広島には「観る」のではなく、「やる」やつらが溢れていた

著: 兵庫慎司
広島駅そばに近づいたのぞみ号の中から見えるMazda Zoom-Zoom スタジアム広島

 やる側は育つが、観る側が育たない街。

 生まれてから高校を卒業するまでの17年半住んでいた地元であり、いまだに強い愛着があり、フリーライターという現在の自分の職種を考えると不可能であるにもかかわらず、いつか帰って住みたいという気持ちを持ち続けている故郷、広島に、どうやらそういう風土があるらしいということに気がついたのは、京都での大学生活を経て、音楽雑誌の会社に就職することになって東京へ移り住んでから、数年が経ったころだった。

 ほかの街(京都と東京)にも住んでみると、広島の居心地のよさが改めて分かる。

 便利すぎず、不便すぎない。海が近く山が近い。海水浴場とスキー場が同じ県の中にある便利さ。

 農業、漁業、畜産業、全部ある。だから食い物が旨い。旨い、ということを、地元民はよく分かっていない、当たり前だと思っているあたりまで含めて、とても住みやすい。

 人間性も「都会は冷たい」と言われることもあるし「田舎は距離が近すぎてしんどい」と言われることもあるが、広島の場合、そのどちらでもない、ちょうどいい感じだと思う。県北とかに行けばまた違うのかもしれないが、少なくとも、僕が住んだことのある広島市安芸区と安芸郡府中町はそうだった。

 東京で同郷の人と何人も知り合ったが、「あんな街帰りたくない」という人は、僕の知る限りではゼロだ。今でも帰りたい、いつかは住みたい、でも仕事がねえ……(僕も含めて音楽業界・出版業界の人ばかりなので)……と、みんな口をそろえて言う。

 そんなふうに素敵な街なのだが、では、「やる側は育つが、観る側が育たない街」というのは何なのか。

 要は、お客が入らない。自分の仕事になった日本のロック・バンド界隈に関しても、ツアーで行くと埋まらない。県庁所在地である広島市であってもだ。

 100万人を超える人口規模のわりに広島は入らない、という話をよく耳にする。ライブハウス規模のバンドで、七大都市を回るツアーだけど広島は外して他の街にするとか、アリーナ・ツアーが各地売り切れているが広島だけは当日券が出ているとか、そういう事実を目の当たりにするようにもなる。

 ちなみにこれ、逆の街もある。例えば新潟。少なくともロック・バンドのツアーに関しては、人口のわりにお客さんがよく入る、という話を90年代によく聞いたし、某バンドのマネージャーから各地の動員の一覧を見せてもらって「ほんとだ!」と驚いたこともある。

 って、2017年の現在は正確にはどうなのかまでは知らないのだが、例えばエフエムラジオ新潟が経営しているライブハウス「NIIGATA LOTS」は、700人キャパという、街の人口規模から考えると大きめのハコだが、2003年の誕生以来、長く営業を続けることができていることも、それを表していると思う。

「やる側」天国、広島

 話を広島に戻す。

 というようにお客が入らないのだが、その事実をつきつけられ続けていくうちに、これ、ライブに限ったことじゃないんじゃないか? と、気がついた。

 例えば野球、広島東洋カープ。僕は小学校の6年間が、初のリーグ優勝(1975年)、初の日本シリーズ制覇〜連覇(1979年・1980年)とそのままかぶっていて、その時期はとても人気があったのをよく憶えているのだが、1991年を最後に優勝から遠ざかると、次第にお客が入らなくなる。

 特に強烈だったのが、2009年に今の専用球場、Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島が新しくできたとき。同年のゴールデンウィークに帰省した折に行ってみたら、オープン直後ということで盛り上がっていて満員だったのだが、その1年後のゴールデンウィークの帰省時にも行ったら、埋まってなかったのだ。休日なのに。大型連休なのに。

 サッカーも然り。サンフレッチェ広島、Jリーグが始まった1993年当初は盛り上がっていてお客も入っていたが、それ以降、帰省するたびに、同級生や飲み屋の店主、タクシーの運転手などから「入りゃあせんよ。みんな行ったんは最初だけよ」という愚痴を聞くことになっていった。

 演劇も然り、東京・大阪で人気になって地方公演を行う場合も広島はなかなか足が延びない。もしかして映画もそうなのか? 配給会社など、映画関係の知人に聞いてみたところ、ファミリー向けの超大作以外は、全国水準よりも低め、という答えが返ってきた。

