あの日飛び出した「正しい街」福岡 東京で15年暮らした今だからこそ気付く、街の熱量

著: 紫原明子

「鳥の羽根が落ちているのをよく見つける人は大丈夫らしい」と友人が言っていた。

どう大丈夫かというと、人生が進むべき方向に進んでいる証拠だ、というのだ。当然全く何の根拠もない大丈夫だけど、ただ落ちてる羽根を見つけるだけでタダで肯定してくれるんだから、まあそんなに悪い話じゃない。

百道浜の観光名所、シーサイドももち

数年ぶりに訪れた福岡市早良(さわら)区、百道(ももち)浜。福岡の中心地である博多からのアクセスがよく、観光地として名高いシーサイドももちの砂浜にも、真っ白な、美しい鳥の羽が落ちていた。お、とほくそえんで、そのまま波打ち際に沿っててくてくと歩く。すると1、2メートルほど先にまた、白い羽根が落ちている。おお、絶好調! と内心ガッツポーズを決め、そのまま1、2メートル進む。すると、そこにもまた同じ鳥のものと思われる白い羽根が落ちている。さらによくよく見ると、周辺には綿毛もちらほら散っている。そこで、突如ただならぬ気配が漂い始める。

(これだけ抜けているということは……)

先程までのドラマチックな情景から一転して、シリアスな現実が突きつけられる。結論から言えばこの羽根の持ち主はこの近辺で、羽根がたくさん抜けるような、何らかの不幸に見舞われたに違いないのであった。

羽根を見つけるとラッキーだが、たくさん見つかればいいってもんでもないことを学ぶ。

シーサイドももちから見るヒルトン福岡シーホークとヤフオクドーム

茶色い砂浜のずっと先に見える、ヤフオクドームとヒルトン福岡シーホーク(私が住んでいたころは福岡ドームとシーホークホテル&リゾートという名前だった)。人間がどうやってつくったのか見当もつかない巨大な二つの建造物と、群青色の力強い海。右を向けば福岡タワー、後ろを向けばマインクラフトみたいなタワーマンション。これは15年前、私の住まいだった場所だ。

シーサイドももちから眺める福岡タワー

あの日飛び出したこの街に、不肖わたくし、帰ってまいりました。

高校生のころから心の中の神棚に密かに祀(まつ)っている、同郷の音楽の女神に、心の中でそっと帰郷を報告する。

久しぶりに福岡市を訪れたのは、天神で開催された拙著『家族無計画』の読書会に参加するためだった。市内には朝のうちに到着したが、読書会は午後から。せっかくなので思い出の場所に再び足を運んでみることにしたのだ。

あまり知られていないけれど、実は福岡の冬は寒く、雪も案外よく降る。この日も時おり雪がちらついていた。うん、冬の匂いが正しい、というか感慨に浸る余裕もないほどのいてつく寒さに早々に音を上げ、砂浜を後にする。

憧れの街に求めたのは「しがらみのない日常」だった

室見川。先にはやはり百道浜のシンボル、ヒルトン福岡シーホークとヤフオクドームが見える

百道浜は、子どものころからずっと憧れていた街だった。実家は玄関から一歩外に出れば見渡す限り田んぼ。佐賀県に近い筑後市というのんびりした田舎町で育った私は、中学生のころに出場した英語弁論大会の決勝で初めて百道浜を訪れた。戦いには敗れたが、洗練された都会の街を目の当たりにし、ミーハー心に一気に火がついた。

以来、いつかここに住みたいと願うようになり、思いが強すぎて百道浜で暮らす夢を見たこともあった。百道浜には、普通はあまり見ないような特殊な形をした建物が多く建っていて、夢の中では、確かに現実で見覚えのあるそのうちの一つに、主婦となった私が布団を干すなどして暮らしていたのだ。

そんななか、紆余曲折あって高校を卒業してすぐに結婚、出産した。ほどなくして、また紆余曲折あってどうしても福岡市内に移り住む必要が出てきた。さらに紆余曲折あってお金もたくさん入ってきていたので、ならばあの百道浜に住もう、ということになった。私が20歳、息子は1歳になったばかりのときのことだった。

