昼はコドモ、夜はオトナのものとなる「四谷」 飲んで飲まれて歩いて帰れる街で暮らした日々

著: 岡田 育
四ツ谷駅前。左奥が上智大学の建物と、同じ敷地内にある聖イグナチオ教会の尖塔

 アメリカに転居する直前、2013年から2015年まで、私は四谷に住んでいた。そう言うと、土地勘のない人たちからは「えっ、あんなとこ、住めるの!?」と驚かれる。住める住める。めっちゃ推せる。東京生活が長い人たちからは時々、「……やるねぇ」とニヤリと笑われるので、こちらもニヤリと笑い返す。やってやったぜ。

階段と怪談の多い街

 麹町側や新宿通り沿いはいかにもビジネス街という雰囲気だし、電車や地下鉄で通過するだけでは、「住む」場所としてまるでピンとこないのかもしれない。しかし四谷という街は、赤坂御用地に隣接し、庭園に滝が流れる武家屋敷の敷地から東京屈指の花街となったユニークな歴史を持つ。一本奥の路地へ入るとまるで趣が変わり、無数に細かく区切られた昔ながらの町名の上、電線が低空をびょんびょん這い回る、古き佳き住宅街となっている。

 その地形について説明するならば、永井荷風や内田百間の名を挙げるよりも今は、大ヒット映画『君の名は。』のキービジュアルが分かりやすいだろう。須賀神社へと続く急な石段から東京都心を一望する、きつめの遠近図法で描かれた高低差。ちょっとノスタルジックな民家の連なり、あの坂道こそが四谷の「谷」としての姿、交通量の多い表通りからはなかなか見えない裏の顔である。

須賀神社の階段。『君の名は。』の“あの絵”では旧我が家の位置も描かれていた

 なぜ四谷に目をつけていたかというと、ここは私が小中高と通った母校がある街なのだ。大学を出て最初に一人暮らしを始めた10年以上前から、引越しのたびに必ず、四谷エリアを検討候補に入れていた。東京メトロ・四谷三丁目駅を中心に、北は市ヶ谷の防衛省近くや曙橋の商店街、東は四谷見附、南は信濃町、西は新宿二丁目辺りまで。ずいぶんあちこちの単身者用アパートやマンションを内見した。西側は緑したたる新宿御苑に近いほど超高級マンションが増え、麹町より東は物件が激減する。でも四谷の古い住宅街でなら、私でも手の届く賃貸がきっと見つかるはずだ。そう確信して狙っていたのだ。

 とはいえ、なかなかタイミングや条件が合わず、ようやく念願叶ったのは結局、結婚を機に二人暮らし用の新居を探しているときだった。即決した物件の月額家賃が、新宿区全体の相場よりも万単位で安かったのは、線香の煙がたなびく墓地の裏手だったせいもあるだろう。そう、四谷といえば、皆様ご存じ「四谷怪談」、そして「番町皿屋敷」ゆかりの地。江戸時代から「出る」土地柄として全国的に有名だったわけで、21世紀の新海誠ファンがせっせとロケ地巡礼している周辺は、はるか昔からオカルトマニアたちが足繁く通ってきた心霊スポットでもある。

 私の家も、霊感の強い人なら玄関口で失神するようなマンションだったのかもしれない……が、窓を閉めていてもなぜか不思議と風通しよく、ひんや〜りと背筋の涼しくなる部屋を我々はすっかり気に入り、「真夏日にも冷房代が節約できてラッキー!エコ!」くらいに思っていた。住める住める。余裕。

迷子になった原風景

四谷見附橋。最近だと映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』にも登場

 このエリアに暮らすと、四ツ谷、四谷三丁目、曙橋の3駅をフル活用して、JRと地下鉄を合計4路線利用できる。新宿、渋谷、東京駅へのアクセスが抜群によく、職場のあった北参道へは自転車で通っていた。新宿区の四谷地域センターや「スーパー丸正」(丸正食品総本店)をはじめとした過不足ない生活利便性と、そしてもちろん、「津の守弁財天」をぐるりと取り巻く荒木町界隈の筆舌に尽くしがたい飲食店の充実ぶり。地味に便利な都心の穴場なのだ。

 JRがまだ国鉄、東京メトロが帝都高速度交通営団、四ツ谷駅の有人改札口で駅員が切符にハサミを入れていたころから、私は毎朝毎夕、真っ黒い制服を着て真っ黒いランドセルを背負い、この駅前を登校していた。中央線と総武線の上に架かった跨線橋*1、駅前の四谷見附橋が架け替え工事を終えたのも、小学生のときだ。

