テーマパーク化したふるさとを、僕が諦めない理由【飛騨高山】

著者: 朝倉圭一

 

僕はこの街が苦手だ。

いや、正確には苦手だった。

いやいや、今改めて考えてみたら、今でも苦手だ。

 

うーーん。

好き、嫌い、好き、嫌い。

……やっぱり好きかも。

いやでも苦手だ。

 


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平日でも観光客でにぎわう、飛騨高山の街の中心部

 

僕のふるさと、飛騨高山。

インバウンドに沸く観光地、飛騨高山。

二つの顔をもつ、僕のふるさと。

文句を言うのは簡単だけど、そんなのあんまり良い事ではない。この不仲は解消しなければいけない。だって、僕らは残りの人生をこの街で過ごすと決めたのだから。

 

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僕らの選んだ、田舎の日常

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やわい屋の外観。飛騨地方ではポピュラーな平屋の古民家

 

民藝の器と古本のお店「やわい屋」は、僕ら夫婦が2016年4月に始めた小さなお店です。

取り壊される築150年の民家を移築・再生し、飛騨高山市内から車で20分ほど離れた宇津江(うつえ)集落に居を構え、分かりにくい看板を立てて営んでいます。

 

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日本各地でつくられた民藝の器や生活の道具を扱う、やわい屋の一階

 

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人文学関連の古本と新刊を扱う屋根裏

 

古民家に暮らし、手工芸品と古本を扱い、好きなことを仕事にしていると、「丁寧な暮らし」と紹介されることもあります。

 

でも僕らにそんなつもりはまるでなくて、できる事を必死になってやったり、二日酔いになったり、悩んだり楽しんだりしながら、ぼんやり暮らしているだけです。

 

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民藝=民衆的工芸品を扱う、僕らのお店「やわい屋」には、当たり前の暮らしに必要な、必要最低限の物が並んでいます。

それは、目を引く精緻な技術を見せつけるような派手な物でも、心を掴む分かりやすいストーリーのある物でも、伝統を雄弁に語るような物でもありません。現代を生きる職人が、生きていくために毎日手を動かしてつくっている、日用使いの道具たちです。

 

どれだけ正しいことでも、四六時中そればかり話されたら疲れてしまいます。黙っていても嫌じゃない、一緒にいて居心地が良い。結局、そんなものが身の回りには残り続けます。


そのような目線で周囲を見回してみれば、新しくてピカピカの建物より、数百年前からそこに建っている建物の方が落ち着きます。流行に彩られた旬のデザインよりも、ずっと使い継がれてきた物の方が馴染みます。

 

つまり新しいものより、それぞれの土地の匂いを感じるものの方が、人にとって心地が良いということなのでしょう。

 

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僕は何も語らない器から、何気ない景色と同じ美しさを感じます。

着飾らなくても、同情を買わなくても、希少性がなくても、美しいものは美しいし、大切にしたくなるものです。

 

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我が家からの景色。写っているのは近所に住んでいるせいじさん

 

そして僕ら田舎者と、田舎の何気ない景色の魅力も同じです。

知らず知らずのうちに身にまとっている土地の歴史が、隠し味のように魅力となっています。そうした歴史は例えば方言や風習として、田舎の日常に溶け合っています。


いいや、「溶け合ってきた」という方が正しいかもしれません。最近の飛騨高山は、どこか様子がおかしいからです。伝統や儀礼が途絶え、“ここではないどこか”と同じような街が広がってきています

 

それが、生まれ育った飛騨高山を、僕が心から好きだと言えない理由です。

 

変わらない日常を売り物に「テーマパーク化」するふるさと

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人力車のある風景

 

飛騨高山は昨今のインバウンドの盛り上がりと共に、これまで普通に人の暮らしてきた町家が、宿やカフェへと姿を変えています。

 

観光客向けのサービスが増えていくこと自体は、新しい経済が生まれているため、決して悪くはありません。

しかし、問題は「昔から変わらない日常」がこの街の観光資源になっている点にあります。

 

観光地へ遠くからわざわざ足を運ぶ観光客にとって、当たり外れがあっては困ります。そのため、観光地ではいつ誰が来ても同質のサービスが求められ、祭りの時期でもないのに祭り屋台を並べることが「おもてなし」だとなります。

 

しかし、「飾らない日常」をショーのように毎日演じることは、本当に観光客へのおもてなしなのでしょうか?