タイミングよく空室が出ていたのは夢にまで見たあのマンション……ではなくて、夢にだって見ることのできなかった、福岡タワーの真向かいにある高層マンションの23階。

大地震でも起きて、もしも福岡タワーが根本から折れたら、先端がうちの窓に突き刺さるんじゃないかってくらいの至近距離で、七夕やクリスマスなど、四季折々に変化するイルミネーションを眺めた。百道浜から県内一の繁華街、天神までは高速バスで約20分(運賃は260円)。海辺のリゾートライフと、ショッピングやグルメが十二分にそろったアーバンライフを両方同時に日常にできる、というのが百道浜に住む最大の魅力だろう。

念願だった「都会の暮らし」を手にしたものの、その暮らしを十分に堪能できたかと言えば、残念ながらそうでもなかった。当時、子どもを産んだばかりだった私には友達が一人もおらず、暮らしを楽しむためのスキルもノウハウも全くなかったので、赤ん坊の息子と二人、実際はほとんど街に出ることなく、毎日家の中で過ごしていた。社会との接点は唯一夫だけという孤立した母子が、百道浜でかろうじて足を運んだ思い出の地といえば、あの砂浜と、そして近所にあるスーパーくらいのものであった。

「ボンラパス」は、福岡市内で数店舗営業している極めてお上品なスーパーである。店内は黒や緑でシックにまとめられていて、地元では見たことのないような変わった野菜や南国の果物、あるいは普通なら盆暮れ正月にしか見かけない高級な肉や魚が、一年中美しく陳列されていた。家から最寄りのドラッグストアもこの中にあったので、子どものオムツやお尻拭き、トイレットペーパーや生理用ナプキンだって、よくここで買った。

それなのに。当時のあらゆる生活を支えてくれていた場所なのに。スーパーなのに。再訪してみて改めて気がついた。ここには、みじめでしみったれた、スーパーにありがちな疲弊した生活の匂いが一切しないのだ。

そうそう、だから好きだったんだ、百道浜が。ようやく思い出した。私は百道浜のそういうところに憧れて、そういうところで暮らす自分になりたくて、ここにやってきたのだった。人間臭くも、生活臭くもない。古臭くもなくて、田舎臭くもない。いちいち鼻につくしがらみだらけの日常の営みから、うんと遠くに離れてしまいたかったのだ。

……ところが不思議なことに、そうして夢だった百道浜にやってきたというのに、一度は夢が現実になったと言うのに、すぐにまた、どこか満たされないという思いが、むくむくと湧き上がるのだった。

今も記憶に深く残る、深夜のドライブ

百道浜には都会的なデザインの建物が多く立ち並んでいる

それにしても、道を歩いている人が少ない。百道浜の道路は歩道も車道も余裕のあるつくりに整備されているけれど、住んでいる人の多くは車を持っているので、都心のように徒歩移動をする人は少ない。特にこの日のような雪がちらつく日にはなおさらだ。

15年前、私が百道浜の住人だったころも、当時の夫が運転したので、我が家は自家用車を持っていた。どんなに授乳しても、抱っこして揺らしても、息子が眠ってくれない夜中には、寝かしつけのため、しばしば家族三人で深夜のドライブに繰り出した。どこを走るのかはすべて当時の夫の気まぐれで決まる。のろのろと近所を徘徊することもあれば、おもむろに都市高速に入り、突如ジェットコースター気分を味わうこともあった。

夜、海の上の都市高速を疾走するのは、さながら宇宙旅行に出たような気分だった。真っ暗な車内の後部座席、赤ん坊越しに遠くの街の灯りを眺めていると、いつの間にか私たち家族だけが、見知った人たちの暮らす懐かしい場所から随分遠くまでやって来てしまったような気がした。でもそれは自分たちの望んだこと。

