マンガ家が多い吉祥寺は「全てがちょうどいい街」コアミックス・堀江社長【オフィスと街】

インタビューと文章: 朝井麻由美 写真:小野奈那子

私たちが今の街に住むことを決めた理由が千差万別であるように、企業が今の場所に拠点を構えたのにも、さまざまな理由があるのではないか。本企画は、長年今の場所にオフィスを構えている企業に、その街への愛を語っていただくインタビュー企画です。

今回ご登場いただくのは、『月刊コミックゼノン』などで知られる出版社・株式会社コアミックスの堀江信彦社長。『週刊少年ジャンプ』(集英社)の黄金時代と呼ばれる1993年から1996年までの間に編集長を務め、2000年に独立。堀江社長が拠点に選んだのは、出版社が集まるエリアから遠く離れた吉祥寺でした。なぜ、吉祥寺を拠点に? 街の魅力から、コンテンツビジネスとの関係性まで、吉祥寺へのこだわりを伺いました。

吉祥寺にマンガ家が多い理由

――コアミックスは吉祥寺を拠点にされていますが、出版社といえば護国寺や飯田橋、神保町のあたりに密集していますよね。あえてそこから離れ、東京の西のほうを選んだのはなぜでしょう?

堀江信彦さん(以下、堀江):僕はもともと神保町にある集英社で、『週刊少年ジャンプ』の編集者をしていました。でも、打ち合わせでほとんど会社にはいなかったんです。それで、どこにいたかというと、学生時代からよく通っていた吉祥寺にいました。自宅からも近かったですしね。だから、独立してオフィスの場所を決めるときも吉祥寺がいいな、と自然に思いました。

本社・吉祥寺じぞうビル。今回のインタビューもこちらのビルで行った

――マンガ家さんとの打ち合わせではどんなお店に行かれていましたか?

堀江:よく使っていたのは駅前の「ルノアール」とか「喫茶ルーエ」とか。サンロード商店街にある「BOOKSルーエ」は、昔「ルーエ」という喫茶店だったんですよ。

――「BOOKSルーエ」は吉祥寺を代表する書店ですよね。もともとは喫茶店だったとは……!

堀江:ああいう、昭和のにおいのする喫茶店は仕事に集中できるので気に入っていました。社会人になる前も吉祥寺でよく遊んでいたんですよ。学生のころ、僕はジャズが好きでね。吉祥寺にはジャズ喫茶が多かったからしょっちゅう入り浸っていました。住んでいたのも高井戸だったので、吉祥寺にはすぐ来られるしね。

――社会人になってからもお住まいは高井戸に?

堀江:働き始めてからは、国立や西荻窪に住んでいました。

――常に吉祥寺へのアクセスが良い場所に住んでいらっしゃったんですね。

堀江:ちなみに、吉祥寺ってマンガ家さんが多い街なんですけど、実はこれには裏話があってね。

――はい。

堀江:『北斗の拳』の原哲夫先生や『キャッツ・アイ』の北条司先生を担当していたころ、僕は吉祥寺の隣の西荻窪に住んでいてね、実はそれで彼らを吉祥寺に呼んだんですよ。まだ新人だった彼らも近隣に住んでたんだけど、「吉祥寺に住んで」って(笑)。

――そうなんですか!?

堀江:そのころ、子どもが産まれたばかりで、働きながら子どもの面倒を見るには家の近くで働けるようにしないと、と思ったんです。それで、原先生や北条先生に「どこに住んでも同じでしょう?」と僕が勝手に吉祥寺のアパートを探して、「はい、今日からここね」って住んでもらったんですよ。

――原先生も北条先生もフットワークが軽いですね……!

堀江:その後、原先生には『ろくでなしBLUES』の森田まさのり先生、北条先生には『SLAM DUNK』の井上雄彦先生といった弟子ができて、彼らも吉祥寺に住むようになりました。さらにまたその弟子が弟子を吉祥寺に呼んで、という具合にマンガ家が増えていったんですよ。僕は夜、子どものお風呂やご飯の面倒を見てからマンガ家さんのところを回れるし、マンガ家さんにとっても濃密に打ち合わせをできて、お互いにとってうれしいでしょう?

――吉祥寺にマンガ家さんが多いことの一因は、堀江さんにあったんですね(笑)。

堀江:もともとマンガ家さんが多い街でもあったんだけど、もしかすると少しは僕のせいかもしれないですね(笑)。

マンガとは“お見合い結婚”だった

――堀江さんが新人時代から担当されていた原哲夫さんはのちに『北斗の拳』で、北条司さんは『キャッツ・アイ』、『シティーハンター』で、それぞれ超有名マンガ家になりましたが、堀江さんはマンガ家さんに対してどのようなサポートをされていたのでしょうか?

堀江:僕はマンガ家さんと一緒にネタを考えるタイプの編集者なので、結構セリフの提案もしましたよ。もともと大学時代に映画のシナリオの勉強をしていたから、そのときの経験が活きました。なかには、僕が提案したネタやセリフが採用されることもあってうれしかったことを覚えています。自分が面白いと思うことを提案して、作品になって、読者にウケるという体験をできるのが、マンガ編集者の面白さの一つなんですよね。僕はもともとマンガ編集者になろうとして出版社に入ったわけではなかったので、まさかここまでマンガのとりこになるとは思いませんでした。

――入社当時は何を目指していらっしゃったのですか?

堀江:学生時代に集英社の女性雑誌『non-no』や『MORE』の編集部でアルバイトしていたので、『週刊セブンティーン』(現『Seventeen』)などの若者向けのファッション誌にいくものだと思っていました。あるいは、若いうちはバリバリ働きたいと思って、週刊誌の配属を希望していたので、『週刊プレイボーイ』とか『週刊明星』(1991年廃刊)とか。確かに週刊誌ではあるんだけど、『週刊少年ジャンプ』というのは全然頭になかったですね。

――でも実際はすごく向いていたってことですよね。

堀江:僕はマンガとは“お見合い結婚”だから長く続いているんですよ。おふくろと親父もお見合いなんですけど、おふくろがよく「お見合いも悪くないよ。お見合い結婚は足し算で、恋愛結婚は引き算だから」と言っていてね。お見合い結婚の場合は、結婚してからお互いの良い部分に気付けるでしょ。僕も、徐々にマンガの魅力が足し算されていって、こうして何十年も付き合いが続いています。

人が集まりたくなる街、吉祥寺

――堀江さんは、長年吉祥寺で過ごされてきたかと思いますが、生活する上で吉祥寺という街はいかがですか?

堀江:吉祥寺は、全てがちょうどいいんですよ。生活に必要なものは何でもそろうし、駅前には自然もあれば、ちょっとした飲み屋もたくさんある。僕はキチッと整理整頓され過ぎた場所があんまり好きじゃないんだけど、吉祥寺は良い意味でごちゃっとしている。変にかしこまる必要がない、ほどよくリラックスできる街だと思います。

――駅からコアミックスのビルまでの道にも、ついつい寄り道したくなる場所がいろいろありますよね。

堀江:やっぱり、吉祥寺のお店は敷居が高くないんだと思うんですよ。だから、自然と若者が集まってくる。僕らは若い人を相手にする仕事だから、そういう意味でも吉祥寺にいるのはいいことです。若者が集まる街で過ごすと、彼らの流行が肌感覚で分かりますからね。

『月刊コミックゼノン』編集部

――吉祥寺にオフィスを構えていることで、コンテンツづくりに何か影響を与えることはありますか?

堀江:出版社って、やっぱり人が集まることが命で、それがコンテンツのタネになるんですよ。そういう意味では、吉祥寺は「来たい」と思ってもらえる街なのがいいね。「ちょっと吉祥寺に来てよ」って言っても、ついでに飲んで帰れるし、楽しいでしょう? 意外とこういうのがビジネスでは大事なんじゃないかな。

紙の上、街、空間を使って工夫をするコンテンツビジネス

――こちらの吉祥寺じぞうビルの1階には、かき氷のお店やオイスターバーが入っていますね。

堀江:1階は、飲食店の方向けに場所をお貸ししているんです。かき氷店はいつも行列ができていて、若い人の人気を集めています。自社でも飲食事業は行っていて、オフィスの6階ではCAFE&BAR「ソラ ZENON」を、北口の線路沿いには「CAFE ZENON」をそれぞれ運営しています。

取材時の「ソラ ZENON」には、吉祥寺在住の作家・たなかしんじろうさんの作品が飾られていた

――なぜ、飲食事業を始められたのでしょう?

