生まれ育った難波を愛するわたしが今、山を越えて奈良に住んでいる理由【オタ女子街図鑑】

著: 劇団雌猫 

二次元、ジャニーズ、宝塚にアイドル。次元もジャンルも異なれど、オタク女子にとって趣味は人生の重要な一部。趣味を満喫するうえで、実は大切なのが「暮らす街」。オタク女子はどんなことを考え、どんなことを重視して街と家を選ぶのか?

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4人組オタク女子ユニット「劇団雌猫」がお届けする連載「オタ女子街図鑑」。

今回のプレゼンター、ヒトコブラクダさんは関西在住。生まれ育った「浪速区」「難波」の魅力をたっぷり語っていただきました。なのですが、こんなに大阪を愛しつつ今住んでいる街は大阪府外。あるオタク的なニーズを優先した結果、行き着いたのは……。

本日の語り手 ヒトコブラクダさん

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ミナミ・ディビジョン vs キタ・ディビジョン

私が生まれ育ったのは、大阪・ミナミと呼ばれる地域である。

キタの玄関口・梅田は、複数の路線が乗り入れ、多くのビルが建ち並び、何年も開発工事が続けられているために「梅田ダンジョン」と呼ばれている。

しかし、ミナミの玄関口・難波だって、JR、地下鉄3線、近鉄、阪神、南海が乗り入れているし工事は終わらない。似たようなものだ。

ミナミの人間は常にキタに対抗意識を持っている。オオサカ・ディビジョンだなんてまとめないで欲しい。ミナミ・ディビジョン vs キタ・ディビジョンである。喧嘩なら負ける気がしないが、ラップには自信がないので、ここは冷静にミナミの魅力をお伝えしたい。

www.youtube.com

「ヒプノシスマイク」の新チームとして登場した「オオサカ・ディビジョン」。Creepy Nutsが手掛けた楽曲のカッコよさが話題に

難波に住むなら浪速区

私が生まれ育ったのは「大阪市浪速区」である。

関西ジャニーズJr.の人気グループ「なにわ男子」でおなじみの「なにわ」。土地勘のない方には「なにわ=なんかガチャガチャしている大阪を象徴する通称」としてしか知られていないだろうが、実は、大阪環状線の内側の下の方にあるひとつの区として「浪速区」がある。

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繁華街を一本入ると静かな街。奥に見えるのが通天閣

キタ方面から来る人たちにとっての「難波」のイメージは「道頓堀」だと思われるが、浪速区の人間に言わせると、道頓堀は難波の最北端である。難波は中央区と浪速区に跨っており、道頓堀があるのは北側の中央区。南側が浪速区になる。

道頓堀のあたりは完全に繁華街で人が住める場所ではなさそうに感じるだろう。しかし浪速区は下町なので、意外と普通に人が暮らしており、そして家賃も比較的リーズナブルである。庶民に優しい!さすが我らがミナミ!!

西のアキバ、日本橋

南海なんば駅の南東に位置する日本橋エリアは「西のアキバ」として知られている電気街だ(ちなみに大阪では「日本橋」は「にほんばし」ではなく「にっぽんばし」と読む)。

週末になるとパソコンやゲームなどのオタクたちが集まる街。オタクたちにとってのミナミの玄関はこの「南海なんば駅」と言える。

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ミナミの玄関、南海なんば駅

男性オタクの方が圧倒的に多いが、「アニメイト」「K-BOOKS」「とらのあな」など、女性オタク向けの店も池袋のように密集していて二次元オタには便利なエリアだ。

かくいう私も学生時代、ほぼ毎日のように『漫画専門店 わんだーらんど』に通って新刊パトロールをしていた。テニプリにハマれば、原作漫画からキャラクターCD、テニミュの中古生写真まで一気に手に入る生活。しかも徒歩で!最高!

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『漫画専門店 わんだーらんど』。実家にはこの(わ)のブックカバーがあふれている

日本橋駅を通る路線のひとつ、地下鉄堺筋線は阪急が乗り入れているため、阪急電車の車両も走っている。キタの人間が上品ぶって乗っている阪急(の車両)にはミナミの我々も乗っているのだハハハ!

関西に育った観劇オタクの中には、子どものころから阪急電車で宝塚歌劇や東宝ミュージカルの広告を何気なく眺めていたことが原点にある人も少なくないんじゃないかと思う。「『レ・ミゼラブル』ってテレビで見たことがある俳優さんも出ているんだなぁ」と思いながら電車に乗っていたことを、今でも覚えている。

坂本くん、西の合羽橋で待ってるよ

がっつりオタクごとに関係あるわけではないが、南海なんば駅のすぐそばには、調理器具などの専門店が並ぶ「道具屋筋商店街」というエリアがあって、ここも面白い。「西の合羽橋」と言えば雰囲気を分かってもらえるだろうか? 「V6」のリーダー・坂本くんは料理が得意で合羽橋も大好きなので、きっと道具屋筋も喜んでくれるはずだ。

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「DOGUYASUJI」とローマ字で書いてある

そして、このあたりは「裏難波」と呼ばれるグルメスポットでもある。「魔法のレストラン」という番組では、グルメで知られるV6長野くんが何度もロケに来ている(関西ローカルなのに長野くんがレギュラー!)。

いつか「魔法のレストラン」で坂本くんと長野くんがここでロケをしてくれたらいいのに……。超(スーパー)ひらパー兄さんこと岡田くんは何度もこの番組に出ているのに……坂本くんも映画に出るチャンスがあれば……。

歯ぎしりしながら商店街を抜けると、「なんばグランド花月」があらわれる。

「ただし吉本芸人は除く」

なんばグランド花月(NGK)は吉本の劇場である。ベテランから若手まで毎日さまざまな芸人が舞台に立っている。

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大阪で芸能人を見かけることなんてほとんどないが、「ただし吉本芸人は除く」と注釈が付く。アイドル的な人気のある若手芸人には出待ちするファンも多い。

NGKの向かいには「NMB48シアター」がある 。少し離れるが、道頓堀には関西ジャニーズJr.がよく公演を行っている「大阪松竹座」もある。難波はアイドルファンが集う渋谷のような街でもあるのだ。

梅田も難波の庭ですが?

難波についていろいろ紹介してきたが、要するに、秋葉原&池袋と合羽橋に歩いて行ける渋谷のようなものである(反論は受け付けない)。しかも、梅田まで4駅8分で着くので、梅田も難波の庭と言って過言ではないだろう。広い庭だ(反論は受け付けない)。

新幹線は新大阪駅まで御堂筋線で一本だし、関西空港は南海かJRで一本だし、伊丹空港へはリムジンバスが出ている。難波に住んでいたころの私は東京出張が多く、この選びたい放題の立地がとても便利だった。

「徒歩圏でなんでも済ませたいズボラオタク」にも「東京にしょっちゅう通いたい遠征民」にもオススメである。

オーディオオタク、心の平安を求めて

……と、ここまで難波の魅力をアツく語って来たが、実はいま、私は奈良に住んでいる。結婚を機に予算内の住居を探していたところ、山を越えて奈良にたどり着いてしまったのだ(大阪と奈良の県境には生駒山がある)。

オーディオオタクの夫に大音量で心置きなく楽しんでもらうために、騒音トラブルの可能性を極力避けたかったのが大きな理由だった。難波に住むならマンションになる。マンションに住むと騒音が気になる。オタク同士なので、彼が趣味を諦めないであろうことはよく分かった。大好きな難波での生活を当時は泣く泣く諦めた。

「あなたは奈良になんて絶対住めない」とみんなに言われたけれど、住めば都というか……まぁなんとかなっている。

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「学園前駅」の駅前。何十年もかけて開発されてきた広い住宅街なのでバスの路線網も広範囲

今住んでいる近鉄奈良線「学園前駅」は、難波まで25分で出られる。大阪府下の各停しか停まらない駅に比べれば、逆に楽かもしれない。

引越した頃にはどっぷりジャニオタになっていた私にとって全国の「現場」に行きにくくなるのは嫌だな、と思っていたのだが、少し時間がかかるようになったとはいえ、ものすごく不便なことは意外になかった。

大阪方面に出るときは難波に住んでいたころからプラス25分見ればいいだけだし、新幹線で東京に行くときは新大阪まで行かずに京都まで近鉄で出ればいい(45分)から東京には近づいているし、関西空港に行くときは駅前から直通のリムジンバスが出ている。

車社会で車なしで生活するということ

学園前は50年以上かけて開発された広大な住宅地で、駅までバスで20〜30分という立地の家も多い。しかし、免許を持っていない私はどうしても駅徒歩圏に住みたかったので、そこはこだわった。夫は免許を持っているが、車の維持費を払うくらいなら自分の趣味に充てたい主義である。

奈良県民は車が足代わりなので、一戸建てにはたいてい駐車スペースが1〜2台分ある。我が家にも、例によってガレージはあるが車はない。タクシーの運転手にまで「車持ってないの!?」と言われるレベルだが、私たち2人が納得して選んだライフスタイルなのでこれでいいのだ。

一戸建てライフは、理想通り、ある程度オーディオで大きな音を出しても気兼ねなく過ごせるのが素晴らしい。と言いつつ、お隣さん的に本当に大丈夫なのかは怖くて聞いたことがないが、これまで苦情は来ていないので大丈夫だと信じたい。

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ジャニオタにはありがたい奈良西郵便局

学園前のオタク目線でのオススメポイントとしては、駅前にある「奈良西郵便局」を挙げたい。ゆうゆう窓口のおかげでジャニーズコンサート事務局から届く簡易書留がストレスなく受け取れるし、チケット業務もスムーズに出来る。

それから、これは学園前に限らないが、奈良市で子どもを産むと、KinKi Kids堂本剛くんデザインの母子手帳が貰えるのだ! こんなレアグッズ、メルカリでもなかなか手に入らないい。奈良市民はなんと無料である(子どもを産めば)。堂本剛くんの愛する奈良の地で子育てするなんて、夢のジャニオタライフではないだろうか。

