都会のはざま、自由と孤独、再生を知った街「方南町」

著: 虫明 麻衣 

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環状七号線に向かって続く駅前の商店街には、マクドナルドも牛角もドラッグストアもあり、にぎやかだ。それらのチェーン店と並ぶように昔ながらのお肉屋さんや八百屋さんもあり、とにかく生活に必要なものはその商店街でほぼそろえることができる。

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環七沿いには大型スーパーの「サミット」に始まり、ドン・キホーテ、業務用スーパーの「肉のハナマサ」なんかもある。私が住んでいた19年前には「つるかめ」という激安スーパーも近くにあって、これは重宝した。

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でも、にぎやかな商店街から一本通りを入ると、そこはすぐ住宅街。車の音も人々のざわめきも、不思議なほどに、ぴたっと鳴り止む。そこには静かな、人の営みがある。

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大型スーパーですべての買い物を済ませることもできるのだけれど、なんといってもお金がなかった初めての一人暮らし、値札を見ながらスーパーをはしごしたり、商店街の昔ながらのお肉屋さんで一人分のお肉を買ったりできるのはありがたかった。そこには「一人で生活をしている…!」という実感のようなものがあった。

そして何より、人々のあたたかみがちゃんと残っていた。

それが私が大学の4年間過ごした、方南町という街だ。


久々にこの街を訪れると当時からあったドン・キホーテやサミットに加え、駅からの徒歩圏内に「島忠ホームズ」や「スシロー」もできていた。

ゆっくりと住宅街を歩いていると、ぽつんと佇むパン屋さん「Seeds man BakeR」を見つけた。カフェのようなおしゃれな外観と、ソフトクリームのオブジェが目印だ。

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入ってみると、ショーケースにずらりと並ぶパン。どれもおいしそうで目移りしてしまう。外のイートインコーナーで、コーヒーと一緒にパンを食べることもできるようだ。

私もアイスコーヒーを注文して少し休憩することにした。

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隣の席では、幼稚園帰りの親子が買ったばかりのパンを分け合って食べている。スタッフ自らが栽培する小麦からつくっているというこだわりのパンは地元の親子連れにも人気のようで、イートインメニューにはキッズ用のオレンジジュースやミルクもある。

うれしそうにパンを頬張る子どもを見ながら、「そうだ、うちの子どもたちが大好きなバケットをお土産に買って帰ろう」と思う。

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お店を出るころには、住宅街は学校帰りの小学生でいっぱいだった。

古くから営む八百屋さんやお肉やさんと、マクドナルドや松屋などのチェーン店が共存する駅前の商店街、住宅街に佇み、子連れで行くことのできる、雰囲気の良いおいしいパン屋さん、美しく整備された新しく広い公園、ご近所さんが子どもたちに「おかえり!」と呼びかけるやわらかな声。

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18歳、上京したばかりの私が「都会」にあこがれて住んだ方南町という街は、家族が住むのにとても理想的な場所であったことに気づく。


方南町は、丸ノ内線が中野坂上で二手に分かれたうち、荻窪ではないもう一方の終点だ。丸ノ内線の「M」マークが、方南町駅では「Mb」と表示される。(私が住んでいたころは「m」と表記されていた気がする)

分岐する分、乗り換えが一つ増えたりと少し不便に感じる面もあるが、そうは言っても約10分で新宿駅に出られるのは便利で、その割に家賃相場が安い。ここ数年、東京23区内の不動産相場は上がっているが、私が学生の時に住んでいた辺りのマンションの賃料を調べてみたら、約19年前とほぼ変わっていなかった。

そして、家賃相場が安いにも関わらず、閑静な住宅街で治安も良く、父と母も少しは安心して送り出してくれた。

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とはいえ、通っていた早稲田大学からは、高田馬場まで歩き(通称「馬場歩き」と呼ばれる、なかなかの距離の道だ)、山手線で新宿に出て、そこから丸ノ内線に乗り換え、さらに中野坂上で分線に乗り換えるという、決して通いやすいとは言えない道順をたどる。

実際、入学してからも「方南町に住んでいる」と言うと、「どこ……?」と聞かれることが多かった。

だけど内見でその街の小さなワンルームに足を踏み入れて、窓から小さく都庁の明かりが見えたとき、「新宿が見える街に住むことができる……!」と、私は思った。「都会だ……!」と。

それだけが、田舎から出てきた私がこの街に住むことを決めた理由だった。

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でも、数カ月後の間に、私は方南町の小さなワンルームで孤独と自由を知り、そして、卵巣を一つなくした。


