新宿ゴールデン街:夜の濃度に比例して僕たちは溶け合っていく

著:竹中直己

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赤い灯りがゆったりと拡がる店に、僕はいる。

 

ここのカウンター席がとても好きだ。奥行きが十分にあるから肘の収まりがとても心地良い。それと高さだ。カウンターから天井までの距離を少しだけ長めにとってあるから圧迫感が少ない。意外と居心地の担保はこういった高さへの執着だったりする。

 

モダンな提灯からの赤色光は妖しさの具合がちょうどいい。通い慣れると忘れてしまうが、この照明は映画「スワロウテイル」のイメージから採用されているのだった。昔、先代のジョーさんがニコニコしながら話してくれた。

 

トイレのドアの向かい壁には、この店が復活した際に僕がプレゼントした、タイのクラシックホラームービーのポスターが飾られている。

悪趣味が一周半すると最高のクリエイティブに納まるという典型で、恐怖を強調させようと目論むレイアウト技法が、どこか間抜けで可愛いんだ。こう思っているのは僕だけかもしれないけど。

 

僕はゆっくりと、赤兎馬の水割りを飲む。カウンター席の左隣には自衛官がいて、右隣には一般人の働くおっさんから日本アカデミー賞の新人賞を獲得してしまった俳優がいる。

自衛官は、もういい大人なのに中学生みたいな下ネタを夢中になって話していて、妙な相槌を僕に求めてくる。俳優のほうは、なんとか話題の中心が自分に向くように、信じられないタイミングで下ネタのコシを折りにくる。

 

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 平常運転だ。


ようやく、でたらめな日常が新宿ゴールデン街に戻ってきた。

 

 

厄災が街の日常を奪う

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この街を知らない人もいると思うので一応説明すると、新宿ゴールデン街とは、新宿区役所と花園神社の間に位置する飲食店街で、200店舗以上がひしめき合ってる。

 

よくLGBTの聖地である新宿二丁目の繁華街とか、居酒屋街「新宿西口思い出横丁」と混同されるけど違う。新宿ゴールデン街は、小じんまりとしたBARの集合体で、いい意味でも悪い意味でも個性豊かな人間たちが集まる不思議なエリアだ。

 

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深夜になるとにぎわいが増す。昔は文化人が好む街とされたが、今は本当に多様。俳優、芸人、アーティストはもちろん、官庁の役人からベンチャー企業の若き経営者まで、本当にいろんな職種の人間が集まる。最近では欧米人の観光客の人気スポットとしても有名だ。

 

今、僕がいるのは、新宿ゴールデン街の”流民”という店。

 

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少し前の話をしようと思う。合わせて僕の過去も。そろそろ振り返る必要も感じていたし、ここの現在を知りたい人もいるだろう。なにより忘れるには早すぎる。

 


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※クラウドファンディングプロジェクトより画像転載

2016年の4月、ゴールデン街が燃えた。

 

街の一角が炎に包まれ、静止した。

 

不審者の放火によって18軒の店が焼失・半壊して営業ができなくなったのだ。火元は僕の行きつけ“流民”の2階で、当時はその2Fの店舗スペースをゴールデン街で知り合った友人が借りていて内装工事中だった。

 

そこに不審者が入り込んで火の手が上がった。犯人は支離滅裂で愉快犯とも違う、錯乱した状態だったらしい。友人が選定した工事業者が鍵をかけ忘れたから不審者が侵入できたという話だけど、本当にたまたま偶然が重なった。

 

僕はちょうど仕事で大森にある東邦大の病院へ取材に行った帰りにこのニュースを知った。Twitterは大騒ぎで、動画も拡散されていた。ヘリコプターからの俯瞰した映像は、通い慣れた店が黒煙に包まれている姿を捉えていた。

 

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いてもたってもいられなくなり、次の打ち合わせをお断りしてゴールデン街に向かった。伊勢丹あたりから焦げた匂いが漂っていた。