憐れみの目で見られがちだけど…

大阪の人に「奈良に住んでいる」と言うと憐れみの目で見られがちだが、場所によっては実はそれほど遠くないのである。

ミナミに住んでいたころ、たいていの場所が徒歩圏内だったため、それなりの距離を歩くことは苦ではない。おかげで、奈良でも車を持たずとも歩いてなんとかなる環境を選ぶことができた。

一戸建てに引越したことで夫がオーディオを満喫できるだけでなく、自分のジャニオタグッズを置くスペースも増えた。が、油断して気軽に買い込んできたせいで、さすがに溢れてきてしまった。そろそろなんとかしなきゃ……(と何年も言っている)。


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著者:劇団雌猫

劇団雌猫

アラサー女4人の同人サークル。「インターネットで言えない話」をテーマに、さまざまなジャンルのオタク女性の匿名エッセイを集めた同人誌「悪友」シリーズを刊行中。その他、イベントや執筆活動などもおこなっている。編著書に『浪費図鑑』『シン・浪費図鑑』『まんが浪費図鑑』『だから私はメイクする』『一生楽しく浪費するためのお金の話』。7月に新刊『本業はオタクです。シュミも楽しむあの人の仕事術』が発売した。

Twitter:@aku__you

ブログ:劇団雌猫


<劇団雌猫による連載、次回は12月後半に更新予定です!>


■過去の記事

suumo.jp

散歩しながら大人になった。長い学生時代を育ててくれた街、本郷。

著: ぱれあな

散歩が好きだ。歩けば歩いただけ、新しい視界が開けてくる。
たとえそれが、歩き慣れたいつもの道であったとしても。
やがてまた、いるべき場所に戻らなくてはならないとしても。

私の散歩癖を決定づけたのは、本郷で過ごした7年間の学生時代だった。

散歩におあつらえ向きの街

大学3年生のときに、東大の理学部2号館という古びた建物に足を踏み入れた。学部2年と大学院5年、計7年間にわたる私の本拠地である。

本郷通り

実験し、議論し、文献を読み、論文を書くことが、起きている時間の大半を占める。このいかにも「研究者」っぽい生活が、最初のころは新鮮でエキサイティングだった。

私が主に取り組んでいたのは、昆虫の体の中に棲んでいる細菌。すなわち「共生細菌」の一種だ。この細菌と昆虫は、互いに影響を与え合いながら共存して生きている。まったく異なる生き物どうしが共に生きるという現象のおもしろさに、私はすっかり取り憑かれてしまった。

細いガラスの針を使って昆虫の卵から吸い出した中身(共生細菌がたっぷり詰まっている!)を、別の昆虫の卵に注射する。こうして細菌を感染させた卵を昆虫になるまで育てて、どういう影響があるか観察するというのが、大学の卒業研究の主な実験だ。

テーマも実験も風変わりなものだったから、バイト仲間などに話せば「へえ~。おもしろーい」と興味を持ってもらえる。

週末にタバコ臭い教授室で開かれる飲み会に出れば、先生方や先輩方の本音トークも楽しかった。生意気な議論を吹っかけても、真剣に応えてもらえる。ああ、私は「研究者」をしているな、としみじみうれしくて楽しかった。

大学院に進学したあとは、修士時代に一度テーマをガラッと変えたり、研究以外の道へ進む可能性を考えたりもしたが、再び「生物の共生」というテーマへの憧れが募り、博士課程に進んだ。

しかしある程度研究を続けていくうちに、研究というものは常に期待どおりにはいかないということに気付く。うまくいかなくても粘り強く事実に食らいつき、緻密に考え、真理に向かって歩んでいける人こそ、研究者の資質があると言えるだろう。

ところが、私はそういう資質がいまひとつ足りないポンコツ学生だった。

煮詰まると、ついふらふらと出歩きたくなる。そして本郷は、実に散歩におあつらえ向きの街ときているのだ。少し歩くだけでも、後楽園や上野、谷根千などいろいろなエリアに行くことができる。自然、足は外に向かう。

今回、あまり優秀とは言えない研究生活を送ってきた私が、どのように本郷をふらふらと歩いてきたのか、この機会に振り返ってみようと思う。

ふがいない私は街を歩く

2号館を抜けだした私は、キャンパス目の前の本郷通りを歩く。通りには昔ながらの喫茶店や定食屋さんが軒を連ねるが、それらのお店に入ることはあまりなく、昔懐かしい風情の広がる路地を歩いていくことが多かった。

本郷通り

菊坂界隈の路地をずんずん歩いていくと見えてくるのが、宮沢賢治の旧居跡だ。ここ本郷・菊坂には、25歳のころに8カ月ほど住んでいたそう。

実はこのあたりには、他にも樋口一葉や石川啄木など、数多くの文人たちゆかりの史跡も点在している。

宮沢賢治旧居跡

もともと私は筋金入りの文学ファンで、書くことを仕事にしたいと思っていた。しかし、文学の道一本で進んでいく勇気は出ず、それならば宮沢賢治のように、科学の素養を兼ね備えた文筆家になりたいと理系の道に進んだ。今思うと、そもそも進学の動機がだいぶ不純だったのだ。

実際に取り組んでみれば研究は楽しい。研究者として生きていきたいとも思うようになった。でも、周りの人たちのように辛抱強く研究室にこもって手を動かし、頭を動かし続けることがどうにも苦手だった。

今ひとつ腹が据わらない自分のふがいなさに苛立ちながらも、文人たちに思いを馳せていると、心の奥底に隠していた憧れや情熱の塊のようなものが、もう一度光り出すような気がして、なぜか元気が出たのである。

中国茶の香りで話に花を咲かせる

据わらない腹でも腹は減る。

食堂 もり川

同期の友人たちと、時間が合えば行っていたのが「食堂もり川」、通称「もり食」である。

本郷に進学したばかりの大学3年生ころ、最初に私をこのお店に連れてきてくれたのは、大学1年生のときからの友人だった。何かと行動力のある友人は、そのころには既にいっぱしの本郷ツウだった。その友人に勧められて頼んだのがハンバーグ定食。

食堂 もり川

そのボリュームにまず衝撃を受け、口に入れて、おいしさにまたびっくりした。食いしんぼうの私は、この質・量ともに充実した「もり食」のファンになったのだった。

炊きたてのごはんと熱々の味噌汁。ほっとする味の定食を前に、気心の知れた仲間とおしゃべりすると元気が出た。

おしゃべりといえば、『金魚坂』のカフェもある。

金魚坂

350年の歴史がある金魚問屋さんが開いたカフェで、おいしい定食やスイーツ、コーヒー、中国茶、紅茶などをゆっくり楽しむことができる。

グラスに入れた茶葉にお湯を注いでそのまま飲むという中国茶の飲み方は、このお店でおぼえた。

金魚坂「金萱高山」(きんせんこうざん)

丸まっていた小さな茶葉の塊が、お湯を注ぐとゆっくりとほぐれ、いい香りが立ちのぼる。何度も茶葉にお湯をつぎ足しながら、友達と話に花を咲かせていた。

お互いの研究の話や恋の話。うまくいったりいかなかったりしていたことをそれぞれ持ち寄って、いつまでも語り合う。

今にして思えば、なんと贅沢で豊かな時間だったことだろう。友人たちに励ましてもらわなければ、私は学生生活を続けることはできなかった。

ちょっと贅沢な珈琲で元気を出す

博士課程に進んだ後は、特に同期たちとは時間が合うことも少なくなり、孤独な戦いの日々が続くようになった。

手取り足取りお膳立てしてもらい、目を配ってもらっていた学部や修士課程と比べて、自立して研究を進めていく力が必要になってきたのである。

しかし、私はなかなかその変化についていけなかった。

研究で探していたものを見つけたと思って喜んだのもつかの間。本当にそれが目的のものなのかを別の方法で証明しなくてはいけない。

そして、どうやって証明することができるかは、自分で頭をひねらなければならないのだ。もちろん先生や仲間たちとも議論はするが、何もかも教えてもらっていたら、それは自分の研究ではなくなってしまう。

学部や修士課程のころに楽しいと思っていた「研究者っぽい生活」ではない。「一人前の研究者になるための生活」が始まっていた。

このころは、広々とした言問通りから、谷中・根津・千駄木のいわゆる谷根千エリアに歩いていくことが増えていった。

言問通り

路地の探索も楽しいが、広い道は周りに人がいなければ、ちょっとくらい大きな声を出して歌を歌ったりできるところがいい。気分転換にもってこいなのだ。

谷中に行ったときは、やなか珈琲店でコーヒー豆を挽いてもらって研究室に戻り、いつもより贅沢なコーヒーを淹れて気合いを入れ直したりもしていた。

やなか珈琲店

ちなみに博士論文を直接指導してくださっていた先生は無類のコーヒー好きで、自分の進捗がはかばかしくないときなど、とっておきのコーヒーを淹れて進呈し、ご機嫌を伺ったりもしていた。

先生にしてみれば、そんな暇があったら実験をしろ、論文を書け、というお気持ちだっただろう。ポンコツ学生は、やることなすことポンコツなのである。

「巨人の肩の上」に知識を積めたなら

本郷からは、湯島・上野エリアにもすぐ出ることができる。広々とした春日通りを真っ直ぐ下ってもいいが、私はちょっと変わったルートで行くのも好きだった。

無縁坂

旧岩崎邸庭園のすぐ西側、さだまさしさんの歌でも有名な無縁坂を通るのだ。風情のあるこの坂を少し下ると、あっという間に不忍池に出る。

不忍池

博士課程在籍中、論文が大詰めに差し掛かっていたころ、どうにもつらくなり、上野の東京国立博物館に行ったことがある。当時の私は、研究者として自分が何か新しい景色を見なくてはいけない。それを見たことを伝えなければ、生きている甲斐がない。そんなふうに思って焦っていたのだ。

