ベッドタウンにはベッドタウンの魅力が確実にある。新しく辿りついた私にも居心地のいい「練馬区氷川台」

著: 成松哲 

「2008年には副都心線が開通して新宿や渋谷や横浜にも乗り換えナシで行けるようになるんですよ」

東京メトロ・副都心線&有楽町線の氷川台駅から徒歩9分、3LDK・70平米の分譲マンション。2005年、この物件を推す不動産業者の営業マンが、翌年に結婚を控えて新居を探していた我々夫婦に喰らわせた、とどめのひと言だ。そして翌年初冬、私たちはウチの両親に泣きついて無心したカネを手に契約のハンコを付いていた。

f:id:SUUMO:20210602153237j:plain

東京メトロ有楽町線・副都心線 氷川台駅

思えば、私の生活圏は常に池袋をターミナルに形成されていた。

47〜48年前、私の出産のために母が帰省していたため、生まれこそ大分県ながら、物心がつくようになってから大学に上がるころまでは東京・北区滝野川の公務員宿舎で過ごした。明治通りをただひたすらにまっすぐ行けば、池袋駅東口に辿りつく街だ。幼少のみぎりにはゲームソフトを買いたい一心で親の財布からカネをくすねては、ビックカメラ本店へと自転車を猛然と漕いでいた。かてて加えて、私が大学2年生のころ、退職金を担保にしたのだろう父が一軒家を買ったのだが、そこは田無市(現・西東京市)のひばりが丘駅至近。西武池袋線の沿線だった。さらに大学4年生のときに付き合い始めた妻の最初の就職先は、丸ノ内線沿線の企業。だから結婚前の数年は「池袋で乗り換えができるように」とその池袋線・江古田駅近くの賃貸アパートで同棲していた。

それゆえに私にとって勝手知ったる「都会」「繁華街」と言えば池袋なのだ。京王線・代田橋駅周辺の私立高校に上がったり、千代田区、新宿区の市ヶ谷駅が最寄りの企業に就職したり、その後フリーランスのライターとして活動を始めたりと、行動範囲が広がっても、なお変わっていない。所用で渋谷、新宿、六本木に行こうとも池袋ほど「便利でなんでもある街」を私は知らない。

だから結婚する段になっても新居選びの最大の基準は「池袋にイージーにアクセスできること」だった。正直な話、そのことと、物書きとして活動していた私のための書斎が確保できさえすれば、ほかにはなにも必要なかった。ゆえに山手線、西武池袋線、有楽町線、丸ノ内線沿線に物件を求めた。

そこにもらってしまったのが、先の言葉である。池袋までたったの4駅な上に、将来的には新宿(正確には新宿三丁目駅だが)や明治神宮前(原宿)駅、渋谷駅に電車1本で行くことができるようになる。さらに副都心線とそれに併走する有楽町線は東急東横線に乗り入れるために代官山や中目黒、自由が丘、果ては横浜にも1本でアクセス可能。また副都心線・有楽町線はともに西武池袋線にも乗り入れているため、夫婦ともども晩メシのことを考えるのが面倒になったときには気軽に実家にゴチになりに行ける。私にとってはまさに理想的な街。それが氷川台だった。

「ここ、ホントに東京か?」

我々の新居の内見に同席した父の言葉だ。

f:id:SUUMO:20210602153423j:plain

有楽町線を下車して左に足を向けると、巨大にもほどがある店舗と看板を構える自動車パーツ&自転車販売店「長谷川興行」がお出迎え

まあ、そう言いたくなる気持ちはわからんではない。そもそも埼玉・和光市駅も近いし、駅前にはパチンコ店と安価で飲み食いできることでお馴染みのチェーン系大衆居酒屋と、やたらな看板を掲げる自動車用タイヤとハイアマチュア用自転車の巨大な販売店、そしてコンビニエンスストアがポツポツとあり、その先には地元密着型の商店街が広がっている。地下鉄を乗り継ぎ、ようやっと地上に上がった瞬間出くわすのは、ごくごくありふれたベッドタウンの光景だ。あとはファストフード店とファミリーレストランに大型スーパー。少し洒落た感じのバルやイタリアンレストランに、新鮮で珍しい魚を毎日市場から仕入れてくる気の利いた鮮魚店やちょっとお高めの焼き肉店、そして美容室が数店。さらにはテニス場やナイター施設のある野球場を完備しているため、都心のいろんな大学のサークル御用達になっている城北中央公園というバカデカい公園があるばかり。本当にリーマンショックだかなんだかの影響で一瞬地価が下落したことと、東京メトロと首都圏私鉄各社の路線延長施策に乗っかって発生したマンションブームによって注目を集めたのであろう「ちょっと郊外の普通の街」である。

f:id:SUUMO:20210602153715j:plain

さして大きな街ではないのだが、この手の大型スーパーが2店舗ほどある

しかし、私にとっては、その「普通である」ことが本当に心地がいい。

前述のとおり、私は東京都北区滝野川という、おそらく「下町」とくくられるだろう街で育ったが、世田谷区の代田橋駅にある高校に進学した。代田橋駅のある京王線は都営新宿線と乗り入れていた上に、隣駅が明大前、つまりは京王井の頭線沿線でもあったため、高校の同級生の中には新宿や渋谷、下北沢、吉祥寺を拠点に暮らす連中が少なくなかった。そして彼らの存在は「下町」育ちの私に大いなるカルチャーショックを与えた。着ている洋服、聴いている音楽、読んでいる雑誌。なにもかもが「下町」育ちの私にはお洒落だったのだ。今も愛聴しており、結果、その手の物事についてアレコレ書く商売に就くハメになったテクノやハウス、ヒップホップ、米英のギターロックといった音楽の存在とその輸入盤の買い方を教えてくれたのは、紛れもなくかつての同級生たちだった。