 

そんなことを続けた先にあるものは、すでにこの世に存在しています。 

それは「テーマパーク」です。

 

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多言語対応の看板

 

テーマパークの何が問題なのか? 別にたくさんの人が訪れて、地方にお金を落としてくれたらいいじゃないか。そういう意見もあると思います。

しかし、もしも皆さんの暮らしている街が観光地になったらどうでしょう。これまでの日常が送れないほどに人が溢れ、道路は渋滞し、行きつけの居酒屋は観光客向けに様変わりしてしまったら?

 

僕ならすぐに引越します。なぜなら、そこには田舎の魅力である「日常」を穏やかに過ごせる要素が何にもないからです。

 

実際のテーマパークの場合でも、そこにいるのはマスコットと従業員だけ。街で暮らしてきた人々の居場所は、初めからテーマパーク内に用意されていないのです。

 

遠くからは本物に見えてもテーマパークのお城には住めないように、飛騨高山という街もまた、遠くからは本物に見えるけど、誰も住めない場所に変わりつつあります。

 

そうして誰も住めなくなった街のどこに「日本の原風景」があるというのでしょう? そんなつくり物の街に、これからも観光客が来続けるとは思えません。だってそんな場所なら、日本中、いや世界中どこでだってつくり出すことができるのですから。

 

街を支える、見えない臓器

僕の故郷、テーマパーク・飛騨高山。

でも、僕は諦めていません。街にはまだ希望が残っているのです。

 

観光地ではなく、さまざまな人々が生活する場としての街の機能は、よく「身体」に例えられます。そして昨今よく耳にする「多様性」を一番体現しているのは、我々の身体にあるさまざまな臓器の働きです。

 

例えば、街において行政や若い起業家のような司令塔は「脳」の役割を担います。

もし全員が司令塔を目指したら、街はうまく機能しません。街という全体を生かす為には、目立たない「肝臓」や「腎臓」や「血管」がそれぞれの役割に徹し、全体のバランスを保たなければならないのです。

 

一見すると地味でも無意味でも、各臓器がバランスよく機能していないと、身体全体の健康は脅かされます。現在の飛騨高山は、その健康のバランスが損なわれてしまっている状態です。

 この末期の街を健康な状態に戻すのは、もはや無理でしょう。

 

これからの時代を生きる僕らに求められるのは、残された人生と向き合い、健康な臓器にできるだけ負担をかけない生活を心がけ、やがては後進にきちんと席を明け渡すこと。「生涯現役」という時代を超えて、「仕舞い」の儀礼に心を傾けることではないでしょうか?

 

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狭い路地。以前はもっと暗かったけど両側の家がなくなって明るくなってしまった

 

幸い、この街にはまだ健康的で、味わい深い「臓器」=いいお店やいい人が残っています。僕はそういった場所を「分かりにくい場所」と称して、大切に思っています。

 

飛騨高山というボロボロの身体を見捨てきれないのは、その汚れた身体を懸命に浄化し続けている物言わぬ臓器が、人知れず頑張っているからです。

 

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本稿の最後に、観光地・飛騨高山に残る未来の希望である街の「膵臓」や「腎臓」や「小腸」を紹介させてください。

 

正直、観光地としての飛騨は勧められたものではありません。でも生活をするとなれば、観光という産業が元気なのは大きな利点です。

 

市場主義という現代を動かす常識へ闇雲に反発するのではなく、半分くらいもたれかかっていくのが自然なのだと思います。お金がなくては生活できませんので。

 

