青春の残り香がする街、「日吉」で暮らす。

著: 五月女菜穂 

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老舗がまた一つ、その歴史に幕を下ろした。

「とんかつ三田 日吉」、通称「とんみた」という定食屋。三田なの、日吉なのと突っ込みたくなる「とんみた」は日吉にあった。大学時代に足繁く通った店の一つだったが、2021年3月末日をもって閉店したらしい。

名物のとんかつは、サクサクの衣で、脂身のわりにさっぱりとした肉。ボリューミーだけれど、不思議と完食できてしまう逸品だった。

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テイクアウトを始めたらしく、今年の3月中ごろ、近くに寄った際に懐かしさのあまり買ってみた(写真は3人分。あしからず)。さすがに大学生のころのような、無尽蔵の胃袋ではないけれど、それでも本当においしくて。個人的には、とん三田のもやしが入った味噌汁がたまらなく好きなので、コロナが落ち着いたら、また店内で食べよう。

そう誓った矢先、とんみたの閉店を知る。あのテイクアウトが最後のとんみただったか。ちゃんとしたお別れできなかった。コロナの影響もあったのだろうか。非常に悔やまれる。

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今から10年以上前の2008年。浪人生だった私は、一年遅れの大学生活をここ日吉でスタートさせた。
 
慶應義塾大学にはキャンパスがいくつかあるが、ほとんどの塾生(在校生を「塾生」と呼ぶ)が一度は通うキャンパスは、横浜市にある日吉キャンパスである。
 
私は文学部だったので、1年生のときだけ日吉キャンパスに通った。2年生からは、東京都港区三田にある三田キャンパス通い。とはいえ、サークルの活動拠点は日吉だったし、必修科目の情報処理の単位を落として、2年生になっても日吉でこっそり授業を受けていた。

東急東横線の日吉駅が最寄駅。2008年に、横浜市営地下鉄グリーンラインの日吉駅ー中山駅間が開通したり、東急目黒線が武蔵小杉駅から日吉駅まで延伸されたりして、グッと日吉が便利になったのだが、私は東横線ユーザーで、中央線沿線にある実家から1時間以上かけて通学していた。

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東横線の地上改札を出ると、目の前に通称「銀玉(ぎんたま・ぎんだま)」と呼ばれる、文字通り銀の玉の形をしたオブジェがある。彫刻家・三澤憲司氏による作品で、正式には「虚球自像(こきゅうじぞう)」と言うらしいが、誰が言い始めたか、銀玉でまかり通っている。初めて「銀玉前で待ち合わせ」をしたときは、妙に興奮した。
 
改札を背にして、右側が「慶應がある方」で、左側が「慶應じゃない方」。慶應じゃない方は「ヒヨウラ」と呼ばれている(日吉の“裏”ということだと思う)。普通部通り、中央通り、浜銀通り、サンロードと、駅を拠点に道路が放射線状に伸びていて、それぞれに商店街が続く。

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「とんみた」の他にも、思い出の店がいくつかあった。

浜銀通りにあった「とくや」。駅から歩いて2分。とくやは、パスタ屋の「ド・マーレ湘南日吉店」(これも塾生御用達の老舗)と同じビルの2階にあった居酒屋だ。

私は、STEPS Musical Companyというミュージカルサークルに所属していた。年に2回本公演があって、特に夏休みと春休みのほとんどをオリジナルミュージカルの制作に注ぎ込んだ。今ではとても信じられないけれど、朝9時から夜9時まで、ほぼ毎日、飽きずに稽古をしていた。持てるエネルギーと青春を惜しみなく注ぎ込んだ公演の打ち上げ場所が、決まって「とくや」だった。

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なんてことのない、と言ったら失礼かもしれないけど、出てくるメニューも枝豆とか唐揚げとかありきたりなメニューだし、特別な看板料理があったわけではない。酒の濃さもびっくりするほど薄い。けれど、店内がちょっとした座敷になっていて、サークルのメンバーが全員入れる上、安価な値段で、夜通し飲み明かすことを許してくれた。

演劇系のサークルとしては、割とお行儀のいいサークルだったので、夜通し飲み明かすことは「とくや」の打ち上げの日に限られていた。夜通し飲み会が続くのには理由があって、「大入り」という風習があったからだ。

公演の労を労いあう、一種のカタルシス。「この人は、練習中にこんなことをしてくれて〜」「こんなことがあったけど、結局こうなって〜」という思い出話を、それぞれのチーフ(役者のほかにも、脚本から舞台美術、作曲などもすべて自分たちが手掛けていて、それぞれのセクションをまとめる役割がいた)が語る。上級生になればなるほど思い入れが強くなり、だんだんと尺が長くなる。抱き合う。泣き始める。本番が終わった高揚感そのままに、「オールする」(徹夜する)ことができるのが、とくやだった。

残念ながら、そのとくやも数年前になくなって、今はホルモン屋になっている。卓にサワー台がついていて「0秒レモンサワー」なんていうキャッチコピーが魅惑の店で、とくやの面影はない。サークルの後輩たちは今どこで打ち上げているのだろう。そもそも今、公演をやれているのだろうか。