吉本興業の本社ビルエントランスからたくさんの人が顔を覗かせている。その中に馴染みの顔を見つけて様子を聞き、重傷、死亡者がいないことを聞いて安堵した。

 

しばらくすると、立入禁止テープの近くで流民の店主スーちゃんを見つけた。その時の彼の開口一番の言葉を今でも憶えている。

 

「たけちゃん、なるようになるよ」

 

闘う意志と、不安が入り混じった人間の瞳を、僕は震災ぶりに見た。

 

 

新宿ゴールデン街と僕

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僕とゴールデン街の出会いを話そう。


初めて扉を叩いてから、もう12年になる。当時は人材派遣会社で営業職に就いていた。

新宿で飲んだ二次会で先輩と怖いもの見たさに訪れたのが最初だった。10席もないこぢんまりとしたカウンターの店が何十軒と並ぶ街。ここに入っていくのは勇気がいる。

 

グルグル回って一番屈託のない人の良さそうなおばあちゃんが「アラ!初めて!?3000円で飲ませてあげるよ!」と声を掛けてくれたので、その店に入った。話した内容は憶えてないが「あ!ちょっと時間過ぎちゃったから4000円!」と、とっても元気に、うすーく、ぼったくられたのを憶えている。


普通なら、おいおい……となりそうなもんだけど、この街の一員になった気がして、先輩と「OK!またくるぜ!」と帰った。今思うと時間でセット料金って経験をしたのは、この店だけだ。ゴールデン街でキャバクラみたいに時間でお金をとるとこなんてない、たぶん。なんだったんだろ、あれ。この店はもうないです。

 

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二度目のゴールデン街は、転職の節目もあってしばらく空いたが、あの高揚感が忘れられなくて、今度は1人で行ってみた。微妙にぼったくるおばちゃんは避けて入りやすそうな店を探す。

 

そこで選んだ店がゴールデン街の端っこにある「流民」だった。理由は外壁にサブカルの権化ともいうべき「ねこぢる」のイラストが飾ってあったから。体育会系だけど「ガロ」とか読み漁ってた僕には見事に刺さった。

 

現在の店主スーちゃんは、同い年の松坂世代でこのころはバイトで入っていた。バスケだの、HIPHOPだのお互い共通の趣味があってすぐに仲良くなり、以来ずっと通うことになる。

 

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僕が転職した先は先輩が立ち上げたクリエイティブプロダクションで、営業から制作まで顔を出す仕事だったから、夜中まで仕事するのが当たり前になった。

終電近く、いや、日が変わったころに、ゴールデン街に行って朝まで飲むという大不健康ルーチーンが始まる。これが最高に楽しかった。ゴールデン街で知り合った同じような輩と何軒も、何軒もハシゴした。


この街では、ハシゴ酒が当たり前だから、出るときには「おやすみなさい」じゃなくて「いってらっしゃい」と声をかけるのがルールだ。


突拍子もないことが、どこに行っても起きた。1万円札を燃やして煙草に火をつけるバーテンダー、抜歯した親知らずをテキーラと一緒に飲み込んで歓喜する美女、クーラーボックスに入りたがる公務員、頼んでもないのに目の前で余興が朝まで続く。昔のサーカス団ってこんな感じだったのかもしれない。

 

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このころには京王新線の幡ヶ谷に引越していた。新宿西口の高層ビル群から走る水道道路付近の初台、幡ヶ谷、笹塚は渋谷区なのに家賃がそこまで高くない。

なによりゴールデン街からのタクシー代がワンメーター越えるくらいで済むし、頑張れば歩いて帰れる。この絶妙な近さは、尊き酔っ払い達にとって最重要ポイントだ。

 

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現に常連の友達はもちろん、ゴールデン街で働いている面々もご近所さんに沢山いた。土日は昼時の弁当屋でばったり会ったりして、ちょっと恥ずかしかったりする。ちなみに冒頭の俳優は、一緒に飲んでて帰れなくなるとウチに泊まることがあって、そうなると3日くらい帰らない。

