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あたたかな川をさかのぼるように、山形へ

PICKUP 山形県 東北 酒田駅 鶴岡駅
著: アサイ

まだインターネットに触れていなかった高校3年生の秋。僕は学内誌に出す私小説の締め切りを気にしながら、進路指導室で大学資料と地図帳を眺めていた。

北海道で生まれ育った僕が進学先として考えた条件は「雪の降る古い町」「市内を大きな川が流れている」「目当ての学部がある」の3つ。これらを満たし、選んだのが山形県だった。

今思えばアナログな手法だったが、そうして進んだ大学は学業も日常生活もとても楽しく、特に古い寮で友人たちと過ごした時間は何物にも代え難いものとなった。そういった良い思い出を抱いて地元に戻り、働いて、妻と出会い結婚して、子どもが生まれた。

生活はうまくいっていたと思う。それでも僕は故郷を離れる決断をした。妻は「あなたとならどこへでも行くよ、出会ったころから言ってたじゃない」と言って背中を押してくれた。

そして僕は山形県に戻ってきたのだ、家族と一緒に。

山形は藩政時代の経緯から、大きく4つのエリアに分かれている。県庁所在地の山形市がある村山、最上川の中流部で山々に囲まれた最上、米沢牛で有名な置賜(おきたま)、日本海側で米どころの庄内だ。

僕が暮らしているのは県西の庄内地方。大きな港があり古くから小京都として栄えた酒田市と、城下町の鶴岡市を中心とした地域だ。どちらも人口が10万人を超えている地方都市で、約25万人の山形市よりはちょっと小さい。

例えば大型アウトレットやセレクトショップに行こうと思ったとき、山形市のひとは仙台まで車で1時間で行けるけれど、庄内のひとは仙台まで高速バスで3時間、新潟まで電車で2時間半かかる。陸路では不便だけれど、庄内空港を使えば東京まで1時間――そんな土地だ。

学生時代の僕は、あまり町から出ずに過ごしていた。山・川・海のどれもが近いこの町で、遊び場に困ることはなかったからだ。

特に夏はよかった。夏の川の水温は高く、潜るとアユやサクラマスを見ることができた。夕方から海に行っても日暮れまで泳ぐことができた。

講義の内容も面白かった。既に時代遅れに思える内容もあったけれど、教授はフィールドに慣れたひとばかりで、経験に裏付けられた確かな説得力があった。山に入ることも多く、葉っぱの標本をつくって木の種類を覚えたり、川の横断の仕方を習ったりもした。ある教授が話してくれた「学問は、統合を前提として細分化されなければならない」という言葉を今も覚えている。

主な生活の場だったのは古い学生寮で、ここに関する思い出が一番多い。

バイトのあとや、部活で体を動かして寮に帰れば、寮母さんのつくったおいしい食事が待っていた。友人とレンタルDVDを見て酒を飲んだり、たまにカラオケに行ったりもした。

壁に残る学生運動の落書き、「先輩が白と言えばカラスも白い」と臆面もなく言い放つ男、なぜか廊下にいるラブラドールレトリバー、ふてぶてしい顔で歩く猫。寮はあまりに「物語の舞台」然としていた。

そこに暮らしていた僕は、いつからか自分が、私小説の登場人物そのものであるかのように錯覚していた。

着流しで一本歯の下駄を履き、カメラと手帖を風呂敷に入れて、真面目に大学に通った。11月の寮祭ではふんどし姿になり、ハリボテの神輿(みこし)を担いで夜の町を練り歩いた。それがごく当たり前の日常だった。

大学を卒業して2年目の春に突然、「ずっと前から、登場人物になりたかったんだ」「だから私小説を書いていたんだ」と気づいた。そして、山形での生活において、自分がその願いを既に叶えていたことを知った。

寮で暮らした年月は、あの町に暮らす誰かの、あの町で暮らす僕自身の、登場人物として生きることができていたような気がする。そしてその記憶こそが、僕をもう一度山形に戻す決意の原動力になったのだ。自分と家族が暮らす舞台として、あの町を除いては考えられない、と。

◆◆

妻と娘に、庄内の魅力をどう伝えたものかと思っていた。僕自身、数年しか暮らしていない町だったから、まだまだ知らないことのほうが多いのだ。移住してから改めて、有名な観光地を訪れたり、外食したりしてみた。

例えば、出羽三山神社。月山、羽黒山、湯殿山の出羽三山に鎮座する神社の総称で、出羽三山の修験道は国内でも名高い。羽黒山の杉並木は山形県内で唯一ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの三つ星景勝地にも選定されており、道沿いに山伏さんが歩いてほら貝を吹いていたりする。

閉館寸前から「日本一のクラゲ水族館」として一躍有名になった鶴岡市立加茂水族館は、2014年に「クラゲドリーム館」としてリニューアルした。黒背景の中にクラゲを浮かべる演出で、写真を撮るのも楽しい。

海沿いなので、当然魚もうまい。酒田市の「海鮮どんや とびしま」では派手な海鮮丼が日常的に楽しめる。寒鱈汁(別名どんがら汁)やハタハタの味噌田楽など、季節ごとの食文化が残っているのも面白い。

庄内平野では米・畑作を中心とした農業が盛んで、「つや姫(米)」や「だだちゃ豆(枝豆)」などブランド化に成功している作物のほか、庄内豚など畜産も盛んだ。

山形の代名詞であるさくらんぼやラ・フランス等は内陸に譲るけれど、柿や和梨、メロンなどの栽培も古くから行われている。秋の産地直売所はどれを選べばいいのか分からないくらい、さまざまな品種の果物が並べられている。

