
お笑いコンビ「ママタルト」の大鶴肥満さん。体重200kgに迫る圧倒的な体格と愛嬌たっぷりの笑顔、そしてM-1グランプリで2度の決勝進出を果たすなど、その確かな実力で独自の存在感を放っています。
そんな大鶴さんが育ったのは、東京都練馬区の「関町」。小学校低学年にして「練馬区こそが至高」と思えるほどの地元愛を抱いていたといいます。オズワルド・伊藤さんや蛙亭・イワクラさん、森本サイダーさんらと過ごした「楽しすぎるシェアハウス」時代や、壮絶な隣人トラブルに見舞われた一人暮らしなど……。悲喜こもごもの経験を経て、ご自身にとって心地よい街の環境やライフスタイルを見つけていきました。
大鶴さんがこれまで過ごしてきた「東京の街」について、当時の思い出とともに振り返っていただきました。
「練馬はまだ俺をワクワクさせてくれるのか」地元愛がピークに達した少年時代
── 今回は大鶴さんの地元・練馬区の関町で過ごした幼少期や、これまで暮らしてきた東京の街についてお伺いしたいと思います。

大鶴肥満さん(以下、大鶴):よろしくお願いします。まーちゃんごめんね。
── さっそくですが地元の関町は、最寄り駅でいうとどの辺りになるのでしょうか。
大鶴:西武新宿線の武蔵関駅と上石神井駅のどちらも最寄りになるような場所ですね。吉祥寺駅までも自転車で行ける範囲でした。子どもの頃は地元のことを最高の街だと思っていて、ここを出るなんて考えられないと。そんな感情が8、9歳にして芽生えていました。
練馬区こそが至高! という気持ちで育ったので、練馬区出身の人や練馬で生まれたものに対しては異様に誇らしく思っていました。Mr.Childrenの桜井和寿さんが石神井公園をジョギングしている時に『Tomorrow never knows』の歌詞の一部を思いついたという逸話や、『ドラえもん』に登場する公園のモデルがあの辺りだとか、そういうエピソードがすごく誇らしくて。地元に骨を埋める覚悟でいました。
── 8、9歳でそこまでの覚悟が。
大鶴:当時は単に世間を知らなかっただけなんですけどね。地元から出たことがなく、区外は恐ろしいところだと思っていて。ただ、自転車が漕げるようになって少し遠出をしたときに大泉学園の発展ぶりを見て、練馬区の底知れない魅力に衝撃を受けました。「練馬区ってところは、まだ俺をワクワクさせてくれるのかよ!」と。そこからさらに活動範囲が広がって、今度は吉祥寺のすごさを知っていくわけです。(※編注:武蔵関駅から吉祥寺駅までバスで15分程度)
そうやって、だんだん外への憧れが強くなっていったので、僕の練馬区愛のピークは8、9歳まででしたね。
── そんな練馬区での、子どもの頃の遊び場や思い出深いスポットを教えてください。
大鶴:関町は普通の住宅街でこれといったスポットも特にないので、放課後は上石神井の区立体育館に行っていました。みんなで卓球やバドミントンをして、待合室に置いてある『白鳥麗子でございます!』や『おたんこナース』といった、小中学生にとっては渋すぎる漫画をよくわからないまま読んでいました。
当時は地元で遊ぶ子と吉祥寺まで行く子とが明確に分かれていたように思います。吉祥寺で遊ぶ人たちはどんどんオシャレになっていくんですが、僕らのように興味がない人たちは小学生時代に着ていた「T&C(タウン&カントリー)」の服で満足していました。中学は制服がない学校だったので、私服のオシャレ度でヒエラルキーが生まれるんですよ。
中3になって塾に行き始めると、東伏見の駅前にあったファミリーマートによくたむろしていました。塾のメンバー10人くらいで集まって、60円のファミコロと50円のブタメンを一緒に食べる。そのファミマに斎藤さんという名物店員さんがいて、みんなで「斎藤さんのレジさばき、いいよな」と言いながら真似して遊んだりして。
あとは、家族でよく行っていた「春香苑」という焼肉屋さんが思い出深いです。プロ野球選手のサインがいっぱい飾ってあることからも、ここは間違いないなと子どもながらに思っていました。芸人になって自分のお金で春香苑の焼肉を食べるというのが一つの目標でしたね。
── ちなみに、大鶴さんは子どもの頃から体格が良かったとのことですが、ご実家がお弁当やお惣菜を売るお店だった影響もあるのでしょうか。
大鶴:それは大いにあるでしょうね。親が夜もお店で仕事をしていたので、渡されたお小遣いで好きな食材を買って食べるのですが、栄養バランスなんて考えない。ガーリックチキンとご飯、ステーキとご飯、唐揚げとご飯……好きなものを好き勝手に、お腹がキリキリ痛むくらい、常に120%満腹になるまで食べていました。
規則正しい生活を送っていたこともあって栄養がしっかり吸収され、中学に入ってからは急激にムチムチと大きくなっていきましたね。