堀江:僕はずっと、それこそ『週刊少年ジャンプ』時代から若い人たちに向けたコンテンツをつくっていて、これは逆に言えば、若い人たちのおかげで今までやってこられたということでもあります。だから、何らかの形で恩返しをしたいと思ったんですよ。それで、若い人たちが気軽に遊びに来られて、安心して働くこともできる場にできれば、と思って10年前に「CAFE ZENON」を始めました。商売っ気は全然ないんです。飲食で儲けようとは全く思ってなくて。

――えっ、そうなんですか?

堀江:儲けようとしたらマンガ関連のことだけをやっていたほうがずっといいんですよ。飲食店って意外と利益率が低くて、数店舗しかやっていないと、たいした利益にならないものでね。チェーン店を増やしたら利益になるかもしれないけど、そこまでやろうとは思っていません。

――1階にある飲食店ゾーンの近くにはお地蔵さんが建てられていますが、これはどういった経緯で?

堀江:「吉祥寺御縁地蔵」のことですね。あれをつくった理由の一つは、街の人と交流するためです。顔を突き合わせなくてもやり取りできるインターネットの時代だからこそ、人と人とが縁を結ぶ場所が必要だと僕は思っています。吉祥寺御縁地蔵がきっかけで結婚したという声も聞いたことがあります。

――喜びの声が届くんですか?

堀江:そうです。それともう一つの理由は、吉祥寺にある井の頭公園は縁切りの噂で有名な場所なんですよ。だから、縁を結ぶ場所をつくったら、需要があるかなと思ったんです。

――「井の頭公園のボートにカップルで乗ると別れる」と言われていますよね。

堀江:井の頭公園に行って縁が切れたと思ったら、吉祥寺御縁地蔵で新しい縁を願ってもらう。実はこれ、マンガづくりと同じ発想なんです。マンガもお地蔵さんも、うちがやっている飲食業も、僕の中では本質は同じ。それが紙の上なのか、街なのか、空間なのか、という違いだけで、人に喜んでもらえるように、アイデアや工夫を必死に考えることには変わりありません。

――なるほど。吉祥寺の街すらも、コンテンツづくりの舞台になっているんですね。

堀江:コンテンツビジネスって、そういうことだと思うんです。ただ、媒体が違えば作品のカラーも異なるように、場所が違えば生まれてくるアイデアは違います。現に、井の頭公園の「縁切りの噂」から「吉祥寺御縁地蔵」は建てられているわけですから。僕らは吉祥寺という街を拠点にしているので、これからもこの場所に適した仕掛けを考えていきたいと思います。

 
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お話を伺った人:堀江信彦

東村アキコ

熊本県出身。1993年5代目週刊少年ジャンプ編集長として、最大発行部数653万部を達成、その後、雑誌『メンズ・ノンノ』や『BART』の編集長を歴任。
2000年株式会社コアミックスを設立、『週刊コミックバンチ』を発行。2004年株式会社ノース・スターズ・ピクチャーズを設立。 2010年『月刊コミックゼノン』(徳間書店刊)発行。原作家、脚本家として作品をつくると同時に、編集者の育成に携わり、作品の質の向上に力を入れている。

聞き手:朝井麻由美

朝井麻由美

ライター/編集者/コラムニスト。著書に『「ぼっち」の歩き方』(PHP研究所)、『ひとりっ子の頭ん中』(KADOKAWA/中経出版)。一人行動が好きすぎて、一人でBBQをしたり、一人でスイカ割りをしたりする日々。

Twitter:@moyomoyomoyo

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編集:はてな編集部

植物のような【坂の記憶】

著: TUGBOAT 岡 康道

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

◆◆◆

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 エストニア共和国というと、多くの人は「?」という顔をする。その大使館のすぐ近くに実家があるのだが、そういうわけで家の場所を説明するのが難しい。面倒になり、“ガイエン”と言うことにしている。ひびきも申し分ない。ちなみにエストニアには行ったことはない。行ったことのある人も少ないだろう。地図で見るとロシアの隣、バルト三国と呼ばれる小さな3つの国のひとつだ。

 ガイエンのわが家で、僕は生まれてからずっと暮らしている。しかし幼なじみは意外と少ない。多くの友人たちの家は、子どもが大きくなるとマンションが手狭になって、明治通りを越え、山手通りの向こう側に引越していってしまう。僕には兄弟がいなかったことも手伝ってか、家は同じ場所にある。僕の家族は一度根を張ればずっとそこにある植物のようだと思う。

 僕の幼稚園は明治通りに出て、観音坂を上ったところにあった。園庭が神社なので、外から見るより内側はずっと広く、先生に習った「楓」や「楠」に囲まれて、僕には十分なワンダーランドだった。小学校も同じくらいの距離を西に歩いた場所にあり、その先にある中学にも通った。つまり、僕はお受験をしなかった。数少ない幼なじみの多くは私立中学に進んだが、小中学校ともそのまま公立に行った。何より母親が受験に興味がなかった。母はずっと公立で通し、国立に落ち私大に行かざるを得なくなった父より「私のほうができた」といったドヤ顔を垣間みせた。「受験上等! たかが高校大学の勉強でつらいつらい言うな!」と、常に高いところから一人息子を見ていた感がある。母は大学病院勤務の内科医。父はテレビ局に勤めていた。しかし、テレビ局とはいえプロデューサーやディレクターといった華やかな職種ではなく、経理だった。

 サラリーマンの父は観音坂まで僕を車に乗せて、坂の下で降ろした。僕が幼稚園に向かって歩き出すのを確認するとそのまま局へ向かった、と当時の僕は思っていた。通勤にしては早い時間だが、実は、そのまま神宮のゴルフレンジに向かっていた、という話を父の葬儀のときに聞いた。練習を重ねた父のゴルフは、にもかかわらずちっとも上手くなかったらしいが。ともかく父との思い出は、幼稚園に通う朝に確かにあったはずなのだが、その記憶はない。父は何もしゃべらなかったのではないか。病院勤めの母は朝早くから病院に出ていて、あるいは夜勤の次の朝は寝ていて、とにかく朝は頼りにならなかった。母も父を追うように4年前に突然亡くなった。年輪を重ねた樹木であっても、いつかは土に返る。このとき、果実や種子のクオリティーは問われない。幸いなことに。

 就職して2年目に一人暮らしを試みたが、父の他界をきっかけにこの家に戻ってきた。母との二人暮らしに少々の息苦しさを感じないではなかったが、まさか母までいなくなるとは。孤独にやりきれないときもあるが、この家を守ろうとする自分もいる。僕が逃げ出せば、この家の時間が消えていってしまう。三人の身勝手な、それでも互いを尊重する不思議な家族。三人で刻んだ時間を、僕は守らなくてはならない。僕は植物であろうと思う。

 しかし、会社が終わっても、一人で暮らす家にすぐに帰ることはない。上司や部下と飲みにいくのも好きではないから、一人で新宿周辺で飲むことが多い。バーや居酒屋の数は日本一だ。

 春のある日、花園神社の裏で飲んで、今夜は歩いて帰ろうと思い立った。笹の葉のような月が出ていた。明治通りを千駄ヶ谷まで進み、東京体育館に沿って右に曲がると、もうなじんだ道だ。懐かしい気持ちもあって、ふと鳩森神社を目指し観音坂を上り始めた。すると、坂の上から女性が急ぎ足で歩いてくる。この辺りは夜分人通りも少なく、かえってこっちが申し訳ない気持ちになり、かといって引き返すのもまた妙だ。仕方なくせっせと上っていると坂の真ん中辺りで「こうへいじゃない?」と声が飛んできた。陽子だった! 中学から私立に行った陽子と会うのは、成人式以来だ。「なんでこんなとこ歩いてんのよ」と、なじるように詰問されたが「散歩」としか答えようがない。

 偶然の流れに乗って、僕らは観音坂を一緒に下り、熊野神社の近くにある陽子の実家に向かって歩いた。月は僕らだけを照らしていた。

 あの日から4年が過ぎ、僕と陽子の娘はこの春、僕らと同じ幼稚園に入園する。今や神社の楓や楠は見事な枝振りを誇る。卒園から25年。この間に園庭の北のはじに三本の桜が植えられたことは陽子も僕も知らなかった。

 

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観音坂
住所:渋谷区千駄ヶ谷1丁目12番と2丁目36番の境界から東南に下るアクセス:中央線千駄ヶ谷駅から徒歩約7分

 

2020年の東京五輪へ向け、急ピッチで工事が進む明治神宮外苑の国立競技場。観音坂の坂下はそこから徒歩ですぐの場所にある。観音坂は都心に複数あるが、この観音坂は、坂の周辺にある真言宗聖輪寺の如意輪観音にちなんで名付けられたという。今でこそ住宅街の中でひっそりたたずむ聖輪寺だが、まだ周辺がのどかだった江戸時代は、ランドマーク的な大規模寺院として知られており、その始まりも、725年(神亀2年)にあの行基が開創。江戸中期の時点で歴史は千年を超え、浅草寺と並ぶ古刹であった。そう考えれば坂に寺由来の名がつくのも納得である。