最近、反社会的な人々「反社」が世間をにぎわせていますが、僕らは半分社会的な人「半社」といったところでしょう。

 

どちらにも染まらないことで、中庸を生きる。そういう存在がいるからこそ、「当たり前」が大きく揺らぐであろうこれからの社会でも、柔軟に生き抜くことができるのではないでしょうか。

 

大きなテーマパークと周縁の農村部が生きる飛騨高山の現在。目立たない路地裏や郊外に目を凝らせば、まだまだ「古き良き日本」の営みが生き続けています。まだまだ飛騨は暮らしやすい土地です。

 

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文句を言うのは簡単だけど、それじゃいつまでたっても関係は改善されません。やはり不仲は解消しなければ。僕らは残りの人生を、この街で過ごすと決めたのだから。

 

僕はこの街の「観光地としての顔」が、苦手です。

でも、この街の文化や歴史、それにこの街に暮らす気心の知れた友人たちのことは大好きです。

 

そのままだから美しい物を「そのまま」で留めておくことは非常に難しいことです。反発せず、染まらず、半分だけ関わり、そのバランスの中で営みを探求する。

 僕らが大切にしているのは、そういった事です。

 

足したり引いたりしなくても美しいものが、僕の街にはまだ残っています。

それが、この街を離れない理由です。

 

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息子のお食い初めのときの写真。家族でぼんやり暮らしてます

 

お店紹介

■暮らしの骨董 お月さん 

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飛騨に点在する「古布」を扱うお店の中で、おそらく最も狭く、最もお店らしくない外観のお店。店内は所狭し……というより、着物が積まれすぎて一歩しかお店に入れず、「古布に埋まる」という非日常を味わえます。

帰り際に店主といつも呑みに行く約束をするけれど、日程を決めないから一度も行けた試しがない。

 

■オータム吉日

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我が家で開催するお酒が出るイベントに、すごい出席率を誇る知人・フッキー。彼女が始めた古道具とカレーとビールのお店が「オータム吉日」です。

狭い店内に、魅力がギュッと詰まった裏路地の隠れ家のよう。なんだかヌメッとした関西人のフッキーが切り盛りする、飛騨の最新スポット。

いい意味で予定調和のないスタイルで、掘り出し物に出会えるかもしれません。個人的にツボのものが多くて困ります。

 

■OBSCURO

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オープンから2年近くたつけれど、店主曰く、まだプレオープン中のレコード店。

環境音楽・ワールドミュージック・アンビエントの音源が盛りだくさんの宝箱のようで、マニアックが日常になっている駅前のレコードショップ。無口な店主はお坊さんなので、土日はお店はお休み。ここに来るといつも新しい発見があります。

オススメは何ですか?と聞いて、やわい屋のBGMを選んでもらってます。

 

■中谷製粉製麺所 

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街の中心部、観光のメッカ「赤い中橋」のほど近くで、淡々と麺をつくり続けている市民の食卓を支える名店。

我が家で食べる麺類はすべて中谷製麺のもので、うどんの乾麺はお昼ごはんの定番。店頭で買える「生麺」の中華そばも、素朴で普通で素直で美味しい。ちなみに同級生の実家でもあります。

 

■閃き堂

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僕らの住まいから徒歩3分のご近所さん。「この土地が気に入った!」と言い、本当に引越してきて商いを始めた谷澤家の営む喫茶店です。

カレー・コーヒー・置かれている漫画・空間・音楽。すべてに妥協がないのに不思議と落ち着く。敷居が高そうで、実は誰でも快く受け入れてくれる、優しいお店。

 

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著者:朝倉圭一

山田和正

岐阜県高山市出身。小中高を不登校でやり過ごし、20代半ばまで愛知県で過ごす。地元に戻り、2016年4月から民藝店「やわい屋」を開業。築150年の古民家を移築再生した店舗兼住宅で暮らしています。
HP:https://yawaiya.amebaownd.com/
Instagram:@yawaiya_asakura/

編集:Huuuu inc.