「お笑いだけは後悔したくない」親の反対を乗り越えて選んだプロの道
── 高校卒業後は、明治大学に進学されたと。当時は関町から吉祥寺まで自転車で行き、そこから電車通学をしていたそうですが、吉祥寺で遊ぶことも多かったのでしょうか?
大鶴:あんなに憧れていたのに、大学時代に吉祥寺で遊んだ記憶はほぼないですね。“通り過ぎる場所”という感じでした。
あの頃の吉祥寺での唯一の思い出は、とある耳鼻咽喉科の医院。当時、季節の変わり目に必ず40度の熱が出るほど扁桃腺が腫れやすかったんです。大学病院からその医院に来ている先生が僕の扁桃腺を見るなり、「これはすごい。君の扁桃腺は立派すぎる。ぜひ僕に取らせてくれないか」と大興奮で。「取る気になったら絶対に僕に連絡して。僕が執刀するから!」と、大学在学中ずっとラブコールを受け続けていました。
── そこまで熱烈だと、ちょっと怖い気もしますね。
大鶴:ただ、そこまで言われたらさすがに他の医者には行けませんよね。その後、芸人になるタイミングで「扁桃腺を取らないと仕事ができないかも」と思い病院に行くと「待っていたよ! 僕を指名してくれてありがとう!」と喜ばれて、無事に手術してもらいました。

── お笑いへの興味は、いつから芽生えたのでしょうか?
大鶴:大学の授業でメディアについて学ぶうちに、演者側、つまりプレイヤー側である「お笑い」の方に興味が湧いてきて、明治大学のお笑いサークル「木曜会Z」に入りました。といっても、当初からプロになるためストイックに活動していたかというと、そういうわけでもなく。
サークル内には1学年上のサツマカワRPGさんのように真剣にプロを目指す人たちと、純粋にサークル活動を楽しむエンジョイ勢に分かれていて、僕は後者。大喜利とかも全然やらず、先輩たちと一緒にディズニーに行ったりして、キャッキャ遊ぶのが楽しかったんです。
── ただ、最終的にはプロの道を目指すことになったわけですね。
大鶴:そうですね。プロになりたいという気持ちが芽生え始めた時に、「これまでは親の言う通りに生きてきたけど、お笑いだけは挑戦しなかったら一生後悔するかも」と強く思いました。実は僕、子どもの頃に少年野球(リトルリーグ)をやりたかったんですが、親に「車酔いして遠征で迷惑をかけるからダメだ」と止められてやらなかったんです。
でも、野球をやってこなかったことに対してずっと後悔があって、また同じ思いはしたくないなと。挑戦しなかったら、多分ずっとネットで悪口を書くような人間になってしまう気もして、一度は就職した会社を辞めて芸人の養成所に入りました。