 

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■坂の記憶 その他の記事
suumo.jp

 


著者:岡 康道

株式会社TUGBOATクリエイティブディレクター、CMプランナー。早稲田大学法学部卒業後、株式会社電通に入社。1999年、日本初のクリエイティブエージェンシー「TUGBOAT」を設立。主な仕事にTOYOTA「ハリアー」、サントリー「ペプシ」、キヤノン「70D」シリーズ、大和ハウスなど。ADC賞、TCC最高賞など受賞歴多数。また、小説に『夏の果て』(小学館)がある

 

写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2016年6月号から転載

 

※特別書き下ろしが2編収録された単行本もSPACE SHOWER BOOKsより発売中。

books.spaceshower.jp

ガンダムをきっかけに開いた扉。無機物を愛するミリオタ女子はどこに住むべき? 【オタ女子街図鑑】

著: 劇団雌猫 

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オタク女子の住宅事情を紹介しながら、より一層快適な暮らしとオタ活の両立を目指しておすすめエリアを紹介する「オタ女子街図鑑」。

今月のゲストは、戦闘機に心を奪われたミリオタ女子。都内のある「塔」の近くに住みたいそう。その理由は?

本日のお客様 クラーケンさん

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BLとミリタリーに愛を注いで15年。横浜市の実家住まいながら、親にはオタクを隠し続けて生きている。通勤時間が長く、仕事が忙しい繁忙期は帰宅が24時以降になることもしばしば。一人暮らししたい気持ちはありつつタイミングを逃し続けてきたが、もっと自由にオタ活したい気持ちも……。

きっかけはガンダムでした

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クラーケンさんはオタクジャンルはBLと……「ミリタリー」ですか?

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そうです! 戦闘機や戦艦全般が好きです。国内外問わず追いかけているのですが、“現場”にも赴くのはやはり自衛隊ですね。

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どんなきっかけでその道に?

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最初はガンダムなどのロボットアニメですね。子どものころから、少女漫画や女児向けアニメではなくメカメカしい作品に夢中でした。出てくるモビルスーツやコックピットがとにかくかっこよくて、ときめいて。

完全な夢物語ではなくて、実在の戦闘機や戦車に元ネタがあるものも結構多いんですよ。描かれているSF世界はもちろんフィクションですが、現実の科学の延長にある。

知れば知るほど「このデザインにはこんな意味があるんだ」「こんな技術があって、こんな未来につながっていくんだ」という部分も含めて面白くなってきて、そこからミリタリー全般に興味をもっていきました。

一見派手だけど…? 青い飛行機の秘密

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デザインに込められた意味……?いまいち想像がつかないんですが、例えばどんなものですか?

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そうだな、では私の今の最推し、航空自衛隊の主要装備である「F-2戦闘機」を見てもらっていいですか? 実は映画「シン・ゴジラ」にも出ています。

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航空自衛隊Webサイトより

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あ、見た覚えがあるかも! 青色が綺麗ですね。

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青色の濃淡がついていて一見派手ですよね。なんでこうなっているか想像つきます?

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確かに、もっと地味な色のほうが目立たない気も。

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これ、上から見たときは海の深い青、下から見たときは空の明るい青に同化するようになっているんです。「洋上迷彩」といって、海の上を飛んでいるときに識別されにくくする工夫です。海に囲まれた島国の日本ならでは!ですよね。

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航空自衛隊Webサイトより

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なるほど! そうやって見ると一気に見方が変わりますね。裏側にあるコンセプトをひとつずつ知っていくの楽しそう。

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そうなんです! ただかっこいいだけじゃなくて、形や色のすべてに意味があるので面白いんですよ。

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……とはいえ、戦闘機も戦車も戦争に関するものですよね。フィクションではなく現実のものとしてどう捉えればいいのか難しいな、って気持ちも正直あります。

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そうですよね、その気持ちも分かります。だからこそ、自衛隊やその装備について知ることって、科学や平和について考えることでもあると思うんです。

私も最初は単にメカかっこいい! だったのですが、自衛隊の存在意義自体も“かっこいい”なと思うようになりました。いわゆる戦車や戦闘機以外にもたくさんの装備品を持っていて、災害時などに活用されています。先日の西日本豪雨の際にも、自衛隊のヘリや輸送艦で物資が迅速に被災地に届けられましたし、護衛艦「かが」での入浴支援も話題になりましたよね。これも大きな護衛艦を持っているからこそ、です。

そんな風に、実際に人の役に立っているところもかっこいいなと思います。子どもが「はたらくくるま」を好きになるのと一緒かも。

ミリオタの“夏フェス”って?

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ミリオタの“現場”となると、どんなものがあるんですか?

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有名なのは陸上自衛隊の「そうかえん」ですね。正式名称は「富士総合火力演習」。毎年夏に御殿場で行われる、倍率20倍にもなる超人気イベントです。簡単にいうと、ミリオタにとっての夏フェスです!

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陸上自衛隊Webサイトより

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夏フェス!?

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実際の戦車や大砲、実弾を使ったパフォーマンスが見られるんです。普段写真や映像で見ているものが目の前で動いてる! と感動しますし、音も揺れもビリビリ身体に感じてすごいんですよ……! かっこよくて鳥肌が立ちます。

野外で過酷な環境ですし、興奮して叫びますし、ラストには花火もどきも上がるし、気分はフェスですね、本当に。

www.youtube.com

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花火まで! 思ったよりアッパーですね。

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直接、自衛官のみなさんに質問できるチャンスがあるのもうれしいです。普段の生活の裏話から、災害支援への思い、戦車や銃火器に関するマニアックな話まで。

リアルな話を聞けるのはファン冥利につきますね。アイドルに例えると、マネージャーさんに推しのことをいろいろ聞ける感じかな? 動画のアーカイブもありますし、8月26日(日)にはニコ生で中継もあるのでご興味ある方はぜひ!

live.nicovideo.jp

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「推しに乗れるイベント(観艦式)もあります」(クラーケンさん撮影)

 

飛行音で募る恋心

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クラーケンさんの推しとの思い出のエピソード、何かありますか? って質問の仕方が正しいか分からないですが。

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何年か前に「そうかえん」のゲストがF-2だった年があったのですが、あいにくの天気で分厚い雲に阻まれ、肝心の姿は全然見えなかったんです。大好きなF-2が飛んでいる姿を見られなくてがっかりしました。貴重なチャンス、すっごく楽しみにしてたのに……。

でも、音がね、飛行音が、ちゃんとF-2の音だったんですよ……! 「見えないけど、あの雲の向こうにちゃんとF-2がいる!」「私には分かってるよ!!」って空を見上げて泣きそうになりました。

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……ということは、まず飛行音で機体が分かるんですか?

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それはもちろん! 今すぐ動画で聴き比べてください(スマホを取り出す)。

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分かるような分からないような……! あれだ、ジャニーズのコンサートのとき、通路を走り抜けたメンバーの残り香で香水を当てる人みたいだ。

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いや、本当に実質“残り香”ですよ! 戦闘機ってめちゃくちゃ速い上に、安全のために観客から距離をとって飛ぶので、音は飛び去った後に聞こえるんです。つまり、私が飛行音を聞いた時点でもうすでに遠いところにいるんですよ。切なくないですか? はぁ、好きが募る……。

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あ、熱い……。F2への愛が超伝わってきました、無機物を愛するってこういうことか……! そんなクラーケンさんのお引越し条件、どんな感じになるんだろう?


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左端の塔が通信塔

 

1.市ヶ谷の通信塔を見上げたい

本当はF2がいる基地の近くに住みたいけど、都心にはさすがに遠いので、防衛省がある市ヶ谷に行きやすいところがいいです。敷地内にある鉄塔を見ていると興奮するので……。仕事帰りにわざわざ市ヶ谷で途中下車してじっと眺めることもしばしばです。

……もしかして、通信塔、ご存じないですか? 東京で3番目に高い建物なんですよ! スカイツリー、東京タワーの次! 全国の基地と通信するための塔です!

2.通勤時間を30分以内に

仕事が忙しく、日付が回ってから会社を出ることも多いです。この年になると、通勤の往復2時間が本当にキツい。会社(新橋)から30分圏内くらいに住めたら身体が楽になって生産性も上がりそう。今、仕事も頑張りたい時期なので、よりよく働ける住環境を勝ち取りたいです。

3.もっと自由にオタ活したい!

