最寄駅を伝えるとき、これまで何度「五反田駅」と間違われてきたことか。
山手線停車駅のひとつである五反田駅に比べると、圧倒的に知名度が低い「五反“野”駅」は、私が実家を出るまでの25年間、長年利用してきた地元駅だ。
急行は止まらないちょっと残念な駅だが、最近住みたい街として急上昇中の「北千住」までたった2駅、上野動物園やアメ横のある「上野駅」までは15分(6駅)で行けるため、交通の便の良さは五反田駅に負けずとも劣らないと自負している。
荒川の土手は、かけがえのない原風景
交通の便のよさだけじゃない。
私が地元を語るときに外せないと思っているポイントはほかにもある。それは、「荒川の土手」だ。時代の流れとともに街の景色は変わるものだが、この場所だけはずっと変わらない。
子どものころの思い出もたくさんある。
お正月には、家族で凧(たこ)揚げをして遊んだ。土手の開けた土地は、凧揚げをするのにもってこいの場所だった。
私の凧揚げデビューはというと、残念なことに高く舞い上がるよりも先に地面に叩きつけられてあっけなく終わってしまったわけだが、父のおかげで凧揚げは嫌いにならずにすんだ。私の凧揚げが成功するよう、必死に風の動きを見ながら「今だ!走れ!」と、タイミングを教えてくれたからだ。
何回か離陸に失敗したものの、私の凧は無事に大空へと飛び立った。喜んだのもつかの間、想像以上に強かった風に負けじと引っ張ったせいで、凧の糸は切れてしまった。だけど、私は悲しくなかった。きっと地面に叩きつけられるより、凧がうれしそうだったからだと思う。
それから、春にはつくし狩りをした。
あのころはまったく怖くなかった蝶々やテントウムシを横目に地面にはいつくばって、つくしを探した。虫を捕まえるのと同じ要領で、つくしを見つけたら逃げられないよう、素早くつかんだ。地面から「ブチッ」と引き抜くのが快感だった。
母がつくってくれたつくし料理は無味で、私の期待を裏切る味だったけれど(笑)、自分の手で収穫したものを食べた体験はとても貴重で、すごく幸せな思い出だ。
「人には人の乳酸菌」ではないけれど、私のように足立区民にはそれぞれ「荒川の土手メモリー」があると思う。荒川の土手は足立区を代表する「街の風景」である前に、そこに住む人にとってはかけがえのない「原風景」なのだ。
荒川の土手を見て私が思い出すのは、幼い日の記憶だけではない。
毎年夏に行われる花火大会「足立の花火」が開催される日が近づくと、好きな人に鉢合わせしないかとドキドキした中学生時代や、缶酎ハイとつまみを買い込んで友人と騒いで過ごした大学時代を思い出す。
残業が終わらなくて電車の中からガラスごしに花火を見たときもあった。家族と友人と、ときには一人で……。いろんな人と見上げてきた足立区の花火を、なんと今年はアメリカ人の夫と見た。中学時代の私には思いもよらなかった未来だ。
来年の花火大会は、誰と見ているのだろうか。荒川の土手には過去、現在、未来が交錯している。
視界に入れるのが苦痛だったスカイツリー
数年前にできた「東京スカイツリー」も、今や足立区民にとって地元を代表する風景のひとつだと思う。
五反野から北千住に向かう電車の中、荒川の橋を渡るときに見えるスカイツリー。まだツリーとは言えないころから、完成を楽しみに毎日電車の中から眺めてきたので、私にとっては東京タワーよりも身近な存在だ。
そんなスカイツリーだが、5年前に大好きだった彼氏と別れてからしばらくは視界に入れるのが苦痛だったときもある。
ドライブデート中に見たサプライズのスカイツリー、スカイツリーの下で寒さに震えながら交わしたキス、実現する機会を失った「スカイツリーの展望台へ行く」という約束……。スカイツリーがトリガーとなって頻繁によみがえる思い出と胸の痛みのせいで、なかなか次の恋へ動けなかったほどだ。
そのせいだろうか。1年後に、「恋がしたい!」という気持ちが戻ったときは、日本人男性ではなく外国人がいいと思った。恋が始まる前から恋を失うことに怯えるあまり、「どうせ失恋するなら、終わったあとに何か得られる相手がいい」と考えたのだ。外国人と付き合えば別れても「英語力」だけは残る。とても合理的でいいアイデアだと、あの時の私は本気で考えたのだ。
そんなよこしまな思いで参加した「国際交流パーティー」で出会ったのが今の夫であるからほんと、人生何が起きるか分からない。
不純な動機から始まった恋ではあるが、好きでもない相手と付き合えるほど私は器用ではなかった。私は夫がもつ子どものような心にほれた。
きっかけは初デートで行った池袋の映画館にて。
