下北沢と「魔法のバス」の向かう先

著: 柴 那典 

下北沢の近くに住んでいたのは、やっぱり、便利だったからだ。

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街を歩いていて、なんだか安心する、というのもある。いい歳をしたアラフォーのオッサンが平日の昼間からTシャツにジーンズでふらふらしていても、違和感がない。たとえ長髪だったり髪の色を染めていたりしても「え? あの人何……?」みたいな視線を浴びたりするようなことは基本的にない。スーツにネクタイをビシっとしめてる方が逆に珍しい。そういう意味では、都心のオフィス街とも、世田谷区の高級住宅街とも、やっぱりちょっとムードが違う。

そして、下北沢に「若者の街」というイメージを持つ人も多いと思うけれど、同じように「若者の街」という印象が広まってる渋谷や原宿や吉祥寺と比べても、その空気感はちょっと違う。気張ってオシャレしてるような人がそんなにいなくて、生活に密着した普段着の感じがある。

独特のユルさがある。

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ライブハウスや小劇場が点在してる街だから、駅を出て商店街を歩くと、やっぱりバンドマンや劇団員風の人をよく見かける。見るからに大学生という感じの人も多い。でも、実際のところは若者だけでなく、この街に腰を落ち着けて暮らし続けている人たち、ここで仕事をしている大人たちも沢山いる。

そういう、いろんな人たちを許容するような懐の広さがある。だから居心地がいいのかもしれない。

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実際には駅から自転車で15分くらいのところに住んでいたので最寄りではなかったのだけれど、ライター・編集者として音楽にまつわる仕事をしているということもあって、今でも下北沢にはしょっちゅう訪れる。雑誌やウェブメディアの編集部で打ち合わせをしたり、インディーズレーベルの事務所でミュージシャンのインタビュー取材をやったり、ライブハウスに足を運んだり。その合間に、カフェでお茶をしたり、本屋やレコード屋に顔を出したり。そういう日々を過ごすようになって、だいたい10数年くらい経つ。

そうするとお気に入りの店もいくつかできる。よく寄るのは、茶沢通り沿いのディスクユニオンと、南口からすぐ、本多劇場と同じビルにあるヴィレッジヴァンガードだ。

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ヴィレッジヴァンガードは今では全国各地のショッピングモールに展開してるから、雑多な品ぞろえ、黄色い手書きのポップに埋め尽くされたヴィレヴァン独自の店内風景を目にしたことのある人は多いと思う。でも、やっぱり下北沢店は他とは違う。音楽ジャンルにちゃんと目利きのバイヤーがいて、その人の「推し」がすぐ分かるようになっている。インディーズ時代のPerfumeをいち早くプッシュしたり、J-POPのボサノヴァカバーの企画盤を打ち出したり、最近では水曜日のカンパネラの限定盤を売ったりと独自の展開を行ってきた金田謙太郎さんが、そういう「名物バイヤー」の筆頭だ。

単にモノを仕入れて売るだけじゃなくて、そこに独自の文脈を乗っけたり、過剰なメッセージを付与したり、そういう発信型の店舗になっているから、なんとなく店内を見て回っているだけであっという間に時間が経ってしまう。

本は、南口近くの「B&B」で買うことが多い。

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ジャンルではなく文脈にこだわって選書された棚が並んでいるから、やっぱり店内を見て回るだけで発見がある。ネットを使って情報収集をしていると、どうしても、もともと自分が興味を持って追っている事柄か、もしくは炎上やバズに目がいってしまう。なので、ネット書店や電子書籍が普及した今の時代、きちんと選書に力を入れているリアルな「本屋」が果たす役割は逆に大きくなっているようにも思う。

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店名の「B&B」は「ブック&ビアー」の略で、店内では本を選んだり読んだりしながら生ビールを飲むことができる。僕はすぐ酔っ払っちゃうタイプだし昼間に寄ることが多いのでコーヒーを頼むことが多いんだけど、コーヒーもわりと美味しい。

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夜には毎日トークイベントをやっていて、そのときにふらりと足を運ぶと、知り合いにばったりと出くわすこともある。僭越ながら僕自身も何度か登壇させてもらったことがある。単なる新刊書店ではなく、カルチャーに携わる人と人が交流するハブのような場所になっている。

「B&B」を営む内沼晋太郎さんは『本の逆襲』などの著書もある書店業界のキーパーソンで、その内沼さんが博報堂ケトル・嶋浩一郎さんと「これからの街の本屋」をコンセプトに立ち上げたのが、この店だ。そのせいか、落ち着いた静かでレトロな雰囲気だけど、未来に向かって開けているような感じもある。

カフェでよく足を運ぶのは、やっぱり南口からすぐの雑居ビルの4Fにある「CITY COUNTRY CITY」だ。

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ミュージシャンの曽我部恵一さんがオーナーをやっているカフェ兼レコードショップ。日替わりの生パスタが美味しいので、ランチもここで食べることが多い。

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曽我部恵一さんには何度も取材したことがある。特に2004年、メジャーレーベルを離れて下北沢に自らのインディーズレーベル「ROSE RECORDS」を立ち上げてからは、音楽と生活にまつわる話も沢山聞いた覚えがある。

その当時つくっていた雑誌で「曽我部恵一が案内する下北沢のおすすめスポット」みたいな企画を担当したこともある。喫茶店のトロワ・シャンブルとか、それを機会に知って、その後にちょくちょくいくようになった店もある。

