「爆笑未満の日常こそ愛しい」スクールゾーン橋本が、秩父の山と鷺宮の商店街で培った芸人思考

編集: 小沢あや(ピース株式会社) 撮影: 小原聡太

「のぞき見」をテーマにした日常の細やかでリアリティーあふれるコントが人気のお笑いコンビ・スクールゾーン。そのネタの鋭い観察眼とのびのびした掛け合いは、どこで育まれたのでしょうか。

橋本稜さんの原点は、埼玉県の自然豊かな街・秩父。そして、上京後に相方の俵山峻さんと同居生活を送った西武新宿線・鷺ノ宮での日々だったそうです。街とコントの切っても切れない関係をじっくりと伺いました。

『あの花』以前の秩父で生まれ育った

―― 秩父というと、世間的には「芝桜」や「秩父夜祭」、アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(以下、あの花)』(A-1 Pictures)の聖地として、観光地のイメージが強いです。地元で育った橋本さんにとって秩父はどんな場所でしたか?

橋本稜(以下、橋本):僕が子どもの頃の秩父は、本当にのどかな田舎町で、今ほど観光客の方も多くなかったんですよ。アニメの『あの花』が放送されたのが高校生くらいの頃で、リアルタイムで観ていたんですけど、僕にとっては「聖地」というよりはただの地元の見慣れた風景で。でも、あの作品を境に街の雰囲気がガラリと変わって、「あ、僕って観光地に住んでたんだ」って後から実感しました。

―― 子どもにとってはずっとそこにある日常ですものね。

橋本:はい。どこにいても常に武甲山(ぶこうざん)がドーンと目に入ってくる環境でした。毎日定時になると、武甲山から石灰岩を削り落とすダイナマイトの爆破音が街中に響き渡るんですね。外から来た人は「雷!?」って驚くんですけど、地元の人は「今何時?」「12時半」「武甲山か」って普通に淡々と会話してて。そんな日々でした。

―― 自然豊かな環境ですが、幼少期はどんな遊び方をしていたんですか?

橋本:秩父って、子どもが遊具で遊べるような整備された都市公園が少なかったんです。だから遊び場といえば学校の校庭か、近所の杉林。秘密基地をつくったり、原っぱでサッカーをしたりしていました。

で、遊んだ帰り道に必ず立ち寄るのが「浅賀鶏肉店」というお肉屋さんです。当時は100円で5個くらい入っている揚げたてのから揚げを買って、友達と食べながら帰るのがお決まりのルーティンでした。

駄菓子屋さんが街にポツンとあるくらいだったので、チェーン店よりそういう個人店に行くことが圧倒的に多かったですね。

―― 「秩父夜祭」は、地元の子どもたちにとってはどんなイベントでしたか?

橋本:小さい頃から毎年行っていました。日本三大曳山祭の一つといわれていますが、地元民からすると「地域の神様を乗せたドデカい屋台(笠鉾・屋台)が6基くらい出て、街をぐるぐる回る巨大な祭り」という感じです。

屋台囃子(ばやし)の威勢のいい音が響いて、祭りの終盤に「団子坂」っていう急な坂を屋台が力を合わせて引っ張り上げていくシーンは、とにかく豪快で迫力がすごいです。市役所前の広場に巨大な屋台が集まって、夜空に大きな花火が上がるのを見ると、「今年もこの季節が来たな」ってテンションが上がっていました。

―― 橋本さんもご家族で夏休み、秩父を楽しまれていますか?

橋本:はい。夏は妻と2人の子どもを連れて、家族で秩父に帰省します。ファミリーで秩父を巡るなら、秩父駅からバスで10分ほどの「秩父ミューズパーク」が圧倒的におすすめですね。長〜い園内を走れるレンタサイクルがあって、3人乗りだったり車輪が四角かったりする変な自転車がたくさんあるんです。バギーに乗れたり、山の斜面を利用した巨大な滑り台があったり、お金をかけずに一日中楽しめます。

スクールゾーンのYouTubeの撮影で行った「きすけ食堂」さんで冷たいかき氷を食べて、また自然の中を走るのが最高のコースです。

ちなみに、卒業式の定番ソング『旅立ちの日に』って、秩父の影森中学校の先生方がつくられた曲なんです。秩父ミューズパークの丘の上にはその歌碑が立っていて、知る人ぞ知る隠れた名所になっています。

秩父の「生々しさ」がコントの舞台に

―― YouTubeの「スクールゾーンChannel」でも、秩父で撮影されたロケ動画がたくさん上がっていますよね。しっかりと許諾申請もされて。

橋本:それはもう、ありとあらゆる地元のツテをフル活用しています。地元の友達のお兄ちゃんとかに「ここ貸して!」って頭を下げて。「わが家ってバレなければいいよ」って、取り壊す前の古い空き家を使わせてもらったり、雰囲気が最高な友達の家の縁側を借りたり。