その日、大学にいるときからお腹が少し痛いなとは思っていた。夕方、バイト先で制服に着替えているときに、いつもとは違う種類の痛みを感じた。でもそのころの私は「痛い」とか「しんどい」とか、そういったことをなかなか言えない、典型的な長女気質だった。最初は反対していた親をなんとか説得して東京の大学に出てきたのだから、なかなか弱音が吐けないというのもあったのかもしれない。
そのままシフトに入ろうとした私に店長が言った。

「まいちゃん無理しないで。一応さ、病院行こう。一緒に行くから」

バイト先の方南町駅前のマクドナルドは、当時フランチャイズだったこともあってか、とにかくアットホームな職場だった。

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店長は、小学生の女の子の母でもある、ユミコさんといった。一人暮らしの私に、「東京のお母さんと思ってくれていいよ!」と、いつも笑って言った。

そしてよく近所のお店にごはんを食べに連れて行ってくれた。中でも好きだったのが、「ピリピリ」という名の無国籍料理のお店だ。おしゃれなドリンク、それまでは食べたことのなかったエスニックやアジアの味。

ユミコさんと一緒に食べるごはんは、いつもおいしかった。一人暮らしをして初めて、誰かと食べるごはんがこんなにおいしいことを、私は知ったのだと思う。

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「ピリピリ」はISLAND BAR visitorという名に変わって今も営業されているようだ

ユミコさんと行った病院では簡単な診察をして、胃腸のお薬をもらった。「でも念のため、今日は休みな」と、彼女は言って、私をそのまま帰らせてくれた。

方南町生まれ方南町育ちのユミコさんは、街の雰囲気そのままの、あたたかくそして包容力溢れた人だった。


だけどその夜、今まで感じたことがないほどの痛みが襲い、私はワンルームの小さな部屋で一人、のたうち回った。

当時近くに住んでいた、小学校からの友人ハルちゃんと母に、同時に電話をつないだ。
住んでいる学生会館の門限の時間がもうとっくに過ぎていたのに、ハルちゃんは管理人さん
に頼み込んで私のマンションまで来てくれた。

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夜中に運ばれた病院では、「診察時間が始まるまで詳細な検査はできない」と、ただひたすら朝を待つことになった。
そこにはただ、孤独だけがあった。それは本当は私が東京へ来てからずっと抱えていたものなんじゃないかと、そんな気がした。人のあたたかさを知り、ようやく「一人」でいることに慣れ始めた方南町で、私はまた「孤独」に舞い戻っていく感覚に陥った。


朝一番の新幹線で、母がやってきた。母を見つけたハルちゃんが、ほっとして泣いているのが目の端で見えた。婦人科の検査を受けてようやく「卵巣が腫れていますね」と、伝えられた。「すぐに手術になりますがいいですか」と、遠くでお医者さんの声がした。この痛みを取り除いてくれるなら手術でもなんでもすぐにしてください、と私は痛みのあまり薄れゆく意識の中で、そう思った。

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目が覚めたとき、痛みはまったくなくなっていた。うそみたいに。

痛みが消えると急に、ああ、いろんな人になんて迷惑をかけたんだろう、と、気づいた。ハルちゃんは学生会館に戻り、夜に帰ることができなかった事情を説明していた。バイトは誰が代わりに入ってくれたのだろう。ユミコさんが入ってくれたのかもしれない。ハルちゃんの涙がこのときになってようやく、胸にせまった。


でも病室に戻り、時間がたつほどに、だんだんと現実はせまってきた。そうか、私は卵巣を一つなくしたのだ、と。

「卵巣が一つなくなっても、生理は毎月来るし、妊娠することもできます」と、お医者さんは告げた。それでも自分の身体はもう、「不完全なのだ」という思いが、私をとらえていた。


一週間の入院の間、病室には、なんだかたくさんの友人が入れ替わり立ち替わり訪れた。

大学のクラスの友だちがみんなで来てくれた。ハルちゃんは、スカパラのCDを買って持ってきてくれた。東京に住むいとこは「ひまでしょ!」と言いながら大量の漫画をスーツケースに入れて持ってきて母を笑わせた。都会に憧れて何度か行ったクラブで出会った男友達まで、恥ずかしそうに来てくれた。私はパジャマですっぴんのまま、都会で出会った人たちを病室に迎え入れた。

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母はバイト先のマクドナルドに行ってユミコさんに、お礼と、しばらく入院になることを伝えた。京都の母と「東京の母」の対面である。ユミコさんはもう、めちゃくちゃ心配してくれていた。もう大丈夫だよ、と、メールを送った。

今思えばユミコさんは女の子の母だったからこそ、当時10代の私が「おなかが痛い」と言っていることに人一倍気を遣ってくれたのかもしれない、と思う。


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病院の屋上からは、新宿副都心がよく見えた。私が住むワンルームから見えるのと同じ、都会の景色だ。住宅街の向こうに見える、都会の光。