東京国立博物館

しかし、研究室とは全く違う時間が流れる館内を歩いていると、次第に憑き物が落ちたかのように気持ちが楽になり、ふと「巨人の肩の上に乗る」という言葉を思い出していた。無数の先人たちが築き上げた知の蓄積の上に立ち、初めて見ることができる景色があるという意味の言葉だ。

それまでの私は、なんだか一人で全ての研究をやってのけないといけないような気持ちになっていたが、そんなことはない。いつか誰かが見るかもしれない新しい景色を思い描きながら、巨人の肩の上にひとつ、自分が見つけた知識を積むことができたなら、それはそれで、私が足掻いてきた甲斐があったといえるかもしれない。

よく覚えていないけれど、そんなことを考えたような気がする。はっきりしているのは、博物館を出て見上げた空がとても美しかったこと、そしてそのとき、できる範囲でひとつの結果を出していこうという腹が曲がりなりにも据わったことだ。

国立博物館

街との行き来が私をつくった

研究室から散歩に出る。
散々歩き回って、また研究室に戻る。

そんなことを繰り返していたのが、私の学生時代だった。そして、本郷という街は、そんな私をあたたかく受け止めてくれていた。

名曲喫茶 麦

一つの象徴的な場所として、本郷三丁目駅前の『麦』という喫茶店がある。

ここだけ時が止まったかのようなレトロな名曲喫茶だ。名曲喫茶と言っても、しゃちほこ張って音楽に耳を傾けなければならないという堅苦しさはない。

名曲喫茶 麦

今回懐かしくなって久しぶりに訪れてみたが、たわいない会話の静かなざわめきと、心地よい音楽に包まれる空間はまったく変わっておらず、確かに本郷という街は、私をまるごと受け止めてくれていたのだと改めて思った。

学問の世界である研究室と、そのすぐ外に広がる本郷の人や文化の匂い。その間を行き来することで、私はなんとか育ててきてもらった。

立派な大人になりましたよとは到底言うことはできないけれど、どうにかこうにか生きている。そんな生きる力を与えてくれた大好きなこの街に、いつかまた戻ってくることができればと思っている。

賃貸|マンション(新築マンション中古マンション)|新築一戸建て|中古一戸建て|土地

著者:ぱれあな (id:pollyanna)

ぱれあな

科学と知財と生活のはざまで生きるおかあちゃん弁理士。博士(理学)。

ブログ:科学と生活のイーハトーヴ

編集:はてな編集部

シンガーソングライター・小松原沙織さんと「大塚」【 教えて!あなたの街の飲み心地】

著: パリッコ 

 

酒場ライターのパリッコさんが気になる街へ行き、そこで暮らす人と楽しく飲みながら街の魅力を探る企画「教えて!あなたの街の飲み心地」をお届けします。

◆◆◆

お酒や酒場専門のフリーライターとして独立する以前、僕は長いこと、とある会社に勤め、音楽関係の編集、ライター業を本業としていた。

10数年の間に、何百組というミュージシャン、バンドマンにインタビューをしてきたのだけど、その中には「この人なんだかおもしろいぞ」「この人のオーラは普通じゃない」「大御所なのになんていい人なんだろう」など、後々まで忘れられないような、特に強い印象が残った方というのが何人かいた。

シンガーソングライター、ヴォーカリスト、作編曲家、鍵盤奏者​である小松原沙織さんがそのひとり。

ジャズやクラシックをベースにした高いピアノ演奏力と、既存の型にまったくはまらない楽曲。そこに、「なんでそのテーマで歌おうと思ったの?」というようなエキセントリックな歌詞が乗ったりして、とにかく他にない音楽だ。

ところが実際にお会いしてみると、クールさとほんわかムードを兼ね備えた物腰のやわらかい方で、忘れようにも忘れられるわけがない。

その印象深さをさらに決定づけたのが、2017年リリースの『Boldly+』というアルバムに収録された『酒がうめえ』という曲のミュージックビデオ。

 


小松原沙織『酒がうめえ』MV

 

居酒屋チェーン「磯丸水産」を舞台に、タイトル通り「酒がうめえ」と繰り返すサビが印象的なこの曲は、一聴しただけで二度と忘れられないインパクトがあるし、そもそものテーマ選びに共感しかない。

今回はそんな小松原さんに、生まれ育った街であるという「大塚」を案内してもらえることになった。

大塚のさまざまな顔

東京都豊島区にある、JR山手線大塚駅。

10年ほど前から駅舎や駅ビルがリニューアルがスタートし、どこか垢抜けないイメージのあった駅前は、近代的な街並みに生まれ変わった。

 

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大塚駅南口


また、2018年には星野リゾートがプロデュースするホテル「OMO5 東京大塚」がオープンし、専門のガイドが街を案内してくれるツアーが組まれるなど、その魅力が再発見され、急激に注目の集まっている地でもある。

 

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「OMO5 東京大塚」

 

一方で、時代が令和に突入してもいまだ昭和の面影を残すレトロな風景も各所に残っており、場末の大衆酒場が好きな僕などは、そんなところにこそ強い魅力を感じてしまうし、実際、好きな酒場も多い。

 

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駅前のアミューズメント施設

 

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猥雑さも魅力の繁華街

 

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昔ながらのCDショップが残っていたり

 

そして大塚といえばもうひとつ、「東京さくらトラム」こと「都電荒川線」の存在だ。

 

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都電荒川線「大塚駅前」停留場

 

JRの線路と交差するように街なかをのんびりと走りぬける路面電車は、大塚の象徴のひとつといえるだろう。

その存在が、大らかでどこかノスタルジックな街のイメージを決定づけているといってもいいのかもしれない。

正直に言って、僕がこれまで大塚に対して抱いていたイメージというと、雑多で、スタイリッシュさからは縁遠く、ゆえに渋い大衆酒場が多い街、というものだった。

今回、きっと自分とはまったく異なる視点で街を眺めてきたであろう小松原さんとともに訪れる大塚の街は、僕にどんな表情を見せ、どんな新発見をさせてくれるのだろうか。

小松原さんと大塚の街を歩く 

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小松原沙織さん

 

さて、いきなりどこから取材が始まったのかというと、ここは大塚駅の南口駅前にある「サカエヤ」という老舗のおもちゃ屋さん。

小松原さんも子どものころに来ていたそうで、懐かしさから扉を開けてみたところ、お店を切り盛りしている女将さんが親切に対応してくれた。

 

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「懐かしい!」

 

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デッドストック的なアイテムが

 

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あっちにもこっちにも

 

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かわいらしい民芸品も多数

 

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店内をくまなく案内してくれる女将さん

 

ふらりと寄っただけなのに、創業当時からの様子を記録した貴重な写真資料などもたくさん見せていただいた。

 

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「この一番はしっこにいるのが私よ」

 

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大胆なデザインのコインケース

 

続いて、駅周辺を一回り散策してみることに。

 

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線路の上にかかる「空蝉橋」からの風景

 

天気が良ければ真正面に東京スカイツリーを望める、穴場のビューポイント。

 

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行き交う電車を飽きずに眺める親子連れと、それを見つめる小松原さん

 

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「天祖神社」

 

大塚住民のお参りスポットの定番であり、今年6月に行われた「おおつか音楽祭2019」では、小松原さんも境内でライブを行ったそう。

家族の思い出の店「炭火焼肉 山水園」

創業昭和34年。提供する牛肉はA4、A5ランクに限るという、老舗の名店「炭火焼肉 山水園」。

小松原さんはここに、子どものころから家族で来ていたという。

 

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「久しぶりに来ました!」

 

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担当編集O氏と3人、生ビールで乾杯!

 

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「これは見逃せませんね!」

 

セールでお得だった「牛タン」、さらに本日のおすすめだという「ざぶとん」などを注文。

 

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焼肉といえば牛タンからでしょう

 

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肉を焼く小松原さん

 

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ジューシーで味の濃い牛タンは、さすがの美味しさ!

 

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ざぶとん

 

メニュー表によれば、部位的には特選肩ロースで、焼肉の王様! とのこと。1皿2900円という高級品でもあり、神々しさが半端ない!

 

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それはもう……夢のようなお味でした……

 

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それにしても美味しそうに食べる人だ


小松原沙織さん(以下、小松原):大塚は、私の生まれ育った街です。小学校も中学校も大塚。そう言うと「子どもが遊ぶところなんてあるの?」って驚かれることも多いんですけど、この近くなら「大塚台公園」、新大塚のほうへ行くともっと大きい「大塚公園」。意外に点々と公園があって、何不自由ない子ども時代を過ごしてましたよ。

ここは子どものころ、両親と弟と4人で、年に一度か二度は必ず来てたお店なんです。特にお祝いごとがある日とかではなく、父の気分が「よし、今日行くぞ!」って高まった日に。うちの主導権は父が握ってたんで。そんな日は子ども心にうれしかったですね。昔から少食なほうだったんですけど、うれしくて食べすぎて、最後は気持ち悪くなっちゃうなんてこともありました(笑)。

ただ、外食が多い家だったわけではなくて、そういう思い出があるのは、本当にここだけ。ずっと通っていた父が言うには、昔は設備も古くて、店中に煙がこもってすごかったらしいです。私が子ども時代に来ていたころも、もっと古い雰囲気のお店だったな。今はこんなにピカピカですけどね。

同じビルに入っているカラオケ屋にも、小学校や中学校のころ、よく友達と来てました。当時全盛期だった、安室ちゃんとか、globeとか、広瀬香美さんとかの歌を歌ってましたね。

ピアノは小学校1年生のとき、友達が習っているのに憧れて始めたんです。アップライトピアノを買ってもらって、ピアノ教室にも通って。

大塚といえば「都電の街」というイメージも強いですよね。もちろん私も都電にはたくさんお世話になりました。ピアノ教室は雑司が谷にあったので、晴れている日は自転車だけど、雨の日は都電に乗って行っていたし、その後通った「東京音楽大学」も鬼子母神前の停留場から歩いてすぐなので、よく使ってましたね。

ただ、当時は歌手になろうとはまったく考えてなかったんです。大学で作曲を専攻していて、作曲家志望で応募した音楽事務所が、ちょうどアーティストを探しているタイミングだった。書類選考が通って面接に行ったら、「歌は歌えませんか?」って聞かれて、本当に偶然、その前の日に遊びで録った歌がiPodに入っていて、「……聴きます?」みたいな(笑)。それが今にいたっています。

『酒がうめえ』が生まれたきっかけですか? いや……特にはなくて、新曲をいっぱいつくらなきゃいけなかったときに、ふっとできただけ(笑)。お酒は好きなんですけど、そんなに詳しくはないですし、強くも弱くもないくらいですね。

 

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「冷麺」(1200円)

 

山水園でのシメは、小松原さんの大好物だという冷麺。さっぱりとした味わいと冷たさが夏にぴったり!