僕たちのコントって、きれいすぎるスタジオより、ちょっと生活感があってさびれているほうがリアリティーが出るので、汚ければ汚いほどありがたいんです。生々しいほうが面白いので。

―― 地元のコミュニティーがスクールゾーンのコントの土台になっているんですね。

橋本:スタッフもそうで、YouTubeチャンネルのカメラマンも、実は高校時代からの地元の親友です。彼はもともと秩父駅の近くで「菓子工房 橋本」というパン屋さんをやっていたんですけど、パン屋を辞めてカメラマンに転身したんですよ。「じゃあ僕らのチャンネルの撮影をやってよ!」ってことで入ってもらって、彼の家や実家もロケ地として借りたりしています。

―― 秩父の街並みは昭和レトロな雰囲気が残っていて、映像的にも魅力的ですよね。

橋本:そうなんですよ。都心から車や電車で1時間半くらいであっさり来られるのに、きっちり深い田舎感が出るから、昔からドラマやバラエティーのロケ地としても人気なんです。

秩父から東京をどう見ていたかというと、「まあ、近いし行ってみてダメだったら戻ってくればいいか」くらいの感覚でした。実際、上京するときも父親がトラックに荷物を積んで車で東京まで送ってくれて。「じゃ!」ってあっさりしたお別れでしたから。

―― たしかに、「上京」って感じは薄いのかもしれません。橋本さんのお笑い芸人を目指す気持ちはどうやって芽生えたんですか?

橋本:高校は秩父農工科学高校の「森林科学科」というところに通っていて、月3回くらい山に入って実際にチェーンソーで木を切るような授業を受けていたんです。周りの99%はそのまま就職が決まっていく環境で、僕も林業に行くのかな……と思いきや、やっぱりどうしても山仕事が好きになれなくて。

モヤモヤしていたある日、学校の帰り道に、見知らぬおばあさんとお孫さんが泣きながら歩いているのとすれ違ったんです。その瞬間、なぜか自分でもうまく説明できないんですけど、「あ、僕、お笑い芸人になろう!」って降ってきたんですよね。本当に唐突で謎なんですけど。

―― 謎ですね。誰かの言葉、とかではないんですね。

橋本:僕にはそういう、謎の直感が働くことがよくあるんです。でも、言語化できないから、ニュアンスを相方の俵山(峻)に伝えて、真面目な彼が全部具現化してくれて今に至る、という感じです。ネタづくりとかもそうですね。

鷺宮のシェアハウス生活で培った、爆笑未満を愛する姿勢

―― 東京NSCに入学し、同世代の俵山さんと出会ってコンビを結成されたわけですが、その後、西武新宿線の「鷺ノ宮(さぎのみや)」でシェアハウスを始められたそうですね。

橋本:「コンビを組むなら、ネタ合わせも家でできるし、一緒に住んじゃったほうが早くない?」というノリですね。お互い高卒組で同世代だったし、すごく気が合ったんです。

「仲が悪いコンビ」のカッコよさにも憧れますけど、僕らは圧倒的に仲が良い方がやりやすかった。俵山はツッコミですけど、コントの中で一度も僕の頭をたたいたことがないくらい穏やかなやつなんです。

―― なぜ鷺宮だったのでしょうか?

橋本:西武新宿線の急行が止まって高田馬場や新宿へのアクセスが良く、吉本の本社や劇場に通うのが圧倒的にラクだったからです。

鷺宮って「急行が止まる駅の中で一番のどかな街」ってよく言われるんですけど、本当にその通りで。個人商店が今でも元気に残っていて、すごく生活しやすい街でした。

―― 思い出深い、なじみのお店は?

橋本:特に、駅近くにある焼き鳥屋の「だいきち」さんには、2人でめちゃくちゃ通いました。焼き鳥が本当に美味しいのはもちろんなんですけど、大将や店員の接客が神がかっていて。僕らの飲むペースやお肉を食べるタイミングを完璧に見て、一番美味しい瞬間に次の料理を出してくれるんです。「プロの観察眼ってすごいな」って毎回感動していました。

今僕らがやっている「のぞき見」のコントの視点って、実はあの鷺宮時代に俵山と同じ風景をじっと見ていた経験から生まれているんです。「だいきち」で飲んでいるときも、周りのお客さんを観察しながら「あの人、声だけ出して顔は全然笑ってなくない?」とかぽそぽそ話してて。悪口じゃなくて、「あの人は今、頭の中で何を考えているんだろう?」って、2人で想像するのが好きだったんです。