オズワルド伊藤らとの「楽しすぎるシェアハウス」。飛躍するルームメイトたちから得た刺激
── 大鶴さんは、オズワルドの伊藤さん、蛙亭のイワクラさん、森本サイダーさんとシェアハウスをされていたことでも有名です。その共同生活は、養成所を卒業された後にスタートしたのでしょうか?
大鶴:いえ、養成所卒業後は大学の後輩とルームシェアを始めました。代田橋の家賃7万8000円の2DKです。その後、サークルの先輩でもあるサツマカワRPGさんに「東中野のルームシェアが1人空くから来ない?」と誘われて移ったんです。尊敬するサツマカワさんと一緒に住めるのはうれしかったですね。そこから代田橋の一軒家を経て、オズワルドの伊藤さんが募集したルームシェアの“オーディション”に参加しました。
── 同居人をオーディションで選ぶのは芸人さんらしい発想ですね。
大鶴:もともと伊藤さん、イワクラさん、サイダーさんが一緒に住むことになっていて、「あと1人くらいいてもいいよね」ということだったみたいです。「ピザ窯を持っているのでピザを焼けます」というアピールが効いてオーディションに合格し、それから4人暮らしが始まりました。
物件は、渋谷区初台にある都市開発で2年後に取り壊される予定の3LDK。つまり最初から2年限定の共同生活でしたが、その間に僕以外のみんながどんどん芸人として飛躍していくんですよね。伊藤さんはM-1決勝に連続で進み、イワクラさんはキングオブコント、サイダーさんはR-1グランプリのファイナリストになって。僕は家で待つ側として、何度ピザを焼き、何度お祝いのくす玉を割ったことか。

── ルームシェア時代の動画がYouTubeにアップされていますが、いかにも温かい雰囲気が漂っています。
大鶴:そうですね。実は当時、相方の檜原(ひわら)も先輩芸人のZAZYさんたちとルームシェアをしていたんですが、そっちと比べたらかなり雰囲気は良かったと思います。うちは誰かが賞レースで結果を出して帰ってくると「おめでとう! わー!」って家族みたいに温かく迎えるんですけど、相方の家の方は誰も何も言わないらしくて(笑)。「殺伐としたルームシェア」と「家族のようなルームシェア」で、対照的でしたね。
── ルームメイトたちが次々と賞レースで結果を出していく環境は、ご自身の芸人活動への刺激や糧になったのではないでしょうか。
大鶴:ものすごく刺激になりましたし、モチベーションにもなりました。ただ、僕はコンビでネタを書いていない方なので、その刺激やプレッシャーをネタづくりにぶつけることができず、ただただ焦りだけが出てしまって……。
でも、結果的にルームメイトたちの存在は、僕らコンビにとってとてつもなく大きな糧になりました。というのも、伊藤さんたちが先に“決勝の舞台”を経験してくれたおかげで、「決勝に行ったら事前VTRの撮影で深夜3時までかかるよ」とか「当日の収録は、こういうスケジュールになるよ」という先人の知恵を事前に全部教えてもらえたんです。
いざ自分たちが賞レースに挑む時に、その先の景色やスケジュールが分かった状態で臨めるというのは、ものすごいアドバンテージでしたね。
床ドンに毒グモ。初めての一人暮らしはトラブル続出
── ルームシェア解消後は、どこに引越しましたか?
大鶴:ライブ会場が多い新宿・渋谷にアクセスしやすい中野坂上を選びました。駅から徒歩6〜7分の築19年の1Kで、家賃は8万4000円。初めての一人暮らしです。狭いキッチンでピザをつくったり、ジャイアンツのユニフォームを部屋に飾ったり、フィギュアを並べたりと、自分だけの城を自由に満喫できて最高でしたね。