オープンしたての最先端スポット「ping-pong ba」

駅前に戻ると、偶然この取材当日にオープンするという卓球CAFE & BARの巨大な看板を発見。

時刻はちょうど19時すぎ。

どんなお店なんだろう? もしかしたら、記念すべき最初のお客さんになれる? と、興味本位で向かってみることにした。

 

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今日の19時開店!?

 

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地図を頼りに来てみると……

 

お店があるのはなんと冒頭でも紹介した、OMO5 東京大塚があるビルの地下。間違いなく大塚で最先端のスポットだ。

ワクワクしつつ階段を降りてみると……あれ? なんだかものすごくにぎわっている。さらに、DJによる大音量のダンスミュージックも流れていて……。

 

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急に自分たちがクラブっぽいところにいるという状況が可笑しい

 

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オープン日ということで、オープニングパーティー中だった

 

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非日常感が楽しい

 

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さらに卓球までできる

 

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で、久しぶりにやってみるとめちゃくちゃ楽しい!

 

この日はイベント営業だったが、通常ランチタイム〜夜までの通し営業で、チャージなしでフードやドリンクは単品からオーダー可能。

卓球台は18時までが30分500円、それ以降は30分1000円でレンタルでき、パーティープランや貸切プランなどのコースも豊富。

「ちょっと30分卓球でも」と気軽にも、大人数でゆっくりワイワイとも楽しめて、複数人で来れば盛り上がることは間違いなし。

こんな意外なスポットが誕生していたとは、最新の大塚、おそるべし……。

「NAMACHAん Brewing」で自家製クラフトビールと燻製料理を

続いては、小松原さんが以前ふらりと入ってみたらとても気に入ったというお店にやってきた。

 

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「NAMACHAん Brewing」

 

都内に3店舗ある「スモークビアファクトリー」という、燻製料理とクラフトビールの系列店のひとつ。

中でも大塚店は、店内にビール醸造所を併設しているのが最大の特徴だそう。

 

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実際にここでクラフトビールがつくられている

 

3つの300リットルタンクで常にオリジナルのビールがつくられ、規模が小さいからこその一期一会の味わいが楽しめるという、ビールファンにとってはうれしいお店。

 

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「なまぐれWheat S」(580円)とお通し

 

「なまぐれWheat」は、小麦麦芽を使用したウィートエールにグレープフルーツを加えたフルーツエール。すっきりとした飲み口の中に、ビールの苦みと柑橘系のアロマを感じる絶品だ。

お通しの「豚肉の燻製」が専門店ならではの絶品さなのはもちろん、「かっぱえびせん」と「キャラメルコーン」と思われるスナックにもかなりしっかりとした薫香が付けてあり、これが驚くほどお酒に合う。

 

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それにしても幸せそうに飲む人だ

 

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「お手軽燻製盛り」(680円)

 

チーズ、黄身の半熟加減が絶妙なゆで玉子、ミックスナッツ。

ひと口ひと口に燻製の香りが凝縮されているので、酒のつまみとしてのポテンシャルが異様に高く、これだけでビールが何杯飲めるのやら。

 

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「自家製燻製ウイスキー」(880円)

 

個人的にどうしても飲みたくて頼んでしまったこちら。ただでさえスモーキーなクセの強いことで有名な、スコットランドの「アイラ島」産のウイスキーに、燻製の香りをつけたもの。口に含むと、鼻から煙が抜けるような強烈なスモーキーさで最高!

 

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「ホープ軒のラーメンも大好きなんですよね……」

 

最後は昔ながらの大衆酒場で

最後に、大塚といえば無数にある大衆酒場系の店にも行ってみましょうということで、こちらも小松原さんが以前に入ったことがあるという一軒へ。

 

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「大塚鳥忠」

 

焼鳥もうなぎも魚介類も一品料理も、幅広く何でもそろう昔ながらの大衆酒場。

そうそう、僕の中の大塚のイメージに最も近いのはこういう店だし、そういう要素がまだまだ健在なのも、この街の奥深い魅力だ。

 

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頼んだ「ゆずはちみつハイボール」が、予想に反して無色透明だったことに驚く小松原さん

 

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個人的にはやっぱり

 

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こういうお店が一番落ち着くなぁ

 

小松原:私がひとり暮らしを始めたのは5年前。当初は行きつけのお店をつくりたくて家の近所で飲んだりしてたんですけど、最近はもっぱら家飲みのほうが多いですね。「金麦」が好きでよく飲んでます。基本は1本で、多くても2本。もしくは、チョーヤの「さらりとしたゆず酒」のソーダ割り。これ、梅酒より売ってるところが少ないんですけど、家の近所に置いているお店を見つけて以来、重宝してます。

私、空腹ではお酒を飲めないタイプなので、夕飯を食べながら晩酌をするんですけど、そのパターンが父とまったく一緒。遺伝だなぁって思いますね(笑)。

昔は自分の住んでいた街に、特に個性があるとは思っていなかった。だけどここ数年は、パリッコさんみたいに「大塚で飲むのが好き」なんて言ってくれる方も多くて、地元を誇らしいという気持ちが芽生えてきました。大塚住民の定番ネタがあって、大塚って、池袋と巣鴨に挟まれてるじゃないですか? だから「若者は池袋へ行き、お年寄りは巣鴨へ行き、大塚には誰も残らない」っていう(笑)。そんな大塚が魅力的だと言ってくれる人が少しずつ増えていることは、なんだかうれしいですね。

今年の誕生日には、大塚の「Welcome back」というライブハウスでワンマンライブをやらせてもらったんです。今の私にぴったりの店名ですよね(笑)。大塚って意外と、ライブハウスやライブのできる飲食店が多くて、音楽の街でもあるんですよ。

近年はお祭りも増えて、一番古くて一番人が集まるのは「東京大塚阿波おどり」なんですけど、「春の大塚バラまつり」とか、秋には「大塚商人まつり」があったり、「おおつか音楽祭」も10年くらい続いてます。そういうときは野外ステージでのライブもいろいろと楽しめます。だから居心地がいいというのもあるのかな。

最近の大塚は、古い良いところと新しい良いところが共存している街というイメージ。新しいスポットに人が集まって、にぎやかでとてもいいなとは思いつつ、このまますべてが新しくなりすぎちゃうと寂しいな、とも、少しだけ思いますね。




小松原さんが話してくれた通り、現在の大塚は、古い良さと新しい良さがバランス良く共存しているところがとても魅力的だと感じた。赤ちょうちんとネオンに彩られた飲み屋街はもちろんいいけれど、街全体が急速に新陳代謝し、驚くほど幅広く進化していた。そんな発見ができたのも、今回、小松原さんとともに大塚の街を歩かせてもらったからこそだろうと思う。

 

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「酒がうめえったら酒がうめえ!」 

 

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著者:パリッコ

パリッコ

1978年東京生まれ。酒場ライター、漫画家/イラストレーター、DJ/トラックメイカー。酒好きが高じ、2000年代後半よりお酒と酒場に関する記事の執筆を始める。著書に『酒場っ子』『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』『ほろ酔い!物産館ツアーズ』、スズキナオ氏との共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』など。

Twitter 公式サイト

 

“何もない”のは誰のせい? 子育てに苦しむ私を救った「三重」での小さな出会いたち

著: えこ

埼玉県で生まれ育った私が、三重県鈴鹿市に住むことになったのは14年前のことだ。きっかけはありがちで夫の仕事の都合。当時の私は特に深く考えもせず、息子と家族3人で三重への引越しを決めた。

しかし、実際に三重での生活を始めてみると、右も左も分からない地での子育ては、想像以上に苦しかった。

保育園や仕事を探すのは大変だし、近くに育児のちょっとした悩みを話せる友達が誰一人いないことに気づいたときには、まるで箱の中に閉じ込められたような怖さと息苦しさを感じた。しかも当時の私には、気軽に足を運べる本屋さんや喫茶店もなく、次第にここには何もない、と思うようになった。

運良く見つけた保育園では、方言で話すお母さん方に囲まれる中、私の標準語はだいぶ浮いており、何気なく発せられた「この辺りの人ではないね」の一言がいちいち突き刺さってしかたなかった。その後、下の子が産まれるころには、さらに育児に追われ始め、次第に寂しさを感じる事すらできなくなっていた。

そんなある日、ようやく子育てがほんの少し落ち着き始め、家で子どもと遊んでいたら、私の大好きな絵本が床に転がっていた。思わず絵本を開いて読んでいるうちに、そういえば隣町に子どもの本の店があるということを思い出し、足を運んでみることにした。

今回は、この些細な出来事をきっかけに生まれた、私の不安を和らげてくれた出会いのことを振り返ってみようと思う。いくつもの出会いを経て、私は三重での生活に楽しみを見いだせるようになったのだ。

私の周りには本当に「何もない」のか?