親がオタク嫌い、アニメ嫌いなので、小5のころからひたすらオタクであることを隠し続けています。多少の不便はありつつもなんとかやってきたのですが、昨年、海外赴任を1年したことで、堂々と部屋にポスターを貼ってフィギュアを飾る幸せを知ってしまい。家賃高めのエリアでもよいので、自分の城で長年の夢をかなえたい!

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市ヶ谷にそんな建物が……!今回は岡さんからどんな提案が出てくるのでしょうか。よろしくお願いします!

助けて! 岡さん!

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SUUMOタウン編集の岡さん

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今回はまた独特の条件だったので……頑張って考えてきました。いただいたお話から、通信塔のある市ヶ谷を起点に考えていきたいと思います。

ちなみに、まず都内の自衛隊関連スポットをチェックしてみたのですが、駐屯地は市ヶ谷のほか、練馬、十条、目黒、三宿、用賀などにあるんですね。

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へえ~、結構たくさんあるんですね。

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次に、防衛省のサイトでイベントの予定を見てみたところ、練馬区の練馬駐屯地や、陸上自衛隊広報センター「りっくんランド」でよくイベントが行われているように感じました。


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りっくんランド……?名前もWebサイトもゆるい……。

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りっくんランドに目をつけるなんて岡さんすごいです(笑)。名前はゆるいけど展示は結構見どころが多くて面白いですよ。練馬駐屯地は確かにイベント多いですね、夏には花火が上がるお祭りなんかもあるし。

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それで、この練馬駐屯地、りっくんランドのある朝霞駐屯地、そして市ヶ谷をマッピングしてみたのですが、そうすると……東京メトロの有楽町線と重なるんですね。

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ほんとだ!

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ほんとだー!気づかなかった!

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防衛省のある市ヶ谷から、練馬駐屯地に近い平和台駅まで約22分。さらに3駅先、和光市駅からは徒歩約18分で朝霞駐屯地へ行けます。これは有楽町線はもはや、好きな人にとっては“ミリタリー線”と言ってもいいのでは……?

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東京メトロWebサイトより

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ミリタリー線!(笑)

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新しい愛称が誕生した。

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というわけで、今回は「市ヶ谷駅から近い」「有楽町線が使える」街で考えていきたいと思います!

その1 市ヶ谷

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まずは直球で「市ヶ谷」。実際にSUUMOで「駅徒歩15分以内、築年数15年以内、マンション、1K」という条件で探してみると、掲載されている物件数がやや少なめなのと、賃料も8.4万円~(2018年8月23日現在)とやや高めかと思いますが、そこが許容できれば、住みやすい街かなと思います。

そしてなんといっても最大のメリットは、防衛省まですぐ! ということ。仕事で疲れた深夜でも通信塔を見に行くことができますよ。

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深夜、行きます?

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近くにあれば喜んで行きます……。

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不審者扱いされませんように……。

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駅前にはスーパー「マルエツ」と本屋「文教堂」。駅から徒歩10分程で「肉のハナマサ」もあります。神楽坂、四谷、九段下などおいしいお店がある街へのアクセスもいいので、外食も楽しめますよ。

職場のある新橋までは約15分。新宿までもJR総武線で約10分なので遅くまで飲んで帰ってくるのも楽ですね。

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ありですね、塔の下で暮らす!

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ラプンツェルみたいですね。

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塔の下のミリオタ女……。

その2 飯田橋、神楽坂エリア

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続いて、飯田橋・神楽坂エリアです。防衛省までは徒歩30分程。ギリギリ許容範囲ですかね……? 市ヶ谷まで電車に乗ってもOKです。

神楽坂は先ほども挙げたように美食の街としても知られていて、おいしいものが好きな方には天国です!自分も以前住んでいましたが、すてきなお店がたくさんあるので、開拓するの楽しいですよ!

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神楽坂、住んだら絶対楽しそう~!近所で飲んですぐ帰れるのもいい。

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友達呼ぶのがはかどる!

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読書家のクラーケンさんには、本屋さんがたくさんあるのもおすすめポイントですね。新橋までは電車で約15分です。家賃相場は市ヶ谷と大体同じくらいでしょうか。ただ、物件の数は市ヶ谷より多いので、条件次第では掘り出し物件もあると思います!

こちらの記事も参考になると思うので時間があったら見てみてください。

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いいですね、お酒も本も楽しめる街……!

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次は少し聞き慣れないかもしれないですが……。

その3 江戸川橋

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江戸川橋。降りたことない駅だ~。

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有楽町線で市ヶ谷から2駅隣ですね。たった2駅ですが、家賃相場がだいぶ下がるのでオススメしたいです。

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地図で見ると、早稲田方面なのかな?

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そうですね。ただ、飯田橋、神楽坂エリアにも徒歩15分程度なので生活圏はそこまで変わらないはず。江戸川橋も同じ条件で物件を見てみたところ、7万円台前半の物件も多くありましたので、家賃を抑えながら広めの物件を狙う、というのならありではないでしょうか?

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駅前の「地蔵通り商店街」は、細い横道にたくさんのお店が並ぶ商店街。近所をお散歩するだけでも楽しいと思いますよ。是非行ってほしいのが、たい焼き「浪花家」さん!

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浪花家って麻布十番にもありますよね。行列ができる有名店だ。

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そうです、その浪花家総本店ののれん分けのお店がこちら!わざわざ江戸川橋で降りることはあまりないかなと思いますが、近所なら気軽に寄れますよね。

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おいしいたい焼き屋さんが近くにある生活、超いい!

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あとは、もし市ヶ谷から少し遠くの街も検討してみたくなったら、有楽町線沿線だと池袋方面も検討してもいいのかな、と思います。要町、池袋、東池袋など……。池袋の住みやすさについては是非この記事を読んでみてください。

自分も有楽町線ユーザーなのですが、朝の電車もそれほどぎゅうぎゅうじゃないので通勤もしやすいではないでしょうか。

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確かに。有楽町線っていつもわりと空いているイメージです。

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それ、かなりポイント高いですね。今わたし、地獄の田園都市線で通勤しているので……。

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田都に比べたらほとんどの路線が楽ですよ!

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有楽町線がミリタリー線だなんてこの企画がなければ知りえない発見でした。りっくんランド、今度行ってみます!

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ありがとうございます、私も本格的に引越し欲が高まってきました……!

本日のご感想

市ヶ谷といえば、かっこいい通信塔が立っているのをはるばる眺めに行く場所、と勝手に思い込んでいたので、塔の下(の付近)に住むことも非現実的ではない、と教えていただいて、一気に引越したくなってきました!ご相談してから、市ヶ谷に行く度に街の不動産屋さんに並んだ物件情報をじっと見つめています。

有楽町線がミリタリー線と分かったからには、やっぱり有楽町線沿いに住んでみたいな~。江戸川橋は周囲と比較すると家賃がお安めなのに、椿山荘や永青文庫も近くにあるんですね。文化的な街憧れる……。まずはたい焼きを食べに、遊びに行ってみます!




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劇団雌猫、同人誌最新刊は「悪友 vol.3 東京」。

オタク活動と切っても切り離せないこの街について14人の女性が内と外から語る、愛憎まみれる匿名エッセイ集。あなたにとって「東京」ってなんですか?

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<劇団雌猫による「オタ女子街図鑑」、次回は9月後半に更新予定です!>



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■オタ女子街図鑑 過去の記事

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著者:劇団雌猫

劇団雌猫

アラサー女4人の同人サークル。「インターネットで言えない話」をテーマに、さまざまなジャンルのオタク女性の匿名エッセイを集めた同人誌「悪友」シリーズを刊行中。浪費、美意識、恋愛に続く新刊テーマは「東京」です。「悪友 vol.1 浪費」の増補改訂版として、書籍「浪費図鑑」(小学館)が2017年8月に発売。その他、イベントや執筆など楽しく活動中。

Twitter:@aku__you

ブログ:劇団雌猫

俺の兄貴【坂の記憶】

著: TUGBOAT 麻生哲朗

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

◆◆◆

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 もう30年も前の話だ。時々母親に、兄貴ではなく俺だけが「修一、坂下の酒屋でお父さんの煙草を買ってきて」と頼まれることがあった。なぜかそのときだけ、おつりの数十円で好きな駄菓子を買うことが許され、俺は案外、意気揚々とそのお使いに出向いた。好きな駄菓子を買えるにもかかわらず、兄貴は「俺も行く」とは言わなかった。それがどうやら決まって土曜の午後であったこと、そして必ず月末の土曜であったことは、大人になってから気がついたことだ。

 俺たちが住んでいた家は小布施坂のちょうど真ん中にあって、坂を上れば目白通り、坂を下れば神田川で、古い商店はたいがい坂下にあった。

買い物から帰ると、兄貴はいつもいなかった……ということも後になって気がついたことだ。というより当時は気に留めていなかった。「浩一は?」「遊びにいったよ」という会話を疑うことなく、俺は好きな駄菓子を食べた。

