日本橋七福神と深い縁をもつ39階建て超高層マンション
江戸時代、五街道の基点となったことをきっかけに発展を遂げた日本橋は、令和の現代においても今なお活気にあふれている。継承されてきた江戸情緒や美食、伝統芸能、さらに、隅田川や中央区最大の公園、浜町公園もあり、自然も身近だ。
というわけで街にはいろいろな楽しみ方があるのだが、なかでも定番人気のひとつなのが「日本橋七福神めぐり」だ。すべて巡っても1~3時間程度で「日本で最も短時間に巡拝できる七福神」として知られているうえ、御朱印ブームも手伝い、多くの人が訪れている。
その七福神のひとつ「茶ノ木神社」と切っても切れない関係にあるのが、今回取り上げるリガーレ日本橋人形町だ。丸く刈り込まれた茶の木が植えられ、「お茶ノ木様」として親しまれる小さな神社と、地上39階建てのタワーマンション・リガーレ日本橋人形町は、同じ敷地内に鎮座している。神社は、地元の日本橋人形町はもちろん、マンションの守り神でもあるのだ。
何故このような“神社とタワマンのコラボ”が実現したのだろうか。鈴木健一団地管理組合理事長に聞いた。
「戦時中、この地域はさほど空襲被害を受けず、大規模な区画整備が行われてこなかったんです。マンションが建てられる前は、老朽化した木造家屋が密集する一方、バブル期の投機の名残となっていた空家や駐車場が点在していました。人形町、水天宮の駅前にふさわしい土地活用ができておらず、防災上の問題もあったため、地元住民を中心に再開発の動きが起きたのです」
鈴木さんは日本橋人形町育ち。就職と同時にここを離れ、一時期は親御さんとともに都内のマンションで二世帯近居をしていた。しかし、再開発の始動前に親子でこの地に戻り、以降、地元の再生に力を注いできた。
「1995年の勉強会発足を皮切りに紆余曲折を経て、ようやく完成にこぎつけたのが2007年でした。元々この地にあった茶ノ木神社は、マンションの建築工事中は敷地の際に仮座し、竣工に際して、現在の位置に還座されたのです」
再開発にあたっては、茶ノ木神社も深く関わる、4つの「目的」が掲げられたという。
「第1に、元々この地域に住んでいた地権者全員の居住継続、第2に防災性に優れた空間創出、第3に地域活性化への貢献、そして第4が茶ノ木神社や広場、町会事務所の継承、整備でした。茶ノ木神社の維持管理、お世話は私たちの大切な役割として引き継がれているんです」
ちなみに2020年の正月には、日本橋七福神めぐりで約3万人がこの界隈を巡拝したとのこと。鈴木さんは茶ノ木神社の世話人のひとりとして、夜を徹して対応をしたそうだ。
地元町会との絆とハイスペックな住空間を一挙両得
マンションは全335戸。そのうち再開発プロジェクトに参画したUR都市機構の賃貸住宅が247戸。残りの88戸が再開発地域に暮していた地権者を中心に割り当てられている。基本的には、以前住んでいた住居の広さに応じて、住まいの専有面積が決められた。
親の代から日本橋人形町で暮す地権者のひとりであり、団地管理組合理事を務める河合盛伸さんは、生まれて初めてのマンション暮しだ。以前の家は4階建てのビルで、1階が自分の店舗、2・3階は貸しオフィス、4階が自宅だった。
「このマンションでも同じ4階に住んでいます。マンション生活に対しては特に不安がないどころか、むしろ新しくてきれいな家に住める期待感のほうが大きかったですね。
ただ、まあ、強いて言えば、上下左右と4方向を別の世帯に囲まれて暮すわけで、そこは違和感があるかもしれないとは思っていました。でも、いざ住み始めると、周囲の家からの生活音がほぼゼロであることに気が付き、すぐに囲まれて暮していることを忘れてしまいましたね。
機能の点で、特にすごいと思っているのは断熱性の高さです。本当に冷暖房の効きが良くて、例えば真夏の暑いときもエアコンの室温設定は29度で十分。寝るとき、タイマーは使わず、布団に入ってすぐスイッチをオフにしてしまうのですが、それでも冷気が室内に残っているので、ひと晩ぐっすり寝られます。もちろん今年の酷暑も問題ありませんでした」
地権者が多く暮らすということで、昔からの知り合いに囲まれていることも安心とのこと。
