変わりゆく良さと、変わらぬ良さが共存する街「曳舟」

著: タナカユウキ 

大切な人が住んでいる街を好きになってしまう。これはもう、どうあがいても避けられないことだと思う。

もともとは、板橋区にある高島平という街に住んでいた。そして、高島平に住んだのちに、僕は「曳舟」という街へ引越すことになる。

場所は墨田区。向島の隣町で、スカイツリーで有名な押上駅から徒歩15分ほどに位置する「曳舟」は、街に繰り出しそこから上を見上げれば、大抵の場所からスカイツリーを眺めることができる。押上のような観光地ならではの喧騒はなく、下町情緒も感じられる街だ。

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曳舟には、ふたつの駅がある。ひとつめは「京成曳舟駅」。都営浅草線に直結する上り列車は日本橋や新橋などの都心部や、羽田空港へとつながっている。千葉方面へと続く下り列車に乗れば、成田空港へも行くことができ、旅行好きにはたまらない場所だと思う。

ふたつめは「曳舟駅」。学問の神様で有名な亀戸天神へ行くのに便利な東武亀戸線や、複数の線が直通運転となる東武スカイツリーラインが走っている。

後者については、半蔵門直通の上り列車に乗れば大手町や渋谷まで一本で行くことができたり、東武伊勢崎線直通の下り列車に乗れば越谷レイクタウンで有名な越谷方面や、東武動物公園、さらには栃木まで足を延ばすことができる。季節の行事や、買い物に映画など、余暇時間を多方面で満たしてくれる便利な駅だと思っていた。

この街の交通事情がいかに便利であるかについては語りだせば切りがないが、僕がこの街に惚れたきっかけは別にある。それは、当時お付き合いをしていた女性が住んでいた街だったからだ。

この街を初めて訪れたとき、「なんて自分好みの街なんだ」と感じた。どこか遠出をするとき以外は、たいてい曳舟まで僕が足を運び、この街で時間を過ごした。そののち、この街に引越すことになる。

そして、その決定的な理由は、とある喫茶店の存在である。

先に説明した「曳舟駅」から北西に歩くこと5分ほどの場所に、素敵な喫茶店がある。「東向島珈琲店」というそのお店には、大好きなモーニングと、街のみんなに愛されるマスターがいる。

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お付き合いをしていた女性に会うために曳舟に来るたび、必ずといっていいほどこの喫茶店に足を運んだ。やさしい笑顔のマスターが立つカウンターには、ひっきりなしにお客さんが訪れ、マスターとの会話を楽しんでいる。喫茶店を好きになる理由は珈琲の美味しさが第一であるが、その店の雰囲気を一手に担うマスターの人柄もおおいに関わると僕は思う。

バターの香りがたまらない焼きたてのトーストは、オプションメニューとしてチーズを追加することもでき、ちょっと贅沢な日はチーズトーストにしてモーニングを楽しんでいた。一緒についてくるジンジャーシロップは空の胃袋にやさしく流れ込み、お酒を飲んだ翌日には特にありがたいものだった。僕はもう、このモーニングを何度食べたか分からない。モーニングを食べながら、そのたびに彼女といろんな話をした。それだけで僕はもうお腹も心もいっぱいだった。

そうして時を重ね、僕はその彼女とふたり暮らしを始めることになる。さて部屋を探そうというとき、この街以外に選択肢はなかった。もっというと、この喫茶店の近くに住むこと以外の選択肢がなかった。

そして、曳舟で、良い部屋に出会った僕たちは、改めてふたりでこの街に住み始めた。

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この街に住んでいるあいだに、街の様子は大きく変わった。スカイツリーが完成したことによって、曳舟に住む人が増え、新しい図書館もできた。2013年にオープンした「墨田区立ひきふね図書館」は、蔵書は豊富で、居心地も申し分がない。住んでいたところから歩いてすぐの距離だったことから、集中して勉強や読書をしたいときによく通っていた。僕はこの図書館を自分の書斎と考えていた。

部屋を探すというとき、まずはじめにその部屋の間取図を見る。ワンルームであるとか、1LDKであるとか、それが狭いだとか広いだとか。そんなことについて間取図を眺めながら考える。けれど、部屋の間取りというのはその1枚の紙におさまっているものだけではないと思う。