 俺と兄貴は血はつながっていない。俺は母親の連れ子で、兄貴の浩一は親父の連れ子だった。二人とも親の再婚までは一人っ子で、ある日突然俺より4つ年上の浩一は兄貴になり、俺は弟になった。だから兄弟なのに二人とも名前に「一」がつくという、まとまりがあるような、矛盾するようなことになってしまっている。

 俺がお使いに出ている間に、浩一の本当の母親が迎えにきていて、その月末の土曜日は、浩一と本当の母親が二人きりで過ごす日に決められていたことは、大人になってから浩一に聞いた。それを聞いて腑に落ちたことがいろいろあった。いつも月末の土曜日だったこともそうだし、坂下の酒屋なら、俺が立ち読みしてすぐには帰ってこないことを親は計算していた気もするし、そして確かにその日の浩一の帰りはいつも晩ご飯を過ぎてからだった。

 もうひとつ、俺は坂を行き来するとき、時々すれ違う見知らぬおばさんがいたことをなんとなく覚えていた。小布施坂は地元の人間しか使わない急坂なのに、普段見かけないおばさんが、汗を滲ませながら坂をゆっくりと上ってくる姿に、子どもながらに違和感を
覚えていたのだと思う。いつもうつむいていて、服装は地味で、でも俺の母親より少しだけ奇麗で、背が低くて痩せたあのおばさんとすれ違ったのはどんなときだったかと思い返すと、それは決まって、あの月末の土曜の午後、俺が坂を下り、おばさんが坂を上ってくるときだった。あれが浩一のお母さんなのか……は、分からない。

 わが家のクリスマスは少し妙だった。枕元に置かれていたプレゼントは、必ず俺にはふたつ、浩一にはひとつだけだった。浩一は不平を言わなかった。ただ少し遅れた数日後、浩一はいつの間にかふたつめのプレゼントを必ずどこからかもらった。

 「浩一にだけなんでサンタが二人いるの?」と聞いたことがある。「どっちかが本物でどっちかが偽物なんだよ、それは」と言ったら、浩一は「二人いる時点で、両方とも偽物だよ」と答えた。そのときの俺には意味が分からなかった。俺の本当の父親は死別らしく、俺には偽物の二人目のサンタが現れたことはなかった。

 新しい親父は俺をそれなりに可愛がってくれたし、母親も浩一のことをデリケートに扱っていたと思う。親子、兄弟というよりは独立した4人、付かず離れずの感じで、わが家はそれなりにうまくいったんじゃないだろうか。

 親父は目白通りを越えた雑司ヶ谷の一画でベーカリーを営んでいて、母親はそれを手伝い、15年前、浩一が跡を継いだ。俺は普通に小さなCM制作のプロダクションに就職し、家を出た。クリスマスの一週間前、年末独特のスケジュールで忙殺されているさなかに、母親から連絡があった。浩一のかみさんとひとり息子が、家を出てったんだそうだ。「浩一どうしてんの」と聞いたら、あまり動ぜず、黙々と店で販売するためのクリスマスケーキをつくっているらしかった。なんだか浩一らしいと、俺は思った。

 義理の姉にあたる人も、そういえば小柄で痩せておとなしい人だった。あいつはどうして、そういう女の人とクリスマスに、こうも翻弄されるんだろうか。そしてどうしてそれをいつも黙って受け止めてしまうんだろう。

 浩一にLINEを送った。「お袋から聞いた。他人のケーキなんかつくってないで、店早く切り上げて、池袋で飲もうぜ」。LINEはすぐに返ってきた。

「それもいいね」

 今日はたったひとりの兄貴と深い酒だ。その後は久しぶりに実家に泊まってもいい。千鳥足にあの急坂は、なかなか危険な道のりかもしれないが。

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小布施坂
住所:文京区目白台1 丁目15と16の境界
アクセス:都電荒川線学習院下駅、面影橋駅、早稲田駅から徒歩約8 分

坂の名は明治時代、坂がある一帯に小布施新三郎という富豪の邸宅があったことが由来。小布施は明治12年に開いた株の仲買と金銀売買の店が繁盛し、後に株式取引所の取締役なども務めた金融界の人であった。それ以前、江戸時代から坂道は存在し、東に鳥羽藩、西に岩槻藩の下屋敷があったが、当時は野良道だったため、特に名がつけられるようなこともなかったという。ちなみに現在、この坂は車で通るのは困難で、徒歩や自転車での通行が原則だ。理由は坂が狭く、また一部が階段状になっているから。東京にはこうした坂がいくつかあるが、これもまたひとつの風情、といえるだろう

 

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■坂の記憶 その他の記事
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著者:麻生 哲朗

あそう・てつろう/株式会社TUGBOAT CMプランナー。1996年株式会社電通入社(クリエーティブ局)。1999年「TUGBOAT」の設立に参加。主な仕事にライフカード「カードの切り方が人生だ」シリーズ、NTTドコモ「ひとりと、ひとつ。」、モバゲーなど。CM以外にも作詞、小説、脚本などに活躍の場を広げている

 

写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2016年3月号から転載

御茶ノ水秋葉原【坂の記憶】

著: TUGBOAT 麻生哲朗

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

◆◆◆

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 会社が、本社を御茶ノ水ソラシティに移転したのが3年前。メトロ直結の小洒落た高層ビルへの引越しに、上層部は当時浮かれていた。僕は正直、古いビルを一棟借りし、狭くて雑然としているけれども、各フロアに部署、特にフロアのボスの個性が染みついていた、築地の前本社ビルが好きだった。

 わが社の新オフィスは、ビルの18、19階の2フロア。開放的な窓から、中央線と神田川が左右に並行に延びているのが見える。

 僕たちのフロアで、ちょっとした遊びが始まったのは、先輩の大平さんの一言がきっかけだった。大平さんは、見た目はお世辞にも二枚目とはいえない。体形も決してシャープではない30代後半、中年の入り口に比較的早くたどり着いたタイプの人。スタンドプレーは好まず、余計なことはあまり話さず、ともするとひたすら地味な人のはずなのだが、仕事は早く正確で、しかも話すとあけすけなくらい正直なときもあったりして面白い。上に対しても、歯向かわないが、結果的には少しも迎合していなかったりする。上司でも部下でも、優秀な人はみな大平さんに一目置いている。僕は優秀ではないが、大平さんは僕にとっては面白い兄貴だ。

 大平さん発案の遊びは、「御茶ノ水秋葉原」と呼ばれる。難しいルールはない。オフィスの窓外に湯島聖堂が見え、聖堂沿いには本郷通りから外堀通りを結ぶ細い坂がある。その坂は僕たちの島のちょうど正面に位置している。昌平坂という名前らしい。「御茶ノ水秋葉原」は、昌平坂を下ってくる人間が、外堀通りを御茶ノ水駅方向、窓から見ている僕たちからすると左に歩いていくか、それとも秋葉原駅方向、つまり右に歩いていくかの二択に賭け合うという実にシンプルな儀式をいう。

 発端は、以前、席にいた連中でランチでも行こうかというとき、その方法で店を決めようと大平さんが言い出したことだ。限られた時間、区域での会社員の昼食は、数巡すれば後は飽きとの戦いだ。手持ちの選択肢どれもが決定打を欠くとき、この「御茶ノ水秋葉原」はうってつけだった。「御茶ノ水なら2階の和食、秋葉原なら地下のそば屋」とだけ決め、後は天命を待つ。誰か決めてくれという気分をこの遊びはうまい頃合いで解消してくれる。大平さんは、さりげなく何かを解消する方法を見つけるのがうまい。

 この方式はあっという間に市民権を獲得し、夜の部会の会場といった他愛のないことから、時には仕事の分担にまで、採用されたりした。もちろん、遊び心が許される範囲で。

 あの日の夜。何日か続いていた残業で少し疲れていた。窓外を眺めながら体をほぐしていると、近づいてきたのは別の件で残業をしていた大平さんだった。大平さんは、外を眺めながら、まるで「この後飯どうする」と同じくらい何気ない口調で突然言った。

「俺、そろそろ会社やめるよ。新しく自分で会社やろうと思ってさ」「で、オマエ一緒にやらない?」

 僕は「はぁ……」としか言えなかった。当然の反応だろう。しかし不思議で、急な話だから驚きはあるのだけど、なんとなく、そんなことが人生で起きるのも悪くないと、僕は以前から思っていた気もした。「あり、なんですかね」と答えると、冗談か本気か分からない独特のノリで大平さんは言った。「じゃあ御茶ノ水秋葉原で決めよう」。乱暴すぎて面白く、僕はとりあえずその場ではその賭けに乗ることにした。「御茶ノ水秋葉原」には、明らかな傾向がある。距離が近い御茶ノ水駅に向かう人のほうが多いのだ。つまりこの賭けは本命が左、万が一が右、というのがセオリーだ。