 たもとには江戸城門の石垣を残しつつ、大正期に架けられた旧橋を踏襲し、ネオ・バロックの大変デコラティブな街燈や欄干を持つこの橋は、すぐ近くにある赤坂迎賓館と様式をそろえているという。昔からテレビドラマや映画、CMなどのロケによく使われていて、橋だけ見ると優美だが、駅舎のほうはツギハギの改修を繰り返して結構くたびれてしみったれている。この高級感と庶民性が同居する感じが、街全体の雰囲気をよく表していると思う。

 中学高校に上がると放課後は新宿の繁華街や神保町の古書店街まで歩いて通い、浮いた電車賃を小遣いの足しにしていた。通学鞄にはポケットサイズの東京23区地図帳。スマホどころか、ポケベルも持っていなかった時代の話である。

 時代物から純文学、探偵物まで、さまざまな小説の舞台がよく見慣れた地名番地にあると気づいては、電柱の表示を頼りに真昼の歓楽街を散策してみたり。『超芸術トマソン』(赤瀬川原平著・筑摩書房)にかぶれて路上観察に勤しんでいたら、今はなきセツ・モードセミナー*2に辿り着いたり。あるいはこれも今はなき、教会みたいなファサードの文化放送本社前で、芸能人の出待ちをするクラスメイトに付き合ったり。生活感が色濃い家並みへぶらぶら迷い込んでは、こんな都心に住むのはどんな感じだろう、と空想していた。

思い出の味あれこれ

皮はパリパリ、 あんは量が多く甘さ控えめ、おやつなのにどこかストイックな味

 引越しを終えてすぐ、懐かしい思い出の場所を再訪して回った。まずは何よりも「たいやきわかば」。東京たいやき御三家の一つ、我が買い食い人生の原点にして頂点である。店頭の大行列に辛抱強く並び、釣り銭の出ぬよう会計を済ませ、あつあつのうちに店内で頬張ったのち給茶機でおかわりを注いだら、だらだら長居せずサッと席を立って後続に譲るのが粋、そんな流儀もここで学んだものだ。

 制服姿で入るにはちょっと勇気が要ったのが、螺旋階段と吹抜けが美しい純喫茶「Lawn」と、昭和の少女漫画から飛び出して来たような内装の「フルーツパーラーフクナガ」。行くたびに何か買ってしまうやなせたかしファンの聖地「アンパンマンショップ」や、わざわざ聖地に出向かずとも世界の守護聖人グッズがゲットできちゃう「ドン・ボスコ」も、変わらぬ姿で健在だった。

このぽってりした包み方、最高。中身はエビのおぼろ、レンコン、しいたけ、穴子など具だくさん

 四谷三丁目交差点の消防博物館を越えた先にある大阪鮓「四谷 八竹」の茶巾ずしも外せない。たまご色、という言葉から想起されるおいしい食べ物ランキング不動の第一位、丸くて四角い幸福のかたまり。学校行事の帰りに親と一緒のときだけ特別に食べさせてもらえる贅沢品で、大人になってから初めて、一人で一個まるまる食べた。やるねぇ。やってやったぜ。

コドモの街から、オトナの街へ

 毎年春になると、四ツ谷駅前の桜並木の土手で、背広を脱いだ大人たち、上智大学や法政大学の学生たちが、にぎやかにお花見をしている。でも、私にとってそれはあくまで「通学路」の光景。この街で過ごしてきたのは18歳以下の時間であって、思い出はいつも、たいやきにパフェ、クリームソーダ、外濠公園の自動販売機で買うセブンティーンアイスの味。先生たちの目を盗んでゲームセンターやカラオケ屋へ寄ったって、お酒を飲んだことなんかなかった。

 そう考えてみると、不思議な街だ。昼の四谷は、ガキのもの。幼稚園から小中高大、進学予備校や専門学校までさまざまな学び舎がひしめいて、廃校が「東京おもちゃ美術館」として再生した例などもある。「かつれつ四谷たけだ」も「スパゲティながい」も「徒歩徒歩亭」も、定食系の人気店はとにかく学生向けのメガ盛り仕様、ナウでヤングなスタミナ自慢。サラリーマンたちがオフィスに詰めている間、駅前のあちこちからコドモの声がキャーキャー響いている。