もう、みんなのいる世界には簡単には戻れないかもしれない、なんて、ゾクゾクする快感を味わうためだけにわざとそんなことを考えたりもした。地上からうんと離れた23階に住んだって、まだ全然足りない気がした。まとわりつくような土の匂いが追いかけてこない、もっともっと遥かに高いところまで飛んでいきたかった。

都市高速から眺めた百道浜。未来感がある

そんなことを思っていたせいか、百道浜に住んで1年と経たないうちに、今度は東京からお呼びがかかり、以来現在に至るまでの15年間はずっと東京で暮らしている。

その間、くどいようだけどやっぱり紆余曲折あって、新しく子どもが増えたり、離婚してシングルマザーになったり、文筆を仕事にしたりするようになった。奇しくも、この日の読書会の課題本となっていた私の処女作は、そんな一連の出来事の顛末をつづったエッセイ集である。読書会を通じて、街を出てから失ったもの、そして新たに得たもののことを一つ一つ、自分自身に答え合わせをするように振り返った。

かつて否定したのは、福岡の街と自分自身だった

東京で出会った“福岡大好き”を自称する知人は、かつてこんなことを言っていた。

「福岡って、古き良き歴史や文化に全く執着せず、どんどん新しいものをつくっていく。だから好きなんです」

置き去りにした街への、懺悔(ざんげ)でも釈明でもないけれど、故郷の見慣れた風景に何の執着も持たず、より新しい暮らし、より新しい自分を目指した15年前の私を振り返ると、そこにあるのはもうどうにも否定しようのない「福岡マインド」そのものだった。

こうなりたい、こうしたい。福岡の街では、夢や欲望の見て見ぬふりが許されない。行きたいならどんどん行け、飛びたいならもっと飛べと、熱くけしかける。そして実際、街の中心である天神から福岡空港までは地下鉄で11分、博多からは5分と異様に近く、国内に限らず海外にだって、行こうと思えばすぐに飛び出していくことができるのも福岡の良さだ。

街も、自然も、世界も、全てが簡単に手の届くところにある福岡の街。ここでは、やらない言い訳が与えられない代わりに、あらゆる選択が自分に委ねられている。どうしたいのかが絶えず問い続けられるなかで、福岡で暮らす人も、福岡の街そのものも、日々、新陳代謝を繰り返す。現状に決して満足せず、貪欲に新しい自分に生まれ変わろうとする。

正直言うと、福岡で暮らしていた当時はそんなスパルタな空気に急かされているようで、息苦しいと感じることもあった。けれども今は、あの強烈な叱咤激励がなければ、これまでのあらゆることがなかったのだと思うし、全てがただただ、幸運のもとに訪れた経験だったと感じる。

読書会後は、参加してくださった方たちとソラリア西鉄ホテルの17階にある「トランスブルー」というバーに移動して打ち上げとなった。天神の夜景を背景に一人の女性がふと柔らかな口調で、けれども強い意志をにじませながら「今は別の仕事をしているけれど、いずれは物書きになりたいんです」と打ち明けてくれた。福岡では今もやっぱり、夢や欲望がひしめいている。凛としたたたずまいに見惚れつつ、負けてはおられん、と内心、私も気持ちを新たにした。

かつて飛び出したこの街の正しさを、今なら素直に認めることができる。過去に執着せず、未来にのみ向けられる強烈な熱量。ミーハー力こそが、福岡の最大の魅力である。反抗期の子どものように反発したこともあったけれど、あのころより少しだけ大人になった今、もしまた再び福岡に住む機会があれば、今度はもうちょっとこの街と仲良くやれる。似た者同士、高め合っていける。そんな気がしているのだ。


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著者:紫原明子(id:akikomainichi

紫原明子

エッセイスト。1982年福岡県生。13歳と11歳の子を持つシングルマザー。はてなブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。著書に『家族無計画』(朝日出版社)『りこんのこども』(マガジンハウス)がある。

Twitter:@akitect Facebook:紫原明子

編集:はてな編集部