本屋「メリーゴーランド」

鈴鹿市から車で約30分ほど、お隣の四日市市に子どもの本屋「メリーゴーランド」はある。独自に絵本塾を開いていたり、子ども用雑貨を豊富にそろえていたり、絵本好きの間では有名なお店で、私も以前から知ってはいたけれど、慌ただしさの中でその存在を忘れていた。

本屋「メリーゴーランド」

初めてメリーゴーランドを訪れたときは、店先のディスプレイの楽しさに目を奪われ、しばらくそこから動けなくなった。

ドキドキしながらドアを開けると、「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」と店員さんがにっこり笑って挨拶してくれた。緊張がほぐれて私も自然と笑顔になる。

本屋「メリーゴーランド」

店内には店いっぱいの絵本や児童書のほか、子どもに絵本を読んであげているお父さんの姿、「りすが好きなので、りすが出てくる絵本ありますか?」という要望に応えようと絵本を選んであげている店員さんの姿があった。

穏やかで居心地の良い雰囲気の中、大好きな絵本をパラパラとめくっていると、私のグレーがかった心が白く塗り替えられていくのが分かった。

いつまでも寂しい寂しいと下を向いてばかりではいけない。

本当に私の周りには何もないのか?

ただ見えていないだけではないのか?

メリーゴーランドに行った日の夜、子どもたちを寝かしつけたあとの一人の時間に、これからは少しずつ顔を上げて周りを見渡すべきだと考えるようになった。

大栄軒製パン所

そんな折、同じく四日市市にあるパン屋さんが、「ほげちゃん」のパンを予約制で焼いてくれるとの情報を得た。

ほげちゃんとは、同名の絵本『ほげちゃん』に登場するカバに似た青いぬいぐるみのことだ。天真爛漫な持ち主・ゆうちゃんに雑に扱われ、ほげちゃんの怒りが爆発する楽しい絵本である。

聞くところによると、作者のやぎたみこさんがパン屋の店主と知り合ったことで「ほげちゃんパン」をつくることになったそう。いつもはうじうじと考えるだけだったが、これも何かのきっかけになるかも知れないと思い、行ってみることにした。期待で胸が膨らんだ。

大栄軒製パン所

JR四日市駅の近くにある「大栄軒製パン所」。趣のある対面式のパン屋さんだ。

3代目になる店主が昔ながらのパンを守りつつ、新しいパンを生み出し、自分好みにカスタマイズされた空間をつくっている。

初対面にも関わらず、店主は子どものことから音楽の話まで多岐にわたる話題を広げてくれ、話している間ずっと笑っていたくらい楽しく過ごすことができた。他愛もない会話を楽しめたのは、数年ぶりだったかもしれない。

ほげちゃん

家で子どもたちとキャラクターのパンをかじりながら、楽しかった時間を思い出すと心が安らいだ。

雑誌『kalas』

こうして少しずつ周囲のことに目を凝らすようになったころ、私が「この地で生きること」をより意識させられた雑誌と出会った。

雑誌『kalas』

三重県津市に焦点を当てた小冊子『kalas』だ。メリーゴーランドで手に取り、お店の情報に留まらず、津市で生きて暮らしている人のことを綴った文章が素晴らしいと思い、毎号読むようになった。

中でも印象的だったのが、35号「変わりかたの守りかた」特集の一文だ。

地方誌を発行するという仕事柄、様々な場所に足を運んできたつもりだが、未だに狭い町の中にも未知の場所は尽きることがない。

町を見続けることを生業としている人ですら、未知の場所は尽きることがないと感じているのに、探すことも知ることも放棄している人間が「何もない」と発することがあって良いのだろうか。安易に「何もない」と結論づけるのはなんだか違うような気がした。

現在は休刊してしまっているが、『kalas』を読んでさまざまな視点を得たことで、以前よりも三重県に住んでいることが楽しいと思えるようになった。

例えば、それまでは面倒に思っていた「おつきみどろぼう」(各家に用意されたお菓子を子どもが泥棒するという風習。日本版ハロウィンとも言われる)などの三重の風習も、背景や意味を考えてみることで楽しめるようになった。

私が私として生きていける場所が増えていく

演劇

そういった経緯で地域の情報を意識して探すようになってから、津市にある三重県総合文化センターが演劇活性化に力を入れていることを知った。

埼玉に住んでいるころは、演劇はチケットが取りづらいイメージが先行し、ほとんど足を運ぶことがなかった。しかし、ここは比較的チケットが取りやすく、東京で人気の劇団なども観ることができるため、時々足を運ぶようになった。

三重県総合文化センター

主な活性化の取り組みとしては、ワークショップの開催など、各地と連携した演劇人の育成を行っているほか、若手注目の劇団をセレクトして三重に紹介する「Mゲキセレクション」がある。このMゲキセレクションのラインナップが素晴らしく、私はいつも楽しみにしている。

どういったポイントで劇団を選定しているのかは分からないが、観劇に行った際に書かせてもらうアンケートには呼んでほしい劇団を書く項目があり、少しは参考にされているような気がしている。

劇団ロロ

先日は劇団ロロの「いつ高シリーズ」の2本立て公演があった

特に印象に残っている公演は、初めて一人で観に行った劇団「iaku」の『目頭を押さえた』だ。

この作品は、過疎化により衰退した集落を舞台に、女子高生の目線から葬送(そうそう)にまつわる因習(いんしゅう)をめぐって繰り広げられる新旧世代の葛藤を描くお話である。

田舎暮らしの大らかさと、伝統やしきたりに縛られる生きづらさ。どちらも身をもって理解している私には突き刺さる作品だった。笑う箇所もたびたび設けられながら、涙が自然とこぼれてしまう終盤まで感情がめまぐるしく変化し、何かすごいものを見てしまったと思ったのだ。

こうした非日常へ誘ってくれる演劇との出会いにより、私は心が豊かになり、余裕が生まれたことで、子どもたちにも焦らずゆっくりと接することができるようになった。

一箱古本市

あるときは、友人に誘われて伊勢市で行われている「一箱古本市」に参加することになった。引越してきた当初だったら、自分が誰かと一緒にイベントをやる側に回るなんて考えられないことだ。

勢田川

古くからの蔵が立ち並ぶ勢田川(せたがわ)沿いで行われる

一箱古本市とは、蔵の町と呼ばれる河崎で行われるイベントで、参加者は一箱分の古本を持ち寄り販売する。

当日は幸い晴天に恵まれたこともあり、とてものんびりした空気が終始流れていて、その場にいるだけで気持ちが良かった。

私が販売用に置いていた絵本を手に取り「これが欲しい」とせがむ子の姿、孫の絵本を選んでいる祖母であろう人の姿、川をすぅと進むカモの姿、同時開催のだいどこ市(だいどころに関するものを販売するイベント)で豚汁をふるまうお母さんの姿、ひとつひとつがこの街をつくっているのだと感じた。

ひとつのことに触れるたび、私はどんどん欲張りになっていく。

まだ、何か面白いものがあるのではないか。

まだ、私が私として生きていける場所があるのではないか。

本の会

先日は、津市にある“本とコーヒーのある、居場所”「ひびうた」で行われた本の会にも参加した。本の会とは、本が好きな人々が本を持ち寄って順番に紹介していく集まりのことだ。

ひびうた

紹介者の経験と思いが、空気が振動して私に伝わってきたような感覚を抱き、本そのものより人に興味を持ってしまった。皆が笑って話せる場所は、オレンジ色の灯りが煌々と照っていて終始穏やかだった。

三重には三重でしか味わえない文化がある

私は小心者で、実は人がたくさん集まるところがそんなに得意ではない。

けれど、動かなければ始まらないこともあるし、ちょっと目をこらせば、三重には今回紹介したような動きたいと思えるほど魅力的な場所がたくさんあった。

そこでは熱い思いを持った人たちにもたくさん出会った。エスカルゴを養殖していると語ってくれた社長さん、とんぼの研究をしている方、四日市ぜんそくについて詳しく話してくれた方、どの方との出会いもかけがえのないものであった。

正直、地方は文化的な面で劣っているイメージを持っていた。しかし、多くの場所に行き、多くの人やモノに触れるうちにそのイメージは完全に払拭された。

三重には三重でしか味わえない文化がある

私の住まいを中心とした私の行動範囲は、この先どこまで拡張されるのか分からないけれど、きっとまだまだ面白いことがあるのではないかと思っている。これからもずっと探していきたい。

苦しくて寂しかった私を救ってくれたそれぞれの場所すべてが私の大事な場所であり、今後も私を助けてくれるだろう。

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著者:えこ (id:bambi_eco1020)

えこ

絵本と音楽をこよなく愛している人。日々思ったコトを自由に綴り、後で読み返しては自己嫌悪に陥るという繰り返し遊びが大好きです。

ブログ:バンビのあくび

編集:はてな編集部

京都で学生生活を送り、東京で就職した人間の身に起こること

著者: 夜衰

 私は大学の学部入学から大学院(修士課程)修了まで、京都で過ごした。年で言うと2004年から2010年初頭までの話だ。いまのところ、人生の中で、もっとも長い期間住んでいた場所になる。だから京都について紹介しようと思うのだが、ここSUUMOタウンでも、そうそうたる面々が京都について語っているから、まだ未読の人がいたら、まずはそちらを読んでもらうとよいのではと思う。


 特にphaさんの記事は素晴らしく、京都の魅力を私の少なくとも1000兆倍は上手に語っている。というか、ほぼ私の言うことがなくなってしまって途方に暮れているのだけど、とりあえず自分なりに体験したことを書きたいと思う。

 私が京都で過ごした6年間の記憶は、ほぼ冴えない学生バンドマンとしての記憶だ。所属していた京大の軽音楽部は、西部講堂(知る人ぞ知るロックの聖地とされる)のごく近くに部室を構えていて、そこでバンドの練習をしたり、自主製作音源をつくったりというのが日常だった。西部講堂では「ボロフェスタ」「P-hour」といった音楽イベントが多く催されていて、その中でも、学生が主催する「みやこ音楽祭」というイベントにはスタッフ兼出演者としてがっつり関わり、そこで知り合った仲間とは今でもいろいろな縁でつながっている。