本編が始まる前に夫がなにやらポケットをごそごそと探り、「映画を見るにはキャンディがなきゃね」とチョコレートを2粒私に渡したのだ。「なにそれ?」と思ったが、映画を見る前にあんなにハッピーな気持ちになったのは初めてだった。
治安について
五反野駅周辺の環境についても話そう。
五反野駅は、「足立区」にあるので、治安の悪さを心配する人もいるだろう。経験上、出身地を聞かれて「足立区」と答えると「ヤンキーが多そう」とか「犯罪が多そう」といったネガティブな反応を返されてきたので、「足立区」の一般的なイメージは私も知っている。
だけど、25年間足立区に住んできて、ガラの悪いやからに絡まれたこともなければカツアゲされたこともない。しいて言うなら、自転車が盗まれたことがあるくらいだ。
あとは、私の友人のなかには、自転車の「サドル」だけを盗まれた人がいた。なんでサドルだけを……と思うだろうが、私の地元には、「足立区にある自転車はサドルがひとつ足りない」という変な都市伝説(?)があるのだ。そのため、サドルを盗まれた人はまた誰かのサドルを盗むという、謎のサイクルが起こっているのだという。まぁつくり話だとは思うが、子どものときは本気で信じていた。
話はそれたが、実際に足立区では自転車の盗難被害が多いため、2008年より「ビューティフル・ウィンドウズ運動」を実施している。
放置自転車や歩きたばこの取り締まりを強化し、「美しいまち」を印象付けることで犯罪を抑止しようという取り組みだ。現に、彼らの努力は街のあちこちで見ることができる。
さて、「ビューティフル・ウィンドウズ運動」、DAI語(DAIGOさんの言葉)風に言うと「BW」の効果はどうかというと、上々のようだ。
平成23年に1万件以上あった刑法犯認知件数(警察によって犯罪の発生が認知された件数)は、平成28年には6000件台まで減少したのだそう*1。街から約4000件もの犯罪がなくなったなんて素晴らしいではないか。駅前によく自転車を放置して撤去されてきた身として、自転車を取り戻すために払ったお金や過去が報われた気がして素直にうれしい。うむ。
そんなわけで、足立区=治安が悪いというイメージをおもちのみなさん。足立区は区民が安心して住めるよう取り組んでいるので、今後引越しを検討される際はぜひごひいきに。
子どもがのびのび成長できる街
また、あまり知られていないと思うが足立区には子どもが遊べる場所がたくさんあることも書いておきたい。
「猿山」や「ジャックと豆の木」、「三角公園」に「たこ公園」などなど。毎日いろんな公園で遊んでいたので、飽きることがなかった。
今は珍しくなった駄菓子屋も、何軒かはまだ現役で営業中だ。入り組んだ細い路地や、つる植物に巻かれた古い家、何をつくっているのか分からない怪しい工場など、下町っぽさもまだまだ残っている。この街には、子どもの冒険心をくすぐりそれを満たす場所があるのだ。
そうした環境で育ったせいか分からないが、私は小学校に上がるころには、好奇心が旺盛で物怖じしない子どもに成長していた。
小学校3年生の夏休みに、区民プールに来ていたカナダ人のトッドという名前の男性に「ハロー」と話しかけて友だちになったり、公園で出会ったシェパード犬のジョンと仲良くなり、飼い主のおじさんに「家に遊びに行ってもいい?」と迫ったり……(ジョンのおじさんとはその後仲良くなり頻繁に家にお邪魔した)。
迫ると言えば、今の夫をパーティー会場で見つけ、先に声をかけたのも私だった。
とにかく自由奔放に子ども時代を過ごせたおかげで今の私があるのだ。中国には、「環境選びは教育にとても大事だ」という意味の「孟母三遷」という故事があるが(孟子の母は教育のために住む場所を3回変えた)、子どもがのびのび成長できるという意味で、足立区は孟子の母にオススメできると思う。
街も人も 新陳代謝を繰り返す
中学生、高校生と成長していき、アルバイトをしてお金が稼げるようになると、いきつけやお気に入りのお店がいくつかできた。そのひとつが、五反野駅前にある個人喫茶店「ブリッヂ」だ。
外観からいかにも年季を感じるお店には、実は一度も中に入ったことはないのだが、夏に店頭で買えるソフトクリームが甘さ控えめで口当たりがよく大好物だった。
だけど、予告もなく店を休むことがしばしばあったため、友人と私の間では「気まぐればぁのアイスクリーム屋」と称していた。今思えば、買いたいと思ってもいつでも手に入るわけではない「レア感」が、あの店のアイスをおいしいと感じさせていたのかもしれない。
そして2年前、とうとう気まぐればぁの店はいつ行っても閉まっているようになった。