「住まいのカタチはガラッと変わりましたが、住人には生まれも育ちもこの界隈の人が多く、近所付き合いの感覚は以前とさほど変わりません。また、うちの息子もそうなのですが、以前は離れて住んでいた二世代目が戻って、マンション内で近居するケースもあります。
管理組合の顔ぶれは、再開発の研究会活動が始まったころからほぼ同じなので、初対面の人が顔をそろえる一般の分譲マンションの組合に比べると、意思疎通はしやすいと感じます。広報、修繕、防災対策など各委員会があり、古い付き合いならではの信頼もあって、それぞれに一定の予算を付けて独立して動く仕組み。意志決定のスピードはかなり早いのではないでしょうか。
ただ、最近は中古で購入して、この界隈に地縁がない新しい人も管理組合に入ってきました。これはとても良いことだと感じています。もっと若い世代の方や女性にも組合活動に加わっていただいて、次世代に継承していければ良いと思っています」
その一方で、再開発以前からの絆が残っていることもありがたいと話す。
「再開発などで大規模マンションができると、一般的にはそのマンション単体でひとつの自治会をつくるケースが多いものです。でもここは再開発の目的に“地域活性化への貢献”を掲げており、現在もマンションが立つ地元の町会(人形町一丁目町会)に属しています。
管理組合、自治会、茶ノ木神社、そして地元商店街が主催する祭りやイベントがたくさんあり、昔のつきあいが継続しているのは、ずっとこの地で暮してきた私にはうれしい限りですね」
行政も高評価する防災力で安全安心な“長屋ライフ”に
再開発目標のひとつとして前述した“防災性に優れた空間創出”実現への努力も、リガーレ日本橋人形町での暮しに欠かせない要素だ。
特筆したいのが、独自に作成した「震災時活動マニュアル」。なかでも非常時の連絡体制が合理的である。再び鈴木さんに説明いただいた。
「このマンションは有事の際、全戸から1階の防災センターに直接電話連絡できる仕組みを導入しています。しかし、実際にそれをやってしまうと、防災センターが混乱して事態を収拾できなくなる恐れもあります。
そこで、賃貸住戸が入る13階~39階を、基本5フロア毎、計5カ所に区切り、各所と防災センター間で連絡し合って安否のチェックや今後の行動を確認する体制をつくりました。一方、12階から下に住む住人は、万が一エレベーターが停止しても、自力で降りてもらうルールを敷いています」
さらに災害時要援護者を把握するため、一人暮らしの高齢住民などの名簿作成・保管も行っている。
「自治体の公助に依存せず、マンション内の共助、自助の体制をつくるためには、要援護者を把握しておくことが大切だろうとの考えです。個人情報保護の時代なので、情報の作成・保管には慎重を期して取り組んでいます」
この震災時活動マニュアルを、重要な冊子であると住人に印象付け、なおかつ内容をしっかり理解して活用してもらおうと、管理組合はマニュアルを郵便受けに配布せず、あえてマンション1階の受付まで取りに来てもらったそうだ。防災を自然と“自分事”にできる細やかな配慮が意識をさらに高めただろう。
こうした防災対策は自治体、他のマンションからも評価、注目された。
震災時活動マニュアルが、住居と店舗が併存する複合型マンションの先進事例として区内で初めて公表された上、これをベースとして、地元の中央区が冊子『震災時活動マニュアル策定の手引き』を発行。中央区の住民の8割超はマンション暮しのため、防災対策に注力していることがこの背景にあるそうだ。
また、2011年の東日本大震災の前には、仙台のタワーマンションの管理組合が視察に訪れ、リガーレ日本橋人形町のマニュアルを参考にして自物件オリジナルのマニュアルづくりに着手した。震災が発生した当時、マニュアルは未完成だったが、制作に従事していた理事のスキルが向上しており、仙台エリアの他マンションに比べると復旧は早かったそうだ。
さらに、2017年4月には先進的なマンション防災と地元町会の連携による対策が都に評価され「東京防災隣組」にも認定されている。
「都心には下町だけではなく山の手もありますし、いろいろな人が一緒に暮すのが大規模マンションの在るべき姿だと思っています。防災力を安全安心、快適な暮しのベースにして、未来につながる“タワー長屋”を目指したいですね」