「御茶ノ水なら僕はやめない、秋葉原なら一緒にやめる」。僕はそう告げて昌平坂を見る。「オッケー」と笑って、大平さんも同じ景色を眺めて待った。

 ほどなく、坂の上から背広姿の仕事を終えたサラリーマンが下りてきて、外堀通りに近づく。外堀通りに出たサラリーマンが左を見る。御茶ノ水駅の方向、セオリー通り、やめないに賭けた方。しかし男は動かない。代わりに男はおもむろに手を挙げた。一台のタクシーが止まり、男は足早に乗り込む。タクシーはそのまま秋葉原方向に走り去った。「そうきたか」と大平さんが珍しく大爆笑した。僕も「あれ、ありっすか!」と大爆笑した。

 辞表は総務に行けばひな型が置いてあるから、と言い残して大平さんは先に帰った。あの冗談とも本気ともとれる感じで。

 僕はまだ30歳、独り身。大平さんと5年やって、ダメでも35、多分まだ独身。だったらこの流れに乗ったほうが面白いか。僕はさっきの男のことを思い出して、またひとりで笑った。

 

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昌平坂
住所:千代田区外神田2丁目と文京区湯島1丁目の境界
アクセス:各線御茶ノ水駅から徒歩約3分

「昌平坂」といえば学問所。「昌平坂学問所」(正式名称は「学問所」および「昌平黌」)は、江戸時代、5代将軍綱吉が建てた孔子廟「湯島聖堂」内にあった。代々、幕府の儒学者を務めた林家の私塾を、幕府直轄の教育機関にしたのである。昌平坂はこの聖堂の東側にある坂。「昌平」とは、湯島聖堂に祀られた孔子の生まれ故郷の名である。急坂で団子のように転んでしまう、ということで「団子坂」という別名がある。湯島聖堂南側の外堀通りの坂も「昌平坂」と呼ぶこともあるが、そちらは本来「相生坂」という名。それを証明するように「古蹟昌平坂」の石碑は東側の坂に置かれている。

 

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著者:麻生 哲朗

あそう・てつろう/株式会社TUGBOAT CMプランナー。1996年株式会社電通入社(クリエーティブ局)。1999年「TUGBOAT」の設立に参加。主な仕事にライフカード「カードの切り方が人生だ」シリーズ、NTTドコモ「ひとりと、ひとつ。」、モバゲーなど。CM以外にも作詞、小説、脚本などに活躍の場を広げている

 

写真:坂口トモユキ

都心に住む by SUUMO」2016年1月号から転載

笑って【坂の記憶】

著: TUGBOAT 麻生哲朗

「都心に住む by SUUMO」で、2009年10月号~2018年1月号まで連載されたTUGBOAT・岡康道氏と麻生哲朗氏による東京の坂道をテーマにした短編小説「坂の記憶」をお届けします。

◆◆◆

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 叔父の家まで、こんなに急な坂だったかと思う。自分の結婚以来、叔父に会うのは初めてだから、10年近く会っていなかったことになる。その結婚式も、妻とそれぞれの両親、兄妹だけで海外で挙げたから、そこに叔父を招いてはいない。僕は自分が夫になり、父になった姿を叔父に見せたことがない。

 岐阜の高校を卒業し、東京の写真専門学校に通い始めたころ、僕をことさらに応援してくれたのは叔父だった。父は長男で、実に長男らしく地元で実直に公務員となり、姉と僕を実直に育てた。叔父、つまり父の弟は、東京の大学に進学し、音楽に没頭して、ギリギリの進級と留年を繰り返した。卒業後も音楽への夢をできる限り引っ張った叔父は、警備員の契約社員とスタジオミュージシャンという二足のわらじをずいぶん長く履いていた。今はその警備会社で事務方に回っている。もう音楽はやっていないというのを母から聞いたのは何年前だったろう。

 叔父の生き方は、わが家の家系からすると明らかに異端だったが、子どもの僕にとってそんな叔父は、憧れに近い存在でもあった。周りの同級生よりも早くに洋楽の魅力を教えてくれたのは叔父だったし、叔父は僕にとって刺激と夢の象徴だった。

 僕が東京の写真学校に通うことは、当然家では歓迎される進路ではなく、浪人してでも地元の国立大学に進むことを父は望んだし、要求した。極力、親の援助は受けないという実に曖昧な約束と決意で上京した僕を、歓迎してくれたのが、東京で二足のわらじを履き続けていた叔父だ。

 小遣いを時々もらい、僕のアパートに家具が足りないとなったら、深夜に一緒に粗大ゴミをあさりに回るなんていうことを、喜々として一緒にやってくれた。まだ素人同然の僕の写真をほめ、時折何枚か持って帰った。

 写真学校を卒業するとき、僕たちはある決断を迫られる。プロとして、自分の名前を看板として背負う覚悟のある人間は、プロ、特に広告カメラマンの門を叩きアシスタントになる。独り立ちの足がかりだ。そんな人生に対して慎重な連中は、スタジオへ就職をする。僕は圧倒的に後者だった。DNAのせいにするつもりはないが、そこで迷うことすらできなかった。その時点で夢をあきらめたわけではない。石橋の上を確実に歩きながらプロになればいいと思うのだ。けれど結局、最初の覚悟の違いは決定的で、僕はそこからついぞスタジオカメラマンという殻を、自ら破ることはなく、今がある。

 数年前、田舎の祖母が他界した。母は偉大ということか、以来、父と叔父の関係は明らかに疎遠になった。正確には縁のない状態になった。詳しいことは僕には分からない。どちらも、相手を僕の前で非難したりはしない。ただ、息子たちのそれぞれの生き方を認めていた祖母がいなくなって、故郷という拠り所を失って、あまりに違うそれぞれの生き方を両者が肯定し合うには、大人になり過ぎていたのかもしれない。父には、叔父があまりにもったいない生き方をしてきたように見えたかもしれないし、叔父には父の示す生き方が乱暴な正義に見えたのかもしれない。

 事情は分からなくても、その感触は僕にもじんわりと伝わってくる。父のいない所で叔父に会うという事実に、少しためらうようになって、僕はいつの間にか、叔父と会わなくなった。時々思い出して、顔を出そうかと考えては保留する、そんな風なまま、何年も過ぎた。

 そんな叔父からショートメールが届いたのは、ひと月前だ。「遺影を撮ってくれ」という短いメールだった。どこか体調が悪いのかという僕のメールには、まったく健康だが、撮っておきたいという返事が返ってきて、それで今日、十七が坂の急坂を上っている。

 巷で撮られる写真は、微かなものも含めて、みな笑顔を求める。笑っている瞬間を狙ったりもするし、さぁ笑ってとリクエストして撮ることさえある。つまりそれを残したいということだ。瞬間の現実や真実を切り取る……そんな写真もあると思うが、そんなことより、その瞬間そこに笑顔があったという先々の思い出を、ねつ造してでも獲得したいのが写真だったりもする。僕はそれを悪いことだとは思わない。それは、願いだから。そうであったと思いたいという願いだ。過去を思い返すとき、わざわざ記憶の苦い点をたどる必要などない、笑顔だけをたどればいい。だから僕は、そんな写真が好きだ。

 ひさしぶりに会う叔父は笑うだろうか。会話は途切れがちでも僕は言うだろう。

「叔父さん、少し笑って」

 

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十七が坂
住所:目黒3丁目5番と18番の境界付近
アクセス:目黒駅徒歩約15分

「じゅうしちがざか」あるいは「とながさか」と読む短い急坂。目黒不動尊へ通じる「庚申道」に続く道だが、あまりに急なため、目黒不動尊への難所とさえいわれていた。そのため老人や子どもが目黒不動尊へ向かう際は坂下から西方面への回り道を使っていたほど。そんな急傾斜が「子どもが坂の途中で転ぶと17歳になったとき凶事が起こる」といういわれを生み、坂の名称につながった。ただ、坂上の庚申塔に中目黒の有力者17名の名が刻まれたことが由来という説もある。急坂は工事により緩やかにする場合もあるが、十七が坂は現在も歴史どおりの急傾斜を保っているのも特徴だ。

 

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著者:麻生 哲朗

あそう・てつろう/株式会社TUGBOAT CMプランナー。1996年株式会社電通入社(クリエーティブ局)。1999年「TUGBOAT」の設立に参加。主な仕事にライフカード「カードの切り方が人生だ」シリーズ、NTTドコモ「ひとりと、ひとつ。」、モバゲーなど。CM以外にも作詞、小説、脚本などに活躍の場を広げている