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当時の京大軽音の部室(ボックス)。現在は取り壊されてしまった

 京都の一番の魅力として、phaさんも指摘していたことだけど、幅広い文化に触れられることが挙げられる。これは私の場合、いろいろな大学の学生が周りにいたことが大きかった。私は京大にいたけれど、造形大、同志社大、立命館大、市立芸大、工芸繊維大、京産大、龍谷大、精華大……思い出すだけでざっとこれだけの大学の人々と交流があって、特に芸術を専攻している学生からは、いろいろな刺激を受けた。

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京大西部講堂で演奏している様子

 ライブハウスのスタッフやミュージシャンの皆さんにも、当然たくさんお世話になった。モグラさんがいたnanoを筆頭に、都雅都雅、拾得、磔磔、陰陽、Cafebar大会とかに、客としても演者としてもよく足を運んだ。またCD・レコードショップ、古本屋、映画館、ギャラリー等々、いろいろな世界を見せてくれるスポットがたくさんあり、それを経営・運営する人々がいた。社会通念に照らせば変な人も多かったけど、そういった人々の層の厚さからも分かるように、京都は幅広い文化に、比較的簡単にアクセスできる場所だと思う。

 そう、もうひとつ京都のいいところだが、これもphaさんの記事でもあったとおり、街の物理的な大きさが適度であることだ。自転車ないし原付で動き回れる範囲の中でおおむねすべてが完結する。してしまうのだ。金のない学生にとっては、基本的に交通費がかからないのがありがたかった。あと私は方向音痴レベルがカンストしてしまっている類の人間なのだけど、碁盤目状の道と鴨川のおかげで、引越して1年ぐらい経てば道に迷わなくなった。

 具体的なスポットの紹介もしておくと、百万遍近くのZACO、京大西部講堂、北白川のガケ書房、高野のカナート洛北あたりが私のメイン生息地だった。最初に挙げたZACOはすでに閉店してしまったけど、ブルースやジャズ、ソウルのレコードがいっぱい置いてあるバー兼カフェで、一時期そこのカレーばかり食べていた。夜には一応バイトということで、マスター代理っぽいこともしていた。賃金は雀の涙ほどもなかったけど、お店のレコード聴き放題というのが最大のバイト代だったのだ。

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ZACOは自主制作した音源のジャケットにもさせてもらった

 食べるところで言うと、京大の学食は当時かなり優秀で、特に北にあるほどクオリティが上がると評判だった。私も北部キャンパスの食堂はよく行っていて、カウンターで「炒め」(『おすぎ』と同じイントネーションで言う)と注文すると、その場でおっちゃんがガーッと中華鍋でつくってくれる肉野菜炒めをよく食べていた。

 西部講堂やその近くでイベントをするときには、西部生協会館のルネや、ミリオン(ハンバーグがメインの定食屋)に行っていた。ルネできっかり1食420円(消費税5%時代!)にする技を個人的に習得していたから、それだけしか財布に入っていない状況で行くこともあった。すごく埃っぽかった西部講堂の匂いとセットになって思い起こされる。

 京大付近はラーメン屋が多くて、あかつき、東龍、吉田屋(閉店)、天天有、ますたに、天下一品の総本店あたりによく食べに行ったな。家の近くにあった大銀という定食屋にもよく行った。600円足らずで、おかずがいっぱいの定食を食べられるからだ。たまにチャーリーブラウンのとんかつやさんというところに行った。これは普通に食べると800円オーバーするんだけど、美味しいカツやコロッケが食べられるのだ。ジュネスというカフェも、肉汁がやばい系のハンバーグを食べさせてくれるところで、確か800円オーバーするんだけど、よく行っていた。

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鴨川のほとりの桜

 飯以外で言うと、大学の図書館やそれに準ずる施設には、書籍はもちろんのこと、昔の映画や音楽に触れられる環境も整備されていて、いくらでもいられた。自分の興味のあることを学ぶのは楽しかったから、講義やゼミにも比較的ちゃんと取り組んでいた。あと京大の構内には「Black Riot」という、学生が自主的にやっているバーというか、有料で酒が飲めるたまり場みたいなところがあった(Twitterアカウントを見る限り、今でもあるらしい)。たまにそこに行って、曖昧な感じの人々と交流を深めたり、歌ったりした。

 ……とまあここまで思い出をつらつら語ったが、ここから表題に戻る。京都で学生時代を送り、東京で就職したときに起きること。それは、ここまで書いてきたもの、すべてを失うことだ。

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言わずと知れた京都タワー。これを見るたび「帰ってきた」と感じたことだけ覚えている

 京都で学生生活を送った人間は、卒業や修了や退学にあたって、関西に残る勢と、上京する勢におおむね分かれる。これは私の周囲だと、ほぼ半々に近かった。それは人間関係の分断を意味していて、具体的に言うと、バンドは脱退や解散に至るし、カップルは遠距離恋愛になるし、離れてしまった友人とはそうそう会えなくなる。

 私は上京した勢だったわけだけど、社会人になったタイミングで東京に移住するのは結構しんどいものがあった。勤労はそもそも苦痛なわけで、そんな中、移動は電車がメインで終電をいつも気にしなきゃいけなくて、飯も家賃も京都の学生街とは比べ物にならないくらい高い。周囲の人々はお金のことばかり考えていて、いつだって自分を怒ろうとしているように思える。「東京<<(越えられない壁)<<京都」として、その思い出は美化される一方。こうして喪失感とともに、エバーグリーンな「京都での学生時代」一丁上がりというわけだ。

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友人の音源のジャケット撮影に付き合って、大文字山に登ったときの写真

 私の中で、京都で過ごした6年間は、とてもキラキラしていて、間違いなく私の一部を形作っている。けれど、あそこで経験したことが「世界のすべて」なんかではなかったことも、私は知っている。それを思い知らされるのは、とてもしんどいことだった。

 ずっと関東や地元で過ごして、環境が地続きになっている人を、とてもうらやましく思うときもある。当時は一身上の都合により、京都に残ったり、地元に帰ったりするのも考えにくかったのだ。だけど、学生時代を東京で過ごせばよかったのか、というと、それはまた違うような気がする。鬼頭莫宏先生の名作漫画『ぼくらの』で、登場人物がこんなことを言っている。

 それは人生に於いて、最高の思考の喜びを与えられた期間。
 日本のような先進国に限定される話ではあるけれど、今日の食事を得るために思考力を使わなくていい期間。


(中略)


 自分のその日の生存に直結しないから、その思考は自由でそして可能性に満ちている。


――鬼頭莫宏、『ぼくらの』9巻 P.86~P.88より


 この作品では中学生ぐらいの時期のことを言っているけれど、私にとっての京都での学生生活はこんな時代だった。学生時代を過ごせばどこでもそうなるのでは、と言われたらそうなんだけど、この京都という土地の雰囲気なくしては得られないものが多々あったと思う。それを失ったこともまた、私の一部になっているのだろう。そう思わないとやっていられない。


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筆者:夜衰

夜衰

やすいと読みます。アクチュアリー、ポップカルチャーのニュースサイトの記者などをやっていました。「夜酔リョータロウバンド」というバンドもやっています。

Twitter  note

編集:ツドイ

1.5拠点生活という実験。都心から日帰りできる有機な里山・埼玉県小川町

著者: 柳瀨 武彦

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蔵を借りて、お店を開く。
まさか自分がそんなことをはじめるとは、学生のころには、いや、3年前にも想像できなかった。

僕は東京の練馬区で生まれ、今も住む33歳。
寅年、早生まれ、一人っ子、AB型、天パ。

新卒で入った広告業界で働き、3年前に独立。
企業や自治体などの宣伝・広報活動の企画やコピーライティングを生業としている。
ずっと同じ業界で働いてきた僕が、今の仕事を続けながらお店を開業するために、今週も東武東上線に1時間ほど揺られ、終点の小川町駅から8分歩いて、重い蔵の扉を開く。

なぜそんなことになったか。それは小川町に不思議なご縁と、楽しい予感を感じたからなのであった。

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東京で生まれて、東京で育って

やんちゃでむさ苦しい中高一環の男子校も、マッチョでむさ苦しいスポーツ専攻の大学も、ハードでむさ苦しい制作会社も練馬にある実家から通った。人並みに親元を出たいという気持ちはあったが、大江戸線や副都心線が開通し、家の向かいにスーパーもでき、高まる利便性が僕を家にとどまらせた。

都内に実家があり、追い出されることもなかったのは、今思えばとても恵まれた環境である。だが当時は、故郷から上京してたくましく働き、自分の足で人生を歩く友人たちが輝いて見えたものだ。

友人の誘いで三軒茶屋の一軒家を借りて友人たちと暮らしたこともあったが、家庭の事情もあって2年ほどで実家へ戻ることに。そして、その家を引き継ぐかたちで結婚し、勤めていた会社から独立した。

仕事と暮らしとこれからを考える

家族ができてよかったのは“これからの話”をいつも一緒にできることだ。気づけば「次はどこへ行こうか」「どんな生活が自分たちにあっているのだろうか」という話になっていく。「東京も楽しいけどさあ、自然が多い場所も気持ちいいよね」と、北海道生まれの妻は言う。「いやあ、むちゃくちゃ素敵な町だったなあ」と、地方出張帰りの僕は言う。「地元に帰って、新しい仕事をやろうと思うんだ」と、友人から久しぶりの連絡が来る。「もし、東京以外だったらどこに住みたい?」そんな話が食卓で頻出するようになっていった。

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別に東京がイヤになったわけじゃない。自分の故郷として愛着はあるし、刺激を受ける人もたくさんいるし、仕事も東京が中心だ。東京を離れたいわけじゃない。だけど、今の自分には都会の生活だけでは何かが足りない。自分はたまたま生まれた町にずっと暮らすのだろうか。

