
理想の我が家を手に入れるために、都心のヴィンテージ・マンションを多様な視点から取材し、
次なるヴィンテージを探すためのヒントをご紹介します。
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代官山の旧山手通り沿いに30年かけてつくられた住宅、店舗、オフィス等の集合施設。代官山を東京の先端の文化、アート、ファッションを発信する街へと導いた象徴的な存在。
代官山と聞けばこの場所を連想する人は決して少なくないはずだ。「街を育んだ建築物」として国内外で評価される代官山ヒルサイドテラス(以下ヒルサイドテラス)。構想が形づくられたのは、代官山がまだ武蔵野の面影が色濃く残るお屋敷街だった1967年ごろのことだ。土地の所有者である朝倉家は、当時旧山手通り沿いに自宅や事務所、駐車場などを置いていたが、莫大な固定資産税などの問題からアパートを建てたほうが生産的と判断する。ただし、一族の発祥地であり、思い入れがある土地だけに、単純な住居機能だけでなく何か別の可能性も備えるべきでは――そう考えていた朝倉家が出合ったのが、アメリカから帰国したばかりの新進気鋭の建築家・槇文彦であった。
槇が述懐する。「私の考えも朝倉さんと同じでしたから、住宅に店舗を併設しました。単なるアパートメントではなく、さまざまな人が行き交う都市空間を目指したからです。店舗はガラスで囲って透明性を確保したこと、誰でも自由に通り抜けられる中庭や出入口が異なる回遊通路など、外に開いたパブリックスペースがあること、さらに既存樹、遺跡を残したのも都市空間故です」その意味では、ヒルサイドテラスは六本木ヒルズや東京ミッドタウンなどの先駆けともいえるだろう。
神宮前に点在する集合住宅のなかでも、階段状に設計されたユニークな外観で際立つ存在。
集合住宅における共用スペースの重要性を知らしめた点でも、大きな足跡を残している。
神宮前は、デザイン、建築、広告、写真など表現を生業とする人々が多く事務所を構える場所である。職業柄、入居する建物にも相応のスタイルを求める彼らに根強い人気を集めるヴィンテージ・マンションが、ビラ・セレーナとビラ・フレスカだ。同じく「ビラ」の名を冠するヴィンテージ・マンションとして知られ、コンクリート壁とガラスが強烈なインパクトを放つビラ・ビアンカ(1964年竣工)のすぐそばに立っている。3物件共に竣工以来、オフィス、居住用として入居希望者が引きも切らないが、「ビアンカ」と「セレーナ・フレスカ」の二者はその趣を異にする。
前述のようにビアンカが硬質な個性を主張するのに対し、後者は白く塗られた壁、段々畑のようにセットバック(※)された各住戸が織り成す柔和な外観をもち、個性的でありながら周辺の住宅街にも見事に融合している。建築設計を担当した清田育男(せいたやすお)は1957年に坂倉準三建築研究所に入所、70年にビラ・セレーナ、続く71年にビラ・フレスカの設計を担当した。
70年代初頭、住宅の主流は完全に一戸建てだった。一戸建ては建物、敷地のすべてを住む人が専有できるが、集合住宅は各住戸内の専有部分と、ロビーなどの共用部分に分かれる点が決定的に違う。この相違がビラ・セレーナの設計のポイントだったと清田は話す。「テーマは一戸建てでは意識されない専有と共用をどう区画し、融合させるかでした。つまり、中間領域をどう構成し、そこにどれだけ独自の工夫と提案を盛り込めるかという点に私は設計の興味を見出したのです。そこでまず建物の中央に共用スペースを確保し、同時にそれを住戸の壁で囲むことにしました。そうして生まれた吹抜けは、自然の光と外気を通し、住戸から街区へ連続する場となったのです」
※第6期は規制が緩和された建築基準法に従ってつくられたが、デザインの工夫で道路沿いの軒の高さは10mに抑えられている
広尾駅徒歩5分ながら総戸数約1200戸、それでいて都心らしからぬ緑深き希少な住環境。
高い資産価値を維持し、購入希望者が絶えない傑出したヴィンテージ・マンション。
東京のヴィンテージ・マンションといえば、その代名詞的存在なのが広尾ガーデンヒルズだ。イースト、ウェスト、サウス、ノース、センターと5つのヒル(丘)に、計15棟、総戸数約1200戸が立ち並ぶ。今年で竣工から28年。四半世紀余りを数えながら変わらず高い資産価値を保ち、今なお購入希望者が後を絶たない状態を維持し続けている。その要因は何か?都心の利便性、ランドスケープ、建物自体のデザインや品質などがいずれも優良であることはいうまでもないが、なかでも大きいのが、充実・洗練された管理体制だろう。(本誌では実際に管理に携わる住人にインタビュー)


※記事は月1回更新されます。