 

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都心に住む by SUUMO」2014年7月号から転載

渋谷のヤクザマンションの話〜僕が繁華街に住むことをおすすめする理由〜

著: ヨッピー

「ここに、引越します」

僕がまだサラリーマンをしていたころ、とあるマンションの資料を添えて上司に提出したら「お前は何を考えてるんだ!」とめちゃくちゃ怒られた。

「なんで引越しをするだけでそんなに怒られるの?」と思う人もいるかもしれないので説明をしておくと、僕が「ここに引越したい」と、上司に向かって高らかに宣言したそのマンションは新宿歌舞伎町のど真ん中にある、通称「ヤクザマンション」。つまりは、暴力団の事務所が多数入居しているようなマンションだったからである。ちなみに当時働いていた会社の最寄駅は上野である。

「上野に通うのになぜ歌舞伎町に住む必要があるのか」
「会社名義でそのような場所を借りるのは問題である」
「風紀上よろしくない」

などなど、1ミリの反論も許されない正論を並べ立てられ、目の玉が飛び出るかと思うくらいに怒られた。「お前みたいなやつが居るとそのうち会社がつぶれる」くらいのことも言われたか。シロアリか、僕は。

「おい!誰に向かって口をきいとんや!歌舞伎町の暴れ竜とはワシのことじゃい!」「プキキキ~~~!かんにんしておくれやすぅ~~~!」泣き叫ぶ上司を抱えて、ビルの7階から投げ落とした~、みたいなことは全然なく、サラリーマンの僕が給料、ボーナスその他の査定を握っている上司に逆らえるわけがない。「へい!おっしゃるとおりでガス!」そんなノリでその時はおとなしく諦めて上野近くの物件を借りてそこに住むことにしたのだけど、「ヤクザマンションに住んでみたい」という夢は簡単にはついえなかった。僕は『殺し屋1(イチ)』という、ヤクザ同士がヤクザマンションで殺し合いを繰り広げる漫画にすっかりハマっていたからである。

退職後、憧れのヤクザマンションへ

それから3年くらいたったころ。

「会社、辞めます」

東日本大震災が起こる2週間ほど前に、上司に退職願を出した。「歌舞伎町に住む」と言ったら「殺すぞ」くらいのノリで、目の玉が飛び出るほど怒ったくせに、「辞めます」と言ったら「ああ、そうか」ってな具合にあっさり受け入れたのには全然納得がいかないけど、とにかくこれによって「上司」「会社」というかつて僕を縛り付けたものから魂が解き放たれたのである。解き放たれた魂が向かう先はもちろん、ヤクザマンションだ。

普段から仲良くしている友達は渋谷近辺に住んでいる人が多かったので、利便性を考えて新宿歌舞伎町ではなく、渋谷道玄坂にあるヤクザマンションに引越すことにした。

そのマンションを借りるにあたっては、オトリ物件に騙されるなど紆余曲折があったりするのだけど、最終的には3年越しの夢が叶って、過去には〇〇事件があったり、人が〇〇されたりしたようなマンションに入居することに成功するのである(詳細を書くと一発で特定されるから伏字にします)。1K・25平米で家賃8万円と、周囲の相場に比べると格安だった。

「これで僕も今日から殺し屋1だ!」

そんな感じで意気揚々とヤクザマンションに住んだのだけど、結論から言うと拍子抜けもいいところだった。発砲事件があるわけでもないし、抗争が起きるわけでもないし、怖い人がたむろするわけでもない。至って普通の人たちが住んでおり、至って普通の会社の事務所なんかもたくさん入居していて、「なんだ、こんなものか」と思ったことを覚えている。

「窓からビール瓶を投げ捨てないでください」みたいな張り紙がエントランスにあったことには驚愕(きょうがく)したけど。

渋谷に住んでいるという高揚感はすぐに終わった

渋谷に引越してからというもの、やたらとテンションが高かった。大阪のスラム街みたいなところで生まれ育った僕は「いよいよ、世界に冠たる渋谷に住んだのだぞ」という誇らしい気持ちでいっぱいだったのである。

「ひょっとして僕は帝王になったのかもしれない」と思ったりもした。無駄にTwitterで「俺は渋谷に住んでいるのだ」ということをアピールすることも忘れなかった。なにせ、ニュース番組で、ドラマで、バラエティ番組でしょっちゅう見ていた109が「地元の服屋」なのである。子どものころに街でテレビカメラを見かければ「あ! テレビだ! なんの撮影だろう!?」と興味しんしんで駆け寄ったのに、渋谷に引越してからは「今日もカメラが邪魔だなぁまったく……。ま、渋谷だからしょうがないかな?」と謎の上から目線で見下ろしていた。

飲み会に行けば聞かれもしないのに「僕、渋谷に住んでるんですけど~」と鼻高々だったし、「渋谷在住」みたいなプリントがされたTシャツを着て街を練り歩きたかったし、Twitterの名前を「渋谷に住んでいるヨッピー」に変えたかった。大宮のキャバクラに行った時は隣に座る女性全員に「今日は渋谷から来てるんですけど~」と伝えた。ハチ公前で記念撮影をしている、方言を操る観光客らしき団体を見ては「フン、田舎者め。僕は渋谷に住んでいるのだぞ。ひかえろ!」と心の中で偉そうにしていた。

「渋谷に住んだ!僕はもう立派なリア充だ!」

そんな風に有頂天になっていた僕は、調子に乗ってクラブに行ってみたりもした。そして心が折れた。

音楽に合わせて踊り狂う人々の輪に入れず、壁にもたれかかって時折リズムを取って体を動かしてみるのだけど、「何あの動きwwwwダセえwwww」って周りの人から思われている気がしてすぐにやめ、入店から30分で店を出た。黒服に「あいつwwwwクラブになじめないでやんのwwwwww」と思われそうなのが嫌で、急な電話がかかってきたフリをした。

なにせクラブから家までは徒歩1分である。すぐさま部屋に戻り、カギを2重にかけ、「電車に乗ってはるばる渋谷に来る田舎者のくせに!!!!!!!僕は渋谷に住んでるんだぞ!!!!」と大声で叫びながら枕を涙で濡らした。渋谷に住んだところで、僕の中身は何も変わってない。所詮は大阪のスラム街育ちの豚野郎なのである。

「渋谷に住んでいるのだ」という高揚感はすぐに終わった。調子に乗っていたのは期間にして1カ月程度である。ヤクザマンションは拍子抜けだったし、クラブにはなじめなかった。「渋谷に住んでる」と高らかに宣言したところで、「すごい!おしゃれ!」「最先端!」「今夜は私の109にも入居してください!」なんて誰も言わないのである。「渋谷とか住みづらくないっスか?w」みたいにちょっと小馬鹿にされるのが関の山だ。

週末になると道端に酔いつぶれた人間がたくさん「落ちて」いた。いわゆる脱法ドラッグが世間を賑わせていたころは、歩行者がたくさん歩いている歩道をほふく前進しながら「今からお茶買いに行くんや!」と職質のお巡りさんに絶叫する人にも出くわした。「ピエー!」とか「キエー!」とか叫び散らしている人もたくさん見かけた気がする。

こんな話を書くと「そんなところに住みたくない」と思われそうだが、僕は渋谷に住んだことを全く後悔していない。繁華街である「渋谷に住む」ということは、仕事をする上でも、生活をする上でも、想像以上にメリットがあったからだ。

たくさん誘ってもらえる

繁華街に住むと「とにかく便利」「タクシーを使わないで済む」といった多くの利点があるけど、一番大きいのがこの「たくさん誘ってもらえる」ということだ。

これはもう圧倒的、かつ代替のきかない「良さ」である。

飲み会の場所として渋谷、新宿あたりの繁華街が選ばれやすいのは想像に難くないと思う。別にこれは東京に限らず、大阪における難波・梅田、名古屋の栄、福岡の中州・天神なんかも同じだ。そういう土地に住んでいると「今〇〇で飲んでるんだけど来ない?」「飲み会やってるんだけどおいでよ!」など、「やたらと人に誘われる」という圧倒的なメリットがあるのだ。

もちろんお酒の席が苦手、とかそもそも一人で居ることが好き、みたいな人にはおすすめできないけど、僕は生来の酔っぱらい気質なのでそういう席に誘ってもらえるのは純粋にうれしい。おかげで会社という組織から離れても「孤独を感じる」みたいなことが一切なかった。

それにサラリーマンを辞めてフリーランスになった当時の僕は、当然仕事が欲しかった。そしてライターという仕事は、飲みの席がそのまま仕事につながることが意外と多いのである。実際、なんとなくのノリで出かけた飲み会からつながった仕事もたくさんあった。この「人と会うためにかかるコストが異常に低い」「知り合う人の絶対数が増える」という点は、仕事の上で大いに役に立った気がする。