都会の楽しさと、田舎の気持ちよさが合わさったらなと考えている人も周りに少なくない。東京から日帰りで通える場所に関わることから始められたら……。2拠点生活はハードルが高いけれど、1.5拠点生活くらいはできないものだろうか。こうして、我が家の0.5を探す旅が始まった。

近いのに、謎多き埼玉

電車や車で無理なく日帰りできる距離。現在の公共交通網や法定速度から算出するに、50km程度だろうか。休みのたびに、東京に隣接する千葉、神奈川、山梨、埼玉のいろんな町に足を延ばした。そんな中で、自宅から一番近い埼玉について全然知らないことに気づく。

子どものころは西武ライオンズファンだったし、映画『SR サイタマノラッパー』だって3回は観たし、そういえば大学のメインキャンパスも埼玉だった。大宮、浦和、越谷、川越、所沢、秩父、長瀞などなど。耳慣れた町もたくさんあるけれど、どこもちゃんと知らない。分かりにくいものに惹かれる質である僕は、埼玉のアンテナを張って過ごすようになっていった。

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ある日、「東京から最も近い里山」と書かれた埼玉のときがわ町のパンフレットをアンテナで察知し、家に持ち帰った。Googleマップに町名を打ち込んでスクリーン上であたりを散策していると「あれ、ここって私たちが出会った町じゃない?」と妻が言う。そこには「小川町」と書かれていた。

とても前のことだったし、町名を聞いてもピンとこなかったが、妻と僕は小川町での和紙漉きワークショップではじめて出会ったのだった。ぼんやりとその時のことを思い出す。そうそう、お世話になった大先輩が若い衆何人かを集めて連れて行ってくれたのだ。あれは小川町というところだったのか……。

不思議な縁を感じて調べてみると、小川町は人口およそ3万人の小さな町。和紙の里として知られるだけでなく、有機農業が盛んな地域だという。里山の原風景が残っていながら、東武東上線で池袋から一本で行くことができ、車でも関越自動車道で練馬インターから30~40分で着くという。早速、週末のスケジュールに小川町と書き込んだ。

日帰りできる里山

東武東上線の小川町行に乗る。川越を越えれば車内の人もまばらだ。一駅手前の武蔵嵐山駅から小川町駅までの間で景色が一変し、線路脇の木々が車体を撫でる森の中を電車は進んでいく。駅が近づき、パッと開けた車窓には小高い山々が広がる。なんだかその雰囲気が気に入り、僕はそれから何度も通うようになった。

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小川町はちょうど関東平野から山間部へと移り変わるところにある小さな盆地で、名前の通り槻川と兜川という二つの小川が流れている。京都にも似たその地形と町並みから武蔵の小京都とも呼ばれる。かつては清流が町の産業を支え、和紙をはじめ養蚕、酒造、素麺などで繁栄した。そして江戸時代以降は信州や上越と江戸、鎌倉をつなぐ宿場町としてもにぎわいをみせたようだ。戦火を逃れた町には、道行く芸者に漏れ聞こえる三味線なんていう風景も残っていたという。

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暮らしと産業が入り組む町

時代とともに主要産業はその役目を終え、山間部がゆえ都市化することもなかった。結果、都市化をまぬがれた貴重な文化が時代を超えて継承されている。

帝松、晴雲、武蔵鶴という3つの酒蔵が徒歩範囲にあり、町産のお米から酒造りに取り組んでいる。酒蔵めぐりのイベントは、東武東上線「小川町酒蔵めぐり号」が臨時運転されるほど日本酒好きでにぎわう。

また、ユネスコ無形文化遺産にも登録された和紙・細川紙や瓦屋根に装飾される鬼瓦の工房なども生産を続けている。東京で暮らしていると伝統工芸の生産現場を見ることはほとんどないため、暮らしと産地が近い豊かさに羨ましさを感じた。

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日本酒好きは3つの蔵を歩いて回っても楽しいはず


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可能性溢れる色とりどりの和紙。紙漉き体験もできる


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鬼瓦をつくる職人のことを「鬼師」と呼ぶことを初めて知る


小川町は有機農業が盛んなオーガニックタウンとしても知られ、その長い時間をかけて知恵が集積した農法や思想を就農を希望する人々が学びに来る。全くの未経験ながら農業に興味を持っていた僕も、有機農業のパイオニアとして国内外で知られる農家・金子美登さんの霜里農場が主催する農業塾に一年間、毎月通うことにした。

少しずつ町のことを知り、町の人たちと知り合っていった。季節によって山が色を変えたり、生産者さんから美味しい野菜が買えたり、近所に温泉があったり、そういう環境が僕にはとても新鮮だった。

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甘みとうまみが抜群の小川町在来種「青山在来大豆」


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はじめて田植えも体験した。季節の移ろいは積極的に楽しむものだったようだ

自然を活かした美味しい可能性

新たな世代による地域の資源を活かした取り組みも始まっている。自給原料100%のビール醸造を行っているマイクロブルワリーや有機ぶどう育ててワインをつくっているワイナリー。古民家を活かした雑貨店や民泊施設などもここ数年でオープンしている。

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穀物もホップも自給する「麦雑穀工房マイクロブルワリー」


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完全無農薬で栽培したブドウから、天然酵母・無添加でつくる「武蔵ワイナリー」


僕は夕食にカレーを食べながら昼もカレーを食べたことを思い出すくらいカレーが好きなのだが、小川町に最近2つのカレー屋がオープンした。全国屈指の激戦区・神保町であれば何ら驚くことはないが、3万人の町にカレー屋が立て続けに2つできるインパクトは小さくない。

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下北沢の名店「茄子おやじ」のオーナーが移住してオープンした「小川ぐらしの茄子おやじ」


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とてもやさしい女性が提供してくれる「Curry&noble 強い女」


食といえば、埼玉県は香川県についでうどんを食す県だという。武蔵野うどんという太くコシのある麺が特徴で、肉汁につけて食べるスタイルが主流だ。農家さんが自家製の小麦粉を使って自ら打ってくれたうどんは格別で、食べものを自らの手でつくる人たちのたくましさに惚れ惚れする。

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一本ずつがとてつもなく食べごたえがあるうどん屋「あそび」


サウナ完備の天然温泉だってある。この夏に移住者が、まちやどもオープンした。いわゆる観光地ではないが、食べ物があって、お酒があって、自然があって、お風呂がある。他にも紹介しきれない可能性の数々。なにか新しいことが起こりそうな、新しいことができそうな気がしてならない。

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関東で初めてロウリュを導入した温泉らしい!?「花和楽の湯」


口より先に手を動かしていくような勢いあるDIY精神。そして、それを実践できる余白や余裕のようなものがこの町にはある。物価も都内に比べて安い。不動産に関して言えば、縁がつながれば都内で駐車場を借りるくらいの値段で庭付きの一軒家を借りることもできる。始発駅なので座って東京まで通勤している人も少なくない。

東京とも関わりながら、何かを始めるにはとても可能性のある町かもしれない。東京の人とも東京でできないことをやってみたい。僕らは0.5を小川町に置いてみることにした。

1.5拠点生活という実験はつづく

小川町に通いはじめてから2年半ほどが経った今、築130年の建物に併設された石蔵を借りて、コツコツと通いながらお店をオープンする準備をしている。何かやりたいという気持ちと縁とタイミングが重なったとき、人生の局面は進んでいくみたいだ。そのエピソードはまた倍くらいの文字を要するので、もしお会いする機会があればお話させていただきたい。

小川町に通う中でたくさんの方と知り合い、会う人はみな、東京から通うという関わり方を面白がって受け入れてくれる。1.5拠点生活というものが自分にあっているのか、うまくいくかはまだまだ分からないが、すでに貴重な体験と、たくさんの楽しいことが巻き起こっている。

もし都心で働く毎日の中で、もう少し自然とともに暮らしたい。何か地域に関わりたいという人は、小川町に遊びに来てほしい。全力で案内したい。

町は人がつくっている。この町があなたの0.5に、いや0.1にでもなったなら、町はもっと楽しくなっていくだろう。

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筆者:柳瀨 武彦

柳瀨 武彦

東京都練馬区生まれ。イベント制作会社、クリエイティブカンパニーを経て、独立。現在は地域の魅力発信広報や社会課題解決型プロジェクト、地場産業のプロデュース、企業のコミュニケーションデザインを中心に東京と小川町の1.5拠点で活動中。サウナ・スパ健康アドバイザー。天パ。コツコツ準備中の店「PEOPLE」はこちら

編集:ツドイ

太陽がいっぱいの島、淡路島で生まれて

著者: 吉野舞

 

「どこでもいいから遠くへいきたい。遠くへいけるのは天才だけだ」

 

ある日偶然、街の数少ない古本屋で見つけた寺山修司の本に書かれていたこの一言を読んだとき、「これは私のためにある言葉だ」と確信した。それから、この一説を修行中の僧のように毎晩寝る前に唱え、海の向こう側へ渡る日をただひたすら待ち続けたのだった。

 

瀬戸内の娘

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環境省「快水浴場百選」にも選ばれている洲本市の大浜公園。真っ白な砂浜には、松原が続いている。私が人生で一番眺めている海であり、地元の学生にとっては決まったデートスポットでもある

 

私の故郷は、神戸から車で約一時間半、明石海峡大橋から渡れる兵庫県の淡路島。そう、島だ。

 

「島からやってきました!」と言うと、「島」という単語で日本から遠く離れた南の島か、探検家が行くような島を思い浮かべてしまうのだろうか、「島って野球チームとかつくれるの?」「義務教育とか本当に受けていた?」と、よく聞かれる。

 

淡路島は約10万人の人々が暮らしており、地方都市とそんなに変わらない人口密度なので、ライフライン設備は完璧にそろっているし、さまざまなスポーツクラブがつくられていてトーナメント式の大会だってできる。

 