例えば、僕はふたり暮らしにはやや狭いと感じたが、ワンルームの部屋に決めた。その間取図だけを見れば狭いかもしれないが、そうは思っていなかった。先にご紹介した喫茶店も、部屋の一部と考えていたからだ。好きな喫茶店があり、その近くに住むことができれば、それは喫茶室(最大限にくつろげる空間であればリビングルームと言ってもいいかもしれない)のある部屋に住むのと同じことだと僕は思う。

喫茶店でコーヒーを飲むためのお金はかかるが、そのぶん家賃が抑えられる小ぶりな部屋に住むという選択肢が生まれる。喫茶店という部屋があり、そこで支払う金額を含めて家賃であるという考え方ができる。

図書館の近くに住めば、大きな読書室と本棚をもった部屋だと考えることもできる。本を借りることも多いが、それと同様に本を買うことも多い僕は、すぐに手に取れる場所に置いておきたいと思った本以外は、たいてい図書館に献本していた。なぜならば、図書館は僕の住んでいる部屋の本棚でもあるからだ。そんな考えのもと、大好きな喫茶店や、後にできた図書館とともに僕はこの街で過ごした。

時間の経過は、街の表情を変えてゆく。図書館がそうであるように、スカイツリーが建設されて墨田区一帯が盛り上がり始めてから、この街の景色は変わり、どんどん便利な街に変わっていった。ひとつ例をあげると、開かずの踏切といわれていた京成曳舟駅の踏切は、僕の住んでいた期間に地上から高架化され、駅とその周辺がさらに使いやすく整備された。そうやって、変わっていく良さがこの街にはあると日々感じていた。

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変わらぬ良さを残すところもある。このあたりは東京大空襲の際、戦火を免れることができた数少ない街のひとつであり、戦前の建物が今もなお大切に保存されている場所もある。

この街の「下町人情キラキラ橘商店街」がそのひとつだ。下町情緒を感じさせるこの商店街は、一目見れば、重ねた時の長さが分かるような建物に出会うことができたり、その独特の雰囲気からドラマのロケ地として度々使われており、人によっては、過去にテレビで観たことのある景色と再会することができるかもしれない。

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お惣菜屋さんでは焼き鳥や唐揚げ、コロッケなんかが売られていて、特に夕暮れどきには晩ご飯のおかずを買いにきたお客さんでにぎわう。そんな景色をただ眺めていたり、コロッケなどの手軽なものを買って、それを食べながら、あたりを歩くのが至福だった。

商店街の良さは、そこに並ぶお店ひとつひとつに個性があり、そのお店のオーナーとお客さんとの距離がとても心地よいことだ。ショッピングモールに入るお店ではなかなか実現できない個々のお店の味わい深さと、その雰囲気をつくり上げるオーナーとの会話を楽しめること。それが商店街の最大の魅力であると僕は思う。

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路面に並べられた椅子に腰掛けて食事ができる「たこ焼きこんこん」で、商店街の景色を眺めながら、たこ焼きを頬張る。身近だけど愛おしい、こういう時間を過ごしていると、日々の悩みごとは吹き飛んでしまう。お店では、明るくやさしい女性オーナーが切り盛りされていて、このオーナーとの会話だけで、「ここに来て良かった」と思わせられてしまうから不思議だ。良い街には、必ず魅力的な人がいる。街の良さと、人の良さとは紙一重だと本当に思う。

曳舟に住むこと約4年。そのあいだに、僕はこの街を好きになるきっかけをくれた女性と結婚をした。そして今も変わらず好きでい続けている。

時が経つとともに、この街が変わってゆくのを見てきた。新しい建物が建ったり、それによりもっと住みよい街になったり。人や環境がそうであるように、この街には変わりゆく良さがある。それだけでない。たとえ時が経っても、失われることのない街並みもここで見てきた。かつての景観を残しながら、今もなおそこで営みを続ける。そんな変わらぬ良さもまた、この街に息づいている。

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著者:タナカユウキ (id:tanakarchi

タナカユウキ

1988年生まれ。おなかの弱い一級建築士。建築写真家、ライター。好きなことは、小さな居酒屋で好きな人たちと語り合うこと。2016年12月からしばらくの間、アイルランドのダブリンという街に住んでいます。

ブログ:http://www.archietc.com Twitter:http://twitter.com/y_tanakarchi