だからこそ学生当時はそんなお洒落な生活に憧れもしたし、アラフィフもいいところみたいな年齢になった今もその憧憬がないと言えばウソにはなるが、一方で私のルーツは池袋=「下町」から一本道でたどり着ける場所……文字どおり地続きの街である。結局のところ当時から渋谷や六本木、下北沢の輸入レコード店よりも、同系列の池袋のレコード店のほうが居心地がよかったし、そちらのほうがいいレコードが見つかりもした(私の錯覚なのか、池袋店のバイヤー氏の尽力ゆえなのかは判じかねるが)。そして働き始め、真剣に結婚を考える女性とお付き合いする程度には年齢が長じたころには、いい意味で”観念”した。自らの血肉となっているものを受け入れたほうが生きやすいことに気付いた。

池袋に近くて、不自由なく夫婦生活を送れる街に住もう。

そういった意味では、冒頭の営業マン氏は本当によい物件を薦めてくれたものだ。落語「寿限無」ではないが、氷川台は「食う寝る処に住む処」として私が必要としている要件はすべて満たしてくれている。普段は大型スーパーで調達した食材で晩メシをつくり、たまに上等な刺身が食いたければくだんの鮮魚店に行けばいい。もっと豪勢にやりたいなら焼き肉店に足を向ける。加齢に伴い、どうにも締まりのない身体になっているのを解消したいなら城北中央公園の外周をランニングやウォーキングすればいい。

f:id:SUUMO:20210602154031j:plain

城北中央公園。25万3077.93平米に野球場2面、ソフトボール場2面にテニスコートと陸上競技場を備え、しかもこの芝生の広場がそこここに。どれだけ広いんだ

f:id:SUUMO:20210602154132j:plain

城北中央公園内にある、奈良時代の栗原遺跡。大都会・奈良では東大寺や正倉院など木造建築が流行っている中、我々練馬区民は竪穴式住居に住んでいたらしい

しかも2008年の東京メトロ副都心線開業以降は、私の大都会・池袋はおろか、新宿、原宿、渋谷、横浜という高校時代に私が憧れたお洒落タウンにも一発でアクセスできるようになった。特に、おそらく私と同世代がプロデュースしており、彼の当時の音楽趣味を丸出しにしたのであろう楽曲をパフォーマンスするライブアイドル・地下アイドルを愛好しているここ5年は、彼女たちの公演の拠点になりがちな「お洒落タウン」のライブハウスに簡単にたどり着け、声援を送り、2ショットチェキを撮れることに本当に感謝している。氷川台に唯一、ちょっと特殊なことがあるとすれば、我が家から徒歩5分圏内に東京少年鑑別所があることくらい。しかし、そことて我がバイブルである高森朝雄(梶原一騎)原作・ちばてつや作画『あしたのジョー』の矢吹丈とマンモス西が初めて出会った場所だけに、ちょっとした聖地巡礼気分も味わえている。

f:id:SUUMO:20210602154311j:plain

東京少年鑑別所、通称“練鑑”。時々聞こえてくる体育の授業(?)の声や笛の音に少し青春のにおいを感じたりもする。あと実は桜がキレイ

またブームの際にちょっとしたマンションの建設ラッシュがあったからか、我々を含め、2000年代後半以降に氷川台に定住した人々が少なくないのもいい感じだ。地域の秋祭りの様子などを遠目に眺めるに、ブーム以前からの住民のコミュニティや連帯はしっかり形成されている一方で、それ以降にやってきた我々のような存在は存在でいい意味で放っておいてくれている。「あっ、あのマンションの人か」という感じ。この距離感・温度感も氷川台歴15年弱の新参者には心地いい。

テレビ番組や雑誌・Webでの「我が街紹介」的な企画というと、とかくその街にはいかに店舗・飲食店・公共の施設が充実しているかについて言及しがち。その街ですべてが完結することを是とするムードが強いような印象を受ける。まあムリのない家賃で住める物件がある上に、洒落た衣料品店や美味しい酒を呑める飲食店がいくつもあり、カルチャー感度も高い街ももちろん素晴らしい。ただその一方で、ベッドタウンにはベッドタウンの魅力が確実にある。確かに「洒落たなにか」は駅前にはないかもしれない。しかしそんなものは電車1本で行ける沿線の都市部にアウトソースしてしまえばいい。その代わりに地域の古い住人にも、新しく辿りついた我々にも本当に居心地のいい「食う寝る処に住む処」を提供してくれる。鉄道路線という視座から見渡せる「住みやすさ」というものもきっとあるはずだし、事実、私はこの15年、それを享受している。

著者:成松哲

成松哲

フリーライター・編集者。著書に『バンド臨終図巻』(共著。河出書房新社/文春文庫) など。

 

編集:ツドイ