地元野菜や肉を出すお店も多く、庄内町の「やくけっちゃーの」のハンバーグは白米が止まらなくなる。「とん八」のとんかつもいい。

ラーメン屋が多い。山形県は「人口10万人当たりのラーメン店登録件数(2012年)」が全国1位だそうで、「最もラーメンの好きな県」と言われている。山形市も「1世帯当たりの中華そば(外食)支出年間金額(2011年)」が全国1位だ。確かに店の数はやたら多く、激戦区であることがうかがわれる。ひとにおすすめを聞いても、同じ店の名が返って来ることがない。シンプルな中華そばや手打ち麺が人気らしく、北海道のこってり系太ちぢれ麺に慣れた舌にはやや違和感があったが、最近だんだんおいしく思えてきた。

庄内一の有名店「琴平荘」 は旅館が休業する冬期に中華そば屋をやったら大ヒットした、という不思議な経歴だが、まだ食べたことはない。行ってみたい。

ラーメンに限らず、県内には「麦きり」や「冷たい肉そば」、冷やし中華ならぬ「冷やしラーメン」など独自の麺文化がある。これからもいろいろと食べてみたいと思う。

村山・寒河江市にある、そば処ひふみの「冷たい肉そば」

日本酒の銘柄が多い。米どころと言えば新潟がまず思い浮かぶけれど、庄内地方も負けてはおらず、20近い酒蔵がある。冬から春にかけての新酒や秋のひやおろしなど、時期になるとスーパーに目新しい酒が並ぶので、酒好きの妻が喜んでいる。

鶴岡市で2月に行われる「大山新酒・酒蔵まつり」では、各酒蔵をめぐってお酒を飲み歩くことができ、道端で寝込む酔っ払いすら出るという。

山形県は全35市町村で温泉が湧いており、当然庄内地方にも温泉が多い。規模はそれほど大きくないものの温泉街があり、いわゆる温泉宿の日帰り入浴だけでなく、地域住民向けの共同浴場があちこちにある。入湯料も200円程度と安く、雰囲気があってとても良い。

開湯1300年の歴史を誇る湯田川温泉街。無人の共同浴場のほか、足湯もある

夏は良く晴れて暑く、冬は風が強く寒い。「庄内の雪は横から降る」という言葉があるそうで、一度積もった雪が強風にあおられて地吹雪となる。雪は湿って重く、雪かきにはある程度の筋力を要する。 曇りと雪の日が2、3ヵ月続くが、2月も半ばになれば寒さは収まりはじめる。

ひとの話を聞く限りでは、山形県の中では「内陸部よりも夏は暑くなく、内陸部よりも雪が少ない」気候のようだ。

郊外の知人宅。年によっては屋根の雪下ろしが必要なほど積もるとか

幼稚園・保育園の待機児童は都市部よりも少なく、県の発表では2014年から3年連続ゼロになっている。また自治体によっては中学生までの医療費が無料になる助成制度があり、心配なことがあったときに医療機関に相談に行きやすい。

スーパーなどで子どもを連れていると、すれ違うおばあちゃんや店員さんに「いくつ?」「かわいいのー」と声をかけられることがよくある。地域の運動会などの行事に出たりすると、初めて会うはずのひとに「2人目生まれたんだっての」と聞かれたりするのが新鮮だった。

◆ ◆ ◆

「いつかここに帰ってくる」と思っていた。その決意が先にあったから、僕は今こうして山形に暮らしている。

今まで住んでいた都会はとても便利でいいところだった。でも、僕は今の町のほうが好きなのだ。メリットとデメリットを挙げて比較して決めたわけではない。

だから、「なんでここさ移って来だ?」と聞かれたとき、僕にとってこの土地がどれほど魅力に溢れているのか、それをどう説明したらいいのか、いつも迷ってしまうのだ。そして、伝わらないかなあ、でも本当だしなあ、とこう答える。

「川があたたかかったからです」

庄内地方北端・遊佐町のふ化場に、サケの捕獲を手伝いに行った。遡上してきたサケを梁(やな)に誘い込み、水揚げしたサケを気絶させて採卵する作業だ。この町には、湧水あふれる透明度の高い川やブナ林、海などに魅せられて引越してくるひとも多いという。

サケの遡上は子どものころから見慣れていた。産卵する場所を求めて川面にひしめく姿を、堰(せき)を乗り越えて次々と上流へさかのぼってゆく姿を見ているのは楽しかった。生まれた場所を目指し、流れに逆らって、生き急ぐかのように泳いでいる彼らを、これから生きてゆく場所を求めている自分に重ねていたのはいつからだっただろう。

「僕が必死にのぼっているこの川は、僕が死ぬべき場所に繋がっているのだろうか。このままのぼっていっていいのだろうか」。ドライスーツを着てもなお冷たい北海道の川を泳ぎながら、何度も自問自答していた。


山形のあちらこちらで川に入り水に触れるたび、穏やかな水温にため息が漏れる。ここで、この川でよかったんだと思う。

僕の手元で跳ねるサケの尾を掴むと、力強い振動が腕に伝わって来る。僕も彼らのようにありたいと願うのだ。

自分が生きてゆく土地を、家族と暮らす町を、そして死に場所を探していた。思えばそれは、自分が登場人物として生きる舞台を探していたのだと思う。その旅の果てに、彼らのようにのぼるべき川を見つけることができたのだと信じたい。僕はこれから、ここで泳いでゆく。

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著者:アサイ (id:Asay)

アサイ

いきものや環境に関わる話題、身の回りのこと、旅行記などをブログに書いています。好きな漁具は投網。

ブログ:紺色のひと

※記事公開時、「最上」エリアの説明に誤りがありました。2月16日(木)16:30ごろ修正しました。お詫びして訂正いたします。ご指摘ありがとうございました。