 つまり、「客が入らない」というか、「カネを払って何かを観る」という習慣が希薄、ということなのだと思う、広島という街は。

 ただし。これが、「観る」のではなく「やる」側となると、途端に話が変わる。

 ミュージシャンでいうと、矢沢永吉、吉田拓郎、浜田省吾といったベテラン勢から、原田真二、世良公則、吉川晃司、ユニコーン(ABEDONを除く)、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの故アベフトシ&ウエノコウジ、ポルノグラフィティ、Perfumeなどなどの、多くの才能を輩出している。西城秀樹や城みちるの昔から、有吉弘行や綾瀬はるかなどの最近まで、芸能系も数多い。

 カープやサンフレッチェの選手に決して限らない野球・サッカーはもちろん、プロレスラー(獣神サンダー・ライガーとか)などまで含めた、スポーツ選手も然り。新藤兼人、大林宣彦、長谷川和彦、西川美和などの映画監督も然り。


 ちゃんと統計をとったわけじゃないが、というか「とりようがねえ」という気もするが、全体的に見て、県の人口規模と比較すると、かなり多いのではないかと思う。

 つまり、何かのエンタテインメントを好きになると、「観る」「聴く」のを極めるのではなく「やる」「つくる」側に回ろうとする、そういうマインドの人が多いという県民性があるのではないか、と推測するわけです。


 と、他人事のように書いているが、これ、自分にも思い当たるフシがある。

 大学進学で京都に引越したときにまず驚き、その4年後に就職で東京へ移って改めて思い知ったことに、「音楽を聴くだけでやらない人ってこんなにいるのか!」という事実があったのだ。

 例えば、今中高生でダンスが好きな子だったら、「観る方のマニアで自分は一切踊らない」っていうの、あんまりいなさそうじゃないですか。そんなことない?「ダンス好き」と「自分が踊る」が直結していそうじゃないですか。それと同じようなものとして、当時の僕は音楽を捉えていた、ということだ。要は自分でバンドをやる、ということです。

 現に、そのころの広島──80年代中盤なのでインディーズ・ブームが始まったあたり、本格的にバンド・ブームが訪れる直前にあたります──の友人や同級生で、ロックが好きだけど自分ではバンドやらない、という子は、極めて少なかった。

 ライブハウスに出入りしたり、マメにレコード屋に通ったりしている奴は、ほぼ間違いなく自分でもバンドをやっていたか、やっていなくてもギターは弾いたりしていた。

 のちに僕が就職する会社が発行する、『ロッキング・オン(洋楽ロック雑誌)』と『ロッキング・オン・ジャパン(邦楽ロック雑誌)』は、いずれも「聴くだけでやらない人が読む専門誌」だが、そんなわけで当時、僕の周囲で読んでいる人は、誰もいなかった。

 みんなリットーミュージックの『ギター・マガジン』か『ベース・マガジン』か『リズム&ドラム・マガジン』を、自分の担当楽器に合わせて読んでいた。『Player』は全員読む。メタル系の人はシンコー・ミュージック(現シンコーミュージック・エンタテイメント)の『ヤング・ギター』なんかも。

 そのへんの雑誌も読むけどロッキング・オンも読んでいた自分が少数派だったんだな、と、のちに「聴くだけの人たちの巣窟」であるロッキング・オン社に身を置いてから、改めて気がついたものです。

19歳の「あの人」が歌っていた広島

 そもそも、僕が広島にいたころにも、この街が「やる側」の巣窟であることを、身をもって思い知った出来事があった。高校時代のことだ。

 1年生の、確か冬休みが終わったころだったと思う。広島駅前にあったスズヤ*1というレンタルスタジオに、中学時代の同級生で組んでいたアースシェイカー*2のコピー・バンドの練習で、初めて入った。

当時のスズヤの様子。ここでREADYは練習していた。
左写真の右の人物は、スズヤの店長であり、現STUDIO 5150のオーナーである片山氏

 この店は、ローカル局の深夜にCMを流していたりして(確か広島ホームテレビの『ベストヒットUSA』の枠だったと思う)、どうも地元では名門っぽいぞ、ということで、緊張しながら行ったのだが、練習を終えてロビーに出ると、長髪の店長が話しかけてきた。