 一方、荒木町を中心とする深夜の四谷はオトナの街で、お子様たちにはまだ早い、という艶っぽい近寄りがたさがある。日が暮れてからにぎわうのは、量よりも質、席数も絞りに絞った隠れ家的な名店。高級割烹から会員制バー、予約の取れないこだわりビストロからミシュランの星付きまでがひしめいている。ライブハウスも何軒かあって、明け方まで営業する店も多くにぎやかだけれど、すり鉢状の地形がそのまま弱音器のように作用するのか、なぜだか派手な騒々しさにはならない。

 新米社会人のころ、職場の上司に連れられて初めて車力門通りの鍋屋へ入ったとき、初めてそのギャップを思い知った。私、よ、四谷で、お、お酒を飲んでいる……!? アイスの買い食いとは訳が違う。びしっとスーツを着ているのにランドセルを背負っているような場違いな気分だ。今にも縄のれんをくぐって見回りの教師が乗り込んできて、教員室脇のあの小部屋でまた反省文を書かされるんじゃないかと、本気でそんなことを心配した。「学校があったから、四谷には詳しいんですよー」なんて言えっこないほど奥深い、見知らぬ夜の穴が、ぽっかり口を開けて私を待ち構えていた。

「いい飲み屋あるよ!」と教わるたびに、初めて聞く店名。全部で何軒あるのか

 居を構えてからというもの、我々夫婦は夜な夜な、四つの谷のその深淵を覗き覗かれる暮らしを続けた。毎晩のように飲んだくれていたのは、日本酒なら「タキギヤ」と「月肴」、ワインなら「chiori」。「ろっかん」「どろまみれ」「たく庵」もずいぶん通った。ランチは「旬菜料理 坂本」や「てんぷら荘司」、ダイエット中は「たん焼き 忍」、焼肉は「山星」、焼鳥は「おがわ」と「れば屋」、鮨なら「志げる」で、ラーメンなら「鯛塩そば 灯花」と「まるいち」、あるいは「香港麺新記」や四川料理の「蜀郷香」。紅茶の「MOHINI」とコーヒーの「homeri」「un cinq」、平日24時間営業の立ち食い蕎麦「つぼみ家」……。ほろ酔い気分でフラフラ歩いて帰るたび、子どものころから「うち」のように親しんできた四谷が、大人になって本当に「うち」になった喜びを、ひしひし味わった。

変わりゆく駅前

 ところで今、四ツ谷駅前で大規模再開発が行われていると耳にして、またもや胸がざわついている。「山の店デナリ」や四谷駅前郵便局が移転するほか、あの一帯にあった飲食店がほとんど閉店して、2019年度末までに地上31階建ての高層ビルなどができるとのこと。本塩町の雪印乳業本社の見慣れた巨大看板にいつのまにか「メグミルク」の五文字が刻まれていたのと同じく、あるいは駅前のひなびたスーパーが取り壊されてこじゃれたアトレに生まれ変わり「PAUL」や「成城石井」が入ったのと同じく、心穏やかではいられない。我が身の一部をもがれたような寂しさに、「なんだそれ、らしくねぇな!」とツッコミたくなる。

 かつて一緒に育った幼馴染であり、再会を経て最高の飲み仲間となった、四谷。まぁ昔からウラオモテの激しい奴ではあるし、果たしてどれだけ華麗にイメチェンを遂げられるものか、お手並み拝見である。表通りに鳴り響く聖イグナチオ教会の清らかな鐘の音を聴きながら、明るいうちから裏路地で前割り焼酎片手に鶏の臓物串をしごき、あるいは別腹で「坂本屋」のカステラを丸かじりするような、聖と俗とを併せ持つ街の雰囲気は、できればずっと変わらずにいてほしい。遠くアメリカの地でGoogleストリートビューを眺めながら、工事が順調に進んでいることと、あちこちの老舗の味が今も健在であることを、何度も何度も確かめている。

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著者:岡田育(id:okadaic

岡田育

文筆家。著作に『ハジの多い人生』、『嫁へ行くつもりじゃなかった』、『オトコのカラダはキモチいい』(二村ヒトシ、金田淳子との共著)。東京生まれ女子校育ち、現在はニューヨーク在住。

サイト:okadaic.net Twitter:@okadaic

編集:はてな編集部

*1:橋の一種で、鉄道線路をまたぐもの。道路をまたぐ橋は跨道橋という。

*2:東京都新宿区舟町にあった美術学校。各界で活躍するクリエイターを輩出している