―― その視点が、そのままスクールゾーンのコントのリアリティーにつながっているんですね。

橋本:そうですね。僕らは、手をたたいて大爆笑するような笑いよりも、「クスッと笑う」くらいの爆笑未満の人間のグラデーションが好きなんです。

だから、コントで人間を観察して描写するときに、ウケるためだけの暴力的で大げさな誇張はしたくない。「なんでだよ!」みたいな、現実の人間が絶対に言わないお笑い記号的なツッコミはあんまり言いたくないんです。あくまで「現実にいそうな人」として、知らない人の頭の中を想像して演じたい。キングオブコント(KOC)に向けてネタをつくるときも、そこはずっとこだわり抜いて悩んでいる部分です。

―― 鷺宮時代、地域の人との温かい交流もあったそうですね。

橋本:鷺宮に住んでいた頃、妙正寺川の調節池の近くのアパートに住んでいたんです。僕も俵山もサッカー部出身だったので、近くで近所の子どもたちが遊んでいて、転がってきたボールを蹴り返しているうちに、気づいたら熱中して1時間くらい一緒にサッカーをしていて(笑)。

その子の親御さんが、なんと5人のお子さんを1人で育てているお母さんだったんです。すごく仲良くなって、僕らの単独ライブのポスター写真をそのご家族と一緒に撮影させてもらったり、家に炊飯器だけ持っていってご飯を食べさせてもらったりして、本当に温かく支えてもらいました。

実は俵山もこの話を今でも大切にしていて、今ではそのお子さんたちも全員成人して独立されたそうなんです。それを聞いたとき、「うわ、僕らもいつまでも甘えていられないな、早く芸人として結果を出して変わらなければ」って身が引き締まりました。

KOC優勝の先に見据える、自分たちの表現と地元への恩返し

―― 今、芸人・スクールゾーンとして見据えている未来は?

橋本:やっぱり、キングオブコント(KOC)で優勝することです。これさえ獲れれば、お笑い界で僕たちの唯一無二のジャンルが証明されて、もっと自由に好き勝手な表現ができると思っています。

正直、僕らはテレビ番組の平場でワーッとしゃべって爪痕を残すようなタイプではないと思うんです。生意気ですけど、そういうチャンスはほかの器用な芸人さんがつかんでくれたらいい。僕らはとにかく自分たちのネタを突き詰めて、舞台や映像で面白い世界をつくりたいんです。

去年KOCの予選を戦ったとき、「あ、僕らの淡々とやるスタイルでも、運さえかみ合えば、いつかは絶対に獲れる」と確かな手応えを感じました。

―― あとは運とタイミングで、芸は仕上がっていると。自信を感じます。

橋本:優勝したら秩父で単独ライブをやったり、映画を撮ったりもしたい。地元・秩父には本当に感謝しているので、エンタメの力で恩返しするのが大きな夢です。

―― ありがとうございます。現在、橋本さんが住む街を選ぶときに大切にしている基準は何ですか?

橋本:結局、子どものための「緑」と「教育環境」ですね。子どもが生まれてからは、公園が近くにあるか、小学校への通いやすさはどうか、学区はどこか……という視点が一番になりました。まさにSUUMOの「なぞって検索」を見ながら、「うわ、ここ良い物件だけど学区外れちゃうな〜!」って、一喜一憂しています。

やっぱり、秩父の豊かな自然の中で育ち、鷺宮のような温かい街で暮らした経験があるからこそ、自分の子どもにも緑を感じながらのびのび育ってほしいという思いが強いんだと思います。

―― SUUMOを使いこなしてくださり、ありがとうございます。最後に、住み慣れた地元を出て生きている人、あるいは自分の地元をもっと好きになりたいと思っている読者へメッセージをお願いします。

橋本:僕は、地元は「たまに帰る」くらいの距離感が一番ちょうどいいんじゃないかなと思っています。

「お笑いがやりたい」と思って秩父を出て東京に来ましたけど、上京したての頃はやっぱり寂しくて、何度も実家に帰っていました。でも、少し離れて生活してみることで、地元の景色や人の温かさ、ちょっとうっとうしいところも含めて「やっぱり自分は秩父が好きだな」って再確認できたんです。

地元に少し苦手な部分があったとしても、一度離れてみることで見えてくる魅力がたくさんあります。たまに帰って、美味しいものを食べてリフレッシュする。そのくらいのゆるい距離感で、自分の故郷を愛でてもらえたらいいんじゃないでしょうか。

お話を伺った人:橋本稜

埼玉県秩父市出身。地元の高校を卒業後に上京し、NSCへ。同期の俵山峻とともにお笑いコンビ・スクールゾーンを結成。 YouTube:スクールゾーンChannel

編集:小沢あや(ピース)