入院の間、私はよくそこからその景色を眺めていた。そこは、都会のはざまだった。少し行けば煩雑な新宿の街に出ることができる、でも、人のあたたかみを残した場所だった。

光が反射しキラキラと光る新宿の副都心を見ながら、なくしてしまった私の卵巣を思い、少し泣いた。

だけどそうして毎日、誰かと話し、午後には屋上で景色を眺めているうちに、少しずつ、気持ちが軽くなっていくことに私は気づいた。

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商店街に当時からあったお花屋さんが、リニューアルしてライフスタイルショップになっていた。昔ながらの商店街の景色を残しながら、若い人が営む明るくおしゃれなお店が少しずつ増えて進化しているのも方南町の魅力だな、と思う。

病院の隅で感じたものは「孤独」だったけれど、痛みで気づかなかっただけで本当はハルちゃんもユミコさんも側にいてくれたのだ。


都会にあるのは、孤独だけじゃない。方南町という街でそれにようやく気づいたことで、私は少しずつ自分の身体を、受け入れられるようになっていった。


母は当時の日記に書いていた。「東京へ向かうときは見る余裕すらなかった富士山、元気になった麻衣ちゃんと一緒に京都へ向かう新幹線からは、とてもとてもきれいに見えました。」と。

その4年後、母は私が23歳のときに亡くなった。久々に方南町の街を訪れて歩きながら当時のことを思い出し、入院した一週間があって良かったのだ、と改めて思った。母の記憶にそれが刻まれて良かった、と。

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あのときはわからなかったけど、自分が親になった今、わかったことがある。

私が東京の大学に行きたいと言い出したとき、母は「麻衣ちゃんが一人で生きていけるとは思えへん」と言っていた。

でも、そんな娘のもとに、「東京の母」のユミコさんや、よくわからない派手な男友達や、早稲田のまじめな女の子たちや、破天荒ないとこや、京都にいたころからの友人や、とにかくいろんな人が訪れ、娘の様子を見守ってくれているところを目にした。

それはきっと母にとって結構、うれしいことだったんじゃないか、と、今思う。

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もちろん手術自体は母にとっても辛いことだったかもしれないけれど、そうして私が方南町で出会った人たちに母自身が会えたことで、ようやく、私が東京で生きていけるのだろう、という安心を持てたのだと思う。

方南町という、都会のはざまのような街で、たくさんの人に囲まれて過ごしていることをその目で確かめることができたから。

もちろん実際にはそれからだって私には東京でいろんなことがあったわけだけれども、でもとにかく母が亡くなる前にその実感を持てただろうことは、今も私の心を少し、慰めてくれる。


19歳の私に、孤独と痛みと喪失と、そして再生を教えてくれたものについて、今もよく考える。「それでもいいのだ」と、知らせてくれた、なくした一つの臓器。

いつも100%ではいられない。でもそれでも、こうして人は生きていけるのだから、と。



誰もがなにかしら、痛みや喪失を抱えながら生きている。完璧な人、完璧な人生、完璧な身体というものはないのだ、と思う。そもそも生きている限り、みんな平等に歳を重ね、そして少しずつ何かを損なっていくのだ。

それでもその身体を、喪失を、抱えながら補いながら、なんとかみんな生きている。

それでいいのだ、と、今は心からそう思う。

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ドン・キホーテに行くために何度も歩いた環七沿いに、「the SHEER CAFE」というスタイリッシュなカフェができていた。

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お店構えも内装もコーヒーも、当時の方南町にはなかったおしゃれっぷりで、ただ「東京」に憧れて出てきたばかりの18歳の私が見たらひっくり返っていたかもしれない。

でも37歳の今は臆することなく一人で入ることができるようになった。ただ図太くなっていっただけのことかもしれないけれど。

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おしゃれなカフェラテを、少しずつ飲む。ちゃんと、おいしい。おしゃれなだけじゃない、誰かがていねいに淹れてくれた、人のあたたかみを感じられる味だ。それは、19年前から全く変わらない、方南町が持つ街の雰囲気とも重なる。

この街が私の人生にあってよかったな、と、改めて思う。あれから19年、なんだかんだ私はこの東京で元気に生きているよ、と、そっと母に話しかけながら。


著者:虫明 麻衣

虫明 麻衣

エディター・プランナー・時々ライター。食メデイア「アイスム」で「コウケンテツの『つくってみよう!休日かぞくごはん』」「おうち居酒屋ツレヅレハナコ」などを担当。京都府生まれ、約12年の新聞社勤務を経てフリーランスに。小学生2人の母。好きな場所は神宮球場、好きな飲み物は神宮のビール、好きなものはヤクルト・スワローズの一勝。最近の趣味はライカで写真を撮ること。Twitter Instagram note

編集:小沢あや