日本も世界から見ると一つの島なのに、島国の人がその島の人をからかうのは、何か変だと思いつつ、いつも島育ちというアイデンティティーをいじくりかえされるのにはもう慣れっこになっていたのだった。

 

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淡路島の名産品・玉ねぎを保管する小屋。島の至るところで見られる光景だ

 

私がすぐに思い出せるのは、夏を待ち焦がれる時期にやってくる淡い潮風の匂い。太陽に愛されている証である、島の人たちの一年中浅黒い肌。学校にも馴染めず、家に帰っても両親は共働きでいなくて、自分を他人にさらけ出せる場所がなかったこと。

 

「ここは出生地ではあるけれど、自分のいるべき場所ではないな」と、ランドセルを背負うころから静かに胸の奥底で悟っていたことだった。

 

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島で生まれて、高校卒業まで暮らした18年間。私の生活のルーティンは決まっていて、授業の鐘がなると共に、家に直帰。そして、父の所蔵しているレコードの中から淡路島が産んだ大スター昭和歌謡の阿久悠先生がつくった曲を聞くことだった。

 

なにか成し遂げようと思う青春の希望も、恋はきれいごとだらけではないことも、誰もが人生で一度味わったらもう十分なほどの心情を、実際に体験するよりも先に、阿久悠先生が曲にのせた言葉で私に教えてくれた。そんなことをしていたら、ただ島での時間は流れていったのだった。そりゃ友達もおらんわ。

 

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ちなみに淡路島では、今年から観光協会が阿久悠さんの作品を歌う「阿久悠杯歌謡祭」が行われている。アマチュアから応募可能で、審査員も知る人ぞ知る歌謡界の人選なのが素晴らしい!(審査員には阿久悠さんのご子息もいらっしゃる!)

 

少年少女をやめない島民たち

大学進学を機に、島を出るチャンスを掴む日が、ついに来た。

 

島を出た日のことは忘れもしない。

小柳ルミ子が「生まれた島が遠くになるわ 入江の向うで見送る人たちに別れを告げたら 涙が出たわ」と、歌っていたが、私はこの街を出る時、「次に島へ戻るころには、私は骨と化して、この島の土を踏むのだ」と、大きく息を吸い込んだ。

これから本当の自分の人生が始まるのだと思うと、歓喜の涙で遠ざかる島を見ることができなかった。

 

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そして因縁の島とは、年に2〜3回家族に顔を見せる為に帰る、いわゆる「地元」という関係性になってしまった。

 

島を離れれば何か変わるかと思ったものの、身体に染み込んでいる出身地の特性を変えることはできないと、このときに身を以って知った。

会話のリズム、味付け、好きな異性のタイプは、人は生まれ育った環境に少なからず影響を受けていると思う。東京で「今日もいい天気ですね」とその辺の道行く人に話しかけようとしたら本気で驚かれたし、淡路島産以外の玉ねぎはとても辛く、生のまま食べられなかった。淡路島の玉ねぎはフルーツ感覚でかぶりつけるほど甘いから。

 

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初めて地元以外で迎えた夏、そろそろ島の空気が恋しくなり帰省した。島に帰っても連絡を取り合う仲の良い地元の友達もいない私は、孤独を味わいつくした家にもいたくなかった。そして、もうお酒を楽しめる年齢になったのをいいことに、一人淡路島の飲み屋街に繰り出そうと決めたのだった。

 

島内で飲みに行く場所は限られているので、多くの淡路島の人と会うことになる。そうすると、島の人々、移住してきた人たちと交流する機会が増えた。それは、初めてここでの毎日が楽しいものに感じられた瞬間だった。

 

「この人たちといると人生のネタが増えそうだ」と、最初は軽い気持ちで接していたが、島の人々のぶっ飛び具合に圧倒されて、「こんな人種みたことない!」とミステリーハンターのような視点で島の人々と関わり始めたのだった。

 

野菜にレゲエを聞かせながら育てている農家の人、海は泳ぎに行くものじゃなく食料を探しに行くためのものだと言い張る人、洋服を着ていたら健康に悪いからとパンツだけで過ごす人など。そんな人たちがいるのかと思うだろうか。いるのだ、淡路島には。

 

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島の人々は、みんな、青くて、無邪気だ。それは、子どもが純粋なまま大人になった結果だと、私は思う。人が持つ三大欲求を我慢しない、正直なのだ。

 

その姿勢には、痺れる。

「淡路島にいると、とにかく人との結びつきが強いし、すごいお金に縁のある生活でもないから、自分が持つ基準でまっすぐに生きていける。どんなことでもべっちゃない(訳:大丈夫)。この街では不自然なものがいつのまにか自然になっている」

と、飲み屋の席でよく会うおじさんが言っていた。その言葉がとても心地よかったことを今でも覚えている。

 

どんな小さな島の人間一人でも、侮ることなかれ。

 

冷静と情熱の間

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この島を歩けば、毎日知り合いに出くわす。そして、無自覚なまま、自分の心をさらけ出し、どんなことでも話していることに気づく。

 

それは、島の特徴である、よそ者、ばか者、若者を受け入れてくれる懐の深さが関係しているように思う。きっと都市に近くて、いつでも都会と行き来できる距離感が、島特有の閉鎖的な空気を薄くしているのだ。

 

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淡路島の気候も人柄同様にゆるやかな温暖で、太陽からの日差しは、野菜や植物を元気に育ててくれる。

食料自給率は100%を超えていて、名産品である玉ねぎをはじめ、とれたての海の幸も、地元のお寿司屋に行けばぷりっぷりっなまま食べさせてくれる。都会で食べると、何倍の値段にもなる料理を淡路島では普通に子どもでも食べているのだ。

島の人々のエネルギーは、絶対に「食」から来ている。淡路島は昔、古代時代に皇室に食材を献上していた国の一つという記述も残っているぐらいだし。米も野菜ももちろんお魚もなんでもそろっていて、新鮮なまま調理して食べられる。

 

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自分自身がちゃんとあれば、どこにいても何も心配いらないと、教えてくれたのは島の人だった。

帰るたびに、「いつでも島に帰っておいで」と、言ってくれる人が増えていくこと。あんなに毛嫌いしていた自分はどこにいってしまったのだろうか。帰るたびに、顔つきが変わってきていると家族に言われた時は、「まさか、これが大人になること?」と、悲劇のヒロインぶってた思春期の終焉を感じたのだった。

 

望郷の島

私はたしかに、いやな女の子だった。淡路島で生まれ育ち、自分の世界しか知らないくせに、それだけでこの島の全てを知った気になってしまっていた。人と関わることが下手くそだった自分を、取り巻いていた場所のせいにしていたのだ。

 

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瀬戸の花嫁ではなかったが、瀬戸内の一つの島の娘として、私は島を出たことを後悔したことは一ミリもない。島から出たことで、違う視点で故郷と接することができた。新しい一歩を踏み出したいと思うとき、故郷が踏み台にもなってくれる。

たとえ、それが苦しかった場所だとしても。心強く、そんな気持ちにさせてくれる場所は故郷以外に思いつくだろうか。これからも見つかるとは思えない。

 

島にいる人たちのおかげで最低だと思ってた島が、最高に思える。とにかく感情のまま動き、時が来たら待ってみるものだ。出会えた出来事や人々、その全てを真新しく思える瞬間がやってくる。

 

お天気日和、淡路島の海はよく光る。

それを見るのが、帰省したときの楽しみの一つだ。

波は消しゴムみたい。今も心のどこにも片付けられなくて、渦巻いている島の甘く苦い思い出たちを全てかき消していってくれる。

故郷とは自分の意思でいつだって「さよなら」ができる。そして、何度でも「はじめまして」もできるのだ。

 

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選り取りみどりの島のおすすめ情報 

■東光湯

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撮影:小林直博

洲本市の本町商店街にある老舗の銭湯屋さん。中央に番台がある昔ながらのスタイルの銭湯。地元の人もよく利用してサウナもついている。

 

■立ち飲み屋 淡路島ブルース

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撮影:小林直博

東光湯の前にある、毎晩島民が集まる立ち飲み屋。店内にかかる音楽の選曲が昭和歌謡から現代ボップスまで幅広くて、カルチャーに通じているお店。料理や飲み物がワンコインでいただけるのも、島民からの人気の秘密かも。島の夜に島民と話したい!ローカルな飲みがしたい!と、いう人はここへ。

 

■淡路軒

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撮影:小林直博

チャラリ〜ララ、チャラリラララ〜。と、チャルメラを鳴らしてやってくる屋台ラーメン。電話をかけるとそこまで来てくれて、その場でサッとつくってくれる。特注のモチモチ細麺はここでしか食べられないから、帰るたびに音が聞こえたら走ってでも食べにいく。飲んだ後のシメにはほんと、最高。


■ニュースナックKJ

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撮影:小林直博

農家とスナック経営を両立させる生き方を選んだ北原さん(通称:KJ)が、スナック文化を現代的にアレンジしたお店。ここに顔を出すと、同級生のお父さんにも会えるし、島の顔見知りにも会える。一見さんでも大丈夫なので、一人でもみんなでもざっくばらんに飲めるし、何より雰囲気が心地いい。

 

■洲本城(別名・三熊城

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撮影:小林直博

観光名所にもなっている洲本城は、国の史跡にも指定されている場所で、標高132mから市街を見下ろせる展望台の役割もある。水軍の城として築かれた城から見る洲本の街は絶景。個人的に、洲本城からは海を広く捉えれるので、ここから朝日と夕日を見ると、忘れられない光景になると思う。

 

 

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著者:吉野舞

吉野舞

ライター、フォトグラファー。1995年秋生まれ。兵庫県淡路島出身。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業。地元の「ミス玉ねぎ美人コンテスト」は書類審査で落ちました。
She isでコラムも書いてます→https://sheishere.jp/girlfriend/maiyoshino/
Instagram:https://www.instagram.com/yoshinocup/

編集:Huuuu inc.