著者: 宮本雅就
岐阜県郡上市八幡町(ぐじょうしはちまんちょう)。
徹夜で踊る「郡上おどり」や、日本三大清流の一つ「長良川(ながらがわ)」など、この町の歴史ある文化や自然環境に魅せられ多くの人がやって来るこの町に、2021年10月、土地の読み方さえも知らず僕はやって来た。
この町へやって来たきっかけは”偶然仕事が決まった”というだけだった。そしてその仕事も、やりたいことを見つけるために選んだものだ。
「この町はやりたいことを見つけるために来た町、きっと1年もしないうちに出ていくことになるだろう」と、とても軽い気持ちでいた。
僕は初めから、ずっとこの土地にいるつもりは全くなかった。
ここに来てからもう2年がたつ。
綿毛のようにフワッと来て、フワッとこの町を出ていくつもりだった僕は、今、この郡上八幡という土地で地に足を着け、もう少し頑張ってみたいと思っているのである。
何がやりたいかわからないから、何でもやらせてもらえるところへ行った
少し時を戻して、2021年4月。
大学を卒業してすぐ、京都府亀岡市にある古民家カフェでアルバイトとして働いていた。
そこはアーティストが運営するカフェで、当時写真家になることを夢見ていた僕は、「ここで写真を教えてもらいながら働いて、ゆくゆくは写真家になろう」と思い面接を受け、お世話になることとなった。
しかし結局、そのカフェを半年もしないうちに辞めた。このままアルバイトを続けながら写真家の夢を志す勇気も度胸も僕にはなく、カフェを辞めると同時に写真を撮ることも辞めてしまった。
昔から好奇心だけは旺盛で、たくさんのことを試してきたけどどれも続けられなかった。今度こそ!と意気込み、写真家を目指してみても、結局どれも中途半端。
僕は何がしたいのだろうか。何ができるのだろう。
そうしてしばらく悩んでいたとき、SNSにある求人広告が流れてくる。
「空き家を動かすためのさまざまな業務を、幅広くこなしていくことが仕事です」
僕はこれまで建築なんて一切学んだことはなかったし、興味すらもったこともなかった。だから本来であればこの広告が僕の目にとまることはなかっただろうと思う。
しかし、亀岡のカフェで働いていたとき、偶然にも2階にホテルをつくろうということになり、従業員ら皆で天井を抜き、壁を塗り、実家では見たこともない古民家特有の大きな梁(はり)にいちいち驚いたりしているうちに「建築って意外とおもしろいかも」と興味をもつようになっていた。
求人広告はそんな絶妙なタイミングで僕のケータイに現れ、しかも募集要項には「建築未経験の方でも大歓迎」とある。
そのなかでも特に引かれたのは、「さまざまな業務を幅広くこなしていく仕事」というところ。やりたいことが分からない僕にとって、なんでもやらせてもらえるというのはとても魅力的だった。建築が好きになるかは分からないけど、色々やらせてもらえるならその過程でやりたいことが見つかるかもしれない。
おいおい、これは僕のための求人なのか? 応募しない手はない。
この町を自転車で走り回るイメージが鮮明にできた
「Zoomでも結構ですが、もし可能であればこちらまで面接に来ませんか?」
僕が初めて郡上八幡を訪れたのは面接のときだった。蝉がよく鳴いていたことを覚えている。京都駅から直通バスで郡上八幡ICへ、そこから徒歩30分かけて指定の面接場所まで、僕はドキドキしながら向かった。
郡上八幡の町のど真ん中には、日本屈指の清流・長良川の支流である「吉田川」が流れている。面接場所まで向かう道中、橋の上から吉田川を初めて見たとき、町を自転車で走り回るイメージが鮮明にできた。きっとこの町へ来ることになるだろう。不思議とそう思った。
直感は見事に当たった。幸運なことに面接を通過した僕は、郡上八幡の空き家対策に取り組む「チームまちや」でお世話になることとなり、郡上八幡へ来ることが決まった。
「この町はやりたいことを見つけるためにきた町。それが見つかればすぐに出ていこう」
そんな気持ちで、僕はこの町にやって来た。
すぐに出ていくはずだった町に、気がつけばとても引かれていた
郡上八幡へ来てから2年がたった。
「チームまちや」が町の人から広く周知されていたこともあり、「チームまちやの宮本くん」として覚えてもらえるのにそこまで時間はかからなかった。
仕事とは別で本に関する活動を始めてから、その活動をおもしろがってくれる人たちがイベントに誘ってくれたり、一緒にイベントを企画しているうちに「本の人」とも認識してもらえるようになった。
誰でも好きなときに参加し踊れる「郡上おどり」が町の文化として色濃く残っているからか、この町には好きなことや、自己表現をしやすい雰囲気がどこか漂っているように感じる。
友人の家に集まり、楽器を思いおもいにかき鳴らし好きなように歌ったり、先日は大人の運動会を友人と企画し、40人ほどの大人がガチンコで競い合うアツい大会を開催した。
町を歩いているだけで知り合いに会えるし、お店へ行けば必ず誰かに会うことができる。歩いて行ける距離に友人がいて、会ったときには「今日は何してたん?」なんて決まりきったやりとりがあるのも、それはそれで心地がよい。
そうして知り合いが増え、あまりに居心地のよくなったこの町に、気がつけば僕はとても魅せられていた。
自分のことを知っている人が多い町のことを「地元」と呼んでもいいんじゃない?