最初は「帰ったほうがいいんじゃ……?」なんて遠回りに伝えていたんだけど、いつの間にか一緒に銭湯行ったり、スポーツニュース観て騒いだりするようになってしまうのだ。今思うと50代のおじさんとのプチ同棲が楽しいだなんて、慣れって怖い。

 

 

人に優しく、隔てなく

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よく喧嘩もした。年上のおじさま方が元気過ぎる街なので、暴力はないにしろ「若造が~」みたいな絡み方をしてくる年配の方がいらっしゃる。啖呵を覚えたのもこの街だ。

 

ある日、綺麗な身なりだけどベロッベロのおじさんに

「俺は、おまえみたいな広告代理店の営業マンみたいな若いのが一番嫌いなんだよ」

と目の前で言われたことがある。出会い頭にそれはないでしょう。もうちょっと内面見てよ。あんまりだ。

 

さらに続けて、

「なんの仕事してんだ、おまえ?」

ときた。こうなると僕もスイッチが入る。

「WEB制作とかしてます」

「あー、おまえらか、調子にのってるのは。おれは新聞屋だよ」

「若者にシワ寄せが行くような日本をつくっちゃった立役者っすね」

「なんだと、この野郎」

といった具合で始まった。

 

こういうのが苦手って人もいると思うけど、外から見ている分には嫌いじゃないでしょう? いいんです。野次馬大歓迎。火事と喧嘩は江戸の華っていうじゃない。あ、火事で洒落にならなくなった話を書いてるんだった。

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そんなこんなで、その夜は罵り合いが続いたが、酒が入ってくると、ムカつくおじさんも奥さんが病気したとかシンミリした話をしだす。なんだか可哀想と結局は僕も酔っ払う。最後は「お互い頑張って行こ!」と仲直りした。

 

あとで聞いたら、かなり有名な新聞社の部長だった。ちなみに、このファーストバトルから、このおじさんとは過去に3回同じような喧嘩をしている(うち一回は僕の誕生日)。毎回、ヘベレケで握手して終わるんだけど、本気で仕事で出くわしたくない。たぶん、向こうは毎回憶えてないだろうけど。

 

こんな人含めて“夜の先輩”ができてしまうのが、この街だ。喧嘩っ早いおじさんの話を先に書いちゃったけど、僕は先輩の「俺の話を聞いてくれ」は割と慎重に聞くようにしている。説教臭いのは嫌いだが、ここに集まる人たちは結構ためになることを言う人が多いんだ。愚痴っぽい人は少ない気がする。

 

ここに限らず「何かを伝えようとしてくる人」の話は一度は聞く姿勢を持ったほうがいい。もちろん、自分よりも若い人の話を聞くときも。その中に原石を見つけるかどうかは、かなり聞き手の自分次第だったりする。

 

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ゴールデン街の魅力を言葉にするのは難しい。たぶん、あやふやなのが、いいんだと思う。掟とか、上下関係とか、あるようであんまりない。誰が偉いとかないんだ。名刺の肩書きで偉そうにしてる奴なんて本気でバカにされる。

集まる輩は、職種も、年齢も、人種もバラバラ。夜の濃度に比例して、酔っ払いたちが溶け合っていくだけだ。


ただ、うまく言えないが、溶け合った先にあるものは“分かりあえないことが分かる”ということだと思っている。いくら共感しあっても、人は誰かの人生を生きることができない。どんなに愛しくても、尊くても、それはできない。そういうことが分かると、誰かに期待することもなくなって、人は、とても寛容になれる。


分かりあえないけど、側にいたいのが人間で「あなたも、私も、山あり谷ありですね」とお話できるのは、優しさだったり、強さだったりするのですよ。


だから、ここは居心地がいい。


僕と同じようにこの居心地の良さを知っている連中がたくさんいることも分かっている。

 