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日吉といえば、ラーメン激戦区でもある。レストランの口コミサイト「食べログ」を見ても、上位10軒のうち5軒がラーメン屋だ(2021年3月末現在)。

私の思い出の行きつけの店は、浜銀通りの奥の方にある「麺場 ハマトラ 日吉店」。サークルの練習後、竹炭を練り込んだ黒いちぢれ麺と、魚介が効いた和風XO醤の油が合う「醤そば」をよく食べた。あと季節限定麺があって、他店では食べられないようなチャレンジングな組み合わせで、毎回楽しみにしていた。

薄暗くて打ちっ放しのコンクリートの店内が、ムーディーに感じられた。出されるお茶のジャスミンティーのほろ苦さとか、なぜか客が自由に綿あめをつくっていいところとか。今思えば、女性客一人でも入りやすいような工夫がされていた。

個人的には30歳を過ぎて食べる「醤そば」はやや塩っぱく感じるのだけれど、ハマトラの味が恋しくて、わざわざ中央区から日吉に車で来る男を私は知っている。

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それから家系の「武蔵家」は根強い人気がある。豚骨ベースの濃厚スープと、弾力のある麺。ライスが無料でついてくるので、腹を空かせた大学生にはありがたかった。

顔馴染みになると(?)味玉をサービスしてくれたり、女性客には食後にペロペロキャンディーをくれたり、開店直後にいくと無料のチャーシューの端切れを提供したり。さりげない心配りがあって、通いがいのある店だ。壁一面に、武蔵家に通い詰めた常連の写真が貼ってあって、歴史を感じる。

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そのほかにも、「どん」や「銀家」、「らすた」など、ラーメン屋は多い。付き合った男の好みで、通ったラーメン屋が分かれるほどだ。ちなみに、2008年当時、そこそこ人気だった「あびすけ」は閉店になっている。

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「これが慶應か」と思ったのは、英国風パブ「HUB」が大学構内にできたことである。

ちょうど私が大学に入学した2008年の夏、協生館という大学校舎の中に、HUBができた。創立150周年の記念事業で、新校舎がぼんぼん建てられていた時期だったが、校舎内にパブができるとは。「慶應」というブランドを甘く見ていた私にとって、「創立150周年を記念して、東京ディズニーシーを貸し切る」という出来事の次に、衝撃的なことだった。

HUBは酒の種類が豊富なので、酒の味を覚えたばかりの大学生にとっては、天国だったし、最高の遊び場所だった。名前を聞いたこともない酒の味をHUBで覚えたし、HUBで数々の酒の失敗を経験したし、HUBで恋の話をしたり、青臭い人生論を語ったりするのが楽しかった。

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一人暮らしをしていたというわけでもないのに。日吉という街の至るところに、大学時代の思い出が染みついている。

潰れてしまった店もあるし、時代に合わせて、タピオカ屋やから揚げ専門店ができて繁盛していたけれど、街の骨格がそのままだからだろうか、街の景色というか表情は10年前とそんなに変わらない。駅前のミスタードーナツも2軒の花屋も、常時混雑しているスターバックスも、キャンパスの玄関口の銀杏並木も。あのときのままだ。

私はこの10年の間に、就職し、転職して、結婚して、出産もした。いつまでも若い気でいたが、もう32歳。一児の母でもある。こうして今、日吉の街に関するエッセイを書かせてもらうなんて。自分でも時の流れの早さに驚く。

大学を卒業してからは、日吉の街と縁遠くなっていた。が、いよいよ家を買おうかというフェーズになって、案外、日吉に住んでみるのもありかもしれないなぁと最近思っている。

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塾生のとき、一人暮らしをしている友人も何人か日吉に住んでいた。だが大抵は、家賃の兼ね合いもあったのだろうが、駅から徒歩15分以上離れている場所だった。もしまだ私が学生で、一人暮らしをするとしたら、隣駅の元住吉や綱島の駅近くに住むという選択肢も考える。また、大学生活の後半は、三田キャンパスに通うことを考えると、三田線沿線でもいいのかもしれないと思う。

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だが、32歳子持ちフリーランスとなった今では、日吉に住むことが魅力的に見える。交通の便はいいし、商店街を抜けた徒歩圏内にも、意外と古くからある閑静な住宅街が広がる。何より塾員(卒業すると塾生は「塾員」になる)なら馴染みもあるし、治安もいい。認可保育所に入るのが、なかなか熾烈な地区であることが玉に瑕だが、街全体が“若き血”を吸って、生き生きとしている(気がする)。毎年のように新入生が入ってきて、新陳代謝がいい街というのも、心地がいい。

「とんみたも、とくやもない日吉なんて」とは思いつつ、なんだかんだ青春の残り香がする日吉という街が好きなのだと思う。日吉での「第二章」が始まる。そんな予感がしている。

著者: 五月女菜穂

 五月女菜穂

旅と演劇が好きなフリーライター。慶應義塾大学文学部卒業後、朝日新聞社に入社し、新潟・青森・京都で取材経験を積む。2016年11月に独立。好きな街は、京都、別府、台湾、ニューヨーク 。Twitter:@NahooSotomee

 

編集:小沢あや