この町になじんできていることにうれしさを覚えていた反面、僕は同時に戸惑っていた。
「ここにいるのはやりたいことを見つけるまで」と決めていたこの町のことを、好きになってしまっていたからだ。
土地を気に入ってそこで暮らしを始めたり、組織に入り込んだりしてしまうと身軽にこの町を離れることができない。僕はずっと無責任でいたかったのだ。
そして、この土地にずっと暮らしたいという気持ちが自然に湧いてくるようにならなければ、土地に根を下ろしてはいけないのではないかとどこかで思っている自分もいた。
根を下ろしていない自分の足下はいつまでたってもグラグラとしたままで、興味のあることが目の前にあっても「いつ出ていくことになるか分からないから、長く続きそうなことは初めからやめておこう」と自分で選択肢を狭めてしまうことも多々あった。
そんな態度でいた僕は、どこか町や人に対して中途半端に向き合っているような感覚があった。それでも、土地に根付く覚悟をする方がよっぽど怖かった。
そんなあるとき、いつもお世話になっている先輩と関西で一緒に飲みに行くことになった。待ち合わせは兵庫県の「清荒神」という、参道商店街がある街だった。
先輩はその近くの町の出身ではあるが、その日一緒に飲んだエリアは生まれ育った場所ではないらしかった。しかし、先輩はそこでたくさんの人から名前を呼ばれ、とても楽しそうに話しキラキラと輝いていた。
夜遅くまで飲み、先輩と2人、電車で「地元」についての話になった。
「僕、大阪が生まれ故郷なんですけど、最近大阪に帰ってきても郡上に帰りたいと思ってしまう自分がいるんですよね。地元が郡上になってきてるような気がしていて…」とこぼす僕に先輩はこう返してくれた。
「自分のことを知っている人が多い町のことを『地元』と呼んでもいいんじゃない?」
この言葉は、先輩自身もお世話になっている先輩からいただいたものらしい。大事な言葉を受け渡してくれたようで少し誇らしかった。
後々聞いた話であるが、先輩が地元だと感じている土地は、あの日2人で飲んだ兵庫県のあの町だという。なんだかとても納得がいった。
この言葉をもらってから僕の中で少しずつ変化があった。
まず「この町でずっと暮らしたい」と、まだ自然に思うことができなくても、土地に根を下ろす「地元」は自分が決めてもいいんだと思えるようになったこと。
そして、郡上が好きである自分を許し、根を下ろすことで生まれる責任もちゃんと受け入れていこうと思ったこと。
こうして立派なことを書いているが、本当のことをいうと、まだ「ここで暮らしていく」と決意ができたわけではない。しかし、暮らす場所は自分で決めてもいいと分かってから、自身の行動はとても変わったように感じる。
来年度まで続きそうな町の実証実験に自ら手を挙げかかわらせてもらうことになったり、身近な人を含め、多くの人にこのエッセイを読んでもらえることになるのを承知のうえ、今こうして文章を書いている。
数カ月前の自分では本当に考えられなかった。
そしてもう一つ大きな変化がある。それは何を始めるにも、どこかの組織に入るにも、判断基準は“興味があるかどうか”だけになった。とてもシンプルで楽だ。
綿毛のように偶然流れ着いたこの町は、僕が輝いていられる町だった
僕は今、この町、郡上八幡がとても好きだ。
もう少し詳しく言うと、この町にいるときの自分が好きなんだと思う。
仕事のおかげで、この町のことは生まれ故郷の大阪よりも詳しくなり、行きつけのお店もたくさんできた。
遊びに来てくれる友人には町を連れまわし、おすすめのお店や町の大好きな人たちを紹介している。
休日家に引きこもり、一日誰とも話さなかった日は必ず「糸CAFE」へ行く。ここへ行けば、店員の皆さんがいつも気さくに受け入れてくれるため、「人に会いたくなったら糸CAFEへ行く」と、僕の中で方程式ができてしまっている。
「ここへ行けば必ず人と会える」という安心感は、この町へ1人で移住してきた僕にとってとても心強い。
友人が遊びに来てくれたときは「安養寺」へ連れていくことが多い。
ここは僕が1人になりたいときによく行く場所で、読書スポットでもある。静かな通り沿いにあり、風に揺れる目の前の木々を眺めながら、友人と落ち着いて会話をすることができる。
先日は、友人に結婚相手との馴れ初めをここで根掘り葉掘り聞いてしまった。普段なら話せないようなこともここでは話せてしまう、本当に不思議な場所だ。
僕が暮らすこの町には、話しに行きたくなるような人たちがいて、友人におすすめしたくなる場所がある。歩いて行ける距離にそのようなものがあるこの暮らしは、とても豊かだと感じている。
この豊かな環境を好きでいられ、それを友人に誇らしげに紹介する自分は、あの日の先輩と同じようにキラキラとしているのではないだろうか。
綿毛のように偶然流れ着いたこの町は、僕が輝いていられる町だったのだ。
この町へ偶然流れ着いたあのときのように、いつだって先のことは全く分からないけど、今のことなら少しは分かる。だったら、僕が輝いていられる大好きなこの町にいるうちは全力で楽しく過ごせばいい。
この町でもう一度運動会もしたいし、本屋さんもやってみたいし、ちゃんと町を案内できる町の案内人にもなりたい。まだまだやりたいことがたくさんある。
さて、持ち前の好奇心を爆発させて、これからこの町でどんな楽しいことができるだろう。想像しただけでワクワクしてしまうな。
著者:宮本雅就
1997年、大阪府生まれ。ワーホリや東南アジア放浪を経て、2021年に岐阜県郡上八幡へ移住。本好きが高じ、レターパックを使用した私設図書館、遠距離図書館「ASTRAVY」を始める。郡上八幡がいいところであることをいろんな場所で言いふらしている。旅と本と中華料理が好き。
Instagram:@mm55world
FaceBook:https://www.facebook.com/miyamoto.masanari.7/
編集:乾隼人(Huuuu)