20代の終わり、モラトリアムを離れ出会った堺銀座商店街のクラフトビール|大阪・堺東

著: 阿波野巧也 

 24歳の時だ。ぼくは大学院を卒業して、6年間の大学生活のうち5年間住んだ京都市左京区を離れることになった。率直にいえば心細い気持ちだった。初めての一人暮らしは退屈で、けれどいつも何かに焦っていた。おそらく世の中の多くの大学生と同じように、自分は何者かになれるはずだという根拠のない自信と、一方で自分はやはり何者にもなれないのではないかという常に後ろを追いかけてくる不安とを心に同居させながら、結局のところストレートで大学を卒業し、縁があって得た内定先へ就職することを選んだ。

 就職活動をしながら、京都市に留まりたいという漠然とした気持ちを抱いていたけれど、自分の希望する職種ではそれにかなう職場をなかなか見つけられなかった。そんななかで関西の別の街に住むというのは、京都市に住むことを諦めた上での一つの抵抗だった。あの何者でもなさをぼくに感じさせ続けた街の近くに住んで、その磁場の影響を受けたかったのだ。それは今思えばきっと「真っ当な社会人」になることへの怖れだったのだと思う。

 そしてぼくは堺市へ引越した。南海高野線の堺東駅からすこし歩いたところにある1Kの部屋。仕事は忙しく、京都へは2時間かかる。前述の抵抗もむなしく、必然的に京都へ行くことは少なくなっていった。ぼくはだんだん、京都という強いモラトリアムの磁場から離れ、この街で自分自身の足で立って暮らしていく必要があることを理解し始めた。堺東駅の西口周辺には、「堺銀座商店街」のアーケードからなる繁華街と、大通りを挟んで堺市役所などの官公庁街が形成されている。アーケードの中はたくさんの飲食店でにぎわっていて、友人たちと堺市内で飲み会を行うときに真っ先に候補地となるのがこの堺東だ。地元では堺東のことを「ガシ」と略すらしく、堺東でお酒を飲むことを「ガシ飲み」と呼んだりするようだ。

 駅ビルを出て横断歩道を渡り、銀座通りをまっすぐ突っ切っていくと、阪神高速道路が見えてくる。その手前に瓦町公園がある。ベンチが複数ある程度のちいさな公園だが、大通りの歩道橋と接続していてすこし高いところにあり、繁華街の中なのにどこかしんとした雰囲気をしている。いつだったか、夜遅くまで友人と飲み歩いたあと、ふらっとこの公園に立ち寄って、コンビニでいくつか買った缶ビールで利きビールをしたことがあった。目をつむって3種類の缶を飲み比べたあとに、自分の舌を信じて銘柄を当てていくのだけれど、みんなすでに酔っ払っているからかてんで当たらない。コンビニのプライベートブランドの第3のビールを飲んで自信満々に別のビールの名前を挙げたぼくをみんな笑ってくれる。そんな風にひと通り飲んだあと、おつかれ、と言いながら帰路につく。酔っ払った頭で、パートナーに電話をかけ、ちょっと鬱陶しがられる。このようなすこしふざけた日々を過ごしながら、堺東という街は徐々にぼくの身体になじんでいった。

 堺東で暮らすようになり1年がたったころ、ぼくは堺市内の別の町へ引越しをした。そんな時、ある先輩が「堺にはおいしいクラフトビール屋がある」と教えてくれた。そのお店はなかもず駅にある「エニブリュ」というところだ。そして、ちょうどぼくが引越しをしたタイミングで、堺東にも系列のお店をオープンしたらしい。それが、今現在までぼくが通い詰めている「ヒビノビア」である。