そもそも渋谷はIT企業なんかもたくさんあるので、そういった会社からの呼びかけにも気軽に応じられる。ちょっと遠い場所だと「行くの面倒だから、ある程度メールで固めてから打ち合わせ行くか」みたいなノリになるのだけど、渋谷の会社からの依頼だったりすると「とりあえず話だけ聞いておくか」みたいにトントン拍子に進んだりするのだ。

会社側も何かあると「そういえばヨッピーが近くに住んでるし相談してみるか」みたいなテンションになるのかもしれない。そんな感じでホイホイ出かけて行った打ち合わせでひどい企画をゴリ押しされ、後から「やらなきゃよかった」と後悔することも多かったのだけど。

とはいえ、女性が渋谷をはじめとした繁華街に住むことはあまりおすすめしない。キャッチ、スカウト、ナンパ、絡んでくる酔っぱらいなんかがうっとうしいことこの上ないからである。自炊派の人にもあんまりおすすめしない。スーパーがないわけではないけど数が限られてるし、デパ地下で食材を買うのはやっぱり高いからだ。

そういった点に目をつむれば、フリーランスになって昼夜逆転生活を送っていた僕からすると、夜中でも開いているお店がたくさんあって買い物もできる渋谷での生活は大層居心地が良かった。つまりは、

・人と知り合うことが仕事につながる職業の人で
・人混みが苦にならず
・昼夜逆転生活をしている

なんて人が、渋谷など繁華街に住むのは全然アリなのではなかろうか。

起業したての人や気ままなフリーランス商売をしている人には特におすすめだ。その上で僕が渋谷に住んでいたころによく通い、個人的な思い入れの深い場所について記しておきたい。

僕が足しげく通ったお店

JELLY JELLY CAFE

まずはこちらのボードゲームカフェだ。最初はイベント会場を探していて、ここの店主の人が「ウチ使っていいですよ」みたいなことを言ってくれたのがきっかけだったような気がする。

とにかくボードゲームが楽しくて楽しくて、渋谷に来た友達に「あんさん、実はエエ店がありまんのや……!」「ゴクリ……! それはどんなお店でっしゃろかい……」みたいな茶番を挟んではせっせと連れて行った。そしてこの店に通いまくったせいで気付いたら週1で店番までするようになった。

店番とはいえ、たまに飲み物を出すくらいで基本的にはお客さんに交じって遊んでいるだけだったので、サラリーマンを辞めて貧乏暮らしを開始した僕からすると、チョロいお小遣い稼ぎだった。

「ボードゲームやるよ~~~!」と道端で叫ぶと、一部の熱狂的なオタクが狂喜乱舞してヨダレを垂らしながら走ってくる、と相場が決まっているのだけど、それ以外の人にボードゲームがどういうゲームかを説明するときには、「人生ゲーム」を想像してもらうとイメージしやすい。あんな感じで決まったルールにのっとってゲームを進め、特定の条件を満たすことで勝敗が決まる。

ただし、人生ゲームほど運任せではなく、戦略や駆け引きなんかが大きく作用するゲームのほうが人気が高い。要するにボードゲームは頭を使う遊びである。流行っている「人狼」なんかもボードゲームの一種だ。

ボードゲームは「紳士的に遊ぼう」というのが推奨されていて、あくまで紳士的な振る舞いをしながらゲームを進めることが求められるのだけど、気心が知れた仲間と興じるときはそのルールを取っ払い、死ぬほどあおりまくって遊ぶのが楽しかった。

「カタンで負ける奴は人生ごと負けてる」「お前ごとき、幼稚園児がアンパンマン見ながらやっても勝てる」「お前みたいなやつに遊ばれるゲームがかわいそう」などなど。

くれぐれもリアルファイトに発展しないように注意しよう。そして他のお客さんが居る場合に非紳士的な言動を取るのも厳禁である。じゃあ最初からやるなよっていう話ではあるのだけど。

すし台所家

続いて、回転寿司の「すし台所家」である。

本当に、マジで、死ぬほど、足しげく、狂ったように、圧倒的な勢いで、通った。最低でも2日に1回は行ってたと思う。

台所家は回転寿司とはいえ一品ものの品ぞろえが良く、おいしいし値段もお手ごろなので居酒屋代わりに使うことが多かった。ただしランチの時間帯は死ぬほど混むので注意してほしい。おすすめは、人が少なく品切れも多くない18時ごろだ。

僕が好きなのは寒ブリとイカの天ぷらだった。特にイカの天ぷらは確か500円くらいで想像を絶する量が出てくる。ちゃんと季節のメニューも取りそろえていて、冬になると「生牡蠣」の寿司が出るので牡蠣のシーズンは生牡蠣目当てにほぼ毎日、くらいのレベルで通っていた。

ちなみに、取材で行った金沢の醤油が大変おいしかったので、「マイ醤油」を持って食べに行っていたのだけど、座席に座るなりポケットから醤油を取り出して小皿に注ぐ僕を見て、大将が毎回変な顔をしていた。

一軒め酒場

台所家に続いておすすめしたいのが、この「一軒め酒場」である。会社を辞めたてで節約したい、でも飲み会には出たい、みたいな僕のワガママをかなえてくれたのがこのお店である。

「一軒め酒場」は別に渋谷以外にもたくさん店舗があるので、渋谷名物でもなんでもないのだけど、とにかく常軌を逸した価格でお酒が飲める。

お通しは最初から出て来ない。酎ハイ、サワーは190円だし、オツマミの類いもだいたい200円くらいで食べられるので1人2,000円もあれば「もう飲めるか!」ってブチ切れる程度には痛飲できる。道玄坂に酔っ払いが増えたのはこの「一軒め酒場」の功績によるところが大きい。嘘だけど。「爆ハイ」というメニューがあって、「ウイスキーのビール割」という狂気じみたお酒なのだけど、かけつけ一杯、で頼むと一気にベッロベロに酔えるので大変コスパがいい飲み物である。

「一軒め酒場」は貧乏暮らしのフリーランスを支える、立派な福祉施設と呼んでも過言ではない。

東急ハンズ

そして「東急ハンズ」である。

都心部には郊外にあるような、大規模なホームセンターがない。その代わりに便利なのが大型雑貨店の「東急ハンズ」である

ハンズには材料、素材、工具その他、「工作」にかかわるものであればだいたいひととおりはそろうようになっている。渋谷に住んでいたころは足しげくDIYコーナーに通った。

それで何をつくっていたかというとこれである。

「iPhone」のコスプレ。

「世界遺産」のコスプレ。

などなど。

「東急ハンズ」が近くにあると便利なもので、こういった工作の類いの作業が大変はかどる。もちろん「この工作に何か意味はあるの?」と聞かれたら「さあ?」としか答えられないのだけど。

とにかくフリーランスのクリエイターで、いろんなモノづくりをしている人なら「東急ハンズが近くにあることのありがたさ」みたいなものは理解してもらえるのではなかろうか。「段ボールがあればだいたい全部つくれる」という間違ったライフハックを得たのもこの「東急ハンズ」のおかげである。

文化浴泉

そして最後に、僕が足しげく通っていた銭湯をご紹介しておきたい。渋谷から1駅離れるが、池尻大橋の「文化浴泉」だ。

いわゆるデザイナーズ銭湯で雰囲気がおしゃれだし、浴槽もきれいなのでおすすめしたい。軟水なので、お風呂上がりに髪がキシキシしないこともポイントが高い。渋谷から歩いて行くとちょっと大変かもしれないけど、自転車を使えば割とすぐに行けるので、渋谷に住む機会があればガシガシ利用していただきたいものである。

◆◆◆

そんなわけで、渋谷に暮らしていたころの思い出話めいたものをツラツラと書いてきたのだけど、文中でも言ったとおり「繁華街に住む」という選択肢は決して万人におすすめできるものだとは思っていない。

ただし、一定の条件をクリアした人にとっては暮らしの拠点として、仕事の拠点として繁華街で暮らすことのメリットは確実にある。

人生に一度くらいはこういう雑多な街に住んでみるのもおもしろいんじゃないかと思うのですが、皆さんはどうでしょうか。

 

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著者:ヨッピー (id:yoppymodel)

ヨッピー

大阪出身。「オモコロ」「トゥギャッチ」「ぐるなび みんなのごはん」「Yahoo!スマホガイド」など、さまざまなWebメディアで活躍中の無職。「Webでウケること」の第一人者として、たまに偉そうなことを言ったりもする。なぜかテレビ朝日と組んでCDを出したりもした。

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ブログ:ヨッピーがブチ切れまくるブログ

編集:はてな編集部