとの関わり合いが増えた。住みなれた地元のはずなのに、この地で繋がった人々を通して知る遊び方も、風景も、文化も、歴史も、想いも、どれも魅力的に感じてしまうのだから不思議なものだ。自ずとコミュニティも増えていき、今ではすっかり地元が自分の居場所になった。
飯山でもっと楽しく生きていくために
「なにもない」とネガティブな感情しかなかったが、飯山を通して出会えた人たちのおかげで、「じゃあ、どうやったらもっと楽しく暮らせるだろうか?」と前向きに考えられるようになった。そこで漠然と頭に浮かんだのは「そんな人たちと繋がれる場所があれば、普段どこにいるかわからない地元の若者たちや、市外から遊びに来てくれる人たちも、飯山に対して愛着をもってもらえるのでは?」という思いだった。
私は、飯山に人との交流が生まれる場所をつくりたい。まだ妄想段階なので詳細はまったくの未定だが、理想とするのは、中の人と外の人が交わる風通しの良い空間。正直なところ、まちを活性化させたいとか、地元を盛り上げたいという気持ちが前面にある訳ではない。どちらかというと「自分がいるこの場所を認めてほしい」という気持ちもあるが、ただ自分がこの地で楽しく暮らしていくための一つの選択なのだと思う。結果的に、このまちに住む人たちがこういった場所を通して、ハッピーになったらそれは最高だ。
そんな妄想を実現するため、いまは長野市にある株式会社Huuuuのオフィス「窓/MADO」でコミュニティオーガナイザーとして「場づくり」の修行をしている(実は、これも直博さんが繋げてくれたご縁である)。コミュニティオーガナイザーは、オフィスの体裁を整えたり、メンバー同士のコミュニケーションを促進することが役割。まだ始まったばかりで手探り状態だが、私の人生において重要な時間になることは間違いない。
きっとこのオフィスには各地からさまざまな人たちが出入りをし、まだ見ぬ出会いがたくさん待っていることだろう。おこがましい限りだが、訪れる人たちが私の存在を通して長野県、そして飯山市にも愛着をもってもらうきっかけができたら、それ以上にうれしいことはない。
雪がしんしんと降り積もる真冬のようだった私の気持ちは、こうして少しずつ春へと向かっている。でも、まだ、雪は融けはじめたばかり。たくさんの人たちと関わりながら、頭の中の妄想を形にする方法を探っていきたい。全力でスキップできるその日まで。
私を救ってくれているお気に入りスポット
焼きカレーの店 ペンティクトン
米どころ・飯山の美味しいお米によく合う、焼きカレーが絶品!お好みのトッピングを乗せてどうぞ。「カレーは愛だ」でお馴染みのノリの良い店主は、飯山のキーパーソン的存在。
なべくら高原
美しいブナの森が広がる鍋倉山の麓。新潟県上越市へと抜ける県道95号ドライブは、絶景の連続!秋には色とりどりの紅葉、春には豪雪っぷりが体感できる残雪と新緑が見どころ。
宏吉楼(ホンチーロー)
通称・ホンチーと呼ばれる中華料理店。多くの飯山市民が愛する「豆腐麺」をぜひ食べてほしい。アツアツのピリ辛あんかけが癖になる美味しさで、冬に食べると特に元気がでる。
鷹落山
友人たちに飯山を案内する際、必ず訪れる絶景スポット。ここで飯山盆地を眺めながら、日向ぼっこをするのが定番。あまりの気持ち良さにお昼寝してしまう人が続出している。
※1 令和3年12/1時点、飯山市公式サイトより引用
※2 令和3年4/1時点、飯山市公式サイトより引用
著者:くわはらえりこ
1992年生まれ。長野県飯山市出身在住。長野市の出版社で雑誌編集、地元の観光局で広報担当を経て、2021年からフリーランスとしてイラスト、ライティングを行う。12月からは株式会社Huuuuが持つコワーキングオフィス「窓」(https://www.instagram.com/huuuu_mado/)のコミュニティオーガナイザーとしても活動中。長野県が大好き。
Instagram:https://www.instagram.com/kwer_13/
撮影:小林直博
編集:Huuuu inc.