「アースシェイカーやっとるんじゃね。好きなん?」
「あ、は、はい」
「わしらもアースシェイカーの曲もやっとるんよ。ライブ観に来ん?」

 と言われるがままにチケットを買い、足を運んだライブハウス、広島ウッディストリート(現在は閉店)。そのバンド=READYでアースシェイカーや子供ばんど*3の曲を歌っていたのが、19歳の奥田民生だったのだ。当時、地元の専門学校生。

 マーシー(アースシェイカーのボーカル)そっくりだった、歌が。というか、声が。もし今聴いたら「全然似てねえじゃん」という可能性も高いが、当時の僕はそう感じた。まあ、そっくりだろうがそうじゃなかろうが、あの奥田民生がちっちゃいライブハウスで歌っていれば、たとえまだ19歳だったとしても、心に響かないわけがない。

 もう一撃で大ハマりし、学園祭とかのライブまで追っかけるようになった。で、そのスタジオ、スズヤは、地元のバンドマンのたまり場になっていて、毎日学校が終わると用もないのに自転車でダッシュで遊びに行くようになって、いろんな人と知り合ったりもした。

 READYの他のメンバーとも面識ができ、機材を運んだりライブ会場で売るデモテープのダビングを手伝ったりするようになった。なお、のちに奥田民生は、スズヤで早番のバイトをするようになった。朝10時のオープンから夕方まで。

片山氏は現在広島大学前でSTUDIO 5150を経営中。
水色を基調とした内装は、スズヤのころと同じ

 いきなり話は変わるが、僕が広島に帰ると必ず行く店が、3軒ある。

 袋町の広島テレビ前に友人がオープンしたお好み焼屋さん、ジュゲム。並木通りにある、アナログ中古盤専門店、STEREO RECORDS。それから、広島駅前の愛友市場にある肉屋「コロッケのせきや」だ。

 ジュゲムは、東京で活躍している同郷のライブカメラマン、岸田哲平が帰ると必ず行くお好み焼屋さんがあり、そこに連れて行かれたときに知り合ったその店のあんちゃんが、2016年4月に独立して始めた店。「飲み屋としてのお好み焼屋」という機能がとても優れているので、オープン以降、帰るといつもここで呑んだくれることになる。

 最近では、広島にライブに来たミュージシャンや、広島まで遠征してライブを観に来たファンが、そのあとに寄る店になりつつあるようだ。いつ行っても「あ、ライブ後に来たな」というお客がいるので。そう思う自分もライブを観たあとなんだけど。

 STEREO RECORDSは、品ぞろえと商品の状態がとてもよくて価格も適切。これ東京にあったら毎週行くなあ、という店で、いつも、持って東京まで帰るのがしんどくて宅配便で自宅に送るくらいレコードを買う。

 最初の数年間は普通に通っていたんだけど、ここの店主もライブカメラマン岸田哲平と親しいことがあとから判明し、面識ができました。

 そして、コロッケのせきや。

 2004年10月30日、奥田民生は広島市民球場で弾き語りライブ『ひとり股旅スペシャル』を行ったが、同年の4月、その前あおりの一環で、東京のJ-WAVEで特番が放送された。

 本人も出演して、ライブのこと、広島のことなどについて、いろいろ質問に答えていた。で、そのせきやのコロッケの話もしていたのだ。

 いわく、スタジオでバイトしていたころ、今ロッキング・オンにいる兵庫をパシらせて買いに行かせ、よく食べていたと。はい。パシらされていました。当時1個40円。1,000円渡されて「おまえらも食っていい、好きなだけ買ってこい」と言われ、喜んで25個買って戻ったら「こんなに買うてどうすんじゃ! 何考えとんじゃ!」と怒られたのを憶えています。確かに、自分でも、何考えてたんだ俺、と思う。

 なお、そのコロッケ、今は1個55円です。2017年4月に駅の反対側の東蟹屋町、東区役所裏に移転したそうです。

これがせきやのコロッケ。お店の写真は移転前のもの

 話を戻しますね。

 その奥田民生がボーカル&ギターだったバンド、READYは、僕が初めて観てから1年後、レパートリーが全曲オリジナルになったころに解散してしまった。そして奥田民生は、地元で名を知られた名ドラマー川西幸一が、一度足を洗って就職した会社をやめ、「やっぱりバンドやる」「でも次は絶対プロになる」という決意で結成したバンド、ユニコーンに熱心に誘われ、加入する。