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そういうこともあって、僕の中にある下北沢の街のイメージは、曽我部恵一BANDの「魔法のバスに乗って」という曲と、強く結びついている。2008年のアルバム『キラキラ!』のラストに収録された一曲だ。ミュージックビデオも下北沢を舞台に撮影されている。

この曲が発表された2008年のころはまだ小田急線も地下化されてなくて、下北沢の街を踏切が分断していた。ミュージックビデオの映像にはその風景も収められている。

今は茶沢通りの渋滞もなくなったし、南口から北口にいくのに踏切待ちすることもなくなったし、とても便利になった。でも、やっぱりこのころの映像を今見ると、変わらないようでいて、いつのまにか失われてしまったものに気付いてしまう。

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スーパーマーケットのオオゼキのあたりも、本多スタジオの前の小さな曲がり角も、北沢タウンホールからザ・スズナリを越えて一番街に向かうあたりも、ふと「ここに踏切があったんだよなあ……」って思ってしまう。

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戦後の闇市の名残がある北口の「下北沢駅前食品市場」も、だいぶ立ち退きが進んでシャッターが目立つようになってきた。

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街並みが変わっていくことには賛否両論ある。特に下北沢の再開発には長らく反対運動も展開されてきた。

ただ、僕自身は、そんなにネガティブな気持ちを抱えてるわけでもない。どちらかというと、ワクワクする気持ちにも似たものを持っている。ノスタルジーに過剰な思い入れを持つタイプでもないし、特に東京はこれまで何度もスクラップ&ビルドを繰り返して変貌を遂げてきた都市だから、下北沢もそうであっていいよなあ、という気持ちもある。

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そういえば、これまで何にもなかった井の頭線の高架下に、この夏、いつのまにか不思議な空間ができていた。フェンスで囲まれた、公園みたいな、イベントスペースみたいな場所。「下北沢ケージ」という名前で、3年間限定でオープンするらしい。夜はナイトマーケットが催されたりしている。

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ナイトマーケットの向こうの雑居ビルには「ろくでもない夜」というライブハウスがある。29年の歴史を持つ「下北沢屋根裏」が2015年にクローズして、その跡地に新しくつくられたハコだ。

下北沢屋根裏は、ミッシェル・ガン・エレファントとかHi-STANDARDとか、数々の偉大なロックバンドがまだ無名のころにステージに立っている、いわば「聖地」のような場所だった。

だから閉店の報が広まったときにそれを惜しむ人も沢山いた。そこまではよくある話なんだけど、ブッキングマネージャーだった原口雄介さんら元スタッフ3名が立ち上がって、クラウドファンディングで資金を集めて、同じ場所に新しいライブハウスを立ち上げた。それが、この「ろくでもない夜」だ。素敵な話だと思う。まだオープンから1年半くらいしか経っていないけど、きっと10年後、20年後には、このハコから巣立ったバンドたちが世をにぎわしているかもしれない。

曽我部恵一BAND「魔法のバスに乗って」には、こんな歌詞がある。

「あぁ 魔法のバスに乗っかって あぁ どこか遠くまで
 あぁ 魔法のバスに乗っかって あぁ 季節の果てまで」

この曲を聴くと、いつも思うことがある。

下北沢という街には、確かに「魔法のバス」の停まる場所がある。普通の人にはそれは見えないけれど、才能と運という名のチケットを持った人は、それに乗ることができる。どこか遠くに、季節の果てに向かうことができる。ひょっとしたらそんなのはただの幻想かもしれないけれど、そう信じさせてくれる瞬間がいくつかある。

例えば10数年前、1999年に下北沢CLUB Que とかClub251に出ていたころのBUMP OF CHICKENもそうだった。小さなライブハウスにはおさまらないほどのキラキラした輝きと熱気があって、そこで鳴らされた「ガラスのブルース」を聴いた人はみんな確信を持っていた。みんな夢中になっていた。

さらに遡って20数年前、1993年にザ・スズナリで大人計画を初めて観たときもそうだった。僕はそのころはまだ高校生で、演劇部の同級生に「ヤバい劇団があるから見にいこう」と誘われたのが大人計画だった。たしか「ゲームの達人」というタイトルだったと思う。松尾スズキさんも宮藤官九郎さんも阿部サダヲさんも、その当時は一介のアングラな小劇団のメンバーで、でも、その舞台にはなんだかわけのわからない衝撃があった。

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もちろん、誰もがブレイクしたり巨大な成功をつかんだりするわけじゃない。「魔法のバス」が来るのを待ったまま、ずっと、歳を重ねていく人だっている。そして、僕はそのことを、あんまり残酷なことだとは思わない。

繰り返しになるけれど、下北沢は決して「若者の街」なだけじゃなくて、そこに腰を落ち着けた人も、もともとそこで育った人も、いろんな人たちが暮らす街だ。レールからはずれて生きる人たちも許容する、懐の広さがある。そういう優しさがある。

街の風景は変わってもいいけど、そういうところは失われてほしくないな、という願いはある。

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著者:柴 那典 (id:shiba-710)

柴 那典

1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。雑誌、WEB、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。

「cakes」にてダイノジ・大谷ノブ彦との対談連載「心のベストテン」、「リアルサウンド」にて「フェス文化論」、「コンフィデンス」にて「ポップミュージック未来論」連載中。著書に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)がある。

ブログ:日々の音色とことば Twitter:@shiba710

※記事公開時、「下北沢屋根裏」に関する記述に誤りがありました。読者様からのご指摘により、9月29日(木)13:20に修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。

編集:はてな編集部