 

手放したくないから、動いた


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※クラウドファンディングプロジェクトより画像転載

あの日からの話に戻ろう。

 

火事の夜、僕はゴールデン街に行ってみた。いつもより静かだった。被災した8番街とまねき通りに向かう。春の夜風が焦げた木の匂いを運び、被災店舗を覆うブルーシートを眠たくなびかせていた。そんな風景を見ていたら震災のときに聞いた「風化」という言葉を思い出した。

 

僕はここを手放したくなかった。

 

火災が起きてから9日後、僕は「やけどを負ったゴールデン街に愛の手を~あの素晴らしい場所をもう一度~」というクラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げた。


正直、最初は不安だった。不幸なことは重なるもので火災の2日後に今度は熊本の震災が発生していたからだ。こっちの支援も切実だが、あっちの被害は規模が違う。世間は熊本を見ている中、十分な金額を集めることができるかまったく確信をもてなかった。

 

greenfunding.jp

 

だが終わってみると、当初予定の倍である100万円近くの金額が集まった。日本全国だけでなく海外からも本当にたくさんの支援と応援の言葉をもらった。ゴールデン街を助けたいという気持ちが伝わった。本当に感動したし、感謝しかない。

 

集まった支援金は被災店舗の被害状況に合わせて分配した。ありがとうと言ってもらえてうれしかったが、実は何店舗か辞退の申し出があった。純粋な応援の気持ちだから受け取ってほしいと伝えても「もらえない」と連絡がきた。ちょっと残念だが、これも考え方かなと思った。

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でも、そういうことではなかった。その中の店舗の一つから手書きの手紙が届いた。そこには「私の店よりも深刻なお店に分けてあげてください」と書いてあった。少し泣いた。

 

流民の2階を借りていた友人にも触れておきたい。火災当初は、出火元になったことから、その友人が原因の一部として非難を受けていた。今でもよく思っていない人はいるだろう。自分の生活が奪われるかもしれなかったんだから当然だ。

 

ただ、彼の火元になってしまったという罪悪感は相当なものだった。表立つことが出来なくても、影では復興に向けて尽力していたことを書き残しておきたい。

僕が立ち上げたクラウドファンデングも快く手伝ってくれた。金も時間も使って、できることは可能な限りやっていた。いろいろな意見があるとは思うが、もう彼を責める必要はないと、僕は思う。

 

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被害規模が一番大きかった流民だけは営業再開が大分遅れたけど、被災から10カ月後に営業再開することができた。この時のうれしさったらない。法的な問題や、資金の借り入れなど、流民の復活には複雑な問題が重なっていた。スーちゃんは、すごいストレスだったはずだ。だけど乗り切った。

 

ご支援いただいた皆様には本当に感謝しています。改めてありがとうございました。そういえば、スーちゃんは、去年の夏に父になりましたよ。

 

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今日も、僕はゴールデン街にいる。流民にいる。


自衛官が帰ると、今度は俳優のおっさんがニコニコと舞台稽古の話をはじめた。これを聞くのは2回目かな。気づくとグラスが空だ。もう一杯。今度はハイボールをもらおう。ボトルが入っていたはずだ。あ、でも、立ちながら飲む奴が出てきちゃったな。そろそろ違う店に移ったほうがいい。会計を済ませて店を出ようとすると、後ろからスーちゃんの声が聞こえた。


「たけちゃん、いってらっしゃい」


いってきます。いつもありがとう。これからもよろしく。




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著者:竹中直己

竹中直己

タケナカ・ナオキ / 株式会社アクセプティ代表取締役。WEBコンテンツの企画・制作を手がける傍ら、タケナカリーの名でカレー道を探求中。毎日カレーを食べ続け、執筆現在はカレー連続858日目。最後の一口まで食べやすいカレー皿の開発やカレーイベントの主催も務める。

Instagram:@takenacurry

Facebook:Naoki Takenaka

編集:Huuuu inc.