 で、彼が加入してから確か2カ月くらいしか経っていなかったと記憶しているが、CBS・ソニーのオーディションに受かり、デビューが決まる。


 そこから数年以内に、スズヤ界隈にいたバンド、もしくは市内のライブハウスで活動していたバンドたちが、ユニコーンに続き、次々とデビューしていった。
ROLLIE、REPLICA、THE STREET BEATS、DOVE、FLEX、LORAN、UNI-SEX……地元で人気のあったバンドは、ほぼすべて、というくらいの勢いだった。

 今もそのままのバンドで、シーンの先頭で活躍しているのは、2009年に再結成したユニコーンだけだが、例えばFLEXのリーダーだったギタリストは、全盛期のSMAPなどの多数の作品を手がけたアレンジャー/プロデューサーのCHOKKAKUこと島田直である。その他も、バンドが変わったりメンバーが変わったりしながらも、活動を続けているミュージシャンは数多い。

広島に「観る側の文化」が育ち始めた、ような気がする

 そして。

 ここ数年、そんな「やる側の天国」「ただし観る側は育たない」街だった広島が、ちょっと変わり始めたような印象がある。僕は年に一度か二度帰省する程度だが、それでも肌でそう感じる。

 例えば広島東洋カープの大人気っぷり。もちろんめったやたらと強いから、という大前提はある。過去の広島ファンは、「弱いと観に行かない」という体質が常にあって、「それファンと言えるか? 阪神ファンを見習え」と僕などは思ったりもしていたのだが、現在のファンの盛り上がりっぷりを見ていると、もし勝てなくなっても離れないんじゃないか、という熱の高さを感じる。

 スタジアムのチケットの年間単位での売り切れっぷりには、「これ絶対転売屋だらけだよな」と重い気持ちになったりもしますが。

 同様に、サンフレッチェ広島のファンも熱い。以前とはあきらかに温度が違う。

フロアから見たBLUE LIVE広島

 スポーツだけではない。例えば映画、1999年に単館系やインディー系の作品を上映する「横川シネマ」が誕生したときは、正直、「広島なのに! なんて無謀な」と思ったものだが、それから20年近く存続しているし、特に2014年のリニューアル・オープン以降は、SNSの効果などもあって活況を呈している(ように見える)。

 もうひとつ。2011年に830人キャパのライブハウス、BLUE LIVE広島が宇品(東京でいうと新木場とかみたいな海っぺりです)にオープンしたときは、「広島で830て!」「しかも宇品て! なんて無茶な!」「クラブクアトロもなかなか埋まるバンドいないのに!」と、僕やミュージシャンのチャーベくんこと松田岳二(もちろん広島出身)などは、ウェブでその心配の気持ちを表明したりした。

 表明しすぎて、僕のところに広島FMの番組から「その心配っぷりを語ってください」と依頼がきて、電話出演したりもしたのだが、あにはからんや、それから6年が経つ今も、BLUE LIVE広島は立派に続いている。

 レストラン機能もあって、ウエディング等にも対応できるつくりなのが功を奏している、という側面もあるだろうが、何か、なんでしょう、「その節は大変失礼しました」と言いたい気持ちです。

 で、そう言えることがうれしくもあります。

 このまま順調に「観る側の文化」が育っていけば、いつか俺、帰っても仕事やっていけるんじゃないか? とすら、時々考えたりもする。いや、無理かなあ。どうでしょう。

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著者:兵庫慎司 (id:hyogoshinji)

 兵庫慎司

広島出身、東京在住。音楽などのフリーライター。リアルサウンド、SPICE、DI:GA ONLINE、エンタメステーション、週刊SPA!、CREA、KAMINOGE、ROCKIN'ON JAPAN等に寄稿中。ツイッターのアイコンは広島テレビ前「お好み焼ジュゲム」のそば肉玉W。

ブログ:http://shinjihyogo.hateblo.jp/

Twitter:@shinjihyogo

編集:はてな編集部

*1:「スタジオレンタル SUZUYA」のこと。一度閉店するも、後に同じオーナーがSTUDIO 5150をオープン、現在も営業中。広島のバンド・シーンを長年支え続けている。

*2:1978年結成の日本のハードロックバンド。1994年に解散するも。1999年に再結成を果たし、現在も活動中。

*3:1973年、当時高校生だったメンバーによって結成された日本のロックバンド。ボーカルはのちにタレント・俳優として知られるようになるうじきつよし氏。1988年に活動休止し、その後、2011年に活動再開を果たす。復活時の新曲「マンモスの唄」は、奥田民生がサウンド・プロデュースを手がけた。