 銀座商店街のメインストリートを入ってすぐ、たばこ屋の角を曲がって進んでいくとその店はある。堺東の商店街の中には落ち着いた雰囲気の古くからの飲み屋さんや立ち飲み屋が多いから、初めてこの店の地下への階段を降りていくとき、こんなにおしゃれな雰囲気の店がこの街にもあったのかと少しびっくりした。そこで初めて飲んだビールがなにだったのかは、正直覚えていない。12種類の別のビールがサーバーにつながっていて、一つを飲み終えると店員さんが「つぎはこんな感じのはどうですか?」と勧めてくれる。がつんと苦いビール。シェイクのように甘いビール。レモンサワーのように酸っぱいビール。コーヒーのようなビール。同じビールなのにこんなに振れ幅があるのかとびっくりした。お酒の味にさほどこだわりはなかったけれど、もっと自分が好きだと思えるビールをいろいろ飲んで探してみたいという気持ちが立ち上がってきて、それから足繁くこのお店に通うようになった。ぼくにとって初めての「行きつけの飲み屋」ができた瞬間だと思う。

 ぼくは正直、それまでクラフトビールというものをよく知らなかった。学生の時はお金があまりなかったから、飲み会といえば飲み放題のビールかハイボール。ちょっと背伸びしたようなお酒を飲むときも、日本酒やウイスキーを少し飲むくらい。旅先でいわゆる地ビールを飲むことはあっても、クラフトビールと称されるものを飲んだことはなかったのだ(ちなみに、地ビールとクラフトビールに定義上の明確な区分はなく、その土地のお土産的な性格の強い地ビールと区別する目的でクラフトビールという言葉を使うことが多いようだ)。知らなかったからこそ、つよく興味を惹かれたのだと思う。堺市に住み始めて2年目のぼくは、仕事にも慣れてきて、この町で住むことに対する刺激を求めていた。

 知らない領域に足を踏み入れるのは、いつもわくわくすると同時にすこし怖い。それはぼくが堺市に引越してきた時にも感じたことだ。知らない町に住むとき、知らない人と会ったとき、初めてたばこを吸ったとき、職場で担当製品が変わったとき。さまざまな転換点はいつも胸の高鳴りと怖れの両方をぼくに与えた。クラフトビール屋にはじめて1人で入った時の緊張感はいまだにぼくの中に渦巻いているような気がする。

 ぼくはいまなお、自身の「何者でもなさ」に苛まれながら、会社員を続け、その一方で短歌をつくっている。一昨年にはありがたいことに『ビギナーズラック』という歌集を上梓することができた。歌集を出したことをヒビノビアの店員さんに伝えるととても驚き、喜んでくれた(そしてその日から恥ずかしくも「先生」と呼ばれるはめになった)。ぼくの二十代は短歌とともにあったけれど、二十代後半から、暮らしの中にクラフトビールの光があふれていた。その黄金色の光はぼくを勇気づけて、(真っ当かはともかくとして)「社会人」でいることを諦めないでいられた。お酒を飲みながらぼーっとする時間が、会社員としてのぼくと、歌人としてのぼくをゆるくつないでくれていたのだと思う。

 堺東は堺市の中心地の一つで、飲み屋にあふれていてヒビノビア以外にもたくさんの好きなお店がある。西口酒店、溝畑酒店などの角打ちや、栄屋、平野屋精肉店などの立ち飲み屋。そのどこで飲んだ記憶もぼくにとっては大切で愛おしいものだ。もちろん、これまで過ごしてきたどの町にも特別な思い出はある。その中でも京都で過ごした時間は確かに格別なものだったけれど、卒業して5年が経ち、いつしか堺で過ごす時間が京都で過ごした時間を超えようとしている。京都に留まりたくて抵抗していたぼくは結局それを振り切って、堺東でクラフトビールに目覚め、歌集を出し、そしてぼくの二十代はもうすぐ終わろうとしている。これらのことは一見つながっていないように見えるけれど、ぼくが慣れない会社員をしながら同時に歌人であろうとしたこの時期のことを語るのに、不可分につながっているようにぼくは思う。そういう意味でもぼくにとってやはり堺東は特別な町であり、これからもそうなのだろう。

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著者:阿波野巧也(あわの・たくや)

阿波野巧也(あわの・たくや)

1993年豊中市生まれ。歌人。2019年、第1回笹井宏之賞にて永井祐賞。歌集に『ビギナーズラック』(2020年、左右社)。同人誌「羽根と根」や、俳人の大塚凱とのPodcastラジオ「無責任な抒情」などを中心に活動中。Twitter   Podcast

編集:ツドイ