個人商店が姿を消すとき、チェーン店のそれとは比べ物にならないほど寂しいのはなぜだろうか。そして街から何かが消えるとき、私はいつも「静かな公園」のことを思い出す。住宅地のなかにあった「静かな公園」は、通称どおりいつ行っても静かな公園だった。
遊具がひとつもないのが特徴で、あるのは土と草、つまり自然だった。誰にも手入れされていないのか、秋にはススキがボーボーに伸び、ヤモリがよく出た。夏の夜にはコウモリを見たこともある。ほかの公園にはない野生さがあり大好きだったが、ある日突然ブルドーザーが置かれてあっという間に公園は消えて、跡地は新興住宅地となった。
このとき、自分の住む世界には「諸行無常」という自然の理があることを知った(「諸行無常」という言葉は大人になってから知ったけれども)。
人間の細胞が日々生まれ変わるように、街も静かに新陳代謝を繰り返し、変化している。
だけど、変化は必ずしも悲しいことじゃない。なかには喜びをもたらす変化だってある。
足立区役所の14階にあるレストラン「ピガール」は、小さいころからずっと憧れていたレストランだ。大人なしには絶対入れない空間だということを子どもながらに知っていたからだ。入れないのに14階までわざわざ上がり、店の前をうろうろしていたこともある。
そんな憧れのレストランは、小学校低学年のときに祖母の誕生日祝いで初めて訪れた。店内は眺望がよく、窓際の席からは足立区が一望できて、家も車も人間もなにもかもが小さくて興奮したのを覚えている。
自分でお金を払えるようになってからは、コーヒーを飲みに訪れていたが、メニューがリーズナブルな点も気に入っていた。
しかし、久しぶりに訪れたら「シーフードレストランメヒコ」へとリニューアルしていて、驚いた。
しかも、めちゃくちゃすてきにリニューアルされていた。
店内には新しく大きな水槽が5つほど設置され、まるで水中レストランのよう。区役所の中にあるレストランとは到底思えない。足立区にはオシャレすぎるくらいの店だ。それでいて値段はピガール同様リーズナブル。ドリンクが280円~380円で飲める。
慣れ親しんだ「ピガール」は無くなってしまったが、新たに通うのが楽しみな店ができた。
北千住駅から徒歩8分くらい、宿場通りにある「かどやの槍かけだんご」もそうだ。昭和27年に創業したこのお店には、土手で遊びに行った際は父が必ず連れてきてくれた。
明治40年に建てられたため、お店はけっこうボロボロだったが、そのボロさが逆によく、実家に帰ってきたようなほっとする温かさがあった。こないだ北千住に寄った際にふらっと立ち寄ってみたのだが、きれいに建て替えられていた。
ショーケースは昔のものをそのまま使っているのだろうか。色あせた木板はどこか見たことがあり、ほっとした。1本90円ずつ払い、みたらし味とあんこ味を購入して、あのころと同じように荒川の土手へ向かった。
土手を見渡せるよう階段の一番上に腰かけ、だんごを食べると、当時と変わらない味がした。炭で焼かれた餅はもちもちとしており、表面の焦げはあんと一緒に食べることで絶妙な甘さを引き出している。
だんごに舌鼓を打っていると、「とんっ」と、下腹に動きを感じた。やっと安定期に入ったお腹の子どもが蹴ったようだ。
「おいしいね~」とお腹に話しかけながら、ひとつ、またひとつとだんごを串から外す。私から生まれる変化を感じつつ、荒川の土手メモリーが更新される。
東京都なのに、地方出身者からうらやましがられることもない足立区五反野。
だけど、私にとっては生まれ育った「地元」であり、人生の道に迷ったときや過去に癒やされたいと思ったとき、毎回戻ってくる場所だ。
風が少し冷たくなってきたので、重い腰を上げた。
目の前の荒川を、私の「過去」と「現在」が流れていく。来年の春、自分は「母」になっている。親になるということがどういうことなのか、まだ分からない。だけど、悩んだり迷ったりしたときは、ここに戻ってこよう。「また来るね」とつぶやいて、「未来」が待つ家へと歩き出した。
五反野駅の不動産を探す
賃貸|マンション(新築マンション・中古マンション)|新築一戸建て|中古一戸建て|土地
著者:パンジー薫
1989年東京都足立区生まれ。25歳で大失恋を経験し、日本の男はこりごりに。1年後に出会ったアメリカ人とジェットコースターのような恋愛期間を4年ほど経て事実婚へ。ブログ「パンジー薫の国際恋愛ブログ」では国際恋愛や国際結婚について情報を発信中。
ブログ:パンジー薫の国際恋愛ブログ
*1:足立区役所「足立区内刑法犯認知件数の推移」https://www.city.adachi.tokyo.jp/kikikanri/bosai/bohan/documents/22-28suii.pdf