ただ、音の問題に悩まされました。入居して1週間くらいの頃に友達を呼んで飲んでいたら、真上の部屋から建物全体が揺れるほどの「床ドン」を受けまして……。うるさくしたのは申し訳なかったんですけど、以降は床に物を落としただけでドンドン!とやられるようになり、ストレスが溜まりました。こちらからは天井に向かってカントリーマアムを投げつけるくらいの反撃しかできないので。
騒音トラブルだけじゃなくて、虫トラブルも絶えない家でした。一番怖かったのは、めちゃくちゃでかいクモが出た時ですね。虫博士の後輩に写真を送って「これなんてクモ?」って聞いたら、「多分このクモか、こっちのクモです。こっちだったら噛まれたら痺れて、最悪死に至る毒グモです」って言われて。2分の1の確率でそんな危険なクモがいる家、怖すぎません? 後輩には「近くに清流ないですか?」って聞かれたんですけど、中野坂上に清流なんてあるかなって(笑)。
── なかなかサバイバルな環境ですね。
大鶴:でも、だからこそ困難な状況を打開する知恵も身につきました。上の部屋からいくらドンドンやられても直接文句は言わず、「いざ」という時を見越して管理会社を味方につけるため、ひたすら善行を積みました。そうすれば今後もし上階の住人からクレームが出ても、日頃から貢献している僕の味方になってくれるはずだと。大雪が降った時は自腹でスコップを買って、アパートだけでなく区画全体の雪かきをするなどアピールを続けた結果、管理会社の人の目にとまって好印象を持たれたんです。
さらに、この「雪かき外交」は思わぬところでも活きました。退去の告知は1カ月前までにしなければならないというルールを知らず、1週間前に伝えてしまったんですが、「1週間で絶対に清掃も終わらせて出ます!」と菓子折りを持って泣きついたら、「今回はいいですよ」と許してもらえました。
お尻が拭けない家は地獄!巨漢ゆえのシビアな物件選び
── 中野坂上の家を出て、現在は再度初台にお住まいだそうですね。

大鶴:以前住んでいたころからお気に入りで。初台は本当に住みやすいです。まず、オフィス街なのでサラリーマンの味方であるチェーン店が充実しています。マクドナルド、ケンタッキー、ココイチ(カレーハウスCoCo壱番屋)、餃子の王将、先日は自宅の目の前にくら寿司ができました。街の静かな環境も気に入っていますし、交通の便も最高。新宿や渋谷、中野行きのバスが豊富で、自転車があれば千代田線の代々木公園駅も使えますね。

個人的にポイントが高いのは、名医がいる病院が多い点です。以前、原因不明のひどい高熱が出た時、初台の内科の先生が僕の赤く腫れ上がった足を見た瞬間に「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」という病気を見抜いてくれました。抗菌剤を飲んだらすぐに治って、「こんなにいい病院はない!」と完全に信頼しきっています。他にもかかりつけのドクターが何人かいるので、初台からは離れられないですね。
── 吉祥寺の耳鼻咽喉科の先生といい、医者運に恵まれていますね。大鶴さん流の物件選びのアドバイスはありますか?
大鶴:太っている人に向けたアドバイスになりますが、内見に行ったらまずトイレに入って、「自分のお尻が拭けるだけの広さ」があるか確認することです。最近の新築物件は生活スペースを広く見せるために、トイレをギリギリまで狭くする傾向があるらしいんです。だから、太っている人は新築や築浅の物件には住みにくい。家賃が少し安くてトイレも広い築10年以上の物件が狙い目です。めちゃくちゃ良い物件でも、毎朝お尻が拭けない生活は本当に地獄ですからね。
── では最後に、大鶴さんがこれから住んでみたい東京の街があれば教えてください。
大鶴:今は初台が気に入っていますが、品川や高輪ゲートウェイといった自分が全く知らない街にも住んでみたい気持ちが強いです。あとは、目黒や小田急線沿線の成城学園前のような、静かで生活が見える街が気になります。
ゆくゆくは「家を持たない生活」もしてみたいですね。地方のビジネスホテルや露天風呂付きのホテルを1カ月単位で借りて、全国を点々と渡り歩きながら各地を盛り上げる。そんな暮らしができたら面白いなと思います。

お話を伺った人:ママタルト・大鶴肥満さん
檜原洋平と2016年4月にママタルトを結成。「マイナビ Laughter Night」(TBSラジオ)や「ツギクル芸人グランプリ」など若手発掘コンテストの決勝で注目を集め、2024、2025年M-1グランプリ決勝進出。「まーちゃんごめんね」略して「まーごめ」を万能な言葉として使用していることで知られ、彼のドキュメンタリー映画「まーごめ180キロ」、続編「肥満の結婚前夜」は劇場公開された。
聞き手:榎並紀行(やじろべえ)(えなみ のりゆき)

編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめとする住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。
X(旧Twitter): @noriyukienami
WEBサイト: 50歳までにしたい100のコト
編集:はてな編集部
撮影:小野奈那子
