青春、という言葉は大嫌いだけど、自分のこれまでを振り返ってみて、いちばん青春っぽかったのは、西新宿で暮らした25歳~35歳の10年間だったのではないか、と思う。
西新宿に引越したのは、会社を辞めてフリーライターになるタイミングだった。とにかく貧乏になることは分かりきっていたし、出版関係は新宿での飲み会が多かったので、付き合いで行かなきゃいけないことを考えて「新宿からタクシーで千円ぐらいで帰れる距離で、家賃がなるべく安いところはありますか?」という、かなりアバウトな条件で物件を探した。「会社員」という肩書きがないと、家を借りるのは難しいと思っていたので、とにかく慌てて探していた。そして、「ここならなんとか住めるな」と思った西新宿の古いアパートの1階に引越した。
実際にタクシーを利用することはほとんどなかった。歩いて帰れたからだ。お金がなくて仕事がなくて時間だけがあり余っているときに、ふらっと新宿まで歩いて行けて、書店で本を見たり、ファッションビルでどんな服が流行っているのか見たり、一流のデパートで香水だけ試させてもらったり、そうした「最新の情報」に触れられるメリットは大きかった。
「西新宿」というと、都庁や高級マンションが立ち並ぶ風景を想像する人が多いかもしれない。けれど、実際にパークハイアット東京のラウンジや都庁の展望台にでも登って見てみてほしい。高層ビルが林立する近辺から、大通りを挟んで細い路地に入っていくと、一気に古い住宅が立ち並ぶエリアがあることが一目で分かる。私が住んでいたのはそのあたりだ。
周りには、昔からそこに住んでいる老人や家族連れの家、空き家なのか人がいるのかすらよく分からないような家、自分のアパートも含めてかなり古い建物があった。何かの会社らしき建物、古い産婦人科(窓辺に何かの像があって、夜は怖く見えた)、昔ながらのお肉屋さんなんかがあった。表の大通りに出ると、セブン-イレブンや松屋やすき家やドラッグストアなど、チェーン系の店一色になる。24時間営業のスーパーなんかもあって、夜でも明るい。表と裏がまるで違っていて、不思議な街だった。
新宿区役所の出張所が、パークハイアットの近くにあって、私はそこにある図書館をよく利用していた。たまに帰りに新宿パークタワーの中にあるザ・コンランショップに寄ることもあった。図書館の貸し出し冊数限度いっぱいの本を抱えて、1万円のクッションカバーや20万円のソファを見るのは今思えば変な感じがするが、当時の自分はいつか必ずこんな暮らしが手に入ると信じて疑わなかった。併設のカフェは、食べ物も飲み物もとにかく盛りが良く、その気前が良い感じも好きだった。今は分からないが、昔はタバコも吸って良かった。
お金がないくせに、パークハイアットのラウンジにも行ったことがある。その日は珍しく東京に雪が降り、「この景色を上から見たらどんな感じなんだろう?」と思って、財布の中の千円札を数え、雪の中を歩いて行った。上に登ると、全面ガラス張りの向こうはただ真っ白な霧に覆われ、どちらの方角を向いてもまったく何も見えなかった。異世界に入り込んだようで、とても不思議な体験だった。
西新宿は、治安が良い場所とは言い難かった。夜中に悲鳴が聞こえてきて110番したこともあった。けれど自分は特に怖い目に遭ったことはなかったし、お財布を落としたときも、中身をまったく何も取られずに交番に届けられていた。昔から住んでいる人たちと、新宿に通う水商売の人たちの多い街。何をしている人間なのかはっきりしない状態の私にとって、昼間に家にいても、夜中に帰ってきても、誰にも何も言われないし変な目で見られることもないこの街は、とても居心地が良かった。
引越そうと思えば、引越せないこともなかった。住んでいるうちに引越し資金も貯まっていたし、この街でなければならない理由もなかった。ただ、いまここから離れてしまうと、自分の中からハングリー精神のようなものが失われてしまうような気がしていた。何より、この街にいるのが自分にとって自然なことだった。
仕事をしていて、行き詰まると、ときどき夜中に散歩に出かけた。ヘッドホンを着けて、都庁の近くまで歩いていった。よくJay Zの「Empire State Of Mind」を聴きながら歩いた。あれは都庁だし、ここはニューヨークじゃない。分かっているけど、私にとって、この歌で歌われているニューヨークは、東京なのだった。高層ビル群を眺めていると、エモーショナルなサビの盛り上がりとともに「いつかてっぺん取ったる」という謎のやる気がわいてきた。1階に住んで、地べた這いずり回って安いギャラの仕事をして、クローゼットのない部屋で押入れに安い服を詰め込んで、何をやってもうまくいかないこんな生活には、いつか別れを告げてやる、と思っていた。若さゆえの根拠のない自信だけがあった。
10年の間に数え切れないほどの原稿を書き、ブログを書き、何度も何度も出版の話が出ては消えたあとで、やっと本当に自分の本が出ることになった。出版の話なんて、何度も潰れてる。今度だって本当に出るか怪しい。そう思いながらも、そのとき、私はそれまでで一番手応えのある原稿を書いていた。自分が自分になれる瞬間がもうすぐ来るのだという予感があって、私は西新宿の家を引き払って引越した。
家具のなくなったその部屋を見て、不動産屋さんは湿気でひどいことになっている壁紙に呆然としていた。ぶつぶつ文句を言っていたが、私は部屋をきれいに使っていたし、どれだけきれいに使っても湿気でこのくらいボロボロになる部屋で、冬は寒すぎるこの部屋で、メンテナンスなんかしてもらえないまんまずっと暮らしてきたんだよ、と思いながら、ただ黙って胸を張っていた。
引越した新しい部屋は、上層階で日当たりも風通しも良い。「やっと陽の当たる場所に行ったんだね」とライターの先輩に言われた。良い場所で、何の問題もない。けれど、あのころ、西新宿でものすごくハングリーな気持ちをたくわえながらガツガツ原稿を書いていた自分に、いまの自分は勝てるんだろうかと思うときがある。
怨念で人は強くはなれないけれど、あのころ感じていた、まったく誰にも認められない不満、期待に応えられない自分への不満、何を求められているのかも分からなければ、分かっていてもしたくないこともある状況への不満、先行きが見えない恐怖と、いつか見返してやる、という怒りにも近い気持ちが、自分にたくさんの文章を書かせてくれた。書くことでしかその気持ちを発散することができなかったし、書くことでしか嫌な気持ちを忘れることができなかった。そのせいか、当時自分の書いたものは、攻撃的で男性的な文章だ、と言われることが多かった。
何者でもない自分が、朝マックを食べたりコンビニに行ったりして暮らした西新宿の10年間。小さな部屋で悔し泣きばかりしていた10年間。あの街には、私のような、まだ何者でもない人間がたくさん、安い家賃で暮らしていた。あの街で暮らした10年間が、たぶん、私の青春だったのだと思う。
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著者:雨宮まみ (あまみや・まみ id:mamiamamiya)
ライター。アダルト雑誌の編集者を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさを描いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)をはじめ、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、『東京を生きる』(大和書房)、『自信のない部屋へようこそ』(ワニブックス)、『まじめに生きるって損ですか?』(ポット出版)など著書多数。
編集:はてな編集部